言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

沈黙

新型コロナウィルスに隠喩を与えるならば「沈黙」こそがふさわしい。

 

と、そんなことを考えていた二月の終わりころから三月の中ごろ。

はじめは隣の国の一都市で起きていた出来事、まさに対岸の火事。それが気づけば自分のすぐそばまで迫っていて、いや、そもそも迫ってくる感覚すらなくて、精神的に堪えていることを実感した時にはすでにコロナ渦中にいた。わたくしごとをあれやこれやと書いても仕方がない、とそんなふうにも思うけれど、私は道内の指定感染症病院に勤務しているのだ。勤め始めて七年半ほどになる。毎日毎日、道内で発生した陽性患者の人数や動向を注視して暮らしていた。防護服の着方や、保健所を介した検査体制、診療・入院手順などを記したマニュアルが出た時にはぞっとした。私はすでにコロナの中にいたのだ。

 

まだその中にいない時、感染症を取り扱った文学作品で思いつくものについてあれこれ考えていた。思いついたのは、ル・クレジオ『隔離の島』、スーザン・ソンタグ『隠喩としての病』(これは感染症というよりは文学作品や思想において「病」にどのような隠喩が付され書かれてきたという分析が論じられている)、ダニエル・デフォー『ペスト(ペストの記録)』、アルベール・カミュ『ペスト』。

 

それで、マスクや消毒液の残量が不安になってくる毎日を鬱々と暮らしながら(「コロナ鬱」という言葉が出てきた時にどうやら自分だけが鬱々としていたわけではないらしいとわかってほっとした)、せっかくだから未読だったデフォーの『ペスト』とカミュの『ペスト』をこの機会に読もうと思って手に取ったのだ。妙な本の読み方をしてしまったと思う。得体のしれない(だからこそ怖い)感染症の渦中にあって感染症文学を読む。たぶん私の読み方は冷静さを欠いていて、あまり良い読み方ではなかった。不思議なことに本文中に書いてある事柄をいちいち、自分の回りの日常と引きあわせて類似性を見出そうとするのだ。

たとえば、デフォーの『ペスト』はこんなふうに書きだされる。

 

それはたしか一六六四年の九月初旬のことであったと思う。たまたま隣近所の人たちと世間話をしている際に、私はふと、疫病(ペスト)がまたオランダにはやりだしたそうだ、という噂をちらっと耳にしたのだった。」

ダニエル・デフォー著、平井正穂訳『世界文学大系32 デフォー スウィフト』、デフォー「ペスト」冒頭より引用)

 

はじめの頃は「噂」、あるいはニュースの一コマでしかなかった。さりげなく触れられるにすぎない出来事だった。「さりげない」と言えば、カミュの『ペスト』において、ペスト禍のはじまりを告げる一文も挙げられる。

 

四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診察室から出かけようとして、階段口のまんなかで一匹の死んだ鼠につまずいた。

アルベール・カミュ著、宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮文庫、昭和44年)9-10頁より引用)

 

これから起こる災禍の前触れを「つまずく」と表現するさりげなさに震えるものがある。

 

この二つの作品の概略をメモ程度に書いておくと、まずデフォー『ペスト』は1665年のロンドンを襲ったペストの流行をH.Fと名乗る語り手「私」の冷静な観察眼と記録、その考察から成る「小説」である(作者デフォーは1665年時点で五歳ほどだったとのこと)。死亡者数など具体的な数字がしばしば書かれており、本物の歴史記録ではないかと思えるほどの語り。ペストが徐々に広まっていく様子とそれに対する行政の対応、人々のふるまいなど、個人のドラマというよりはペスト禍を俯瞰したような形で描いた作品だと思った。公共の福祉(公衆衛生)と個人の自由・権利のバランスはどうあるべきか、考えさせられるものがあった。

それに対してカミュの『ペスト』はもう少し個人に寄った作品だ。1940年代のアルジェリアの港町オランを舞台にペストに翻弄される人々を描いている(史実としてこの年代にオランでペストがあったという事実はない)。魅力的な登場人物たちはそれぞれに違った考えと目的を持っている。たとえば、オランが閉鎖されてしまった時にうっかりそこにいた新聞記者のランベールはパリにいる恋人に会いたい一心で脱出を試みるし(「僕が心をひかれるのは自分の愛するもののために生き、かつ死ぬということです」(前掲書197頁)、町がペスト禍のために封鎖されたおかげでコタールは自由を謳歌するようになった(実は平時であれば逮捕される運命にあった)。罪なき子供が苦しみ抜いて死ぬ不条理な世界であっても神への信仰を捨てないならばその世界すら愛さなければならないとするパヌルー神父(「しかし、おそらくわれわれは、自分たちに理解できないことを愛さねばならないのです」前掲書259頁)、「理念」というものが人間を殺し得ること、そのことを間接的に同意しなければ社会を成立させることができないこと、「誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ」(前掲書302頁)と主張するタルー(この人物の手帳の記述があちこちに引かれるのだが、人々の暮らしの細部をみつめる視点が良かった。「ペストは流行時においては、猫に唾を吐きかけることを禁ず」(134頁)だとか)。「際限なく続く敗北」(152頁)の中にあってもあくまで自分の職務をよく果たすこと、ペストと戦う唯一の方法は誠実さであること、人類の救済なんて大袈裟なことを考えずにあくまで目の前にいる人の健康、ということが第一の関心であると語る医師リウー。

みんなが違う方向をみながらも同じペスト禍の中にいるということにまだ人間の自由があるのではないか?と思えば救われるような気がする。

 

と、なんだか長くなってしまった。

いやいや久しぶりに喋った(というか書いた、なんだろうけれど日常でもほとんど話すことはなかったのでついそう言いたくもなる)。

このブログ記事の一番はじめに書いた「新型コロナウィルスに隠喩を与えるならば『沈黙』こそがふさわしい。」というのが、コロナ禍にいた私の日常を表す正直な感想である。それは職業に由来するところも大きい。なにせ報道されるよりも(医療関係の外側で暮らしているひとよりも)自然に詳細な情報を持ってしまうのだ。はじめWHOは「パンデミック」よりも「インフォデミック(infordemic)」と言った。うかつな発言がデマを呼び混乱を巻き起こすかもしれない、まずはその懸念から沈黙した(SNSのアカウントを非公開にした、結局ほとんど更新しないアカウントだけれど)。

