言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

2016-01-01から1年間の記事一覧

写真ってなんだ?―スーザン・ソンタグ『写真論』

今回はスーザン・ソンタグの『写真論』を読んで考えたことを書いてみようと思う。この本を読むまで、そもそも写真とは何か? どういう性質のものであるか? などと考えたことはなかった。考える暇もなく、現代の我々はスマホで気軽に写真を撮るのである。こ…

<既知>なるものからにじみ出る<変>―コルタサル『海に投げこまれた瓶』

久しぶりにフリオ・コルタサルの短篇集を読んだ。やっぱり好きである。今回読んだのは、『海に投げこまれた瓶』という短篇集で、収録されている作品は以下の八作品である。 ・「海に投げこまれた瓶」 ・「局面の終わり」 ・「二度目の遠征」 ・「サタルサ」 …

弔いのかたち―杉本裕孝「弔い」

人は二度死ぬ。一度目は生物として死んだ時、二度目は人に忘れ去られた時だ、なとどいうのは一体どこで聞いた言葉だったかあやふやだが、馴染のある感覚である。 杉本裕孝「弔い」という作品では、人は二度生きる。一度目は死ぬ前の生、つまりふつうに生きて…

読書はひとを連れてくる、そうしてひとを連れ去っていく―稲垣足穂について

今回は稲垣足穂(1900-1977)を紹介しようと思う。 稲垣足穂『現代詩文庫1037 稲垣足穂』(思潮社、1989年) 稲垣足穂『ちくま日本文学全集 稲垣足穂』(筑摩書房、1991年) 稲垣足穂 [ちくま日本文学016] 作者: 稲垣足穂 出版社/メーカー: 筑摩書房 発売日:…

「声」は「祈り」だった―スベトラーナ・アレクシエーヴィッチ『チェルノブイリの祈り』

今更、私のブログで話題にする必要があるのだろうか? そう思ってブログの更新をためらってしまうほどに有名な本、『チェルノブイリの祈り』。作者スベトラーナ・アレクシエーヴィッチは昨年(2015年)ノーベル文学賞を受賞したベラルーシのノンフィクション…

自分で自分をなげるように―エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』

この社会に生きていると、嫌な思いをすることが多々ある。困難が降りかかってくることもしょっちゅうだ。そういう諸々の面倒事を、こんなふうにさらっとかわして生きていけたら、どんなに幸せなことだろう、と思ってしまう。 彼らと争ってみても全然歯が立た…

人は語り、そして生きる―奥野修司「死者と生きる―被災地の霊体験」

今朝、午前六時二分、気象庁は東北地方太平洋沿岸に津波警報・注意報を発表した。同5時59分頃福島県沖で発生したマグニチュード7.3、最大震度5弱の地震の影響だ。 ちょうどこの時私は月刊新潮に三回にわたって掲載された奥野修司「死者と生きる―被災地の霊体…

名づけられた様々な魔法に放り込まれた遍歴の騎士―セルバンテス『ドン・キホーテ』後篇感想④

今回の更新で『ドン・キホーテ』後篇に関する一連の更新は終りになります。前篇も合わせれば随分とこの機知に富んだ郷士に振り回されていたような(汗) ドン・キホーテ〈後篇1〉 (岩波文庫) 作者: セルバンテス,Miguel De Cervantes,牛島信明 出版社/メーカ…

演じるということ―「ドン・キホーテ」に含まれる素朴な芝居観について/セルバンテス『ドン・キホーテ』後篇感想③

『ドン・キホーテ』後篇についての記事がこれで3本目になる。今回は基本的なことだけれど、『ドン・キホーテ』という作品全体に含まれるごく素朴な芝居観について書いてみたい。引用頁などは岩波文庫版の『ドン・キホーテ』後篇に拠る。 セルバンテス作、牛…

