つながり合う景色―山田淳子『わたしの百人の祖父母たち 北方領土・元島民の肖像』
書店で見かけて、立ち止まった。大事な本だと思って手を伸ばし、本書を開いて、あ、これはしんどくなるやつだ……と思った。どうして人は生きている間に、祖父母や両親、自分が知らない世界を知っていたはずの人々の話を聞かないで過ごしてしまうんだろう。後にはいつも後悔が残ると知っているのに、その時々は忙しいとか疲れているとか、些細な理由でじっくり話すことをしない。昔のことを聞くのに照れ臭さを感じて、話を切り出せないままになっていることが私にはいくつもある。
『わたしの百人の祖父母たち 北方領土・元島民の肖像』という本は、私にそんなことを思い出させた。もういない祖父母たち、血の繋がりはないが自分よりも上の世代に属すたくさんの祖父母たち……。
山田淳子『わたしの百人の祖父母たち 北方領土・元島民の肖像』(北海道新聞社、2025)
一人の人間が亡くなるということは、その人がどっさり抱えていた〈世界観〉が丸ごと消滅してしまうことなのかもしれない。そして、人は突然、亡くなってしまいもする……その瞬間に失われる「時間」とその中で形作られた人生の「景色」が消えていく。シュ、と消えてもう取り返すことができない。
筆者は、自分の祖父がかつて北方領土にいたということを知っていた。しかし具体的なことは何もわからない。祖父が「しぼつ」という所にいたと聞いても、それが歯舞群島の一つ「志発島」のことだとわからなかった。(北方領土を学校で習っても、歯舞群島に属す島の名前は省略されてしまっている。)そこで元島民に会い、話を聞いて写真を撮ることに決めたという。こうして2019年に始まった筆者のルーツを巡る旅がまとめられたのが本書である。元島民の方々の肖像写真と、彼らが語った言葉のひとつひとつは、忘れ難いものだった。言葉の多い人も、少ない人もいる。ご本人と一緒に写真に撮ってもらいたいと思った物には祈りがある。島での楽しかった暮らし、美味しかった食べ物、美しい風景、あるいはソ連兵が土足で上がり込んで来て恐ろしかったこと、島を脱出した日の緊張感。
筆者が集めていった言葉たちは、ある時から不思議と繋がることがあったという。断片的な証言の言葉と言葉、別々の記憶を語っていたはずの言葉がある時ふと結ばれて同じ時空に繋がっていく。あるいはこれと同じ風景を自分の祖父も見ていたのではないか? 繋がっている。かつてそこにあった〈世界観〉は今現在残されている景色ともまだちゃんと繋がっている。自分の周りにあるいくつもの別の〈世界観たち〉から完全に孤立している人なんていないのだから。たとえ自分がいなくなったとしても、自分がいた場所に繋がる記憶は生き続けている。元島民たちの言葉から、筆者の祖父が見ていたかもしれない景色や感触に繋がっていけるかもしれない、だから「百人の祖父母たち」なのかと思った。
「人の死をいくつも経験していくと、自分のルーツというものが気になり始める。そして時の経過とともに思いは強くなっていく」(10頁)のだと筆者は書いていた。その言葉に、ルーツというのは点ではなくて線なのだろうと私は思う。
「故郷」ということを、私はずっと考えている。それを自分の中でどう理解すればいいのか、いまだにわからない。択捉島出身の方の言葉が心に残った。
「十年、二十年先なんて考えられないから、すごく考えててね。涙出るときあるの。自分の村、生まれたところ、見ないでいなくなるんだなって」
(前掲書、52頁より引用)
戦後80年ともなると、今語ることができる人でも島にいたのは子供の頃ということになる。あまりにも幼かったから、島のことを覚えていないという人もたくさんいる。それでも生まれた場所に特別な思い入れを持っている。
単純に、生まれたところを故郷と呼んでもいいのだろうか、と私の心は揺れる。私は自分が生まれた町のことを覚えていない。覚えていない町を故郷と呼んでいいものか、ずっとためらっている。
この本とは地元の大きな本屋さんの郷土本のコーナーで偶然出会った。ちょうど私の小説「貝殻航路」の掲載誌が発売になる頃で、何か自分へのご褒美になりそうな本を買いに来ていたのだった。
本書を手に取ることができて良かったと思う.
まだまだ考えなければならないことがたくさんあるのだとわかった。
実は私の周りには、北方領土出身者よりも樺太出身者のほうが多い。樺太の話をよく聞く。本書を読んでふと思い出した。年配の方の思い出に「エストリ」という地名が出てきた。「わかりますよ、エストリ、樺太のね、恵須取」たまたま知っていたのでそう答えたら、その方はにっこり笑った。
