言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

〈旅〉の終わりに、やっと始まる―プルースト『失われた時を求めて』第七篇「見出された時」

時を失いながら、旅するように本を読む。目的地らしきものはたぶん一生見つからないのだから、これは旅というよりむしろ彷徨とか、かっこつけなくて良いなら迷子とか言った方が的確かもしれない。平成最後の夏、などと言われているこの時の中で、私はひとりマルセル・プルーストの長大な小説『失われた時を求めて』を読んでいた。そして先日、読み終えてしまった。最終篇の「見出された時」を手に取った時、小説の「語り手」は時の中に一体何を見出すのだろう? と思ったことさえすでに遠ざかってしまった。存在するもののすべてが「時の奔流」にさらされている。押し流され続けることが、生きて死ぬことなのだろうと(あるいは生じて滅することだろうと)思う。しかし、どこかにこの激流をかわせるような瞬間があるのではないか? たとえば小説の語り手が紅茶とマドレーヌで啓示を得たあの時のように。

 

マルセル・プルースト 著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて12 第七篇 見出された時Ⅰ』(集英社、2000年)

失われた時を求めて13 第七篇 見出された時Ⅱ』(集英社、2001年)

 

失われた時を求めて 12 第七篇 見出された時 1 (集英社文庫)
 

 

 

失われた時を求めて 13 第七篇 見出された時 2 (集英社文庫)
 

 

最終篇を手に取った読者は、コンブレ―の近くタンソンヴィルにあるサン=ルー邸の窓からの光景を読むことになる。コンブレ―の教会の鐘塔が遠くに見える。長い長い時を経て、どうやら再びコンブレー付近に戻って来たような感慨と共に読み進んでいくと、なつかしさよりは時の経過の惨さを感じずにはいられなくなった。

ゴンクール兄弟の日記(小説の中に登場するのはプルーストによるパスティーシュ)を読んで語り手に生じた文学への疑念、第一次世界大戦下で空襲に晒されるパリ、夏の夕暮れの空を飛ぶ飛行機、この不穏なものさえ時に美しく見えてしまう不思議。ジュピヤンの宿で快楽を貪るシャルリュス氏、それからサン=ルーの戦死の報。

たくさんの出来事が語り手周辺を流れ、そして消えていく。

 

ある日語り手のもとへ一通の招待状が届く。それはゲルマント大公邸での午後の集い(マチネー)への招待状だった。出掛けて行った語り手はゲルマント大公邸の中庭で不揃いの敷石につまずいたのを皮切りに、次々と無意識的記憶の奔流に飲み込まれ、やがてその意味を掴み上げた時に〈時〉の呪縛を振り捨ててその「外側」にいる存在を見出すのだった。

我々がいつも「日常」だと思って漫然と見ているものは「現実」ではなくて習慣のために多くの要素を落としてしまったあとに残された「あたりまえ」にすぎない。そうではなくて真に「現実」を見出すこと、見出したことを表現するのに既成の表現はやくに立たないからこそ文学の表現を追求すること、それが芸術である。人生が素晴らしいのは素晴らしい風景を見ることができたからではなくて、その風景を素晴らしいと感じる何かがあったからだ。その「何か」こそ、散歩の途中で見たサンザシや木々が語り手に囁いていたこと、またあの印象的なマルタンヴィルの鐘塔を見て語り手が得た感慨であり、紅茶とマドレーヌ、バルベックのホテルの硬いタオルやスプーンの音などから甦った無意識的記憶の奔流の中から語り手が掴み上げた一瞬の「永遠」なのだ。

 

いわゆる「仮装パーティー」と呼ばれるゲルマント大公邸での午後の集い(マチネー)の描写と、語り手のこれまでの人生の多くがサン=ルー嬢に結び付けられること、そして語り手が今こそ一冊の書物を書こうと決心したことが後半で語られる。

(これまでの人生がサン=ルー嬢に結び付けられていくというくだりで、私はこんなことを思った。よく自分に関係する人々同士が別の場所でふいに繋がるような時に「世間って狭いね」などと言うが、そう思うようになるのもまた〈時〉の作用なのかもしれない。〈時〉が人の心に作用してそう思わせる、というかその人が生きてきた時をそんなふうに意味づけて組み立て直しているというか。)

「仮装パーティー」(時が人々を〝仮装〟させたかのような、けれどもこれは仮想ではなかった)で感じさせられる時の経過はやはり酷い。語り手は一冊の本を書こうと決心したものの、そうすると今度は自分に残された時間のことが心配になる。果たして書き終えることができるのか、と。

(このあたりを読んでいると語り手がプルーストと、語り手が書こうとしている一冊の本というのが『失われた時を求めて』と重なり合ってしまう。実際に『失われた時を求めて』を完成させる前にプルーストは世を去ることになってしまった。)

まるで円環が閉じるように、スワンを送ってゆく両親の足音と、スワンが帰って行くことを告げる門の小さな鈴の音が聞こえて、この長大な「時」の小説は終わりへ近づく。第一巻ではスワンの来訪を告げていたあの鈴の音が、今度はスワンが帰っていく音として響くのだ。

 

おそらくその生活は、少しずつ、感じられないくらいに、私たちも内部で進行しているのだろう。そして私たちにとってこの生活の意味や様相を変えたさまざまの真実、私たちに道を切り開いた真実、そういった真実の発見を私たちはずっと前から準備していたのであろう。しかもそれと知らずに準備してきたのである。だからこれらの真実は、私たちにとってそれが見えるようになったその日その瞬間から、やっと始まるにすぎないのだ。

(『失われた時を求めて1 第一篇 スワン家の方へⅠ』321頁より引用)

 

 

空間の中でひとりの人間が占める場所は小さな点のようなものだが、時の中に占める場所は際限なく大きくなる、そんなことが書かれて『失われた時を求めて』は終わる。

語り手は自分の本を読む人たちについて「彼らは私の読者でなくあて、自分自身のことを読む読者」(206頁)だと語る。この本を読んで、私はこれまで六つのブログ記事を(この記事を入れて七つだ)書いてきたが、それは私だけの感慨だったのかもしれない。読んだその時の私が感じたものは再読でまた変わっていくのかもしれないし、また別の時の自分を映しだしてくれるのかもしれない。

