言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

死に対して!―ペイショット『ガルヴェイアスの犬』

はじめて、ポルトガルの小説を読んだ。これまでスペイン語圏の小説はずいぶんと楽しんできたけれど、どうしてなのか、ポルトガル語圏の小説にはなかなか縁がなかったのだ。実際読んでみると、やはり雰囲気が違うなぁというのが素朴な印象で、例えばリスボンやブラジル、ギニアギニアビサウ共和国)など、普段の読書ではあまり見かけたことのない固有名詞なんかが出て来るたびに「ああ、今ポルトガルの小説を読んでいるんだなぁ」とじんわり思った。

前置きが長くなってしまったけど、今回ご紹介する本はこちら。

 

ジョゼ・ルイス・ペイショット 著、木下眞穂 訳『ガルヴェイアスの犬』(新潮社、2018年)

 

ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)

ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

 

「何かを思い出せばまた別の何かが思い出され、連なる記憶が人々のあいだを渡って、いくつもの過去が重なり合い、広がって行く。〈中略〉何かを思い出すことはきっとそれだけで希望なのだ。」 (本の裏表紙掲載 / 滝口悠生さんの書評より引用)

 

この評を読んで、いつか必ず手に取ろうと思っていた本に、私はようやくありついたひとりの読者なのだった。

 

作者のジョゼ・ルイス・ペイショットは1974年生まれの現代ポルトガル文学を代表する作家のひとり。2000年に作家としてデビューし、長編第一作“Nenhum Olhar”(「無のまなざし」)で若手作家の登竜門とされるジョゼ・サラマーゴ文芸賞を獲得。長編第五作『ガルヴェイアスの犬』(原題“Galveias”)はポルトガル語圏のマン・ブッカ―賞を称される「オセアノス賞」(2016年度)を受賞している。「ガルヴェイアス」とは、ポルトガルアレンテージョ地方の内陸部に実在する人口千人あまりの村であり、作者の故郷である(以上の情報は『ガルヴェイアスの犬』巻末の訳者あとがきより)。「複雑な親子関係、閉鎖的な田舎の村、そして死が、ほとんどの作品においてモチーフとなっている。」(前掲書283頁)

 

『ガルヴェイアスの犬』のあらすじを簡単に書いてみよう。

作品全体が「一九八四年一月」と「一九八四年九月」のふたつのパートから成っており、この年、ガルヴェイアスというポルトガルの小さな村に宇宙から謎の巨大物体が落ちてくるところから物語ははじまる。作中その巨大物体は「名のない物」と表現される。一月の真夜中に響き渡った爆音のために、寒さの中、目を覚ました人々、そして犬たちの混乱ぶり、七日七晩降り続いた豪雨。それから村中が硫黄くさくなり、パンがまずくなってしまった日常、やがて「村は名のない物のことは忘れてしまった。犬たちを除いては。」(20頁)

 

シコ・フランシスコのカフェと砕け散った窓ガラス、バイクに関しては右にでるものなしだったジョアン・パウロ、酒浸りのダニエル神父、ジュスティノ爺さんとセニョール・ジョゼ・コルダト、姪のマリア・ルイーザとその娘アナ・ラケルの手に渡った金のネックレス。村に赴任してきた女教師マリア・テレザに部屋を貸すマヌエル・カミロ、郵便配達ジョアキン・ジャネイロの隠されたもう一つの生活や代々「先生」であるマタ・フィゲイラ一家の悲喜こもごも、風俗店の女イザベラと思い出の中のファティマかあさん……。

傍から見れば何の変哲もなく流れ去った時間であっても、それを生きたひとにとっては唯一のかけがえのない「人生」の時間、出来事のひとつひとつは重大で、本当は何一つ素通りすることなんかできないものなのだ。そんな村人と犬たちの具体的なエピソードを取り上げて行って語ることで作者は「ガルヴェイアス」という土地を描いてみせる。個別のエピソードでありながらも、うっすらと互いにつながることもある出来事を線で結べばガルヴェイアスの輪郭が浮かび上がりそうだ。

 