本を読むこと、本で読まれること―セルバンテス『ドン・キホーテ』後篇感想②

今回の更新は前回に引き続き、『ドン・キホーテ』後篇の感想を書いていく。前回の更新で今後書いていくことについて箇条書きにしておいたが、今回はひとつめ、「本」というものをめぐる諸々の話について書いていきたい。我々にとって「本」というものはごく…

著者が約束した後篇―セルバンテス『ドン・キホーテ』後篇の感想①

近代小説のはじまりと言われているセルバンテスの『ドン・キホーテ』を今年に入ってから読んでいたのだが、つい先日後篇を読み終えた。長いような気がしていた物語も、読み始めればあっという間に終わってしまった。今回からしばらくの間『ドン・キホーテ』…

ムーミンがいる、ということ―トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の十一月』

今回でムーミンシリーズの原作小説についての感想は終わりにしようと思う。最後はシリーズ最終巻である『ムーミン谷の十一月』(1970年)を取り上げたい。今月はひとりで黙々とムーミンシリーズの小説を読んでいたが、本当に出会えてよかったと思う。とても…

ままならないことを、ままならないままに―トーベ・ヤンソン『ムーミンパパ海へ行く』

「だけど、それじゃ海は生きものにちがいないな。海は考えることができる。したいほうだいのことをする……。あいつを理解することは不可能だ……。もし森が海をおそれるのなら、それは海が生きているということになる。そうじゃないか」 「じゃあ、わしは理解す…

天井からながめるべきだよ―トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の夏まつり』

「わしは、よく思うんだがね。たまには、じぶんの家を、下のゆかからじゃなく、天井からながめるべきだよ」 『ムーミン谷の夏まつり』より引用、ムーミンパパの台詞 今回は『ムーミン谷の夏まつり』についての感想を書いていく。この作品は、物語が面白いの…

魔法をめぐる物語―トーベ・ヤンソン『たのしいムーミン一家』

今回はムーミンシリーズの原作小説のひとつ、『たのしいムーミン一家』の感想を書いていこうと思う。過去記事にも書いたが、私はアプリゲームからムーミンの世界観を知り、原作が気になって読み始めたという経緯がある。そういう視点で読んでみると、この『…

幽玄の中へ認識を押し広げるという言葉の可能性―泉鏡花「高野聖」を読んで

(まあ、女がこんなお転婆をいたしまして、川へ落こちたらどうしましょう、川下へ流れ出でましたら、村里の者が何といって見ましょうね。) (白桃の花だと思います。)とふと心付いて何の気もなしにいうと、顔が合うた。 すると、さも嬉しそうに莞爾(にっ…

何故かムーミンシリーズの小説を読み始めたこと

最近、職場の人に誘われて、今更という感じではあったのだけれどムーミンのアプリゲームを始めた。こういうものに、どうしてもお金をかけたくないと思ってしまうので課金はせずにのんびり時間にまかせてプレイしているのだけど、結構面白い。キャラクターや…

化かされて、愉快いな―泉鏡花「化鳥」

化ける、というのはどういうことなのだろうとふと考えた。辞書的な意味を引いておくと「本来の姿・形を変えて別のものになる」ということ。私達は「化ける」ことよりも、たぶん「化かされる」ことのほうが身近に感じられるのではないだろうか? 自分が化けて…

日本語の時空間をめぐる旅―池澤夏樹=個人編集日本文学全集30『日本語のために』

かつてこの国では、文学全集という形式が流行った。そしてやがて廃れた。今、かつて出版された文学全集たちは、多くの町の図書館にある閉架書庫で埃をかぶって眠っている。時々その中の1冊、2冊がマニアックな読書家に発見されて借りられていくのだろう。1冊…

モノと文化、人と歴史と認識と―関根達人『モノから見たアイヌ文化史』

もう1年以上前になるが、私は以前こんな記事を書いた。 交流、混淆、変容 ―『アイヌ学入門』という本から再確認した文化観 - Danse Macabre! 生まれも育ちも北海道なのに、北海道の歴史が、はっきり言ってよくわからない。 小中高時代で習ったことによれば、…

