言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

本当とは何か? 嘘とは何か?―小山田浩子『作文』

「この物語はフィクションであり、実在する団体・人物等とは一切関係がありません。」

 

よく見かける文が本書の後ろにも小さく印刷されているのに気がついた。

後半は普通にわかる。本書に登場する人名やSNSのアカウント名はこの作品のための「創作」であって、実際に同じ名称が現実にあったとしても関連はありませんよということ。

問題(?)は前半の「この物語はフィクションであり」の部分で、そうそうこの物語はフィクションだから嘘で、〈嘘〉なんだけど〈本当〉なんだよね~という変わった感想を抱けるのが本書なのだと思う。読み終えた後にこの注意書きを見つけたせいで余計に面白かった。小山田浩子さんの『作文』は戦争の語りをモチーフとして、誰かの語りの〈嘘〉と〈本当〉をめぐる物語にもなっている。

 

 

「おじいちゃんの飯ごう」六年五組 千本けいすけ

「祖母の見た八月六日」六年五組 夏目苑子

 

これが本書に登場する二つの作文で、夏休みに家族から戦争の話を聞いて作文を書くという宿題が出たことについてのエピソードが、千本、夏目それぞれの立場から語られる。最初の語り手である千本慶輔は、祖父が亡くなった時に親族たちと作文の存在を思い出している。それによると、千本は祖父に戦争の話を聞いて作文を書いた……ということになっている。でも実は祖父は戦争の話をしなかったために遊びに行った先にいたマルミツという人物から聞いた話を作文に書いたのだった。このことは書いた本人しか知らない。この作文は、嘘を書いたことになるのだろうか?

もう一本の作文である「祖母の見た八月六日」は、夏目苑子が確かに祖母に聞いた話から書いた作文ではあったが、「話があっちやこっちにいって状況や登場人物がわからなくなったり、言葉の意味や漢字を聞き返したら祖母が違ったふうに答えることもあったりして混乱したこと」もあったと語られる。そういう混乱をきれいに整えて、語られたことのうちにいくらかを省略し、直接には語られなかったことでも補って描写し……そうして書き上がった作文は、嘘を書いたことになるのだろうか?

 

本当のこととは何か? 嘘とは何か?

 

遠足のこと、運動会のこと、休みの日に家族で出かけたこと、書いているとつるっとなにかが出てくる、本当にはなかったこと、でも、それを書いたらそれが本当になる。嘘を書くんじゃなくて、あくまでも書いていたらそれが出てきたということを書く。

(前掲書、88頁より引用)

 

 

小説というものが嘘を書いたものなのか、本当のことを書いたものなのか?この辺りの考え方には色々な立場があると思う。私は小説で本当のことを書きたいと思っている書き手なのだが、だからと言ってすべて現実に自分が経験したという意味で「事実」ばかりを書いているのではない。

もしも当事者しか本当のことを書けない(言えない)としたら、記憶は継承されない。何であれ出来事を経験した当事者全員が、本当のことを本当のこととして語るということができるわけではない。というか、当事者にだけ「本当のことを語る」責任を負わせるのは酷な気さえする。「語る」という営みは、言葉を扱うことだ。そうであるから、本当のことを書いたとしても本当のように響かないこともあって嘘だと受け取られることもあるし、逆に嘘だって巧妙な操作で本当になる。(ある意味、作家がやっているのはこれだと思う、フィクションを作るってそういうことか)。

 

「本当のことを語り継ぐ」というのはどういうことなのか。

戦争だけに限らず、記憶の継承ということについて今考えるべきなのかもしれない。

戦争の経験者がいなくなってしまっても、戦争という「本当」はなくならないのだから。それは過去のことだけではなくて、例えば今起きているパレスチナのことも。人から聞いたことを別の誰かに話す時、その話題は必ず〈私〉を通っている。〈私〉が語ることで生じてしまう意味、出来事との距離、全部が私の語りになる。それを〈本当〉にするためには、どうしたらいいのだろう?

 

小学生か中学生の時に、家族から戦争の話を聞いて作文を書こう、という宿題が出て困った記憶がある。核家族だった我が家には1945年以前生まれの者はなく、仕方なく近くに住んでいた祖父の妹の夫(私にとって大叔父)に話を聞いて作文を書いた。大叔父の話を聞きながら、私は「よくある話だな……」という感想を抱いた。それ以前に見聞きしていた「戦争」に関するフィクションやテレビで聞いた証言と同じような内容だと思ってしまったのだ。せっかく話してくれた大叔父になんて失礼なやつだろう。でも今ならわかる気がする。親切な大叔父が私にわかるように語ろうとすればするほど、既存の戦争体験に似てしまったということなんじゃないか。

自分の話をちゃんと「本当のこと」にして話すだけでも、実はかなり難しい。真面目に話そうとすればするほど「笑い話」にしたくなっておちゃらけてしまうのがうちの祖父で、おかげで祖父から宿題とは関係なく辛うじて聞いたことのある戦争体験は、どれもドリフのコントみたいだった。仮に書いたとしても、とてもじゃないが神妙な顔で平和を学ばせようとする学校の宿題として提出することのできない「不謹慎な」作文になってしまっただろう。本当はもっと深刻な事情なり思考なりがあるはずなのに「ゲリゲリゲーリー」や「鼻毛ボボ子」というふざけた言葉で誤魔化してしまう、そんなエピソードが本書に出てくるけれど、それってよくあることなんじゃないかなぁ。本当のことを語るのは本当に難しいんだよ。

 

嘘と本当をめぐるこの物語で、最後におじいちゃんの飯ごう(?)が出てきたのがすごく面白かった。

 

 

ちなみに本書はU-NEXTから出ている〈100min NOVELLAハンドレッド ミニッツ ノヴェラ〉というレーベルから出ている。この小説レーベルは、約100分で読める中編小説を年4回刊行しているとのこと。