次に北海道で陽性患者が増加し始めた頃にネット上でうっかりみかけてしまった「北海道の人には来ないでほしい」という発言が私をさらなる沈黙に追いこんでいった(現在他県あちこちで患者の数が増えているけれど、言い返しても不毛なのでやっぱり私は何も言わない)。

私自身が医療関係者であり、人より感染リスクが高いことを知っているからこそ、たぶん他の人より決意するのが早かった、「当分の間、仕事以外では人に会わないようにしよう」。それに陽性とされた場合「社会的に死ぬ」という雰囲気が醸成されたことも沈黙を余儀なくされた理由のひとつかもしれない(これは私に限らないことだと思う。恐ろしいことに)。ひたすらに沈黙に追い込まれていく印象と、深い孤独の中に落ちていた。新型コロナは人を分断するなと思った(イベントの中止という物理的なものから、偏見という精神的なものまで)。終わりがみえないからこそ、余計に暗澹とした。

一応、曲りなりに表現者として生きようと思っているわけだから、本当なら沈黙すべきではなかったのかもしれない。だけれど、「沈黙」を強いられる重苦しい現在に対して、私は勝つことができなかった。精神的に負けた。

 

「みずからペストの日々を生きた人々の思い出のなかでは、そのすさまじい日々は、炎々と燃え盛る残忍な猛火のようなものとしてではなく、むしろその通り過ぎる道のすべてものを踏みつぶしていく、果てしない足踏みのようなものとして描かれているのである。」(214頁)

 

「九月と十月の二月間、ペストは町をその足もとにひれ伏させていた。なにしろその正体は足踏みであったから、数十万の人間が、いつ果てるとも見えぬ週また週の間を、なおも足踏みしつづけていた。」(222頁)

アルベール・カミュ著、宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮文庫、昭和44年)

 

 

少しずつエビデンスが集積されることによって、新型の特性みたいなものや、あるいは対処の方法が少しずつみえてくるのかもしれない。多くの人が免疫を持つようになれば感染性の流行病もおさまっていくだろう。そのことに期待しつつの「足踏み」をいつまですればいいのか、いつまで踏まれればいいのか。「沈黙」に勝つためにはなにをどう考えていけばいいのか……。

 

あ、ボッカッチョの『デカメロン』読まなくちゃ!!(笑)

 

今回読んだもの、デフォーのほうは新訳が出ているようなのでそちらを貼っておきます(私が手に取ったのはデカい文学全集に収められたものだったから読むのが大変でした笑)↓ 

ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 発売日: 1969/10/30
  • メディア: ペーパーバック
 

 

 

 

 

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こーりゃ、どうしてってぐらい生い茂っとるたい―古川真人『背高泡立草』

あのひとたちがあんまりよく喋るもんだから……と、草茫々の納屋の前に立って溜息のひとつでもついてみることを想像する。それで、この溜息の意味はなんだろう?うんざりなのか、次々と移り変わる話題の広さや語られる過去の深さへの期待なのか、それとも埋もれたものをみつけた安堵なのか、はたまた幸福なのか、自分でもわからないままに読んでしまった本の話。

言葉が繁茂するよろこびと、それによって埋もれ忘却されてしまう記憶と、その忘却にあらがうかのようなひとびとの営みを「草刈り」の一日に込めた素晴らしい作品。

今回は第162回芥川賞受賞作である『背高泡立草』の感想を書いていこうと思う。

 

【第162回 芥川賞受賞作】背高泡立草【第162回 芥川賞受賞作】背高泡立草

 

 古川真人『背高泡立草』(集英社、2020年)

「草は刈らねばならない。そこに埋もれているのは、納屋だけではないから。」

(帯文より引用)

 

 

作中を流れる時間はたったの一日。

その時間の移り変わりの合間に吉川家の〈古か家〉にまつわる過去の出来事が語られていく。戦中に島を出て満洲へ渡った者の話、戦後に釜山に行こうとしていた船が転覆して島に流れついた者の話、捕鯨の際の鯨にとどめを刺す役である刃刺の青年が松前に行って再び帰ってくる話、カヌーに乗って島に漂着した少年の話。いずれも吉川の〈古か家〉とともにあった時間によってのみ繋がるエピソードだ。出て行くものと入ってくるものの話が語られるのは「島」という場の地理的特性を表しているように思えた。さらに「セイタカアワダチソウ」という植物をネットで検索してみたら、どうやら、明治時代末期に日本国内へ持ち込まれた帰化植物外来種)らしく、お前も入って来たものかと笑った。

 

けれどそれよりなによりも、「言葉が生えてる!!」と感じた時、私はこの本に埋もれた深い感動を掘り出したのかもしれない、と思った。

 

それは、「島」で草刈りをする一日。

草の茫々に生えた場所に埋もれるようにして立つ吉川家の納屋はもう使われなくなって二十年以上は経つようだが、それでも当たり前のように草を刈ろうということになって美穂、加代子姉妹とその兄哲雄、姉妹のそれぞれの娘である奈美と知香が島にやってくる。だけれど奈美にはどうしてもわかならい、何故、誰も使う者のない納屋の回りの草を刈らねばならないのか……。

葛、魚腥草、芝、虎杖、背高泡立草、蝦蔓、野薔薇、紫陽花、秋茱萸、方喰、大葉子、菜切菅、引蓬、浜菅、蟹釣草、薄、蠅毒草、常盤爆、癇取草、藪虱、刺草、蚊帳吊草……。

おお、生えてる生えてる草茫々だ、と最後のほうを読んで思う。まるで言葉によって草が生えて来るかのように次から次へと、ルビがなければ読めそうにない植物の名前が出てくる出てくる。

というのも、ここに登場する人物たちが喋る様子がまさに草茫々を彷彿とさせるのだ。

 

