言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

2022-01-01から1年間の記事一覧

繭のような感想――大江健三郎『燃えあがる緑の木』

とにかく「意味」を求めたり与えたりしたくなる、というのは人間の習性なんだろうか? だれが、だれに、どうして、なんのために? 「意味」を与える(求める)ということについての問いは、その「意味」を巡って堂々巡りすることになる。答えはきっと空っぽ…

時間のゆくえ、星雲に浮かぶ小鳥の羽根の永遠―小川洋子『約束された移動』

――死者はとても耳がいいから、小さな声で充分なのだ。 という言葉を「巨人の接待」という作品の中に見つけて、なんだか安心した。というのも、私事で大変恐縮だが、先日同居のモルモットのこもるさんが亡くなったのだった。10月25日の深夜0時26分。飼い主の…

網の目の自立―森田真生『僕たちはどう生きるか 言葉と思考のエコロジカルな転回』

私は子供の頃、一生大人になれないと思っていた、ような気がする。その当時実際にどう思っていたのかなんて今となってはある程度想像するしかないことなのだけれど、ひとつ確かに言えるのは、子供の私にとって世界が「圧倒的なもの」に見えていたことだ。目…

孤独とおなかの中の獣―ハン・ガン『菜食主義者』

自分の心臓の音がきこえるほどの孤独、という言葉を思い浮かべた。長い間ひとりぼっちで静かな場所にいて沈黙を守っていると、自分の鼓動ばかりが耳につくようになってくる。耳を澄ませば、次第に大きくなっていく鼓動は、自分の生命活動による現象であると…

座ったまま―『LOCKET』5号

机の上に、とん、と尻をつき前脚を揃えて座る木彫りの熊がいる。子熊だ。そう思うのは、座り方のせいだと思う。ふつう熊はこんな座り方をしないんじゃないか。この座り方はまるで子犬だ。それで私のなかでは、この木彫り熊は子熊ということになっている。銘…

逃げると生きるは背中合わせ―絲山秋子『逃亡くそたわけ』

亜麻布二十エレは上衣一着に値する。 意味はわからない。だけどこれが本の文字の中に見えると、なんだか不安になってくるのだ。 亜麻布二十エレは上衣一着に値する。そしてこれは、この本の中に何回も出てくる。語り手である花ちゃんこと「あたし」にきこえ…

遭難、比喩にて―プルースト『失われた時を求めて』

ねむれない夜に、ベッドの上で『失われた時を求めて』についてとりとめなく考えていると、いつもひとりの旅人の姿が思い浮かぶ。ひとりの旅人が、道の真ん中にぽつねんと立っている。この長い小説に、私はこんな印象を抱いているのだ。 それはまるで、本書の…

シュワシュワと、じーん―川上弘美『水声』

小説の中にあるものは、たぶん文字にして書かれただけでは存在できなくて、そうとは知れずとも少しずつうごいて変化していくもの、そのゆらぎの中にのみあるのかもしれないと思った。ひとつひとつの動作と、それに作用された物の変化がよどみなく書かれた小…

木目のお化け―ブルーノ・ムナーリ『ファンタジア』

小さな子供だった頃、真夜中のトイレで〈木目のお化け〉に遭遇した。 やつは大きな平べったい形をしていて、ねむたい私の目にゆらゆら揺れながら近づいたり遠ざかったりした。ムンクの叫びのような、細長い顔をいくつも持っていた。夏だったと思う。開けたま…

痛みを踏む―ル・クレジオ『隔離の島』

もしも自分のこの足の裏が死んでいった人々の灰を、あるいは毀された多くの物を踏んで歩いているとしたら、そのことに私は耐えることができるだろうか。この本が私にとって本当に大事なのは、痛みで「土地」と繋がることを教えてくれるからだ。 J.M.G・ル・…

ここもそこも―高原英理『日々のきのこ』

「やあ、かぜよくて幸い」という挨拶に「これもそれも」と応える世界があった。なんでも森や山の中で出会う相手にはとにかく言葉をかけ合うのが決まりらしい。でも「綴じ者」はそうしたやりとりはしない。おっと、「綴じ者」という言い方は差別的で望ましく…

きみはいまだにそのことを知らないでいるし―岡田利規「ブロッコリー・レボリューション」

こんな私にだって経験がある、旅先で感じるあの解放感の正体は「当たり前」に絡めとられていない感触だ。うっかり旅先の土地を好きになってしまって、たとえば移住してしまったら、今度はそこの空気が「当たり前」になってしまって結局は絡めとられてしまう…