言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

朝、それから夏の光―プルースト『失われた時を求めて』第二篇「花咲く乙女たちのかげに」

ブログの記事を書くのにふりかえってみると一見停止したかのような語りの時間ではあるが、その思い出の中ではとてもたくさんのことが起っていたらしい、そのことに気がついて改めて驚いた。しかしそれらを書きつけていったところで結局のところ、その本を読んでいた時に私が抱いた印象の回想でしかなくなるのかもしれない。

 

今回はプルースト失われた時を求めて』の第二篇である「花咲く乙女たちのかげに」の感想を書いていきたい。使用したのは集英社から出ている以下の本であり、引用頁番号などもそれに従っている(現在は文庫版で入手可能です)。

 

マルセル・プルースト 著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて3 第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅠ』(集英社、1997年)

失われた時を求めて4 第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅡ』(集英社、1997年)

 

失われた時を求めて 3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 1 (集英社文庫)

失われた時を求めて 3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 1 (集英社文庫)

 

 

 

 

この長大な小説の第二篇「花咲く乙女たちのかげに」は第一部「スワン夫人をめぐって」と第二部「土地の名・土地」から成る。ここで語り手「私」はいくつもの重要な出会いを果たしている。概要(あらすじなど)めいたことはさらっと書いておく。

 

第一篇の終わりに描かれた語り手「私」とジルベルト(スワンとオデットの娘)の恋愛と別離、そして忘却(特に別離が決定的になるまでの苦悩の省察、時の経過と印象について)や元外交官であるノルポワ侯爵との出会い(この人物は「私」に文学の道を諦めないように言う一方でその「文学観」は「私」の抱いていたものとは大きく隔たり、「私」は心折られる)、スワン家でのベルゴット(「私」が憧れていた作家)との出会い、そして第二部ではそれまで何度も空想していた一時二十二分パリ発の汽車に乗って、祖母とバルベックという海辺の夏のリゾート地へ行ったことと、滞在中の出来事が語られる。滞在することになる海のグランドホテルの部屋のこと(その印象の変化)、ヴィルパリジ夫人との馬車での散歩、サン=ルーとの出会いと友情(リヴベルでの晩餐と飲み過ぎによる二日酔い……)、サン=ルーの叔父であるシャルリュス氏の印象的な視線、画家エルスチールとの出会いと彼の芸術観、海辺で見かけた「花咲く乙女たちの小集団」のこと、アルベルチーヌ・シモネとの出会いと彼女に拒絶されたこと……。

 

ふりかえればふりかえるほどに、そういえばこういうこともあった、ああいう風景を見た、と次々思い出していける気がする。そんな作中の時間と同時に一読者として読みながら過ごした時間も存在していて、そこからの印象も自分の作品理解を形成する少なくない要素になっているかもしれない。

 

 

たった一つの同じものが与える効果を常に違った時刻でとらえてくり返す手法

(4巻、205頁-206頁より引用)

 

 

訳注が付され、この手法は「印象派特有の手法」であるという。なるほど、この作品全体がそもそも印象派的だと言えそうだ。

バルベックへ向かう汽車の車窓から語り手「私」が見ていた日の出の風景を引用する。

 

 

やがてその色の背後に、光が貯えられ積み上げられた。色は生き生きとしはじめ、空は鮮やかなバラ色に染まり、私はガラスにはりつくようにして目をこらした。この空が、自然の深い存在と関係があるように感じたからだ。けれども線路の方向が変わったので、汽車は弧を描き、朝の光景にとって代わって窓枠のなかには、とある夜の村があらわれたが、そこでは家々の屋根が月光に青く映え、共同洗濯場は夜の乳白色の真珠の帳におおわれ、空にはまだびっしりと星がちりばめられているのだった。そしてバラ色の空の帯を見失ったのを私が悲しんでいたとき、ふたたびそれが、今度はすっかり赤くなって反対側の窓のなかに認められたが、それも線路の第二の曲がり角でまた窓から消えてしまった。だから私は、一方の窓から他方の窓へとたえずかけ寄りながら、真紅で移り気なわが美しき朝の空の間歇的で対立する断片を寄せ集め、描き直し、こうして全体の眺めと、連続した一枚の画布とを手に入れようとつとめるのであった。

(3巻、404頁より引用)

 

 