失われた時を求めて』13巻分の私の「旅」は四か月だった。四か月の間、失われた時を求めて迷走し続けていた間に、平成最後の夏と呼ばれる時は過ぎていった。

 

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時に滲む散歩道の行き先―プルースト『失われた時を求めて』第六篇「逃げ去る女」

「だって、二重の意味でたそがれの散歩だったのですもの。」(92頁)

 

語り手とパリで同棲生活をしていたアルベルチーヌがある日、なんの前触れもなく出て行ってしまってから届いた手紙にこんな言葉があった。

二重のたそがれというのは、ふたりの関係が終わりに差し掛かっていることと、夕暮れの散歩のことをさしている。この言葉がとても印象に残っていて、一読者である私の中に、いつまでもアルベルチーヌの残像のようなものが、夕暮れの散歩道に伸びる長い影みたいになってゆれているような気がする。読了後の余韻にはいろいろあるけれど、なんとなくしんみりしてしまった。「だって、二重の意味でたそがれの読書だったのですもの。」と書きたくなる。この長い長い小説が終わりに近づいているということと、休日の夕暮れに読んでいたということで。

 

マルセル・プルースト 著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて11 第六篇 逃げ去る女(『ソドムとゴモラⅢ第二部』)』

集英社、2000年)

 

失われた時を求めて 11 第六篇 逃げ去る女 (集英社文庫)

失われた時を求めて 11 第六篇 逃げ去る女 (集英社文庫)

 

 

さて、第六篇「逃げ去る女」テクストの成立事情は中々錯綜しているようだ。というのも、第五篇「囚われの女」もそうであったように、このあたりの原稿を確定する前に作者プルーストは世を去ってしまったからである。第六篇の副題として「消えたアルベルチーヌ」というのを見たことがある、という人もいるかもしれない。この第は第六篇部分のタイプ原稿に付された題であり、それを作品の副題として採用する向きもあるようだ。訳者によると、以下の三通りの原稿が存在するらしい。

 

① 自筆ノート、標題はないが書きながら「逃げ去る女」という題を考えていたことがわかっている。

② タイプ原稿1、「消え去ったアルベルチーヌ」、生前最後の修正が加えられたもの。大幅な削除がありこのままでは最終篇「見出された時」につながらない。

③ タイプ原稿2、弟ロベールらの修正の入ったもの

 

これらをどう解釈してひとつの作品として世に出すか、ということがすでに難しい問題だ。

なお集英社版は基本的に新プレイヤード版を底本として訳出したものであるが、この第六篇だけはリーヴル・ポッシュ版(タイプ原稿1の刊行者の手になるものであるが、1954年のプレイヤード版、1986年のフラマリオン版より新しく、それ以後の資料や問題点も考慮されている)を底本としている。

このような複雑な事情からなかなか読みにくい部分もあるのも事実で、一度死んだと書かれた登場人物が再登場したり、話の途中にあとで削除しようとしていたのかもしれない文章が挿入されて本筋が寸断されたりしている部分も存在する。

 

とは言っても、魅力的な書物であることは間違いないと思う。

あらすじを簡単に書くと、パリで語り手「私」と同棲していたアルベルチーヌが出て行ってしまった。語り手はなんとか連れ戻そうとあれこれ画策するのだが、そうこうするうちにアルベルチーヌが落馬事故で死んでしまったという電報が届く。去ってしまったものは美化され、生前アルベルチーヌが使っていたものから甦る思い出や感情に語り手は苦しめられるが、「習慣」というものに流されているうちに悲しいかな、やがて語り手にとってのアルベルチーヌは「忘却」に沈んでいくのだった。それから母親と念願のヴェネツィア旅行、サン=ルーとジルベルト、オロロン嬢(ジュピヤンの姪でシャルリュスが養女にした)とカンブルメール家の息子、二組の結婚が明かされる。ここに来て、一見反対方向に見えていたコンブレ―時代のふたつの散歩道「ゲルマントの方」(サン=ルー、シャルリュスの方)と「スワン家の方(またはメゼグリーズの方)」(スワンとオデットの娘ジルベルト、カンブルメール家の方)が姻戚関係によって繋がるのである。

 

 

「もしよかったら、やっぱり一度、二人で午後早く出かけたらどうかしら。そうしたらメゼグリーズを通ってゲルマントへ行けるわ。これが一番いい道なの」

(前掲書、450頁、ジルベルトの言葉)

 

 

メゼグリーズを通ってゲルマントへ行ける……このことは語り手にとっても新鮮な驚きなのだった。コンブレ―時代には、決して相容れることのない反対方向の道だと思っていたのに。「空間と同じように、時間のなかにも目の錯覚がある。」(300頁)私はこのふたつの散歩道が合流してしまった「時」に辿り着いて、時というものが空間(地形)さえ変形させてしまったのではないかと思った。

風景は時に滲む。

時の経過のために違ったものの見方ができるようになれば、空間は違って見える。それだけでなく、その変化は「回想」にも影響を及ぼす。つまり、思い出すという行為をする「私」の立ち位置が変わることで、それまで流れた時間に位置づけられる出来事の意味合いも変わっていく。思い出の見え方も変わるのかもしれない。それが、ふたつの散歩道とそのあたりの風景を違ったものにしてしまった。

 

 

またしばしば語り手にとって、ゲルマントの方とは芸術に結びつく方向であり、反対のスワン家の方(メゼグリーズの方)は欲望(快楽)や恋愛と結びつく方向であったことにも注目しておきたい。芸術に接近することを志向し続ける語り手であるが、その思いからしばしば逸れた時間を過ごしてしまう。数々の煌びやかな誘惑(豪勢な晩餐会や友人たちとの会話、それに恋愛)がじっとものを考える語り手の時間を奪っていく。多くの時が失われていく……。けれどこの失われた時さえ単に無駄なものではないのかもしれない。何故ならここで、芸術と快楽が結びついてしまったのだから。作家を志す語り手「私」がどんな結末を迎えるのかはまだわからない。ただ一読者として私が思うのは(私はプルーストという作家を知っているがために)「失われた時」があってはじめて書くことができるものがあるはずなのだ。そう考えれば語り手「私」がここまで過ごしてきた時間というものは、何らかのかたちで、語り手の芸術観をかたちづくるものになるのではないだろうか。