村のどこかにいる犬が、そしてまたほかの犬が、また違う犬が、つぎつぎ、またつぎつぎと吠える声をたどればガルヴェイアスの地図が描けそうなほどであったが、それはまた日常がこのまま続いていくという確かな証でもあったので、眠りそこねた村人たちを安心させてもいた。

(前掲書、7-8頁より引用)

 

村人たちはだれひとり似てさえおらず、その行動は各人各様にてんでばらばら(その様が丁寧に描写されていてとても面白かった)。

 

誰もが、それぞれの一歩を踏み出した。完璧な同時性を持つ世界のようにみんなが一斉にというわけではない。決意を固めた瞬間はそれぞれ違い、それからそれぞれが一歩を出して通りの小石を踏み、そえからまた次の一歩を出し、左足を出し、右足を出し、必要な行動を順繰りに取ったのだ。どの足も大きさは違ったが、どの足も大事な足だった。そしてみんな、二歩、三歩、四歩、その次、それからその次、やがて何歩目だったか数えきれなくなった。

(前掲書、277頁-278頁より引用)

 

 

宇宙から「名のない物」が落ちてきた事件の夜に食べたものも違えば思考の程度も違うし、すっかり忘れていた「名のない物」のことを思い出してからとった行動も一斉に、ではなかった。けれど、どれも大事な足なのだ。

ばらばらの者たちがそれぞれの足で手で作り出す日常のガルヴェイアスは、まだ死ぬわけにはいかないのだと物語は幕を閉じる。このばらばらであることはまた、猥雑な暮らしの肯定であるようにも読めると思った。一見何もない村であっても、ひとりひとりの人生をつぶさに見れば何もないなんてことはなくて、そういう個を点として、その点と点を結んで行くことで土地の形を書く。どんなにいびつになっても、そこはだれかの故郷なのだ。

 

「名前」というものの性質についても考えてしまった。

何かを名づけるということは、その何かを固定することだ。まるでガルヴェイアスに縛り付けられたように人々はこの土地に生きねばならない(後半ガルヴェイアスを離れる人物も描かれるが、起点はいつもガルヴェイアスにある)。いや、生きねばというよりもむしろ「名前がある」ということ自体が生きているということではないだろうか?

この作品にはとにかく「名前」がたくさん出てくる。ガルヴェイアスという地名はもちろん、人物の名前や通りの名前、時には犬の名前も繰り返し表記される。それに対して、ある時宇宙から落ちてきたものは「名のない物」と呼ばれる。ガルヴェイアスに鎮座するこの「名のない物」は死の表象ではあるまいか。硫黄のにおいは聖書的に考えれば亡びのにおいだ。人々は誰しも死に対して、歩いて行くことしかできない。死んでいくしかないのは生き物の定めだ。けれども、それを知っていてなお決して悲観することなく、その道程は自分のタイミングで、自分の足によってつくられた唯一のもの、名づけられた「我が人生」なのだから、という強い「生の意志」が個々の悲惨なエピソードを乗り越えるからこそ、この本の読後感は暗くはないのかもしれない。

 

死に対して、死に対して、死に対して、人びとはあの道を歩いていた。

動きを止めたまま、宇宙はガルヴェイアスを見つめていた。

(前掲書、278頁より引用)

 

 

最後に誕生のエピソードがあるが、この赤ん坊はこれから名づけられる存在であり、「名のない物」と対置されることで生と死という二項の強烈なコントラストを生み出している。

 

 

誰にだって、運命の場所ってもんがあるのさ。誰の世界にも中心がある。あたしの場所はあんたのよりましだとか、そんなことは関係ないの。自分の場所ってのは、他人のそれと比べるようなものじゃない。自分だけの大事なもんだからね。どこにあるかなんて、自分にしかわからないの。みんなの目に見える物にはその形の上に見えない層がいくつも重なっているんだ。自分の場所をだれにかに説明しようったって無駄だよ、わかっちゃもらえないからね。言葉はその真実の重みには耐えられない。そこははるか遠い昔からの肥えた土地、死のない未来へと続く小川の源流なのさ。

(前掲書、199頁-200頁より引用)