線路のくねくね具合(?)によって、語り手が見ていた窓に切り取られる風景が変わっていく。客観的にあるものはただこの地方一帯に訪れつつある朝だけであるが、その朝の風景は語り手によってとらえられるたびに違った印象を帯びる。そしてそれらの印象の断片を寄せ集めてひとつの眺めにしようとしたということは、記憶の断片を継ぎつつ膨らんでいく『失われた時を求めて』全体の手法と似ている。

 

また画家エルスチールの絵画の方法や技法的努力(「物の名前をとり去り、あるいは別の名前を与えることによって、これを再創造している」4巻253頁)と、プルーストの風景描写の仕方が重なっているように思える。「物の名前をとり去る」ということは、その物に名前とともに付されている知性の概念を剥奪することであり、こうして一旦「剥き身」になった物を、主観を通した「言葉」(エルスチールの場合「絵画」)でもって再創造すること。既成の見方で世界を捉えることを拒否しなければ、失われた時を新たに組み直すようなこんな作品は書けないだろう。

 

そもそも語り手がその「名」によって「バルベック」という土地に抱いていた印象は「嵐」であった(第一篇第三部「土地の名・名」参照)。ところが実際にバルベックに来てみると案外晴れていることも多く、散歩をしたり海を眺めたりと穏やかに滞在時間は経過していく。バルベックという名の持つイメージが崩壊してはじめて、語り手は自分でバルベックを見はじめる。花咲く乙女たちの小集団に対する語り手の印象の変化と、刻一刻と様相を変えるバルベックの海の波、会うたびに別人に思えるアルベルチーヌという女のとらえがたさが繰り返し書かれることで印象派的な手法が強調される。「名」の中に固定化されたものと、その「名」を剥奪されたものの印象がモチーフを変え、繰り返し繰り返し描かれる。ここにはプルーストの人間観「人は一定不変の連続した存在ではなく、たえず前の自分が死んで、異なった自分に生まれ変わると考える」(第二巻、訳注)も関わってくる。語り手が見ている人物たちも、その時その場に居合わせた語り手も、またそんなことを思い出している語り手も一瞬一瞬異なった存在なのかもしれない。

 

無意識のうちに表情を変える思い出の中では、出会ったはずの人々の顔さえ違って見えるし、思い出している「現在」の語り手の感情がフィードバックされるせいで出来事ひとつひとつの意味合いも変わっていく。たとえば語り手に尊敬されることになるエルスチールという画家は、実は第一巻のヴェルデュラン夫人のサロンにつまらない人物として登場していた。同じくシャルリュスも第一巻の時点ですでに語り手のほうをじっと見ていたのだが、ここまで小説を読み進め、語り手の思い出の時間が流れてからもう一度振り返ってみると、読者は第一巻で語られた出来事をまた違った側面で眺め直すことになりはしないだろうか。出来事ひとつに意味ひとつ、というほど簡単にはできていない世界のこのとらえがたさは魅力的でもありまた恐ろしさでもある。ちょっと前まで自分がこの作品中に見出していた「法則」が合わなくなってしまうような一語、一文に今出くわしたのではないか? と何度もふりかえりながら不安になる。

 

とはいえ、やはりこの作品は読んでいる間にこそ生きられる時というものの存在を感じさせる。それは甦る語り手の時間であったり、文字を追いながら時間を失っていく読者としての時間であったりもする。多くの人が様々な思いでこの本に向うからこそ、こんなに長いにも関わらず、21世紀のこんな所にまで読み継がれているのだろうと思う。

 

最後に、第二篇「花咲く乙女たちのかげに」のラストを引用する。この部分から私は「夏の光」の深み(時間的厚み)を感じずにはいられない。バルベックのホテルの部屋で、またコンブレ―やパリで語り手が過ごした部屋で迎えたいくつもの「朝」が、幾筋も重なり合って記憶を照らしているような気がする……というのは単なる深読みなのだけれども。

 

 

そしてフランソワーズが明りとりのピンをはずし、布を取り、カーテンを開けると、彼女の手であばかれた夏の光は、幾千年を経た豪奢なミイラさながらに死んだ太古の光のように見え、私たちの老女中は、ただ注意深くそのミイラを包む布をはぎとって、金の衣のなかで香り高らかに保存されていたその姿をあらわにしているように思われた。

(第四巻、456頁より引用)

 

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