 

最後に語り手が母親と訪れたヴェネツィアの風景描写から、私が特に気に入ったものを引用しておきたい。ヴェネツィアでは、物の影が落ちるのは褐色の地面ではなくて水の青さの上であり、影がその青をいっそう濃くするのだと言ったような表現もあって「水の都」それらしさをいっそう引き立てているように思われる。

 

 

また運河の横断している庭は、戸惑う木の葉や果実を水のなかに漂わせ、また家の水ぎわでは乱暴に切り出された砂岩があわてて鋸で挽いたようにまだざらざらしており、そこに腰かけた腕白小僧たちがゴンドラの通るのに驚き、バランスをとりながらその足をまっすぐ垂らしてぶらぶらしているさまは、開閉橋の両側半分が今しも左右に分かれて海水を導き入れたときにその橋の上にすわっている水夫たちを思わせた。

(前掲書、357-358頁より引用)

 
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詩的現実を思い出す言葉―マルセル・プルースト『失われた時を求めて』第五篇「囚われの女」

今回は『失われた時を求めて』第五篇「囚われの女」の感想を書いていきます。

 

マルセル・プルースト 著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて9 第五篇 囚われの女Ⅰ(ソドムとゴモラⅢ第一部』、

失われた時を求めて10 第五篇 囚われの女Ⅱ(ソドムとゴモラⅢ第一部』、

集英社、1999年

 

失われた時を求めて 9 第五篇 囚われの女 1 (集英社文庫)

失われた時を求めて 9 第五篇 囚われの女 1 (集英社文庫)

 

 

 

失われた時を求めて 10 第五篇 囚われの女 2 (集英社文庫)

失われた時を求めて 10 第五篇 囚われの女 2 (集英社文庫)

 

 

自らにとって印象深い出来事を思い出す時、そこにいる人はどんな格好をしているだろうか。

思い出そうとすれば、あなたはまるでその出来事を経験した時の季節や天候を思い出そうとするのと同じような思考の道筋を辿ることになるかもしれない。回想の人はその時に取り巻かれていた環境やそこから誘発された感情を、衣装として纏う。あなたにとって、そういう衣装を纏ったその人は場の雰囲気にぴったりであり、だからこそあるひとつの印象が強く刻まれるのかもしれない。その時、実際にその人が何を纏っていたかはさして重要ではないのかもしれない。ただあなたの記憶の中にしっくり収まっている姿があるだけなのだ。

 

たとえば語り手「私」は公爵夫人が「靄のようなグレーのクレープ・デシンのドレスにふんわりと包まれているのを見ると」、「パール・グレーの霧でぼんやりかすんだ午後の終わりのような雰囲気にひたる」のであり、「赤や黄の炎の模様がついたシナふうの部屋着」の時は「燃え上がる落日を眺めるように私はじっとそれを見つめた」という風に語る。ここで公爵夫人の衣装はまるでその日の天候や時間帯とリンクしたもので、語り手の言葉を借りれば衣装もまた一個の「詩的現実」なのである。

 もうひとつ、衣装について引いておくと「囚われの女」後半でアルベルチーヌが着ているフォルトゥニーの部屋着の描写が印象的だ。この衣装は語り手の目にヴェネツィアを彷彿とさせるものに映っており、部屋着につけられた様々な装飾を語るのに用いられる言葉の数々は異国を印象づける。布地の濃い青色が金色に変わって見えるのをゴンドラの前方に広がる大運河の色の変化と重ね合わせる語り手の視線は、当時ぜひとも行ってみたいと思っていたヴェネツィアという見知らぬ土地への憧憬さえにじませる。またフォルトゥニーの部屋着の描写で用いられる比喩がくるくると変わる面白さは、アルベルチーヌの性格のうつりかわり、一定不変ではない彼女の姿をよく表しているようにも思える。

 

 『失われた時を求めて』もいよいよ後半の第五篇「囚われの女」からは作者の死後刊行されたものとなる。これまで繰り返し語られてきた登場人物たちの立ち位置が大きく変化することになる(たとえばここでヴェルデュラン夫妻と仲違いしたシャルリュスが社交界での立場を失う)。ヴァントゥイユという不遇の音楽家の七重奏曲が初めて披露されるのもここである。彼の音楽に語り手が感じずにはいられない光、色彩、香、手触りといった濃厚な認識こそが時間さえ止めてしまうほどの感動を語り手に与えるのだ。その感動は紅茶とマドレーヌ、マルタンヴィルの鐘塔に対して語り手が抱いた感動と同質のものである。

 

 二度目のバルベック滞在を終えパリに戻ってきた語り手はアルベルチーヌとの同棲生活を始めるけれど、「囚われの女」となった彼女には以前ほどの魅力が感じられなくなってしまう。そのくせアルベルチーヌに纏わりついている同性愛の疑惑が濃くなれば、語り手「私」は大きな嫉妬を抱えなければならなくなる。バルベックで初めて出会った時から、海の印象が重ねられていたアルベルチーヌ。彼女を巡る語り手の嫉妬はこんなふうに表現されている。「かくて嫉妬は灯台の灯のように回り回る。」ちょうど海原をくるくる照らす灯台の灯のように語り手の嫉妬は海たるアルベルチーヌの上を探っていくけれど、その語り手の言葉はただ表面をなぞるに過ぎなかったのかもしれない。

 

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車窓を流れていく日々―プルースト『失われた時を求めて』第四篇「ソドムとゴモラ」

あっち、こっちで、みんなが手を振ってくれるのを眺めていた、過ぎていく色とりどりのものたちを目尻からすっと流してしまうように見送る別れはいつも未練がましく名残も惜しい。