 

そして、食卓の側のテレビの音(それは耳が少し遠くなっていた敬子に合わせた大きな音量をスピーカーから出していた)、椅子を引く音、食材が焼ける音や蛇口から水が出る音、箸はあるか、余った取り皿はないか、お茶葉冷たいのが良いか、醤油はどこか、とそれぞれおが勝手に口から出す言葉や、スモークサーモンをサラダに入れるのを忘れたようだ、冷凍庫に入っていたこれはいつの魚だろう、いまお客さんの声がしたのではないか、いや、どうやらテレビの声だ、といった誰に問いかけるでもない独り言めいた言葉が合間に挿し挟まれる通常の会話が主に美穂と加代子によってなされ、騒がしさも彼らが食べているあいだ中、食卓の周りを巡り続けるのだった。

(前掲書、36頁引用)

 

よく喋るひとびとの、この食卓の描写を私は「草茫々みたい」と形容したい。「二人(加代子、美穂)は口から出る言葉を辺り一面にどこまでも、ほしいまま繁茂させなければ気が済まなかった。」(前掲書、13頁より引用)だとか、「年老いた敬子は、孫たちの話している内容というより、口の良く動くことに見惚れるように黙っていた。」(前掲書、67頁より引用)だとか。

 

こんなに喋って言葉を茫々にしてしまうから埋もれて(忘れて)しまうものもきっとある。日常の当たり前のようにしている会話が積み重なっていく時間の底にやがて埋もれてしまう記憶もあるのだ。たとえば挿話として挟まれる土地にまつわる過去の物語……。

 

声と草を重ねた読み方をして面白がり、あんまり喧(かまびす)しく生えすぎて記憶が埋もれてしまうということに気がつき、いつかはだれも草なんか刈らなくなって埋もれてしまった納屋が忘れられぽつねんとあるようになるんだろうかとさみしくなり、だが「生えたら、また刈りに来るとよ」(72頁)という加代子の言葉と、たぶん賑やかなひとびとだから言葉と同じく草もあっという間に繁茂するだろうけれど「これから草刈りに向かう夢を見てたから、びっくりした」という知香の台詞のあるラストに、そうかまだ生えるし刈るし、そういう一族の営みは続くのだな、埋もれないし忘れないのだな? という思いがして救われたような気持ちにもなった。

かけがえのないものは案外、どうしてやらなければならないのかわからないような年中行事(?)みたいにしてあるのかもしれない。

 

※デビュー作『縫わんばならん』から応援してきました。

芥川賞受賞、おめでとうございます。今後のご活躍、たのしみにしております。

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〈時〉を取り戻す力―栗林佐知『仙童たち 天狗さらいとその予後について』

「天狗とは、いったい何なのか」

このたったひとつの問いに真摯に向かいつづけた薄木市立郷土資料館学芸員(一年契約)のクジラガワ・カンナさん。この人の研究をなんてすばらしいんだと思った。研究題目は「多摩西南地域の天狗道祖神――庶民信仰をめぐる一考察」で、この研究で栄えある東日本人文科学学術研究振興会の地域史研究奨励賞を受賞した(なおこの賞は今回で最後とのこと)。対象地域における石造物の丁寧な踏査と宗教的背景の理解、国学者平田篤胤の仕事を参照しつつ新史料『除弾坊由来記 明治三十七庚辰』を読み解けば……

あら不思議、小説的想像力からもしかして天狗って今でもいるんじゃ……? なんて思わせてくれる。新聞記事やユーチューブも駆使してあれやこれやと結びついて行く物語の展開は読者を本当にわくわくさせてくれる。

これは、そういう〈小説〉でした。

 

栗林佐知『仙童たち 天狗さらいとその予後について』(未知谷、2020年)

 

仙童たち 天狗さらいとその予後について

仙童たち 天狗さらいとその予後について

  • 作者:栗林 佐知
  • 出版社/メーカー: 未知谷
  • 発売日: 2020/01/18
  • メディア: 単行本
 

 

 思うに、人文科学という分野は失われた、あるいは失われつつある時間を取り戻したり繋ぎ合わせたりするための学問なんじゃないかな? そしてその時間の中にはきっとたくさんの「声」がある。

 

この本は2007~2009年に光文社のPR誌『本が好き!』に掲載された四つの連作短篇と、その合間に差しはさまれる5つの断章「証拠物件 遺留品(ICレコーダー)に残された音声」から成っている。5つの断章の部分は学芸員クジラガワさんの研究発表をベースに「天狗とは何か」を読者の前に開示していく。そして四つの連作短篇の主人公はそれぞれ四人の子どもたち。彼らは1984年(作品の「今」から35年前)に学校の遠足で大山へ登り遭難した神奈川県ツルマ市立タンポポ台中学の生徒だ。どうもこの子供たち、天狗と関係があるらしい。天狗遭遇潭を見渡してみると「天狗にさらわれる」のは「だいたい愚鈍な人、ちょっと変わった子、ずれていてみんなについていけない子」(46頁)とのことだそうで……。

ひとつ目の短篇「南ツルマ運動公園の決闘」は通信教育で天狗さまの修行をしている仏沢せいじが、ふたつ目の短篇「夏の光線」は口汚く罵る母上の言葉でできた世界を生きる鯨川かんなが、みっつ目の短篇「父さんゆずり」はただのお調子者にみえて実はキリストやお釈迦様に近い志を持つ「人間関係の冒険者」井戸口俊樹が、そして最後の短篇は「優等生」であるからこそそれ故に傷ついてしまう堀江桂が主人公の物語。

 