 

記憶もまた場所だというのだから。

 

関連リンク(外部サイトへ)↓↓

滝口悠生さんの書評が読めます。

www.shinchosha.co.jp

 

dokushojin.com

 

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噴出する〈往古〉―パスカル・キニャール『いにしえの光〈最後の王国2〉』

前回の記事に引き続き、パスカルキニャール・コレクションより〈最後の王国〉シリーズについて。今回はシリーズ2冊である『いにしえの光』の感想を書いていこうと思う。

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ちなみに〈最後の王国〉シリーズとは、

 

最後の王国とは:哲学的思索、文学、歴史、人類学、精神分析、生の断片――それらを分かちがたいひとつの思考作用(ノエシス)としてとらえ、〈人間〉という存在を再検討する、無数の断片からなる、小説/詩/評論の枠を超えた新ジャンル。

パスカルキニャール・コレクション、パンフレットより引用)

 

 

パスカルキニャール 著、小川美登里 訳『いにしえの光〈最後の王国2〉』(水声社、2016年)

 

 

ふたつの時間―― 一方で流れ去り過去となる時間、歴史や文化、習慣などの系譜額を作り出す時間と、もう一方では過去の源にとどまり続け、決して古びることのない永遠の往古(いにしえ)――をめぐる哲学的、人類学的、文学的な考察。

(前掲、パンフレットより引用)

 

と、これを読んでわかる通り、この本は「時間」についての省察をまとめたもの。

複数の断片からなる形式の作品で、言葉によって何かを説明したり説得したりするというよりも、言葉によってわきあがるイメージを示すことで、絶えず現在に噴出しようとする不定過去(アオリスト)=〈往古〉と呼び得る時間の存在を書き出そうとしたように私には思えた。読んでいる間(その時間が一番たのしく、しあわせ)、言葉にできない何かが、断片と断片の間を繋ぐようにイメージされる、それが何かはわからないけれど読みえ終えてから一番はじめに思ったのは、この目に見えないし言葉にできないものこそ〈往古〉と呼ばれるものではないか? ということ。

 

〈往古〉という非-地(アトピア)。

不可視の光景はさすらっているが、それは目に見えない分、どこにもとどまらない。

(前掲書、229頁より引用)

 

キニャールは〈過去〉(passé)と〈往古〉(jadis)を区別する。

〈過去〉とは時間の連続した流れの一部、もしくは流れ全体を指す。言語によって変えられるもので、ひとは回想によってしばしば過去を変える。それに対して〈往古〉とは、非連続性に彩られた過去、過去の過去・すべての過去の起源である過去を指す。キニャールはしばしば「水源」のようなものとしてイメージしている。この「水源」から流れ出しているのが〈過去〉という連なりであり、「現在」のわれわれはその流れの中にある〈往古〉の痕跡であると言える。

 

アスペクトaspect)という言語学の用語がある。これは「ある見地からみた様相」のことであり、動詞に言及すればその動作が「点」(単発事件)で表されるか、「直線」(連続または繰り返し)として表現されるものかを問題とする。時について考えれば、「時制」という言葉が用いられる。それによると、「過去」に「点」で表される事件は〈不定過去/アオリスト〉、過去にある事件が起こり(点)その結果が現在にまで及んでいる(直線)のが〈現在完了〉である。

不定過去(アオリスト)とはギリシア語で使われる文法用語で、範囲が不確定の(完了でも継続でも反復でもない)、単にあることが起ったということを表す時制。

 

不定過去は直線で表すことができない、あくまで「点」。ここにキニャールは「水源」のイメージを重ねているのだろう。本来、時間とは方向性を持たない。そこにわれわれが過去→現在→未来というように名づけることで、「流れ」のようなものを想定している。たとえば歴史を考える時など。それで時間は流れている、という感覚を当たり前のものだと思っている。けれど本当にそうだろうか? 第二次世界大戦という人間性の終焉ともいうべき出来事と同じくしてラスコーを始めとする古代の洞窟壁画が発見されるという事実を目の前にして? キニャールの問いかけはこんな所から始まっているらしい。