列車の車窓から自分を見送ってくれる人々を眺めている風景。

鉄道を使った移動というものは、はじめは受動的なもので、車窓に浮かぶ風景をただ受け取るしかないのだけれど、その移動がいくらか続いたり繰り返されたりするうちに次第に能動的なものへと変わっていく。たとえば小さな停車駅のひとつでプラットホームに降りてみて、その駅舎やそこを行き交う人々、駅のある町と新しい関係を結ぶことや、反対に長く滞在しすぎた町や故郷に背を向けて、そこで結んだものを絶ち切って行ってしまうことも自由だ。

 

マルセル・プルースト著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて7 第四篇ソドムとゴモラⅠ』

失われた時を求めて8 第四編ソドムとゴモラⅡ』

集英社、1997年)

 

失われた時を求めて 7 第四篇 ソドムとゴモラ 1 (集英社文庫)
 

 

 

失われた時を求めて 8 第四篇 ソドムとゴモラ 2 (集英社文庫)

失われた時を求めて 8 第四篇 ソドムとゴモラ 2 (集英社文庫)

 

 

失われた時を求めて』第四篇「ソドムとゴモラ」は語り手「私」の二度目のバルベック滞在を描いている(と言っても物語のメインはヴェルデュラン夫妻の晩餐会が開かれるラ・ラスプリエール荘と「くねくね鉄道」とも呼ばれる軽便鉄道なのだが)。

かつて語り手は、祖母とふたりでバルベックのグランドホテルに滞在したことがあり(第二篇「花咲く乙女たちのかげに」)この地は亡き祖母との思い出の深い土地でもある。そうであるが故にホテルの部屋と部屋を仕切る壁――かつてそこを叩いて語り手は祖母に合図を送っていた――の向こう側に広がる沈黙と空白、祖母の不在が印象づけられる。祖母の埋葬から一年以上経ったこの時に語り手ははじめて祖母の死を理解するという経験をする(心の間歇)。

ちょっとした動作によって生々しく想起される過去、というのが『失われた時を求めて』にしばしば出て来る回想の手法である。祖母の死は語り手「私」が靴を脱ごうと手をかけた、というそれだけの動作がふいに深い悲しみをもたらすのである。

 

 さて「ソドムとゴモラ」はどちらも旧約聖書で神に滅ぼされた町の名前である。同性愛の隠語でもあり、ソドムは男性同士のゴモラは女性同士の恋愛をさす。シャルリュス男爵とジュピヤンの逢瀬を盗み見た語り手「私」はその愛の風景を、たまたまその中庭にやってきたマルハナバチと蘭の花という隠喩を用い、また花の受粉に性的なイメージを持たせて語る。

 

 冒頭の鉄道のこと。語り手はバルベックのホテルとヴェルデュラン夫妻のラ・ラスプリエール荘を軽便鉄道を使って移動するのであるが、その移動の中でやがて小さな停車駅さえもが社交生活のひとこまであったと悟る。停車駅に止まる度に人々の間で交わされる挨拶、育まれる友情、また途切れてしまう(あるいは単に中断する)関係など様々ある社交の風景が鉄道での移動と合わせて書かれている。「この軽便鉄道の鳴らす汽笛は、私たちをひとりの友人のそばから引き離すたびに、かならず別の友人を発見させてくれるのだ。」(8巻466頁)

 

暮らしの中で出会いまた別れていく多くのものがふと車窓に映ると、そういうものに満たされる思いがする。

 

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ふたつの方向に引き裂かれながら―プルースト『失われた時を求めて』第三篇「ゲルマントの方」

日記によると、私がこの大著『失われた時を求めて』を読み始めたのは4月24日、振り向けば早くも二カ月の時が流れていたらしい。驚いた。はっとした。

 

そう、まさにこれ、この感じこそが『失われた時を求めて』の感触なのだと思う。

 

読みながら、読んでいる時そのものまでもが愛おしくなり、過ぎ去ってしまうことを惜しみたくなるような読書経験だ。

ひとつの作品にこれほど時間を割くのは久しぶりの経験でこの先どうなっていくのか楽しみなような、怖いような。時を失いながら、『失われた時を求めて』を読み、読みながら迷走する日常はもう少しだけ続くのだと思う。

今回は第三篇「ゲルマントの方」を読んだ感想を書いていきたい。

 

マルセル・プルースト著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて5 第三篇ゲルマントの方Ⅰ』(集英社、1998年)

失われた時を求めて6 第三篇ゲルマントの方Ⅱ』(集英社、1998年)

 

失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方 1 (集英社文庫)

失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方 1 (集英社文庫)

 

 

 

失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントの方 2 (集英社文庫)

失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントの方 2 (集英社文庫)

 

 

※当ブログで扱ったものは単行本(ハードカバーのほう)で文庫本ではありません。引用ページ番号などは単行本に依っています。

 

 

コンブレ―で過した幼少期の、ふたつの散歩道を覚えているだろうか。

すなわち、「スワン家の方」と「ゲルマントの方」である。

語り手「私」の前にはいつも決して交わることのないふたつのベクトルが用意されていて、それはこの散歩道であったり、その時々一回限りの「現在」を生きる中で思考を伸ばしていく「過去」や「未来」というものであったり、また第三篇になって色濃く現われはじめた「死」や「生」というものもまた、交わることのない反対方向を志向するラインであると思う。自分を起点にして別々の方向へ伸びるベクトルに沿って、ひとは思いを辿り、思考を流し、認識する世界を広げるのかもしれない。

 