著者はあとがきで「衣食住の苦労こそない子どもたちの苦痛」が自身の軸であったと書いている。まさに様々な方向から色々な子どもたちを描いているのがこの作品で、時々、自分のことが書かれているんじゃないか? と思って勝手にドキドキして勝手に気まずくなったりもする。とても面白い本だったけれど、私は全然一気になんて読めなかった。単に「生きにくさ」を書いた作品であればこれほど心に詰まることもなくて、単に「民間伝承」(天狗潭)を書いた作品であれば読むこともなかったかもしれない。「天狗」という存在の起源を辿るうち、それは案外だれかの生きにくさに(例えば仕事の続かない寅吉なんかに)繋がってしまって、そしてそのだれかはまた別のだれかの生きにくさをみつけては繋がっていって、そんなふうに語り継がれる存在がいたのかもしれない、と思えば「天狗」も架空の存在ではなくなっていく。まぁ、あまり得意になっていることを「天狗になる」なんて言うから良いことばかりではないけれど。

開発によって失われた景観、貴重な資史料、蔑ろにされる学問の存在、あちこちで聞こえてくるヘイト、共謀罪……。

悲しいことや嫌なこと、反対したいこと、たくさんあるけれど、

 

つらいわよね、人文研究者はさ。「生産性がない」とか言われちゃって、どこでも予算けずられて、ポストはないし、みんな不安定な立場だし。でもガンバロウよ、わたくしたちが滅びたら、ほんとに世の中とり返しがつかなくなるよ。

(前掲書、202頁より引用、残された音声より)

 

という言葉が一番心に沁みました。

遺された痕跡を丁寧にそして真摯に辿ることなくしてはみえないものだってある、わからないことだってある。長い時間をかけて、そこに至るまでに連なるさらに長い時間を忘却から掬いあげて繋げていく力。それが人文科学という学問ではないだろうか、と私は思う。曖昧な言い方になってしまうのは結局のところ人文は人文だからで、それはどういうことかというと、

〈人間はこういうものだ、とは言えない。そして天狗とはこうだ、とも言えない〉と結論付けるしかないのと同じなのかもしれない。

 

 

ちなみに私には生きにくさはあるけれど天狗の素質は無さそうである。

「わたくしは人としてやっていきとうございます。」

いや、どうだろ。人のふりしてぼちぼちやっていくかね。

重要な曖昧さ――滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』

あとがきまで読み終えたあとで本の表紙に戻り、そこに描かれた人物の膝の上で握りしめられた手をみる。みてしまう、どうしても気になってしまう。その意味が、この本を実際に手にとって最後まで読んだひとにはきっとわかると思う。

今回は、滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』(NUMABOOKS、2019年)についての感想を書く。

 

numabooks.com

 

 

不思議な本だと思った。書かれている出来事から、私がそれを読むまでに生じた遅れがある。その遅れにちょっと感動する。文芸誌で連載されていた時のものを読んで、いやその前に滝口さんが実際にアイオワに行った瞬間があって、「わからない」に抛り込まれた日々があって、それを日記として書いた時間があって(なお日記の前半はアイオワで書かれていたらしく、9月30日の日記の結びが「部屋に戻り、日記。ようやく今日まで追いつく。」この感じが不思議でならない)、連載の載った文芸誌が発売された日があって、そこからだいぶ遅れて手に取った私が読んだ数日があって、それで今単行本化された『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』を読んでいる。いや、待てよ。単行本化にあたり大幅に加筆修正した日々もあるんじゃないか……など、その他諸々の日常の暮らしのことも考えたら文字にするのも面倒なくらいの時間の流れを感じてしまう、そんな読書体験をしているのではないか? と読みながら何度も考えてしまった(日記の中に確かに時の流れを感じさせる日本の出来事が書かれていたり。たとえば心斎橋アセンス閉店の報やさくらももこさんの訃報、北海道の地震のニュースなど)。なんか、感慨深いよこの本。そして本のいいところは、いくら遅れても後ろめたい気持ちにならないことかもしれない、などと思う。

 

この本は、作者である滝口悠生さんが参加したアイオワ大学のインターナショナル・ライティング・プログラム(IWP)の模様が書かれた日記をまとめたもの。期間は2018年8月19日から10月31日まで。ちなみに過去には柴崎友香さんや藤野可織さんもIWPに参加しているそう(もしかして私がちょっと気になっている韓国のハン・ガンさんも過去のどこかで参加してないだろうか? なにかで読んだような……)。

『新潮』2018年11月号から2019年2月号まで全4回連載された「アイオワ日記」「続アイオワ日記」「続続アイオワ日記」「続続続アイオワ日記」(この〈続〉がどこまで続くのかひそかに楽しみにしていた)を加筆修正したものに、『ちゃぶ台』vol.4に掲載された「チャンドラモハン」、『すばる』2019年1月号に掲載された「アイオワの古本屋」を追加して一冊の本にしたものだ。

27ヶ国28人が参加したライティング・プログラム。文芸誌連載時に読んでいた部分は今回再読のようなことになったので、重要な曖昧さ(confusion)が多少失われるのも覚悟で、ノートに登場するライターたちの名前と出身国名を書き出してみた。それでいくらか明晰になったかといえばそうでもなく、あれ? なんか30人以上いるんだけど? となってよく見返したらヤミラとチャイの名前が二回書いてあったり、プログラムの関係者をライターと取り違えて書いてしまったりしていた。間違えて書いてしまった名前に線を引いて数えたら今度は少なくて、やっぱりよくわからないことになったなぁと思っていたら、あとで「ユウショウ(日本)」を書き忘れていることに気がついた。

 

約10週間の滞在はとにかく「わからない」の渦中に抛り込まれたような日々で、その「わからない」に翻弄されつつも時々わかったような気がして、けれどもやっぱりよくわからない。そしてやがて「わからない」ことに慣れて気にならなくなる(列車のエピソードがとても印象的だった。窓から鉄道のレールが見えるのに、ついに列車を見なかったとか、130頁-131頁)。