1802年のある日のグローテフェンド、楔形文字を解読、

1821年のある日のシャンポリオンヒエログリフを解読、

いずれも、〈往古〉の痕跡の研究、そしてその発見、それによる歓び。

 

 

ワインの一本一本は、交換不可能な一年である(交換可能なものなど、通貨以外に本来何もないことをここで付け加えるべきであるが。実際、通貨以外のものはすべて交換不可能である)。

過ぎ去った唯一の過去、言いあらわし得ない過去がもたらす喜びとはつまり、幸福感のことである。

みずからに定められた生の時間を乗り越えて、死者たちがわたしたちに喜びをプレゼントしてくれるのだ。

(前掲書、93頁より引用)

 

瓶の中の〈往古〉。

 

現実が滅び落ちた深淵の淵から、記憶が思い出を連れ戻すとき、思い出は沈黙にそぼ濡れている。

一切の騒音が洗い流されたかつての場面から、死者たちは戻って来る。

(前掲書、289頁より引用)

 

書物とは、語りかけるひとりの死者である。

(前掲書、160頁より引用)

 

一冊の書物の中に存在する〈往古〉から還ってくる死者たちとの遭遇。それは読書をしている時に、あるいは遺跡の発掘調査をしている時に、古代文字を解読しようとしている時に、起こり得る出来事だ。手に取るあらゆるものが〈往古〉の痕跡かもしれない。われわれの存在自体もまた。

〈往古〉(jadis)というフランス語は、Ja-a-disと分解され「すでに/あった/日々が」と翻訳できるそうだ(143頁)。それを想定した時にふたつの思考の道筋があるように思う。それは、〈往古〉の現在への噴出、そして起源〈往古〉への回帰。こうして時間は円環し、はじまりもおわりもない、永遠というものが感じられはしないだろうか。さらに人間が認識し得る噴出も、回帰もすべて言葉によるのだから過去は忠実な再現などではなく、それをめぐる解釈の反復が絶えず人間の前にひらかれている。

 

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blog 水声社 » Blog Archive » 新シリーズ《パスカル・キニャール・コレクション》刊行開始!

 

 

影のための場所―パスカル・キニャール『さまよえる影たち 〈最後の王国1〉』

今回ご紹介する本はこちら。

パスカルキニャール・コレクション さまよえる影たち 〈最後の王国1〉』

水声社、2017年)

 

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さまよえる影たち―最後の王国〈1〉 (パスカル・キニャール・コレクション)
 

 

パスカルキニャールPascal Quignard)は1948年、ノルマンディー地方ユール県に生まれたフランスの作家で、「古代と現代を縦横無尽に往来し、時空を超えたエクリチュールへ読者を誘う作品を精力的に発表しつづけている」(パスカルキニャール・コレクションパンフレットより)らしい。よく知りもしないくせに思い切って買ってしまったのは、〈最後の王国〉という言葉に魅かれるものがあったからだろうか。2002年にシリーズ第一巻の『さまよえる影たち』でゴンクール賞を受賞。なお、水声社パスカルキニャール・コレクションについてはこちらを参照されたい。

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失われたものはどこにあるのだろう。それは、失われたものが失われた場所、最後の王国の場所にある。

(前掲書、24頁より引用)

 

この本は一見、互いに繋がりのなさそうな断章から成っている。それぞれ個人的なことだったり、伝承であったり、語義についてであったり、歴史の記述であったりと内容は多岐にわたる。読みながら、私はこの本から物悲しい雰囲気を感じ取っていたのだけれど、それは「死」や「失われたもの」に関する記述が多いからだろう。けれどその悲しさは全く嫌なものではないのだ。死の間際にローマ人最後の王はこう尋ねる、「影たちはどこにいるのか」(35頁)。それから、クリダンヌ川とティアル川の渓谷あたりの村では、まなざしを「最後の別れ」と呼んでいた。墓穴のはしに黙って置かれた棺に土をかけてやることも、花や金をなげてやることもなく、長い時間、ただまなざしだけを投げるのだというエピソード(93頁)。

 

