言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

時に滲む散歩道の行き先―プルースト『失われた時を求めて』第六篇「逃げ去る女」

「だって、二重の意味でたそがれの散歩だったのですもの。」(92頁)

 

語り手とパリで同棲生活をしていたアルベルチーヌがある日、なんの前触れもなく出て行ってしまってから届いた手紙にこんな言葉があった。

二重のたそがれというのは、ふたりの関係が終わりに差し掛かっていることと、夕暮れの散歩のことをさしている。この言葉がとても印象に残っていて、一読者である私の中に、いつまでもアルベルチーヌの残像のようなものが、夕暮れの散歩道に伸びる長い影みたいになってゆれているような気がする。読了後の余韻にはいろいろあるけれど、なんとなくしんみりしてしまった。「だって、二重の意味でたそがれの読書だったのですもの。」と書きたくなる。この長い長い小説が終わりに近づいているということと、休日の夕暮れに読んでいたということで。

 

マルセル・プルースト 著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて11 第六篇 逃げ去る女(『ソドムとゴモラⅢ第二部』)』

集英社、2000年)

 

失われた時を求めて 11 第六篇 逃げ去る女 (集英社文庫)

失われた時を求めて 11 第六篇 逃げ去る女 (集英社文庫)

 

 

さて、第六篇「逃げ去る女」テクストの成立事情は中々錯綜しているようだ。というのも、第五篇「囚われの女」もそうであったように、このあたりの原稿を確定する前に作者プルーストは世を去ってしまったからである。第六篇の副題として「消えたアルベルチーヌ」というのを見たことがある、という人もいるかもしれない。この第は第六篇部分のタイプ原稿に付された題であり、それを作品の副題として採用する向きもあるようだ。訳者によると、以下の三通りの原稿が存在するらしい。

 

① 自筆ノート、標題はないが書きながら「逃げ去る女」という題を考えていたことがわかっている。

② タイプ原稿1、「消え去ったアルベルチーヌ」、生前最後の修正が加えられたもの。大幅な削除がありこのままでは最終篇「見出された時」につながらない。

③ タイプ原稿2、弟ロベールらの修正の入ったもの

 

これらをどう解釈してひとつの作品として世に出すか、ということがすでに難しい問題だ。

なお集英社版は基本的に新プレイヤード版を底本として訳出したものであるが、この第六篇だけはリーヴル・ポッシュ版(タイプ原稿1の刊行者の手になるものであるが、1954年のプレイヤード版、1986年のフラマリオン版より新しく、それ以後の資料や問題点も考慮されている)を底本としている。

このような複雑な事情からなかなか読みにくい部分もあるのも事実で、一度死んだと書かれた登場人物が再登場したり、話の途中にあとで削除しようとしていたのかもしれない文章が挿入されて本筋が寸断されたりしている部分も存在する。

 

とは言っても、魅力的な書物であることは間違いないと思う。

あらすじを簡単に書くと、パリで語り手「私」と同棲していたアルベルチーヌが出て行ってしまった。語り手はなんとか連れ戻そうとあれこれ画策するのだが、そうこうするうちにアルベルチーヌが落馬事故で死んでしまったという電報が届く。去ってしまったものは美化され、生前アルベルチーヌが使っていたものから甦る思い出や感情に語り手は苦しめられるが、「習慣」というものに流されているうちに悲しいかな、やがて語り手にとってのアルベルチーヌは「忘却」に沈んでいくのだった。それから母親と念願のヴェネツィア旅行、サン=ルーとジルベルト、オロロン嬢(ジュピヤンの姪でシャルリュスが養女にした)とカンブルメール家の息子、二組の結婚が明かされる。ここに来て、一見反対方向に見えていたコンブレ―時代のふたつの散歩道「ゲルマントの方」(サン=ルー、シャルリュスの方)と「スワン家の方(またはメゼグリーズの方)」(スワンとオデットの娘ジルベルト、カンブルメール家の方)が姻戚関係によって繋がるのである。

 

 

「もしよかったら、やっぱり一度、二人で午後早く出かけたらどうかしら。そうしたらメゼグリーズを通ってゲルマントへ行けるわ。これが一番いい道なの」

(前掲書、450頁、ジルベルトの言葉)

 

 

メゼグリーズを通ってゲルマントへ行ける……このことは語り手にとっても新鮮な驚きなのだった。コンブレ―時代には、決して相容れることのない反対方向の道だと思っていたのに。「空間と同じように、時間のなかにも目の錯覚がある。」(300頁)私はこのふたつの散歩道が合流してしまった「時」に辿り着いて、時というものが空間(地形)さえ変形させてしまったのではないかと思った。

風景は時に滲む。

時の経過のために違ったものの見方ができるようになれば、空間は違って見える。それだけでなく、その変化は「回想」にも影響を及ぼす。つまり、思い出すという行為をする「私」の立ち位置が変わることで、それまで流れた時間に位置づけられる出来事の意味合いも変わっていく。思い出の見え方も変わるのかもしれない。それが、ふたつの散歩道とそのあたりの風景を違ったものにしてしまった。

 

 

またしばしば語り手にとって、ゲルマントの方とは芸術に結びつく方向であり、反対のスワン家の方(メゼグリーズの方)は欲望(快楽)や恋愛と結びつく方向であったことにも注目しておきたい。芸術に接近することを志向し続ける語り手であるが、その思いからしばしば逸れた時間を過ごしてしまう。数々の煌びやかな誘惑(豪勢な晩餐会や友人たちとの会話、それに恋愛)がじっとものを考える語り手の時間を奪っていく。多くの時が失われていく……。けれどこの失われた時さえ単に無駄なものではないのかもしれない。何故ならここで、芸術と快楽が結びついてしまったのだから。作家を志す語り手「私」がどんな結末を迎えるのかはまだわからない。ただ一読者として私が思うのは(私はプルーストという作家を知っているがために)「失われた時」があってはじめて書くことができるものがあるはずなのだ。そう考えれば語り手「私」がここまで過ごしてきた時間というものは、何らかのかたちで、語り手の芸術観をかたちづくるものになるのではないだろうか。

 

最後に語り手が母親と訪れたヴェネツィアの風景描写から、私が特に気に入ったものを引用しておきたい。ヴェネツィアでは、物の影が落ちるのは褐色の地面ではなくて水の青さの上であり、影がその青をいっそう濃くするのだと言ったような表現もあって「水の都」それらしさをいっそう引き立てているように思われる。

 

 

また運河の横断している庭は、戸惑う木の葉や果実を水のなかに漂わせ、また家の水ぎわでは乱暴に切り出された砂岩があわてて鋸で挽いたようにまだざらざらしており、そこに腰かけた腕白小僧たちがゴンドラの通るのに驚き、バランスをとりながらその足をまっすぐ垂らしてぶらぶらしているさまは、開閉橋の両側半分が今しも左右に分かれて海水を導き入れたときにその橋の上にすわっている水夫たちを思わせた。

(前掲書、357-358頁より引用)

 
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