英語が不得手らしい著者は正確に相手の話をききとることができないから印象に頼って理解しようとするけれど、それもまた合ってるのかよくわからない。わからないままに日々が成立し、過ぎていく。第二次世界大戦ミュージアムへ行ったエピソードでは、戦勝国アメリカと敗戦国日本では戦争の語り方が違う、ということに気付き、そのクリアさがこの博物館の印象になってしまいそうになるが、ふいに話しかけてきた中年の男性とのやりとりでそうはならずに済んだ、そのことを著者は「重要な曖昧さだった」と結ぶ。印象というのは本来曖昧さを含むもののはずで、それをクリアにしてしまうのはなんか違う、だから「Images of America」というテーマでスピーチしろと言われると腹が立つ。著者にとっても(他のライターたちにとっても)アメリカというかアイオワは具体の集積なのだと思う。それは今まで国名しか知らなかった場所にその時々で関わり合った人々の人柄や来歴が重なり合ってできていったもので、そういう具体の集積から改めてアメリカの「イメージ」なんてクリアな言葉を語ることはできないのではないか? 無理にクリアにしたものは印象(イメージ)ではなくなってしまうような気がする。

読みながらいろいろと心に残るエピソードはあったけれど、中でも特に気に入ったのは、トルコの詩人べジャンが話した牢屋の暗闇と子どもの頃に育った土地の美しい景色の話。そこにイラン映画の色彩を重ね、さらにべジャンの原色のビビットな色の服を重ねてきいていた著者の、べジャンに抱いた印象がとても美しく書かれていた。思わず笑ったのは「芥川賞」について他の国のライターに説明をしたエピソード。その話題の途中でだれかが「ユウショウは日本で有名なのかどうか」と挟んでしまったものだから話が混線してしまい、だから「very famous but not so important」という宙に浮いた言葉が結局なんだったのかよくわからなくなる。そういう笑い。

 

As you know, My English is very poor, During this program, I will get many moment of confusion. It is…まで話してあとが続かなくなったので、以上、みたいな雰囲気を出して終わりにした。

(前掲書、16頁より引用)

 

と、いうのが滝口さんの自己紹介として書かれているが、まさにたくさんの混乱または曖昧な瞬間からできあがった滞在だったなぁ、と一冊の本になった日記を読みながら思った。重要な曖昧さ。「あとがき」にあった「ある一日を、ある出来事を、日記に書いてしまったら、もうそのことは小説のようには書けないような気がする。」(283頁)という言葉が私の中にはいつまでも残りそうだ。

 

あなたが小説で伝えようとしているメッセージはなにか、と訊かれたので、メッセージとかは別になくて、と言うと、メッセージがない? と彼女は文字通り目を丸くして驚いた。読んでるひとが読んでるときにたとえばなにか関係ないことを思い出したり考えついたりするのがおもしろいし、それは結構すごいことなのではないかと思うんですよね、メッセージのやりとりというよりコミュニケーション? あとに残らない読むあいだだけの経験みたいな?

(前掲書、204頁より引用)

 

と、やたら勝手にいろいろなことを思い出したり考えついたりしながら書いた読書感想文を終わりにしたい、以上、みたいな雰囲気を出して(続かなくなったわけではないけど、これ以上書くと収拾がつかなくなる)。

 

やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)

やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)

  • 作者:滝口 悠生
  • 出版社/メーカー: NUMABOOKS
  • 発売日: 2019/12/26
  • メディア: 単行本
 

 

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――引用、乗代雄介「最高の任務」

過去の回想のようであって、単なる過去の回想を超えた、そこに「書く」という営みへの信頼と力強い肯定を感じた作品――乗代雄介「最高の任務」の感想を書きたいと思う。日記という体裁をとった作品で、実は私も小六の頃から日記を書きつづけているせいか、そしてうっかり大学で考古学を専攻していたせいか、「書く」という営みを通して「過去」を取り扱う時のこの作品の手つきに感動してしまったのだ。

 

乗代雄介「最高の任務」(初出『群像』2019年12月号掲載)

 

最高の任務

最高の任務

 

 

※引用のページ番号は文芸誌掲載時のものであることをここにお断りしておく。

※単行本は2020年1月11日発売予定とのこと(買っちゃうかもしれない)。

 

私は不遜ながら芸術作品を修復する人々の手つきを思い浮かべている。彼らによって作者はこの世に留まる。修復されて作品が残るからではなく、修復する手が、その作がなければそのように動くことはなかったということが、作者をこの世の仲間に留めおく。

(前掲書、43-44頁より引用)

 

 

いつの時点で書かれたものかはわからないが、この作品は日記という体裁をとっており、大学の卒業式のあとの日々のどこかで「私」によって書かれたものらしい。

内容はいたってシンプルで、2008年11月8日に叔母のゆき江ちゃんが小五の「私」(阿佐美景子)に日記帳を渡したことに端を発している。それで「私」は日記を書きはじめたわけだが、一度日記を擬人化して「あなた」なんて呼びかけて相談事を持ちかけた翌日にひどい嫌悪感を覚え、それ以来日記の書き出しが「あんた、誰?」となる日々が一年以上続く。家にある曲がった木の棒である「ねじ木」で弟の尻を叩こうとしたこと、相澤忠洋の『赤土への執念』で読書感想文を書こうとしたこと、小学校の卒業でクラスで作る短歌集に「友」にかかる枕詞と叔母に教えられて(担がれて)「かこつるど友とも言えない私たちを 待たぬ桜の散るを見る夜」と書いたこと、そんな子供時代の日記が何度か「引用」される。途中で日記を書かなくなってしまったために、2017年のこどもの日に叔母と閑居山に行ったことが書かれることはなかったが、叔母が亡くなって一年ほど大学を休学した「私」が再び書きはじめた日記で「叔母と出かけた場所へ一人で出かけるという形をとって」2019年5月5日の日記が書かれることになる(それを「私」が「引用」することで読者の前に明らかになる)。

そうやって、「私」は過去の日記を振り返り引用しながら、土屋辰之助という人物のことや、高橋虫麻呂という万葉の歌人のこと、分福茶釜で知られる守鶴のこと、岩宿遺跡発見で有名になった相澤忠洋について調べたことによって、補完されていくような過去をも含む卒業式の日の家族の出来事を書いている。それがこの作品だと私は読んだ。

 

日記の中に過去の日記の引用が出てくるわけだが、こうして「私」によって再構成された出来事は二重にも三重にもなり、はじめの一回で経験したその時よりもずっと長い時間となっていく(そしてそれは最早ただの「過去」ではない)ような印象を覚えた。日記を書きながら「私」は「長い時間を見ていた。」なんて思ってしまったのはこんな文章が出てくるからだ。

