今回は稲垣足穂(1900-1977)を紹介しようと思う。
稲垣足穂『現代詩文庫1037 稲垣足穂』(思潮社、1989年)
稲垣足穂『ちくま日本文学全集 稲垣足穂』(筑摩書房、1991年)
そもそも私が足穂を知ったのはごく最近、このブログ記事を書いたことがきっかけだった。
この記事にコメントをくれた人が「稲垣足穂」という作家を私に教えてくれたのだ。これはさっそく読んでみようと思った。そこで図書館で、稲垣足穂『現代詩文庫1037 稲垣足穂』(思潮社、1989年)、稲垣足穂『ちくま日本文学全集 稲垣足穂』(筑摩書房、1991年)の二冊を借りてきた。
読むことも書くことも、基本的にはひとりで黙々とやっていることだと思うけれど、こうして時々思わぬ出会いがあったりして、それもまた楽しい。その楽しさを足穂風(?)に表現した雑文を書いてみたらこうなった笑。
読書はひとを連れてくる
ある本を読んでそれについて何か書いておくと しらないひとが「その本に出てくるそれ、その一文はあの本の別の一文に似ているね」なんて言う それで自分が読んだ本にでてくるのに似ているという「あの本の一文」を探すために図書館に行って 目当ての本を家まで連れてきて読んでみる 「あの本の一文」をようやくみつけたぞ! と思ってこうしてブログに書いていると ほら しらないひとがまたやって来る そうして気がつく 自分も読書に連れられていたと。
さて、本題。今回は稲垣足穂という小説家が書いた作品をいくつか引用しつつ、この作家らしいモチーフやイメージの一端でも紹介できたら良いなと思っている。
さあこれから管を吹きます、何が出るか消えぬうちに御覧下さい
(『現代詩文庫1037 稲垣足穂』10頁より「シャボン玉物語」の冒頭より引用)
稲垣足穂はお月様や星をよく使う。それも、美しいなぁなどと、人間が単に夜空を見上げるような書き方ではない。お月様と取っ組み合いをしたり、人々の集まりの中に星がいたり、土星が三つも出来上がったり……月や星というモチーフが私達人間と同じ目の高さというか、同じ平面に存在している。そこには特になにも説明はなく、それ故に不可思議な感覚(幻想と言ってもいいのだろうか、まだわからない)を楽しむことができる。
ある寒い一月のばん、公園の片すみにある酒場で、紳士連が新年宴会をひらいていました。宴のさいちゅうに、一人の紳士が、となりの紳士の耳元でささやきました。
「こんばんの集まりの中には、じつは人間に化けた星がまじっているよ」
(『現代詩文庫1037 稲垣足穂』96頁より「タルホ拾遺――クリスマス前菜として 第一話 冬の夜のできごと」の冒頭抜粋)
同じ連作の「第六話 ホテルの一夜」では天地がまったく逆になっていて、ホテルの窓辺から首を出すと、眼下には星屑、上方には自動車の列……「自分は、窓ぶちをつかめようとするより早く、高い所に逆さにひっかかっているホテルの玄関口めがけて、加速度を加えて舞い上がって行った。」(前掲書102頁)なんていうのもある。窓から落ちていくのではなく、舞い上がって行く、こんな所にも足穂のお月様や星を人間と同じ平面に置いてしまえる感性をみることができる。つまり、物の捉え方が自在なのだ。星は上、自分は下という既成感覚から自由になっている。しかも、ある瞬間にふっと突然、自由になる。目の前に書き連ねられるその唐突さに時々ついて行けなくなりながらも、何故か読後に印象に残る作品だった。
街かどのバーへ土星が飲みにくるというので しらべてみたらただの人間であった その人間がどうして土星になったかというと 話に輪をかける癖があるからだと そんなことに輪をかけて 土星がくるなんて云った男のほうが土星だと云ったら そんなつまらない話に輪をかけて しゃれたつもりの君こそ土星だと云われた
