言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

道路の発見―サン=テグジュペリ『人間の土地』

最近、自分のすぐ近くで理不尽な死に遭遇してしまって、随分考え込んでしまった。生きていて、こうしてブログに何を書こうかと悩んでいられるということ、この絶妙なバランスの上に日常が成り立っているという感じ。

ウクライナや中東の戦争に関するニュースを観るたび、どうして人は戦うことができるのだろう? と、平和ボケした自分は考えてしまう。自分の国を守るために武器をとることは「普通のことだろう」「当たり前だろう」と叱られるかもしれない。だが、今の私はほぼ間違いなく逃げる。冷たい心で、高齢の親もペットも見捨てていくかもしれない。そして逃げ足が遅いので、たぶんすぐに死ぬだろう。仮に生き延びたとして、自分が見捨てたものたちの日常の残骸ばかりが目の前に広がって、それを引き受けられるほど私の心は強くないだろう。計り知れない痛みのただなかに取り残される、その中で守りたいもののために勇敢にたたかった人がいたという話を聞けば、尊敬と妬みの両方の気持ちがおこるような気がする。私は戦えなかったのにと。

 

サン=テグジュペリ著、堀口大學訳『人間の土地』(新潮文庫、昭和30年)

 

星の王子さま』で有名なサン=テグジュペリの『人間の土地』という本を十数年ぶりくらいに再読した。著者から見れば、逃げる私の姿には人間の尊厳なんて感じられないだろう。卑怯で小心者の自分について考えさせられる読書だった。正直に言うと少しきつかったけれど、そのきつさと無様さを素直に書いておくことが、戦争を正当化しそうになる時代の空気にこんな弱音も必要だと思った。

 

 

「ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える」(7頁)と本書にあるように、飛行機の操縦士である著者は〈行動の人〉だった。郵便飛行機の航路開拓期のこと、飛び立ったまま戻ってこない僚友のこと、空から見る地上の風景……本書には著者の職業飛行家としての十五年間の体験の思い出が綴られている。

旅をしない私が一生見ることはないだろう風景の数々に魅了される。操縦士にとって星は近く、風は耳の奥で鳴り続ける。それからこの地球上には人影がまばらで、ほとんどが砂礫や岩石の領分であるということがわかる。「道路は不毛の土地や、石の多いやせ地や、砂漠を避けて通るものだ。道路というものは、人間の欲望のままに泉から泉へと行くものなのだ」(65-66頁)と、著者は自身の発見した驚きを書き記した。読みながら、なるほどと思いつつも、たとえ私が、サン=テグジュペリと同じルートを飛行したとしてももう同じ風景を見ることはできないのだと知っている。私の生きる時代はあまりに「空撮」に慣れ過ぎてしまった。撮影にドローンという新しい道具を使うことで、今ではもう俯瞰するという景色の見え方が当たり前になってしまった。

それにしても、この「道路」の考察が長い間、私の中に引っかかり続けていた。人間にとって生活の都合にいい二つの地点を線で結ぶのが道路だとしたら、子供の頃の私にはしばしば道路がなかった。自宅の周辺が空き地だらけだったため、学校からの(正確にはバス通学だったのでバス停でバスを降りてからの)ルートは毎日違っていて、どの空き地をどう通るかは私の勝手だった。背丈ほどもある草むらを抜けてみたり、前日の雨でぬかるんだ土に足をとられたり。そういう道なき道(?)を野良猫のあとについて歩いていると、いつもなんとなく家に着いたから今こうして考えてみると不思議だ。そこまで極端でなくても、歩道をとぼとぼ歩く子供は忘れ物をしたことに気がついてくるっと向きを変えて後戻りもしたし、道端に落ちているカラスの羽根を見て長々と立ち止まったり、黒猫が自分の前を横切ったら後ろに三歩下がらなければならないなんていう、子供の世界で生まれたルールに従うことができた。とにかく「道路」に何か人間としての生活を規定されている感じはなかった。そんな私が「道路」というものを強く意識するようになったのは大人になって仕事に就き、当たり前のように毎日「自動車」を運転するようになってからだった。サン=テグジュペリが「飛行機」に乗ることで「道路」を発見したのと似ている。乗り物によって道をみつけた。サン=テグジュペリは飛行機に乗ることで道路を離れて自由であり、その視点から「人間の土地」を発見した。それに対して私は自動車に乗ることで道路というものに強く縛り付けられる思いがした。運転をする人は知っていると思うけれど、自動車の道では急に停まると追突される恐れがあるし、いきなり方向転換するのは難しい。一方通行で通れない場所があって、直線的に目的地には辿りつけない。なんて不自由なんだろう。特に広い北海道にあって「道路」の多くは歩くためには作られていないのではないか。

大人になって私が見つけた「道路」には、子供の頃のあのでたらめな自由さが全くない。「道路」を知った私は道路交通法を無視することはできなくなった。そしてそこには「責任」が生じたのだと思う。(今となっては空路の自由もそれほどないかもしれないけれど、少なくとも二十世紀初頭の、サン=テグジュペリが飛んでいた時代にはまだ空路は無限の広がりという夢を抱いていた。)

 

ある時、砂漠に不時着したサン=テグジュペリは極度の渇きとともに彷徨いながら、自分の帰りを待つ人々を強く思うあまり「難破者は、ぼくらを待っている人々だ!」(179頁)と考えた。自分を始点にすれば、迷っているのは自分ではなくてその他大勢のほうだ、という転倒をしている。孤独ではなかっただろう。むしろ人との結びつきを強く感じていたように私には読めた。だからこそサン=テグジュペリは「責任」を思い出したのではないだろうか。人間は人間の世界に結ばれていなければきっと生きていけない。それはつまり責任を背負いこむことだ。

 

こう考えてみて、ああそうか、とひとつ納得できたことは、私が「人間」であり「人間の土地」に間違いなく結ばれているという事実だ。「道路」のことだけではなくて、私のありとあらゆる振る舞いは人間の世界で生きるためのものだ。人間が作った世界の中で人間として生きるには、それを維持していく責任を生じる。その責任を果たすために死ぬこと、時にこの本はそういう事柄に意義を見出そうとする。訳者の言葉を借りれば「人道的ヒロイズムの探究」というのが本書の根本想念だという。

それでも私は逃げるのだ。誰の迷惑にもならないように、というささやかな配慮について考えるみみっちいやり方で「人間の土地」に背を向けるのだ。

ところが状況というのは恐ろしくて、コロナ禍の三年間、私はありとあらゆる行楽を無視した。そして末端の医療従事者として責任をもって、コロナ禍という状況の中で戦っていたのだった。冷静であるつもりがいつの間にか状況の渦に飲まれている。よくやった、がんばった、そう自分を褒めてあげたくなるところに「ヒロイズム」が宿る。

行動制限というものが確かにあった時期をずいぶんと過ぎて、最近は、せめて歩いている時くらいは「道」を踏み外してもいいですか、などと考える。だけれどそもそも「自分の国を守るために武器をとることが当たり前」という場所だけが「人間の土地」なんだろうか。