料理のなかでもっとも感動的なのは、料理を支配する〈失われたもの〉である。餌食となった獲物につきまとい続ける運命が、いまや獲物の影となる。

いたるところにその影の気配が感じられる。

魚骨や骸骨のくずの先に漂う死の匂い、あるいはそれらを死に至らしめた行為の残り香に、人は囲まれている。

(前掲書、49頁より引用)

 

最後の王国とは、どこにあるのだろうか。

それは日常の中にあるのだと思う、そこは影のための場所なのだと思う、それからまだ私が人と人の間に属す存在になる前の、半分夢にひたっていたような時間なのだと思う。そして、本を読むということは影の側にいることなのだと思う。私の属すこの社会に、自分のまわりに溢れる欲望の光さえ届かない薄暗がり、ちょうど活字が見えるくらいの、眼を傷めてしまわないほどの薄明り。その微かな光の下に落ちるあらゆるものの影とともにあることを許された時間、それが読書ではないかと思う。そこはいつでも私を迎え入れる。本を読むこと、何かを創作すること、思索を深めるということが孤独のうちにあるということに静かな満足を覚える。この本を読んで、そういう読書体験をした。

 

世界の出現以前、ひとかけの原初の林檎、ローマ帝国とその滅亡、聖バルテルミーの虐殺、パール・ハーバー湾の上空を飛行する爆撃機。現在から過去を遡求的に眺める視点から時間というものを理解しようとした本書は、「群れる人間」についてのキニャールの鋭い洞察でもある。私とて例外ではなく、人間という存在は直線的な時間という錯覚、外部からの圧力、命令、欲望に翻弄され振り回され続けている。人間は社会を形成することで世界の隅っこに存在を許されるにすぎない。そしてその社会は多くの規範を個々の人間に押し付ける。なんとかそれを撥ね退けたい、そこから自由で自律した存在で在りつづけたいと願うひとの〈最後の王国〉はあなたの手の中におさまっているその本のページなのかもしれない。

 

 見えないものを見えようとする力、あるいは存在しないものを想像によって生み出す原動力である思考と幻覚を同一視するキニャールにとって、言語や修辞は論理を積み上げるためにあるのではなく、もっとも荒唐無稽で自由な思考を表現するためにこそ使われるべきものである。論証によって読者を説得するよりも、描写が作り出すイメージの鮮烈さや意外性によって読者を驚愕させることをキニャールの文体は目指している。この意味において、昨今流行りのマニュアル本の対蹠点にあるのが本書であると言ってもよいだろう。

(前掲書、189頁より引用、訳者 小川美登里氏による解説)

 

 

重層的時間旅行―カルペンティエル『失われた足跡』

久しぶりにラテンアメリカ文学の作品を読んだ。

カルペンティエルの『失われた足跡』である。今回はこの本についての感想を書いていきたいと思う。

アレホ・カルペンティエルは1904年キューバの首都ハバナに生まれた作家で、グァテマラのノーベル賞作家であるアストゥリアスと並んで〈魔術的レアリスム〉の創始者と言われる。今回読んだ『失われた足跡』は1953年の作品で、語り手「わたし」の記憶、「わたし」を取り巻く世界の歴史、文学作品というフィクション世界の風景を取り込んだ重層的で濃密な、時間を遡る旅の本だった。

 

カルペンティエル 作、牛島信明 訳『失われた足跡』(岩波文庫、2014年)

 

 

 時間というものが単線でも、直線でもないということは文学の世界ではすでに当たり前のようなことになっているけれど、その発見を現実の風景に見出してしまったのがラテンアメリカ文学なのかもしれない。それを、

アメリカ大陸の驚異的な現実〉

と呼んだりする。

そこにはニューヨークみたいな大都市が存在する一方で、石器時代や中世、ロマン主義時代、さらには『旧約聖書』の創世記の時間までが同時に流れている。それも視覚的に見えるという存在の仕方で。

『失われた足跡』はどこかの大都市で音楽家として生計を立てていた語り手の「わたし」が〈器官学博物館長〉の依頼で南米のジャングルへ赴き、そこの民族楽器を探すというのがおおまかなあらすじであろう。その六週間の旅の経過が日記の体裁で書かれている。