稲垣足穂が生まれた1900年頃、日本では二宮忠八(1866-1936)という人物が活動している。1889年に「飛行器」なるものを考案し、日本の航空史に一歩を記した。ゴム同動力による「模型飛行器」を製作するも、その後は周囲の理解が得られず人間が乗れる実機を完成させることはできなかった。しかしその後も世界的な流れもあり、日本では飛行機というものに着目する者が多く、たとえば1901年には矢頭良一という人物が「飛学原理」の論文を著して森鴎外に飛行機製作の構想を明らかにしているそうだ。その後の歴史を知る私たちは、日本の飛行機製作が世界を追い抜く水準の進歩を遂げることを知っている(なお日本で最初の近代的航空機による飛行は1909年)。
このような時代の空気の中で、稲垣足穂は興味深い発言をしている。「空の美と芸術に就いて」(「文芸時代」1926年4月号初出)において、空を飛ぶということについて、「私たちの平面の世界を立体にまでおしひろげようとする努力である」と書いた。空への憧れも随分感じられる文章であった(なおこの作品は『現代詩文庫1037 稲垣足穂』に入っている)。
こうして幾十世紀もの間さびしく鳥類のみにまかせたうつくしい空は、私たちにとって知られざる理想郷であった。だから今日、飛行機をとばせてこの別世界にはいった飛行家の胸のなかには云いしれぬ美的観念が生ずるであろう。」(前掲書113頁)
「新社会建設にあたって常に重大な意義をもつ芸術が、かぎられた世界をやぶってゆくようには、単なる遊戯品が軍用機関のように考えられがちな飛行機というような種類についても、人々が進んで内面的に考察されることをのぞむ。そんなことがやがて私たちのいよいよ多端な芸術の道をひらいてゆく一助ともなるなら、望外のよろこびとする。」 (前掲書117頁)
ふと気がついたのだが、『星の王子さま』で有名なアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリも稲垣足穂と同じ1900年の生まれである。どちらも飛ぶということを突き詰めて、自らの芸術観念を打ち出したのかもしれない。
稲垣足穂にとって処女作である「一千一秒物語」が最も重要であるらしい。章タイトルのついた掌篇の作品群だ。「朝日新聞」1969年4月8日夕刊に掲載された「無限なるわが文学の道」(『現代詩文庫1037 稲垣足穂』所収)において、西脇順三郎の「詩とは互いにかけ離れたもの、正反対のもの、意想外なもの同士の連結である」という説を引き合いに出しつつ、自らにとって考えられないものの連結は人間と天体である、と書いている。
「だから私の処女作「一千一秒物語」の中では、お月さんとビールを飲み、星の会合に列席し、また星にハーモニカを盗まれたり、ホウキ星とつかみ合いを演じたりするのである。この物語を書いたのが十九歳の時で、以来五十年、私が折にふれてつづってきたのは、すべてこの「一千一秒物語」の解説にほかならない。」
(「無限なるわが文学の道」(『現代詩文庫1037 稲垣足穂』所収、131頁より引用)
最後に、このブログを通して私が稲垣足穂を知るきっかけとなった作品を引用して終わろうと思う。この作品のお月様も、単に空に浮いているだけではなく、私達人間の感覚に近い世界をうごいている。天空にある者を地上に引きずり降ろして転がすという、足穂の感覚だ。さらにこの作品では「自分」が分裂したような感覚も味わえる(足穂の作品にはこういう筆致のものもいくつかある。自分で自分を落っことして自分がいなくなってしまう、とか)。私のこんな読書感想ブログが、誰かのために読んだことのない本を連れてくることができたら、幸せである。と、同時に私をどこかへ連れていく本に出会えるとなお幸せである。
ある夕方 お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた 坂道で靴のひもがとけた 結ぼうとしてうつ向くと、ポケットからお月様がころがり出て 俄雨にぬれたアスファルトの上をころころころころどこまでもころがって行った お月様は追っかけたが お月様は加速度でころんでゆくので お月様とお月様との間隔が次第に遠くなった こうしてお月様はズーと下方の青い靄の中へ自分を見失ってしまった