言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

座ったまま―『LOCKET』5号

机の上に、とん、と尻をつき前脚を揃えて座る木彫りの熊がいる。子熊だ。そう思うのは、座り方のせいだと思う。ふつう熊はこんな座り方をしないんじゃないか。この座り方はまるで子犬だ。それで私のなかでは、この木彫り熊は子熊ということになっている。銘の無いただのお土産品で、鑿の痕がでこぼこ粗くて、はっきり言って下手くそな木彫りだと思う。妙に背筋がピンと伸びていて横から見るとプロポーションのおかしさがきわだつ。だが、好きだ。原稿に行詰まって言葉を見失うたびに指の腹で撫でる木の感触は心地よくて、だんだん可愛くなってくる。

今回は、特集に木彫り熊が取り上げられている、と教えてもらって早速WEBで注文した『LOCKET』5号を紹介したい。

 

内田洋介編『LOCKET』5号 BEAR ISSUE 野性の造形

snusmumriken.thebase.in

 

表紙を見て、まず「?」と思ったのは、緑色と赤色のどちらかを選べた線模様のイラストのことだった(ちなみに私は緑バージョンを購入)。この緑色の線は何かの塊の輪郭線のように思えるのだけど、なんだかわからない。わからないまま、表紙一枚めくったらそこはトルコだった。

『LOCKET』は内田洋介さんが個人という最小単位で運営している独立系旅雑誌。「ロケットペンダントに一瞬の感情を詰めるように、主観的な真実のようなものを綴じる」ことを目指した雑誌で、2015年の創刊以来、取扱店舗は100軒を超え、発行部数は延べ7000部に到達とのこと(本書130頁より)。すごい。

 

2021年10月、編集の内田さんは10年ぶりにトルコへ。カラハン・テぺ、コンヤ、チャタルホユック、イスタンブール、カッパドキヤ、シャンルウルファ、ギョベックリ・テぺ……。知らない町の名前、遺跡の名前とだれかの日常の風景が写真になって収められている。ページをめくっていって、表紙の緑色(または赤色)の輪郭線が「BEAR SEAL」、「クマの印章」であることがわかった。「農耕牧畜や神殿など高度な文化を有していたチャタルホユックは、各家庭の住居の表札代わりに印章が使用されていた」(4頁)そうだ。表紙の輪郭線は、この一冊の入口の表札だったのか!

 

クマ意匠。これが世界中のあちこちにあることの不思議。

「輪切りにされた丸太から、木の塊が削り出されて、それがだんだんとクマに見えてくるって……考えてみたら不思議ですよね。たとえばシカが木彫り熊を見ても、木の塊としか思わないでしょう。木の塊がクマに見えてしまうのは人間の能力な気がして、そこに惹かれます」(65頁)というのは、十勝の木彫り作家である高野夕輝さんの言葉。木彫り熊と言えば北海道土産というイメージだけど、クマ意匠というとトルコの遺跡やドイツの街中にも見られるそうだし(少し話題が逸れるけれど、多和田葉子『雪の練習生』を思い出した)、神話なんかにも出てくる。人間の想像と創造の案外深いところにいる動物、それがクマなのだろうか。

 

私にとって、熊は「分厚いにおいと気配」だ。姿を見ることはめったにない。でも、近くにいる。それは山道を歩いていると風上から来る獣の濃いにおい。気配が何層にも重なって迫ってくるような、においの塊。それと机の上に座る子犬みたいな木彫り熊。子供の頃から土産物屋の店先で木を彫る人の姿に馴染んでいたせいか、木彫り熊があまりにも近く当たり前の存在すぎて、これまで深く考えたことがなかった。再評価されているとのことで、嬉しい。木彫り熊の発祥が八雲、スイス系なのか、旭川アイヌ系なのかは人によって考えが違うところではあるけれど、ひとつ言えることは、木彫り熊は今なお北海道に続き発展しているということだ。特集「野性の造形」を掲げた本書には、先に紹介したことの他にも、民芸熊玩具、今現在活躍している木彫り職人の声やオホーツク文化アイヌ民族の「熊彫」を受け継いだ藤戸竹喜さんのことが紹介されている(藤戸竹喜さんの仕事を追った在本彌生・写真、村岡俊也・文『熊を彫る人』という本もおすすめです)。

 

チャタルホユック、ギョベックリ・テぺ、カラハン・テぺ。いくら遺跡を訪れても、原初の野性を知覚することはできないかもしれない。でも、丘があったなら、そこに登ってみようとすること。そこでなにかを築くこと。野性を本能が創る性質とするならば、好奇心に衝き動かされる行為によってのみ、失ったものを取り戻せるのではないだろうか。それは旅をすることであり、ぼくにとってのなにかはこの雑誌を編むことだ。(29頁)

 

 

 

私は、旅はできないけれど(だいたい机の上に、とん、と座っている子熊も旅とかしないような気がする)、でも机に向かってこうやって言葉を書いていくことも旅だと思っているので、コロナ禍にあってもなんとか自分に必要な広がりを失わずに済んでいる。座ったまま、旅をしている。ふだん小説を書きながらその言葉が私を遠くへ連れて行ってくれる。そして書く旅に『LOCKET』みたいな雑誌を携えていられるというのは、本当にしあわせなことだと思う。

 

創造が広がっていく。