僕たちが立つ場所―いしいしんじ『海と山のピアノ』

今回はいしいしんじ『海と山のピアノ』(新潮社、2016年)という本について書いていこうと思う。発売された時、表紙が可愛いということで話題になっていたのは記憶に新しい。書店へ行ったところ、新刊本コーナーにあったこの本の可愛さには抗えず……買ってし…

人生が凪ぐ時―ル・クレジオ『偶然――帆船アザールの冒険 アンゴリ・マーラ』

今回紹介する書籍にはふたつの小説が収録されている。「偶然――帆船アザールの冒険」と中篇小説の「アンゴリ・マーラ」だ。当ブログでは今回「偶然――帆船アザールの冒険」についての感想を書いていきたいと思う。 ル・クレジオ、菅野昭正 訳『偶然――帆船アザ…

束の間の越境―ル・クレジオ『海を見たことがなかった少年』

今回は前回に引き続きル・クレジオ『海を見たことがなかった少年』より「童児神の山」と「水ぐるま」という短篇作品を2本紹介したいと思う。 ル・クレジオ 著 豊崎光一、佐藤領時 訳、『海を見たことがなかった少年』(集英社文庫、1995) 海を見たことがな…

夢想としてまるで絵のような風景をみる―ル・クレジオ『海を見たことがなかった少年』

いつの頃からか、毎年に夏になると必ず読み返す本がある。 ル・クレジオ(豊崎光一、佐藤領時 訳)『海を見たことがなかった少年 モンドほか子供たちの物語』(集英社文庫、1995年)という本だ。 海を見たことがなかった少年―モンドほか子供たちの物語 (集英…

素材と表現の立場、自覚的に鑑賞すること―伊福部昭『音楽入門』について

伊福部昭、という人の名前を聞いてもそれが何者なのかいまいちピンとこない、という人であっても映画「ゴジラ」の音楽を作曲した人だよ、と言ってあげるとわかってくれたりする。それが良いことなのか、悪いことなのかはわからないが、ひとまず私はよく伊福…

言葉を使ってるから―仙田学「愛と愛と愛」感想その2

「言葉」というものは、人と人の間において障害にもなるし、架け橋にもなり得る。 人と人の間にあるかもしれない「空虚」を埋めることさえできるかもしれないし、人が隠そうと決めた心の弱い部分を暴力的にえぐり出し、攪乱してしまうかもしれない。 mihirom…

すっきりした文で、コミカルで、怖い―村田沙耶香「コンビニ人間」

今回は、村田沙耶香「コンビニ人間」について。この作品は第155回芥川賞受賞作ということで色々な人が手に取り、Twitterなどで感想を述べている。色々な人がひとつの作品について様々な感想を語る、今のこの状況、私はとても楽しい。 コンビニ人間 作者: 村…

騎士も城も恋人も、信じることが大事なのだ―セルバンテス『ドン・キホーテ』

今回の更新で『ドン・キホーテ』前篇に関する一連の更新は終わりにしようと思う。第一回目の更新で触れていた通り、今回は【絶対に本物の騎士になれないドン・キホーテ】、【重要な舞台装置、「魔法にかかっている宿屋」について】の二本立てで書いていく。…

物語の「中断」への積極的意味づけ―セルバンテス『ドン・キホーテ』

前回に引き続き、今回もセルバンテスの『ドン・キホーテ』前篇(牛島信明 訳、岩波文庫、2001)について書いていこう。 前回はなんとなく全体像的な話を書いたので、今回は【語りの面白さ】にフォーカスしてみたい。前回記事はこちら↓↓ mihiromer.hatenablog…

読書とは生活の中断である―セルバンテス『ドン・キホーテ』

おひまな読者よ。 さてさてお待たせしました!(え、なになに? 待ってないって言った? そんなの聞えなぁい!)今回の記事からしばらくの間、セルバンテスの『ドン・キホーテ』について書いていこうと思う。今回私が読んだものは岩波文庫版のこちら↓↓ セル…