言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

シュワシュワと、じーん―川上弘美『水声』

小説の中にあるものは、たぶん文字にして書かれただけでは存在できなくて、そうとは知れずとも少しずつうごいて変化していくもの、そのゆらぎの中にのみあるのかもしれないと思った。ひとつひとつの動作と、それに作用された物の変化がよどみなく書かれた小説。「雨戸を開け、踏み石に置かれた雨に朽ちたサンダルをつっかけ、庭に出た。四月のはなだった。庭の桜は散りかけていた。くろもじと、ゆすらうめと、あじさいの下には、あしくびほどまで繁ったノボロギクとはこべの下生えがあった。歩いているうちに、サンダルはゆっくりと崩れた。そのまま歩きつづけると、はだしの足裏がはこべを踏んだ。」(8頁)この文章の中に、確かにサンダルはある。それだけ文字にして書いても、サンダルを小説の中に存在させることはできない。川上弘美さんの『水声』は、変化、うつろい、ゆらぎのようなものがきこえる。ちょうど声のように。世界にずっとあるけれど、ずっと同じというわけではないものが言葉の波長をつくりながら、一冊の中に響き続けていて、確かに「ある」という手触りを届けてくれる。

 

川上弘美『水声』(文藝春秋、2014年)

※当ブログに書いた引用ページ番号は、単行本に依っている。

 

 

物語の現在は2013年。55歳の「わたし」と、ひとつ年下の弟、陵。1986年にママが死んでから誰も住まなくなっていた築半世紀の杉並区の家に、十年後の1996年に「わたし」と陵がもどってきた。陵はその前年、通勤途中に地下鉄サリン事件に遭遇していた。それから1969年、前の年にアメリカから帰って来た奈穂子と三人でセブンアップをやたらに飲んだ夏があった。

時間の散りばめられた作品だ。「わたし」がする昔話、ママがした昔話、夢の中の話が混ざり合ってたゆたいながら小説の時空間を広げていく。「決して鮮明な輪郭をもつことなく、ただ視界の隅を素早くよぎるあいまいな光のような、その影」として、かつてわたしや奈穂子、陵が子供だった頃に流れていた時間が残響になっている。南京錠で閉ざされたかつての弟の部屋には、父親が集めた時計が針を動かし時を刻み続けている。かすかなその音に飲まれるかのように、ここがいつの、どこなのか、突然わからなくなる「わたし」がいる。「おれたちって、生まれてこのかたずっと、だだっぴろくて白っぽい野に投げだされているみたいだよね」(153頁)といつか、陵が言った。彼の部屋の南京錠を再びはめた時、かち、とはまるべきものがきちんとそこにはまる気持ちのいい音が鳴ったけれど、それは人の手で作り出された精巧な無生物の凹凸だけがうむ音で、生きているもの同士がきっちりはまり合うことはないという。

「わたし」の家族は、弟の陵とパパ、ママ。でもパパは本当の父親ではないかもしれなくて、ママは1986年に死んだ。それぞれが別々に暮らして、別々の恋愛をしていた時期を経て、また同じ家にふたりで暮らすことにした、その姉弟という家族。家族の形にゆらぎがある。ひとつの定まった形に、それはかち、とはまらない。家の中に流れる感情のいびつさを読んでいて時々せつなかった。

「家族」ってなんだろう? 「好き」ってなんだろう?

本来明確な形を持たないものの輪郭を見つけたくなった。家族を好きであること、恋人を好きであること、そのどちらでもない、陵を好きであること。

「わたし」と陵は一緒に暮らす中で毎日わずかずつの言葉を休みなくかわしてきた。いい天気だったわね。少なくとも相手の表面には届く言葉の連続がふたりの暮らしにはあった。読みながら、「表面」という言葉にひっかかりを覚えた。相手の「表面」に届いた言葉はその言葉をかけた者という「外側」からの言葉でしかなくて、それが相手にどう聞こえているのか、どんな意味を持っているのかは厳密にはわからない。わからないけれど、互いに察することはできるようになってくる。

終わりのほうで、奈穂子が炭酸の音が好きだと話す印象的なエピソードがある。

 

「炭酸の音が、好きだったの、あたし」

「シュワシュワ?」

「ううん、それは、外から聞く炭酸の音。自分の体の中に炭酸がしみこんでいく時の音は、もっと違う音なの」

(前掲書、215頁)

 

 

炭酸が飲み込まれていったあとで、むなもとで「じーん」という静かな音がする、と奈穂子は続けて言う。「あたしたちは、水からできているから」、「水のものを飲みこむと、体が迎えて音をたてるの」(215頁)

 

ああ、好きってこれだよな。この表面(外側)からおりてくる音と、その音を受けて内面(内側)から立つ音が「好き」なんだよなと思った。さりげない表面にとどまる日常会話がシュワシュワで、それを受けた互いのむなもとで静かに鳴っている気持ちが「じーん」。読み終えて本を閉じながら考えていた。

 

「今晩何食べる?」と恋人が言って「もちろんカレーでしょ」と私は返した。「じーん」という静かな音をむなもとで聞いた私は、恋人の得意料理がカレーであることを知っていたから。