旅のはじめのほうで立ち寄る場所に流れる時間は「わたし」の出発点である大都市に近い。たとえば語り手はホテルに滞在したりもする。けれど、そのホテルのある場所の日常には常に「革命」が隣り合っていて、しばしば戦闘が勃発(読んでいて本当にいきなり銃撃が始まって驚いた)、語り手たちもホテルから一時動けなくなってしまう。この時すでに流れる時間に異質なものを感じながら読者は語り手「わたし」とその同行者たちとともに、そこからさらにジャングルの奥深くへ旅を続けるのである。

 

ナイトテーブルの上にのこしておいた一びんのシロップは、長い列をなすアカアリを呼び寄せていた。絨毯の下には害虫がはびこり、かぎ穴からは蜘蛛が覗いていた。熱帯のこの都市では、数時間混乱が続き、造りあげたものに対して人が数時間注意をおこたれば、それだけで、腐植土の動物たちが、干あがった送水管を伝って、包囲された要塞をおとしいれるには十分だったのだ。

(前掲書、88頁より引用)

 

語り手たちが閉じ込められたホテルの描写であるが、この時点でもう密林が滲み出してきている。密林の描写の、この得体のしれないものが蠢いている感じさえする濃密さはこの作品の魅力のひとつだと思う。

 

ラジオから流れてくる第九を聞いて思い出されるホルン奏者の父の横顔、幼少期の甘い記憶、理想の世界、それを破る現実、戦争……という「わたし」の回想や、ある台地の村が有していたカスティーリャ的な佇まい、そこにロバがいななくと思い出されるエル・トボーソの風景……そこからさらに推し進められる回想、子供時代に教室で暗誦させられていた文学作品。「それほど昔のことでもない、その名は思いだせないが、ラ・マンチャ地方のある村に、槍掛けに槍をかけ、古びた盾を飾り、やせ馬と足の速い猟犬をそろえた型どおりの郷士が住んでいた。……」(前掲書、127頁)おわかりいただけるだろう、『ドン・キホーテ』の世界だ。

こんなふうに、「わたし」の個人的な回想がたびたび導かれつつ、同時に歴史が描かれつつ、さらに時々文学作品というフィクション世界までが導かれていく旅。実は南米にルーツのあった「わたし」の記憶(内面)をさかのぼる旅であると同時に、密林に流れる河(風景)を遡ることで現代から、中世や石器時代、創世記の世界へと時間をさかのぼる旅でもあるのだ。なんて、スケールの大きな旅だろうか。

 

わたしは、旅行しながらさまざまな時代をとおりぬけた。そして、さまざまな人々とその人々の時間をめぐったのだが、このうえなく広大な入口の、秘められた狭さにさえぎられていたことには気づいていなかった。しかし、驚異に満ちた生活も、市(まち)の創建も、エノクの土地で〈天職を見出した人々〉が享受している自由もすべて、ひまさえあればあくせくと、音符の配列のなかに死に対する勝利を求める、卑小な対位法作曲家であるわたしには不相応な、スケールの大きな現実だったのである。

(前掲書、445頁より引用)

 

この時空を遡ったかに思えた旅も、実は飛行機で直行すればわずか三時間の距離でしかないことも驚きだ。飛行機で過ぎてきた空の下には、驚くほど多様な時間が流れていた。そのあり様に唖然としながら、われわれが〈現在〉だと思っている中には様々な時代の風景が同時存在し、また個人の内面というか価値基準というものを定めている要素も、この風景のあり様に似ているのかもしれない、などと考えてしまうのだった。

動物塚が抱くもの―依田賢太郎『いきものをとむらう歴史 供養・慰霊の動物塚を巡る』

――シロネズミのあの赤い目の色を抱く

東京都文京区本駒込、吉祥寺に癌の研究で世界的に著名な吉田富三博士の墓がある。その右横にある小さな石碑の碑文に上に引用した言葉がある。

今回紹介する『いきものをとむらう歴史 供養・慰霊の動物塚を巡る』という本に碑文の全文が引用されている。心がふるえた。この碑は「シロネズミの碑」というもので、医学研究の動物実験のために命を落とした数多くの生き物を悼んで、昭和四十八年に建立されたものであるそうだ。