話をもとに戻して、第三篇「ゲルマントの方」では、タイトルが示す通りゲルマント一族いう貴族の生活の方へと語り手は進んでいく。まず、語り手一家がゲルマントの館に付属するアパルトマンに引っ越したところからはじまり、オペラ座での観劇、ゲルマント公爵夫人への憧れなどが語られる。語り手「私」はゲルマント公爵夫人に紹介してもらおうと友人のサン=ルー(彼はゲルマント一族)を訪ねてドンシエールの駐屯地に出向いたり、そこで友人の愛人(この愛人、実はかつて語り手が20フランで買った売春婦だった汗)に会ったり、ヴィルパリジ夫人のサロンでゲルマント公爵夫人やシャルリュス男爵に出会ったり……と、ゲルマント一族を中心とした華やかな社交界の描写が続く。この時代の貴族やブルジョワのサロンで話題になっていた出来事にドレーフュス事件というものがあり、この事件で反逆罪の容疑をかけられたユダヤ人大尉アルフレッド・ドレーフュスが無罪か有罪か、すなわちドレーフュス派か反ドレーフュス派か、という立場の表明(または保留)がひとつのステータスを作り出している。このあたりの事情は、第一次世界大戦前のフランスを覆っていたユダヤ人を取り巻く空気をよく描き出しているようだ(断定できないのは、私に世界史の知識がないからだ)。フランス社交界に上手く溶け込むことができたユダヤ人としてスワンが描かれ、逆に溶け込めず滑稽さを際立たせてしまっている人物としてブロック(語り手の友人)が登場する。貴族たちのいつ終わるともしれない長い長い会話の中に含まれる微妙なニュアンスが理解できればよりこの本を楽しめるだろう。

私はこの貴族たちの会話を、いくつかの大きな塊をやり過ごすように読み流してしまったようなところがあって少しもったいなかったかもしれないと思う。けれどもそういう読み方をしてしまったがために、次のような一文に出会ってぞっとするのである。

 

 

会話にとりまかれているときには、過ぎゆく時間を測ることも見ることも、もうできなくなるもので、時は消え去ってしまう。そして俊敏な時、姿を隠していた時が不意にまたあらわれて、ふたたび私たちの注意を惹くのは、さっき私たちの手をすりぬけていった地点からはるか遠くに来てしまったからだ。

(前掲書『失われた時を求めて6』、78-79頁より引用)

 

 

この社交界の会話について書かれた部分ではないけれど、なるほど、と思えてしまう。

確かに喧噪の中にいれば時の立つのも忘れてしまうし、長い長い会話を延々と読んでいたら(ある意味脳内では話声に取り囲まれているのである)100頁くらい読み進めてしまっていたりするのだ。時と頁は消え去ってしまった。

 

第三篇の後半(6巻)の多くは煌びやかで賑やかな社交界の様子が描かれるがそんな中、語り手の祖母の死や余命数か月しかないのだと語るスワンの登場を見落とすことはできないだろう。そもそも語り手一家が引っ越したのは祖母の病気療養のためでもあり、そう考えるとはじめから「ゲルマントの方」には病や死の影が存在していたのかもしれない。

 

以下は少し長いのだが、ゲルマント公爵夫人に夢中だった語り手「私」がゲルマント家の一員である友人のサン=ルーを訪ねてドンシエールで過していた時の出来事だ。「私」と祖母は電話で話をしていたのだけれど、その電話はやがて切れてしまう。まるで祖母の死を予告するかのような描写に切ない気持ちになる。

 

「お祖母さん、お祖母さん」と私は叫んだ。できれば彼女にキスをしたい。でも私のそばにはこの声しかないのだ。たぶん祖母の死後に私を訪ねてやってくるあの亡霊と同じように、手にふれることもできない幻影の声だ。「さあ、なにか言っておくれ」だがそのときに、その声は急に聞こえなくなって、いっそう私をひとりぼっちにしてしまう。祖母にはもう、こちらの声が聞こえていないのだ。通話は切れてしまった。私たちはもう、互いに相手の声を聞きながら、向きあっている存在ではなくなった。それでも私は闇のなかを手探りで、祖母の名を呼びつづけ、私を呼ぶ祖母の声もきっとどこかにさ迷っているにちがいない、と感じた。かつて遠い昔に、幼い子供だった私は、ある日、群衆のなかで祖母とはぐれたことがあったが、そのときと同じ不安に私はゆり動かされた。祖母が見つからない不安というよりは、祖母の方でも私を探しているだろうし、私が彼女を探していると考えているだろう、と感じる不安である。

(前掲書『失われた時を求めて5』、229頁より引用)

 

けれど「死」などという、「暗い」ものは「ゲルマントの才気」(特にゲルマント公爵夫人ことオリヤーヌの才気)によって意図的に明るい色で塗り込められ隠されようとしているように感じた。語り手がゲルマント公爵邸を訪ねた時、夫妻はある夜会に、それから仮装パーティーに出掛けようと準備をしているところだった。そこで交わされた会話に耳を澄ませていると(実際には活字を目で追っていると)、どうやらゲルマント公爵(バザン)のいとこであるアマニヤン・オスモン侯爵が死の床についているらしいと知れる。けれども仮装パーティーに出掛けたいバザンは何としてでもこの夜出掛けるまでは、いとこの容体は問題ないと思いたいのだ。なぜならもしも今亡くなれば、パーティーのたのしみが台無しになってしまうし、喪に服するのであればパーティーの後にしたいとバザンは考えているのだ。オスモン侯爵の死に背を向けてまで、煌びやかな社交界のほうを向いていたいゲルマント公爵。さらに出掛ける間際になってそこへ来訪していたスワンがゲルマント公爵夫人(オリヤーヌ)に、自分の余命がせいぜい残り数か月しかないことを語る場面があるのだが、それを聞いたオリヤーヌもまた一瞬の戸惑いのあとで死に背を向けるのである。

 

「何をおっしゃいますの」と公爵夫人は、場所の方に向かってゆくその歩みを一瞬のあいだ止めると、青いメランコリックな美しい目、ただし途方にくれたその目を上げて叫んだ。晩餐会に行くために馬車に乗るべきか、それとも死んでいくひとりの男に同情を示すべきか、生まれてはじめてこのように異なる二つの義務の板ばさみになった彼女は、礼儀作法の掟を探っても、従うべき判例を示すものを何ひとつ見出すことができなかった。そして、どちらの義務を選んだらよいか分からなかった彼女は、さしあたって努力の必要の少ない第一の選択肢に従うために、第二の選択肢などあってはならないことであると信じている振りをすべきだと思い、この葛藤を解決する最良の手段は葛藤の存在を否定することだと考えた。「ご冗談でしょう?」と彼女はスワンに言った。

