Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

影のための場所―パスカル・キニャール『さまよえる影たち 〈最後の王国1〉』

今回ご紹介する本はこちら。

パスカルキニャール・コレクション さまよえる影たち 〈最後の王国1〉』

水声社、2017年)

 

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さまよえる影たち―最後の王国〈1〉 (パスカル・キニャール・コレクション)
 

 

パスカルキニャールPascal Quignard)は1948年、ノルマンディー地方ユール県に生まれたフランスの作家で、「古代と現代を縦横無尽に往来し、時空を超えたエクリチュールへ読者を誘う作品を精力的に発表しつづけている」(パスカルキニャール・コレクションパンフレットより)らしい。よく知りもしないくせに思い切って買ってしまったのは、〈最後の王国〉という言葉に魅かれるものがあったからだろうか。2002年にシリーズ第一巻の『さまよえる影たち』でゴンクール賞を受賞。なお、水声社パスカルキニャール・コレクションについてはこちらを参照されたい。

blog 水声社 » Blog Archive » 新シリーズ《パスカル・キニャール・コレクション》刊行開始!

 

 

失われたものはどこにあるのだろう。それは、失われたものが失われた場所、最後の王国の場所にある。

(前掲書、24頁より引用)

 

この本は一見、互いに繋がりのなさそうな断章から成っている。それぞれ個人的なことだったり、伝承であったり、語義についてであったり、歴史の記述であったりと内容は多岐にわたる。読みながら、私はこの本から物悲しい雰囲気を感じ取っていたのだけれど、それは「死」や「失われたもの」に関する記述が多いからだろう。けれどその悲しさは全く嫌なものではないのだ。死の間際にローマ人最後の王はこう尋ねる、「影たちはどこにいるのか」(35頁)。それから、クリダンヌ川とティアル川の渓谷あたりの村では、まなざしを「最後の別れ」と呼んでいた。墓穴のはしに黙って置かれた棺に土をかけてやることも、花や金をなげてやることもなく、長い時間、ただまなざしだけを投げるのだというエピソード(93頁)。

 

料理のなかでもっとも感動的なのは、料理を支配する〈失われたもの〉である。餌食となった獲物につきまとい続ける運命が、いまや獲物の影となる。

いたるところにその影の気配が感じられる。

魚骨や骸骨のくずの先に漂う死の匂い、あるいはそれらを死に至らしめた行為の残り香に、人は囲まれている。

(前掲書、49頁より引用)

 

最後の王国とは、どこにあるのだろうか。

それは日常の中にあるのだと思う、そこは影のための場所なのだと思う、それからまだ私が人と人の間に属す存在になる前の、半分夢にひたっていたような時間なのだと思う。そして、本を読むということは影の側にいることなのだと思う。私の属すこの社会に、自分のまわりに溢れる欲望の光さえ届かない薄暗がり、ちょうど活字が見えるくらいの、眼を傷めてしまわないほどの薄明り。その微かな光の下に落ちるあらゆるものの影とともにあることを許された時間、それが読書ではないかと思う。そこはいつでも私を迎え入れる。本を読むこと、何かを創作すること、思索を深めるということが孤独のうちにあるということに静かな満足を覚える。この本を読んで、そういう読書体験をした。

 

世界の出現以前、ひとかけの原初の林檎、ローマ帝国とその滅亡、聖バルテルミーの虐殺、パール・ハーバー湾の上空を飛行する爆撃機。現在から過去を遡求的に眺める視点から時間というものを理解しようとした本書は、「群れる人間」についてのキニャールの鋭い洞察でもある。私とて例外ではなく、人間という存在は直線的な時間という錯覚、外部からの圧力、命令、欲望に翻弄され振り回され続けている。人間は社会を形成することで世界の隅っこに存在を許されるにすぎない。そしてその社会は多くの規範を個々の人間に押し付ける。なんとかそれを撥ね退けたい、そこから自由で自律した存在で在りつづけたいと願うひとの〈最後の王国〉はあなたの手の中におさまっているその本のページなのかもしれない。

 

 見えないものを見えようとする力、あるいは存在しないものを想像によって生み出す原動力である思考と幻覚を同一視するキニャールにとって、言語や修辞は論理を積み上げるためにあるのではなく、もっとも荒唐無稽で自由な思考を表現するためにこそ使われるべきものである。論証によって読者を説得するよりも、描写が作り出すイメージの鮮烈さや意外性によって読者を驚愕させることをキニャールの文体は目指している。この意味において、昨今流行りのマニュアル本の対蹠点にあるのが本書であると言ってもよいだろう。

(前掲書、189頁より引用、訳者 小川美登里氏による解説)