 

広がる田圃は輝く空を鈍い群青に映しながら、目を凝らせば細い苗の点描を整然と並べている。ところに遠くから青鷺が降り立つ。獲物をさがして苗を踏むことなく盛んに歩き回り、やがて細い畦に足をかけて首を低く前に差し出したところで止まった。私たちはその長い時間を見ていた。

(前掲書、20頁より引用)

 

実際に「私」と叔母が青鷺を見ていた時があって、それを二年後に一人で青鷺をみて思い出した時があって、さらにそれを書いた時があって……と、語り手「私」が読者の前に差し出す現在に至るまで増幅し得るのかもしれない。

過去の日記に書かれてしまったことは、それはそれでひとつの停止であるが、別の時に思い出したり調べたりした事実によって違うふうに再構成されていくこともある。再構成(あるいは「書く」という行為)には書き手の作為がついて回り、それが都合のいい解釈や物語を呼び込んでしまうものだけれど、「私」はそれさえ否定しない。「私が閑居山を再訪したりメモを見つけたりすることの確率の低さだって問題にしてたまるものか。信じるということは、確率や意見、時事すらを向こうに回した本当らしさをこの目に映し続けることである。」(55頁)、ここに「書く」こと、そこから見出したことへの信頼を感じた。作為を意識しつつも「だからどうした?」踏み越えて行く文学の強さを感じた。

 

 

叔母が私に考えさせたかったのは、ここで、この時、このことだという気がする。それとも、私はやはり「心情を交えすぎ」ていて、叔母を特別扱いしている「お話バカ」なのだろうか? でも私にとってこのお話は、体よく考えられてまとめられた過去ではありえない。私がそれを聞き漏らしたり思い出さなかったり、こうして相澤忠洋について調べなかったりしたら、一つ一つ埋もれたままになっていたかもしれない過去なのだ。私はもはや日記とは言い難いこの書く営みによって、叔母がこの世に埋めていった何もかもを「一家団らん」や「孤独」と一緒に掘り出さなければならない。けちな事実確認のためではなく、改めて埋葬するためでもなく、ただ何度となく、風呂上りにでも見つめて恍惚とするために。すなわち私だけのために。

(前掲書、51-52頁より引用)

 

過去の日記を単に「私だけのために」現在へ引用する。そこに立ち現われる何かに「あんた、誰?」と何度でも問いかけることで(そう思わされる筆のすべりに)単なる過去の回想ではなく「自分を突き動かしている切実なものに気付く」(52頁)、過去と向き合って、あるいは故人を懐かしんだり自分の名字や家にあった物の由来が明らかになってゆくのを書いた作品なのに、過去に甘んじない、この書き手にだけ書くことのできる形式を持ったすぐれた作品だと思う。

言葉をなめて齧る夜―オルガ・トカルチュク『昼の家、夜の家』


装幀がかわいいな、と思った。ページをめくると、このカバー絵は、アリツィア・S・ウルバニャック(Alicja S.Urbaniak)の「秋」(Autumn)という作品であることがわかった。今回は2018年ノーベル文学賞を受賞したオルガ・トカルチュクの『昼の家、夜の家』という本の感想を書いていく。

 

オルガ・トカルチュク著、小椋彩 訳『昼の家、夜の家』(白水社、2010年)

 

昼の家、夜の家 (エクス・リブリス)

昼の家、夜の家 (エクス・リブリス)

 

 

 

家々は夢をみるのか?

この作品は「わたし」のみた夢の描写からはじめられる。「視線そのもの」である「わたし」は谷間の家々を俯瞰し、「つながれた一本足の動物みたいな木々」や、屋根の下の、眠る人びとの身体を見る。その後にも人家や教会、修道院など建築物の描写が登場するが、これが人間のメタファーということらしい(訳者あとがきより)。

 

わたしはマルタにこう言った。人はみな、ふたつの家を持っている。ひとつは具体的な家、時間と空間のなかにしっかりと固定された家。もうひとつは、果てしない家。住所もなければ、設計図に描かれる機会も永遠に巡ってこない家。そしてふたつの家に、わたしたちは同時にすんでいるのだと。

(「わたしのお屋敷」259頁より引用)

 

「昼の家」とは人間の意識を、「夜の家」とは夢や深層意識を指している。また前者は、現実世界や、世界の可視的な表面を示す一方、後者は、普段は目に見えない、しかし誰の日常にも確実に潜んでいる神秘をあらわしている。

(訳者あとがき、378頁より引用)

 

私にとってこの本ははじめて読んだポーランドの小説だ。

1998年に出版された著者オルガ・トカルチュクの長編第四作。本作でニケ賞に二度目のノミネート、英語版は2003年度の国際IMPACダブリン文学賞最終候補となったそう。

『昼の家、夜の家』はポーランドにおけるドイツ問題という歴史的、政治的な問題を扱いつつも、チェコとの国境に近いノヴァ・ルダ周辺の人々の日常生活や地元に伝わる伝説を書くことで、大局的な歴史が人々の暮らすごく当たり前の日常のすぐ下、足もとにある土地の出来事なのだという深い実感が込められている。

ポーランドは歴史(政治)に翻弄され、たとえば作品の舞台のひとつシロンスクは国境線の移動によってしばしば帰属を変更させられてきたという事実がある。そこから作者の構想する流動性、すべては不安定でたえず変わっていくものという世界観が生じてきたのだろうが、それはポーランド歴史観にとどまらず、人間観にまで敷衍する。日常生活を営む昼の家、夢をみる夜の家。赤土のせいで両手は赤茶色に汚れ、手を洗うと赤い水が流れる、雨まじりの雪が降れば粘土質の土壌にたまった雨水が大小の小川となって丘の上から家に流れ込む。なす術もなく、水は家の地下を通したほうがいい、ということになるそんな暮らし。これが昼の家。流れる水の音、あふれる水の音がきこえてきそうな昼の家。