(前掲書『失われた時を求めて6』、507-508頁より引用)

 

 

こんなふうに、「ゲルマントの方」には煌びやかな生を謳歌する方向(社交界)とその逆の、苦痛に満ちた死へと向かう方向(祖母の死、スワンやオスモン侯爵の死の予告)という二つのベクトルが存在する。このブログ記事のはじめのほうで書いたけれど、語り手「私」の前にはいつも決して交わることのないふたつのベクトルが用意されていて、そのうちのひと組が「生」と「死」なのだ。いや、語り手にとってだけではないのかもしれない。存在している者はすべて、数多の出来事を経験する中で、このふたつの方向に引き裂かれそうになりながら「現在」という点に己の座(存在する場所)を作り出しているのかもしれない。そうしてつくり出される「時」はいつも一回限りの、失ってしまえば二度と取り戻すことのできない風景であるのかもしれない。

 

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朝、それから夏の光―プルースト『失われた時を求めて』第二篇「花咲く乙女たちのかげに」

ブログの記事を書くのにふりかえってみると一見停止したかのような語りの時間ではあるが、その思い出の中ではとてもたくさんのことが起っていたらしい、そのことに気がついて改めて驚いた。しかしそれらを書きつけていったところで結局のところ、その本を読んでいた時に私が抱いた印象の回想でしかなくなるのかもしれない。

 

今回はプルースト失われた時を求めて』の第二篇である「花咲く乙女たちのかげに」の感想を書いていきたい。使用したのは集英社から出ている以下の本であり、引用頁番号などもそれに従っている(現在は文庫版で入手可能です)。

 

マルセル・プルースト 著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて3 第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅠ』(集英社、1997年)

失われた時を求めて4 第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅡ』(集英社、1997年)

 

失われた時を求めて 3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 1 (集英社文庫)

失われた時を求めて 3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 1 (集英社文庫)

 

 

 

 

この長大な小説の第二篇「花咲く乙女たちのかげに」は第一部「スワン夫人をめぐって」と第二部「土地の名・土地」から成る。ここで語り手「私」はいくつもの重要な出会いを果たしている。概要(あらすじなど)めいたことはさらっと書いておく。

 

第一篇の終わりに描かれた語り手「私」とジルベルト(スワンとオデットの娘)の恋愛と別離、そして忘却(特に別離が決定的になるまでの苦悩の省察、時の経過と印象について)や元外交官であるノルポワ侯爵との出会い(この人物は「私」に文学の道を諦めないように言う一方でその「文学観」は「私」の抱いていたものとは大きく隔たり、「私」は心折られる)、スワン家でのベルゴット(「私」が憧れていた作家)との出会い、そして第二部ではそれまで何度も空想していた一時二十二分パリ発の汽車に乗って、祖母とバルベックという海辺の夏のリゾート地へ行ったことと、滞在中の出来事が語られる。滞在することになる海のグランドホテルの部屋のこと(その印象の変化)、ヴィルパリジ夫人との馬車での散歩、サン=ルーとの出会いと友情(リヴベルでの晩餐と飲み過ぎによる二日酔い……)、サン=ルーの叔父であるシャルリュス氏の印象的な視線、画家エルスチールとの出会いと彼の芸術観、海辺で見かけた「花咲く乙女たちの小集団」のこと、アルベルチーヌ・シモネとの出会いと彼女に拒絶されたこと……。

 

ふりかえればふりかえるほどに、そういえばこういうこともあった、ああいう風景を見た、と次々思い出していける気がする。そんな作中の時間と同時に一読者として読みながら過ごした時間も存在していて、そこからの印象も自分の作品理解を形成する少なくない要素になっているかもしれない。

 

 

たった一つの同じものが与える効果を常に違った時刻でとらえてくり返す手法

(4巻、205頁-206頁より引用)

 

 

訳注が付され、この手法は「印象派特有の手法」であるという。なるほど、この作品全体がそもそも印象派的だと言えそうだ。

バルベックへ向かう汽車の車窓から語り手「私」が見ていた日の出の風景を引用する。

 

 

やがてその色の背後に、光が貯えられ積み上げられた。色は生き生きとしはじめ、空は鮮やかなバラ色に染まり、私はガラスにはりつくようにして目をこらした。この空が、自然の深い存在と関係があるように感じたからだ。けれども線路の方向が変わったので、汽車は弧を描き、朝の光景にとって代わって窓枠のなかには、とある夜の村があらわれたが、そこでは家々の屋根が月光に青く映え、共同洗濯場は夜の乳白色の真珠の帳におおわれ、空にはまだびっしりと星がちりばめられているのだった。そしてバラ色の空の帯を見失ったのを私が悲しんでいたとき、ふたたびそれが、今度はすっかり赤くなって反対側の窓のなかに認められたが、それも線路の第二の曲がり角でまた窓から消えてしまった。だから私は、一方の窓から他方の窓へとたえずかけ寄りながら、真紅で移り気なわが美しき朝の空の間歇的で対立する断片を寄せ集め、描き直し、こうして全体の眺めと、連続した一枚の画布とを手に入れようとつとめるのであった。

(3巻、404頁より引用)

 

 

線路のくねくね具合(?)によって、語り手が見ていた窓に切り取られる風景が変わっていく。客観的にあるものはただこの地方一帯に訪れつつある朝だけであるが、その朝の風景は語り手によってとらえられるたびに違った印象を帯びる。そしてそれらの印象の断片を寄せ集めてひとつの眺めにしようとしたということは、記憶の断片を継ぎつつ膨らんでいく『失われた時を求めて』全体の手法と似ている。

 

また画家エルスチールの絵画の方法や技法的努力(「物の名前をとり去り、あるいは別の名前を与えることによって、これを再創造している」4巻253頁)と、プルーストの風景描写の仕方が重なっているように思える。「物の名前をとり去る」ということは、その物に名前とともに付されている知性の概念を剥奪することであり、こうして一旦「剥き身」になった物を、主観を通した「言葉」(エルスチールの場合「絵画」)でもって再創造すること。既成の見方で世界を捉えることを拒否しなければ、失われた時を新たに組み直すようなこんな作品は書けないだろう。

