言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

憑依? いつもと違う文体でお送りします、だって作者が否応なしにノリウツッテ来るんだもの。

気になっていた小説家の作品を、4月5月と縁がありようやく読む事ができた。

その小説家というのは笙野頼子という人で、名前くらいはうっすら聞いたことがあったが、実際にはなかなか読む事ができないでいた。で、どうして今年になって急に読み始めたかというと……? この国この社会? なんか最近様子がおかしくないですかね?

大きいメディアで報道されない何かが変な法律がある日突然「可決」されたりして「なになに? え? そんなの聞いてないんですけど?」みたいな謎の日々。そんな日々を送ってればそりゃあ文学で戦争を止めようとしている人がいるらしいと聞いたら、読んでみたくなるよね? 「戦争を止める?」いや、戦争まだ起きてないし起きるとも聞いてないんですけど? うーん、でも「戦争やりまーす」なんてテレビで宣言される頃にはもうけっこう人、死んでるんじゃない? もしかしたら今「戦前」なのかもしれない。いや、こんなことは全部杞憂だったならそれで良い。とにかく、笙野頼子という人は小説作品で戦争を止めようとしている。TPP反対の立場を作品内で明確に打ち出し、強烈な語りの技法を駆使して。文学に政治を持ち込むことについては、快く思う人とそうでない人がいるのは知っている。私もどちらかというと、文学と政治は切り離して暮らしていたい。だけれども、まあ、必要なこともある……という以前に、まず、笙野頼子という書き手の言葉選びのセンスが面白くて面白くて、ついつい読み進めてしまったのだ。たとえば、「政治の前に文学無効」なんていうことはよく言われる。文学なんて一体なんの役に立つのさ、という文脈で言われるこの言葉。こういう言葉を笙野頼子は作品の中で「豆腐の前に田楽無効」とか言いかえてみたりする(『植民人喰い条約 ひょうすべの国』収録の“姫と戦争と「庭の雀」”)。作品内で表明されている政治的な主義主張すべてに賛同するわけではないけれど(というか不勉強すぎて留保している事柄も多々あるのだけれど)、とにかく作者の言葉のセンスや語りのパワーに惹かれてしまうのだ。「語りのパワー」はもうハンパない。すごいマシンガントークだ。ずーっと力強い語り、三時間ぶっ通しで読んでいたら疲れ切ってへろへろになってしまう読者の私、これはこの作者にしか書けないものだと思った、あの衝撃。自由主義経済って市場原理って、思っていたより恐ろしい。「勝てるように頑張ればいいじゃん?」なんてかっこつけて言ってみてさ、勝てなくなったらどうするの? 喰われるね?「自己責任」で? おいおいおい。

 

さあ止まれ、今止まれ! 文学の前にこの戦前止まれ。そして「今こそ」文学は売国を報道する。だって新聞がろくに報道しないからね。それに今なら別に文学でなくっても例えば羊羹で止めたってなんとか止まるかもね。或いはフリーセルで止めようでも構わないけど。

笙野頼子「さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神」群像2017年4月号11頁より引用)

 

以下、私が読んだ二作品についてそれぞれ簡単に紹介しておきます。

 

笙野頼子『植民人喰い条約 ひょうすべの国』(河出書房新社、2016年)

ひょうすべの国――植民人喰い条約
 

 

この作品はTPP反対の立場で書かれたもので、書籍の帯をつけて書店に立てておくだけで「書店デモ」ができてしまうというシロモノ。ひとりの小説家ができる範囲のしかも最も効果の大きいデモ、たぶん最大規模のデモ(やはり小説家は小説で戦ってこそ、などと生意気にも思ってしまうのでした)。

しかしこの作品にはTPP反対という主張以上のことが盛り込まれている。

「ひょうすべの国」の「ひょうすべ」とは、「NPO法人ひょうげんがすべて」のこと。作品内では「表現の自由」を守るとか、なんだかそれっぽいことを言っている存在として設定されているけれど……? この「表現の自由」って何だろう? それは私達読者一般がなんとなく漠然と思い浮かべる表現の自由とは全く別物なのだ。このカギカッコがくせもので。作品内で守られる「表現の自由」とは、嘘つきの自由、搾取の自由、弱者虐待の自由、ヘイトスピーチの自由……etc. こんなものがまかり通るようになってしまったTPP批准後のニッホンという国の惨状とそこに生きるとある家族の悲惨を描いたディストピア小説。フィクションだからここまで書けた、だけれどフィクションだからって看過してしまっても良いのだろうか?

 

 

笙野頼子「さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神」(「群像」2017年4月号掲載)

群像 2017年 04 月号 [雑誌]

群像 2017年 04 月号 [雑誌]

 

 

この作者は戦争を止めようとしている。しかも「身辺雑記」で。

TPP反対や原発、戦争法案……etc. そして何よりマスコミがこれらの問題を一切報じなくなっているという事態。こういうことを作者は日常(難病を抱えた自身の生活、やはり病を抱える猫との日々、家に祀られている神様が語る猫と人間のそんな暮らし、小説や私小説というものについてまたは文学について考えた事柄、台所のこと)に落とし込んで描いていく。

私は単に「戦争反対」を叫ぶより「日常」を守りたいということを書く方が戦争を止める力を持つのではないか? と思っている。たいていの「戦争反対」はもう使い古されたものとして簡単に受け流されてしまう世の中。だからこそ、この作品が私小説の形式をとった「身辺雑記」である意義は大きいと思う。

 

要は健康な人間なら仕事の合間にするようなただの整理整頓をこの慢性病患者は無上の幸福感で「無事」やっているわけだ。ともかくまず台所の模様替えを済ませたいのさ。台所に猫と快適に住めるようにしたいと。人喰いに怯えながらも良く生きるべし、と。つまり連中の目的は搾取、略奪だから。ならば幸福でいる事も威嚇で復讐だ。

(37頁より引用)

 

関連リンク↓↓

 

www.bookbang.jp

 

 

 

「さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神」を読んでいた時の自分の感想メモ

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笙野頼子「さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神」(群像4月号、長篇430枚!) この作者の作品は今年に入ってから読み始めたばかりで全然詳しくはないのだけど、なんか語りのパワーがハンパない。今3分の1くらい読み終えたんだけど小説の語り(マシンガントーク笑)が頭の中で大反響。

 

「文学で戦争を止めよう」なんて書いてあると、政治っぽい小説ですか?ってちょっと身構えてしまうのだけど、この作品のすごいところは、あくまで「身辺雑記」であるという点だと思う。身辺雑記で戦争を止めようとしている。

 

日常を守りたい、という思いは日常の中からしか出てこないわけだから、語りの構造としても説得力あるよな……。まだ全部読んでないけど『ひょうすべの国』でも繰り返されていた作者の主張(TPP反対)が語りに乗って読後の脳内鳴り響くよこれ。

 

 2017.8.9追記

単行本が出ています!

 

さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神