夜の家という夢の中での視線の移動のように、人間も流れる水のようにまたうつろう。イエス・キリストの顔を与えられた聖女の伝説を書く修道士は女になることにあこがれ、自分ではない自分を望む。自分の中に鳥がいるような気がしてその羽ばたきに慄くアル中のマレク・マレク。人の考えがたまる(蓄積する)という髪、それでつくったかつらをかぶるということは、他人の考え方をかぶる勇気のいること。

流動性」というたえず変わっていくという不安定さは、自分が何者にもなり得るということと同時に、自分という存在が何か別のものになり変わってしまうということでもあるかもしれない。そしてその両方にはあまり意味がなくて、雨が降れば池の水があふれるような感じなのだと思う。「自分」という垣根の消滅、そのひとつのあらわれ方が夢だ。それは死に近いことでもあるのかもしれない。いつも世界の半分は夜で眠っている人々がいる、そしてもう半分は昼で生活を営む人々がいる。だれかが死ねばだれかが生まれる。そんなふうにして世界はできているらしい。

 

水はコンクリートの堤を越えて、池の表面からあふれ出し、ほとんど橋にまで届きそうだった。濁って赤く、どろどろと濃くて粘っこい水だった。いつものようなさらさらした流れではなくて、わめき散らすような水音が、いまにも悲鳴に変わりそうだった。黄色いゴム長に黄色いレインコートを身に着けたRは、幽霊に似ていた。途方に暮れた彼が、土手に走り寄るのが見えた。彼の魚が、暗褐色に泡立った深みのなかで、不安にさいなまれながら、死にかけているのも見えた。

(「雨」185頁より引用)

 

作品に登場するキノコの種類やその描写から、やはり東欧は野生のキノコを食べる地域なのだ、と改めて感じた。「マッシュルームは手ざわりのいいキノコで、人の指に撫でられるのが大好きだ。(中略)しかもこれは、数少ない、ぬくもりを感じるキノコのひとつだ。人の身体にぴったり寄り添うキノコなのだ。」(167-168頁)なんて書かれていて、とってもかわいい(だけれどこいつにそっくりなシロタマゴテングタケという死の職杖がマッシュルームの群生を、遠くから監視しているのだ「まるで羊の皮をかぶったオオカミみたいに。」)。

 

以下の文章がこの本の中で一番気に入っている。私が信じている文学の、小説の言葉というものについて鋭く指摘しているように思ったからだ。

 

だって、言葉と事物がつくり出すのは、象徴的な空間だ。まるでキノコと白樺みたいに。事物の上に、言葉が生えて、そのときようやく、意味を持つ。風景のなかで成長して、口に出して使われる準備が整う。そのときようやく熟れたリンゴみたいに、言葉を楽しむことができるのだ。においを嗅ぎ、ちょっと味を見て、表面をなめてみる。それから音を立てて半分に割り、はにかんだ、みずみずしい中身を調べる。そこまで向かって成長しながら、べつの意味で使われることだって、できるから。そうでなければ、言葉なんていっさい死んでしまう。

(「言葉」、225-226頁より引用)

 

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断片から成る一冊が断片の町ノヴァ・ルダを語る。家にいながら旅をすることができる本、それもガイドブックには載っていないような場所までも。

 

 

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大地と時と人と―パール・バック『大地』

パール・バックという人の作品をはじめて手に取った。

岩波文庫で全4冊ある長篇小説『大地』である。

パール・バック著、小野寺健 訳『大地』(全四巻、岩波文庫、1997年)

 

大地 (1) (岩波文庫)

大地 (1) (岩波文庫)

 

 

作者がアメリカの女性作家という情報を聞き知っていたのでページをめくって「???」、あれ? 登場人物の名前が王さん? ……何だか恥ずかしい私とこの本の出会いである。自分の馬鹿さ加減と普段は意識していない偏見丸出しぶりが痛ましい。日本人作家がジミーさんやダイアナさんやニコライさんを書いてはいけないのか?!と我ながら突っ込みを入れたくもなる笑。久しぶりのブログ記事はパール・バック『大地を読んだ感想を書こうと思った。

 

パール・バックは1892年アメリカのウェスト・ヴァージニア州にあるヒルスボロという町で生まれた。父は宣教師で任地が中国であったことから、パールは生後三か月の時に両親とともに中国へ渡った。以後、9歳の時に短期間一家で帰国した時と17歳になってカレッジに入学するために帰国するまでアメリカに行くことなく、もっぱら中国で育った(文庫解説より)。中国はパール・バックにとって自分自身の一部となっていたのだろう、なるほどそれで、中国を舞台にしたこの長篇小説が書けたわけだ。(……と浅学な私がひそかに納得するのでした。)

 

『大地』(三部合わせた原題は『大地の家』)は、第一部「大地」、第二部「息子たち」、第三部「崩壊した家」の全三部からなる。第一部「大地」は1931年にアメリカで出版されると瞬く間にベストセラーとなった。パール・バックは1938年にノーベル文学賞を受賞している。

ストーリー性の豊かな作品で、長編でありながら、読み始めるとどんどんページが進んでしまうような本だった。物語のあらすじを簡単に書くと、第一部「大地」では貧しい百姓であった主人公の王龍が、当時町で栄えていた金持ちの黄家の奴隷であった阿蘭を妻として迎え、二人で力を合わせて困難(飢饉や水害盗賊いろいろあった)を乗り越えていき、やがてたくさんの土地を持つ有力な地主になっていくというもの。そして第二部「息子たち」、第三部「崩壊した家」では資本家となった王龍の息子たち、そして孫たちが大地を離れて頽廃的な生活を送る様が描かれている。厳密に史実を検討していくとあちこちに矛盾があるようだが、物語のはじまりは清朝末期であり、終わりはだいたい1930年頃。この間の中国は国民政府の成立、国共合作、五四運動、辛亥革命……など、政治的・社会的動乱期であり、思想風俗の変化も急激に起こった。作中では「纏足」や男女の「結婚観」の変化が顕著に描かれている。太陰暦から太陽暦に変わろうとしていたり、前に畑だったところが絹織物の工場になっていたり……。