 

そもそも語り手がその「名」によって「バルベック」という土地に抱いていた印象は「嵐」であった(第一篇第三部「土地の名・名」参照)。ところが実際にバルベックに来てみると案外晴れていることも多く、散歩をしたり海を眺めたりと穏やかに滞在時間は経過していく。バルベックという名の持つイメージが崩壊してはじめて、語り手は自分でバルベックを見はじめる。花咲く乙女たちの小集団に対する語り手の印象の変化と、刻一刻と様相を変えるバルベックの海の波、会うたびに別人に思えるアルベルチーヌという女のとらえがたさが繰り返し書かれることで印象派的な手法が強調される。「名」の中に固定化されたものと、その「名」を剥奪されたものの印象がモチーフを変え、繰り返し繰り返し描かれる。ここにはプルーストの人間観「人は一定不変の連続した存在ではなく、たえず前の自分が死んで、異なった自分に生まれ変わると考える」(第二巻、訳注)も関わってくる。語り手が見ている人物たちも、その時その場に居合わせた語り手も、またそんなことを思い出している語り手も一瞬一瞬異なった存在なのかもしれない。

 

無意識のうちに表情を変える思い出の中では、出会ったはずの人々の顔さえ違って見えるし、思い出している「現在」の語り手の感情がフィードバックされるせいで出来事ひとつひとつの意味合いも変わっていく。たとえば語り手に尊敬されることになるエルスチールという画家は、実は第一巻のヴェルデュラン夫人のサロンにつまらない人物として登場していた。同じくシャルリュスも第一巻の時点ですでに語り手のほうをじっと見ていたのだが、ここまで小説を読み進め、語り手の思い出の時間が流れてからもう一度振り返ってみると、読者は第一巻で語られた出来事をまた違った側面で眺め直すことになりはしないだろうか。出来事ひとつに意味ひとつ、というほど簡単にはできていない世界のこのとらえがたさは魅力的でもありまた恐ろしさでもある。ちょっと前まで自分がこの作品中に見出していた「法則」が合わなくなってしまうような一語、一文に今出くわしたのではないか? と何度もふりかえりながら不安になる。

 

とはいえ、やはりこの作品は読んでいる間にこそ生きられる時というものの存在を感じさせる。それは甦る語り手の時間であったり、文字を追いながら時間を失っていく読者としての時間であったりもする。多くの人が様々な思いでこの本に向うからこそ、こんなに長いにも関わらず、21世紀のこんな所にまで読み継がれているのだろうと思う。

 

最後に、第二篇「花咲く乙女たちのかげに」のラストを引用する。この部分から私は「夏の光」の深み(時間的厚み)を感じずにはいられない。バルベックのホテルの部屋で、またコンブレ―やパリで語り手が過ごした部屋で迎えたいくつもの「朝」が、幾筋も重なり合って記憶を照らしているような気がする……というのは単なる深読みなのだけれども。

 

 

そしてフランソワーズが明りとりのピンをはずし、布を取り、カーテンを開けると、彼女の手であばかれた夏の光は、幾千年を経た豪奢なミイラさながらに死んだ太古の光のように見え、私たちの老女中は、ただ注意深くそのミイラを包む布をはぎとって、金の衣のなかで香り高らかに保存されていたその姿をあらわにしているように思われた。

(第四巻、456頁より引用)

 

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時を失いながら――マルセル・プルースト『失われた時を求めて』

プルーストを読む」ということについて、考えずにはいられない。

この大長篇小説を読んだ記憶は細断されて断片になった形で、いつか自分の人生の別の瞬間に、たとえば紅茶を飲んでいる時や(私は甘いものを好んで食べないからわからないが)マドレーヌを食べた時なんかに立ち現われるのかもしれない。今なら読めるかもしれない、と直感してふいに手に取った本を、毎日少しずつ丁寧に、生きるように読む。

今回はマルセル・プルースト失われた時を求めて』の第一篇「スワン家の方へ」の感想を書いていく。なおこの作品については複数の翻訳が刊行されているが今回は私が手に取ったのは鈴木道彦訳の集英社版(それも文庫ではなく、図書館で借りた立派な造本のもの!)であり、ページ番号などはそれに従っていることを予めお断りしておく。

 

マルセル・プルースト 著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて 1 第一篇スワン家の方へⅠ』(集英社、1996年)、

失われた時を求めて 2 第一篇スワン家の方へⅡ』(集英社、1997年)

 

失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へ 1 (集英社文庫)

失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へ 1 (集英社文庫)

 

 

 

失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へ 2 (集英社文庫)

失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へ 2 (集英社文庫)

 

 

概略めいたものは簡単に済ませたい。著者のプルースト(1871-1922)はフランスの小説家。代表作『失われた時を求めて』は1913年から1927年までの間に全七篇が刊行(第五篇以降は作者の死後に刊行された)。後の多くの作家に今なお影響を与え続けている20世紀を代表する著作である。

 

第一篇「スワン家の方へ」(集英社版の1巻・2巻)は全部で三部作になっている。

語り手「私」が復活祭前後にコンブレ―という土地で過した幼少期の記憶、断片的で漠然としたものがある日、紅茶に浸したマドレーヌを食べた時に一気に具体的に蘇ってきたいわゆる「マドレーヌ経験」を経て、さらに思い出された幼少期の思い出を取り扱った「第一部 コンブレー」。 語り手「私」の家にかつて訪れていた男シャルル・スワンと、その妻であるオデット・ド・クレシーの恋愛と幻滅の日々を扱った「第二部 スワンの恋」(この部分だけ語り手「私」が人からの伝聞をもとに語るという形式をとっており、ほぼ三人称形式の小説のように読める)。それから、土地の名前から「私」が連想する土地のイメージや、ある年シャンゼリゼで出会ったジルベルト・スワン(シャルルとオデットの娘)への初恋を扱った「第三部 土地の名・名」から成る。

 