 

私が最も印象に残ったのは「人と土地の関係のあり方」だ。

 

春が過ぎ、夏が過ぎ、収穫の季節が訪れ、冬を前にした秋の暑い日差しのなかで、王龍はかつてその父がもたれていた壁を背に座っていた。いまの彼は、もはや食べ物と飲み物と土地のこと以外、何も考えていなかった。しかし土地といっても、もうそこから上がる収穫のことやそこに蒔く種子について思い煩うことはなく、土地そのものについて考えるばかりで、ときどきかがみこんでは手で土をすくうと、それを握りしめて座っていた。指のあいだの土は、命にあふれているような気がした。彼は土を握ったまま、満ちたりた気持でうつらうつらとその土を思い、そばにある棺を思っていた。土はすこしもいそがず、やがて彼がそこへ帰ってくる日をやさしく待っていた。

パール・バック著、小野寺健 訳『大地(一)』岩波文庫、1997年、463頁)

 

ちょっとびっくりしたのだけれど、一族の墓が作られる場所は畑、それも高台になった良い場所が選ばれる。土と共に生きた王龍が死んで土に帰るというのは(それに「土はすこしもいそがず」という大らかさが大地と生きた人らしい)彼らしい結末だと思う。ちなみに彼の位牌に刻まれた言葉は「霊肉の富、ともに土より出でし王龍」(第二巻、71頁)というものだった。

人間が大地に干渉して、土を作る。作物を育てることで食を得て、その作物を育てるのに人糞さえ撒き、さらに死ねば躯が畑の土に帰る……。こういう徹底して人間が干渉した大地の在り方と、外国(西洋)の大地の在り方の違いを王龍の孫にあたる王元という人物が第三部「崩壊した家」(岩波文庫3~4巻)で考察している場面がある。王元という人物は土から離れた生き方をする王龍の息子世代より土に近い人物として描かれている。父王虎が軍人なのに農業に興味を持ってしまって、革命騒動に巻き込まれて成り行きで留学した外国の地で、農業について学ぶ。

 

白人たちを養っている大地は元(ユアン)の民族を養っている大地とはおなじものではあっても、じっさいにその上で働いてみた元は、それが彼の祖先たちの葬られているあの大地とおなじではないのに気づいたのである。この国の大地は新しく、人間の骨が埋まっていない。そのために人間のものになっていない。この新しい民族にはまだ死んだものの数が少なく、彼の祖国の土とはちがって人間の肉体の精髄がじゅうぶんしみこんでいないのだ。

(前掲書、四巻、69頁)

 

元の国では土地は征服されて、人間が主人になっていた。山々の森林はとうの昔に裸にされ、いまでは雑草まで刈りとって人間用の燃料にされてしまっている。人びとは乏しい大地をだましだまし最高の収穫をあげることに専念し、こうしてぎりぎりまで酷使した土地に、こんどは自分の汗を、排泄物を、死骸を、何から何までぶちこんだ結果、もはや土地の処女性などはこれっぽっちものこってはいない。人間が人間を原料にして土を作っているのだ。人間がいなかったら土はとうの昔に疲弊して、空っぽの、子を産む力もない子宮同然になっていただろう。

(前掲書、四巻、70頁)

 

 

さて、こういう考察をした王元はどちらの大地に属すのだろうか?

彼は子供の頃から経済的には何一つ不自由のない生活をしてきた。自分は農業に興味があるのに、父には軍人になるようにと厳しい教育を施され(面白いことに、この父はさらにその父王龍に百姓になることを強制され、そのことに反発して出て行った経歴がある)、古い習慣に則って無理矢理結婚させられそうになったことに猛反発して家出、西洋的な都会の生活を経験してその思想にも触れる。従兄が革命思想の持ち主だったり、同じく母と都会で暮らしていた妹も自由な結婚をするなど「新しい時代」を生きている。けれど王元はその新しさの中にも(新しい都市、そして西洋風の家)、反対に祖父王龍の暮らした田舎の土の家にも完全に馴染むことができない。色々な価値観に触れて生きてきた王元は、新しい価値観に共感を抱くこともあればそれに嫌悪することもある。西洋的な新しさを嫌悪すると同時に祖国である中国への愛に目覚めるけれど、その国の負の部分をみれば嫌悪したくもなる。こうして、新しさと古さの間を振り子のようにゆらゆら揺れながら、彼はやがてどこにも属せない自らの孤独に気がついてしまうのだ。

 

(……)彼は何となく中途半端な、孤独な位置にいるのだった――いわば、この西洋式の家とあの土の家のあいだなのである。彼には真の家はなく、この家にも土のいえにもなじみきれないその心は、じつに孤独だった。

(前掲書、4巻、336頁)

 

土地から離れて生きることを選んだ世代たちの、そして変化の激しい時代に生きなければならなくなった世代の不安定さがにじむ。王元がどんなに農業について勉強してもそれは「勉強」でしかなく、「暮らし」にはなりえないのだ。

けれどそれは必ずしも不幸なことではない、と信じたい。王元は王元なりに自分らしい生き方をみつけていかなければならないだろうし、おそらくそうしていくのだろう。父、王虎が死に臨む場面で物語は終わるが、あるいはその死によって終わるものと、その後の世代によって続いていくものや新しく始まるものがある。親の財産を食いつぶして滅びに向かっていく家の子供たち孫たちの姿は、たとえ家が滅んだとしても彼らひとりひとりは滅びずにいて、そのことが古い価値観である儒教的な家意識を更新し、新しい時代に生きていくことそのものを表しているように思える。

 

「人と土地の関係のあり方」は国によって時代によって違うだろうし、何が正しいというわけでもなく、反復する価値観もあれば刷新されていくものもある。急進的な価値観の変化は希望と暴力を生む。そんなことを考えながら本を閉じてわが身を顧みると……確かに親の財産を食いつぶして根無し草になった感はあるなぁ……と(笑)またしょーもないことを考えてしまったところで、久しぶりのブログ記事を終えたい。