集英社版のこの本には「月報プルーストの手帖」と題された小冊子の付録がついており、その1冊目にはなんとル・クレジオの文章(浅野素女 訳「鍵となる言葉」)が掲載されていた。フランス人であるル・クレジオさえ『失われた時を求めて』という作品を読む事に難渋していた時期があったらしい。けれどもある時「ただ言葉の流れに身を任せてゆけばよかった」ということに気がついたそうだ。アンリ・ミショーの詩を旅するように読みたいと書いたル・クレジオらしい捉え方だと思う。彼は『失われた時を求めて』から以下の文章を引用している。

 

眠っている人間は自分のまわりに、時間の糸、歳月とさまざまな世界の秩序を、ぐるりとまきつけている。目ざめると、人は本能的にそれに問いかけて、自分の占めている地上の場所、目ざめまでに流れた時間を、たちまちそこに読みとるものだが、しかし糸や秩序はときには順番が混乱し、ぷつんと切れることもある。

(『失われた時を求めて』第一篇「スワン家の方へ」より引用)

 

半分眠っているような時、自分が今どこにいるのかわからなくなる。

こういう時は、何がどこに置いてあったのか、部屋のアウトラインすらわからなくなっているものだが、昔の記憶だけはとめどなくあふれてくる。この記憶の甦りと空間の再構成が小説世界そのものを静かに立ち上げていく。はじめ語り手「私」は幼少期にコンブレ―で母親からのおやすみのキスを待っているのにスワン氏の来訪によって望みが叶えられなかったという孤独な夜を思い出している。けれどもこれはあくまで「意識的記憶」に属するものである。

ある日、小説の語り手「私」は(この作品の語り手が存在すると思われる現在に近い時のどこかで)紅茶とマドレーヌをきっかけに、すっかり忘れていたと思っていた過去をありありと思い出す、という経験をする。これが「無意識的記憶」と呼ばれるもので、失われたはずの日々を再現していこうとするのがこの作品なのだと思う(小説である以上、語り手=プルーストとは言えないが、時々プルーストの経験や物の見方、考え方が現われてもいる)。無意識的記憶が蘇った様子がそれまで「狭い階段で結ばれた二つの階」でしかなかったコンブレ―が、レオニ叔母の家の構造、それから鐘塔を中心にしたコンブレ―という名の町の全体、二つの散歩道(スワン家の方、ゲルマント家の方)と広がって行くようで愉しい。第一部の終わりは部屋に射し込む朝の光によって、あやふやになっていた部屋のアウトラインがくっきりとし、元に戻るという記憶の旅から日常への回帰である。

 

私たちがかつて知った場所、それを私たちは便宜的に空間世界に位置づけているが、そのような場所は、実は空間世界に属してはいないのである。それらの場所は、当時の私たちの生命を形作るたがいに隣りあった印象のなかの、薄い一片にすぎなかった。あるイメージの追憶とは、ある瞬間を惜しむ心にすぎない。そして家や、道や、通りは、逃れて消えてしまうのだ。ああ! ちょうど歳月のように。

(『失われた時を求めて』「第一篇スワン家の方へ」より引用、集英社版2巻432頁)

 

 

私はこの本を読む時に、一思いに100頁とか、150頁とか読み進めたくなってしまう。それはたぶん作品の時間の流れが「言葉」そのものだからで、読んでいる時間ごと寸断してしまいたくないからだろう。極めて主観的な文章(語り手「私」の回想の形式をとる)であるが故に全てが「特殊」な一度限りの風景になる。その移ろっていくイメージを惜しむ心のあり様が大変尊いもののように思え、この本を読む事に贅沢な時間を感じたのだ。

 

第二部「スワンの恋」だけは語り手「私」が伝聞をもとにして、シャルル・スワンとオデット・ド・クレシーの恋愛を語るほぼ三人称小説のように読める。この語りのブレを当初好意的に捉えることができなかったが、思い返してみれば(本を読んでいた時のことをまた思い返してみるんだって! 一体同じ時を、まるで違う時のように何度生きればよいのだろうか)シャルル・スワンという男が作中最も自由に社会階層(ブルジョワ、貴族の社交界など)を縦断しており(ちなみに語り手「私」のいたコンブレ―の家の夕食にも招かれていた)作中に描き得る社会的空間を広げている存在と言えそうだ。

 

第三部「土地の名・名」は名前が連想させるイメージの広がりからそこへ行くという空想の時が広がって行くようで愉しい。「私」の恋の始まりも「ジルベルト」という名の響き、そしてそこからの印象であった(そしてそういう印象と、現実は実際には大きくずれており、しばしば「私」を幻滅させることになる)。

 

その明くる日になったら、すぐにも一時二十二分発の、美しい素敵な汽車に乗りたいと私は考えた。私は、鉄道会社の広告や周遊旅行の案内などでこの汽車の出発時刻を読むとき、胸をときめかせずにはいられなかった。その時刻は、午後のある明確な一点に、一つの楽しい切れ目、一つの神秘的な印を、つけているように思われた――その一点から時間は軌道をはずれ、なるほど依然として夜に、また翌朝にと人を導いてはゆくけれど、しかしそれはもうパリの夜や朝ではなくて、汽車が通る町々のなかで、汽車のおかげで私たちの選べる、とある町の夜であり、また翌朝なのであった。

(『失われた時を求めて』第一篇「スワン家の方へ」第三部土地の名・名、集英社版2巻361頁より引用)

 

私にとってはこの広がりがとても魅力的な作品なのだ。

プルーストの人間理解の仕方(「人は一定不変の連続した存在ではなく、たえず目の自分が死んで異なった自分に生まれ変わる」(訳注)という考え方。)は「私」というものを確固とした実体と捉えるヨーロッパ近代と対立するものだ。そしてもし、プルーストの考えるように世界を捉えるなら、私は部屋にいたままにして、何度も何度も現在時を失いながら、失われた時を生き直すことができるのかもしれない。この感覚はとにもかくにも『失われた時を求めて』を実際に読む時間というものを経験しないと得られない。そして何度も何度もそういう時間を生きていたくて、繰り返し読み返す本になってゆくのかもしれない、時を失いながら――。

 

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