※参考→シロネズミの碑(外部サイトへ)↓↓

http://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohaka2/50jikken/53kanto/sironezu.html

 

このように、われわれ人間の歴史にはたくさんの動物との関係がある。そして当然関わってきた動物の死がある。そういうものと向き合った時に先人たちは何を感じてどう考えてきたのか、それを今に伝えるものの一つとして本書に紹介されているのが「動物塚」というものである。

 

依田賢太郎 著『いきものをとむらう歴史 供養・慰霊の動物塚を巡る』(社会評論社、2018年)

 

 

いきものをとむらう歴史 -供養・慰霊の動物塚を巡る-

いきものをとむらう歴史 -供養・慰霊の動物塚を巡る-

 

 

筆者の定義では動物の遺体を埋葬した「墓」と、生を絶たれた動物を慰霊または供養するために碑だけを建てた動物慰霊碑(供養碑)を合わせたものを「動物塚」と総称する。

筆者は全国各地に存在する動物塚500基を調査。建立時期は奈良時代以前のものから近代以降(ごく最近建てられたものもある)までさまざまだ。対象とされる動物も多岐にわたっており、最も多いのは馬だそうだが、鯉・鰻・鮭といった魚類や、蜂・蟻・蝗といった虫のための供養碑なども存在するらしい。産業との関わりで私が特に関心をもったのは蚕だった。

 

動物塚建立の背景となる思想は、建立当時の「動物観」に立脚する。

動物観というのは人が動物をどのような存在として捉えているのかという認識のことで、人と動物の関係性によって形成されるため地域や時代によって異なる(前掲書25頁参照)。

現在知られている最後の動物の墓は1万2千年前のイスラエル、アインマラハのナッフィアン遺跡にある人に抱かれた状態で埋葬された仔犬の墓であるそうだ。ちなみに日本では縄文時代の遺跡から埋葬された犬の骨が発掘されている。

 

どの時代にどんな動物塚が見られるかを調査・検証すれば、その当時の動物観をうかがうことができるだろう。動物塚の形態や碑文の性格の変化を辿れば、動物観の歴史的変遷を描くこともできるかもしれない。それが「いきものをとむらう歴史」と言えそうだ。

 

筆者は碑を建立する動機の底にある要素として縄文時代のオソレ、弥生時代以降の古神道的ケガレ、タタリ、仏教の殺生戒にみえるツミなどを挙げた。しかし、現代ではそのような宗教的意識が希薄になり、感謝や哀惜などの感情が建立動機において比重が高くなっている。

(前掲書、47頁引用)

 

近年のペットブームを考えればわかりやすいかもしれない。

 

それから鳥インフルエンザや豚コレラなど、食用動物たちを襲う感染症がひとたび発生すれば大量の家畜が処分されてしまうわけだが、こういった動物たちの慰霊碑も建立されているらしい。

蛇足になりそうだが、先日テレビで放送されたスタジオジブリ作品「もののけ姫」を見ていて気がついた。この作品の冒頭に「動物塚」の建立を示唆する台詞が存在する。

冒頭、主人公アシタカの村を襲ったタタリ神(その正体は西国の巨大なイノシシ神、神格化動物)に向かって集落の指導的立場に立つ人物(ひい様、シャーマン)が言った言葉。

 

ひいさま「この地に塚を築きあなたのみたまをお祀りします。恨みを忘れ鎮まりたまえ」

 (この後どういう形の動物塚が築かれたのかはちょっと気になりますね笑)

 

人間と動物の関係はこれからもどんどん変わっていくだろう。

たとえば私達が飼っていたペットの死を悼んで墓標を建てる、大きな自然災害による動物の犠牲を悼んで慰霊碑を建てる、盲導犬や警察犬の慰霊碑を建てる……これらの行為を支える「動物観」が動物塚によって表現されていく……。過ぎゆく時のなかに生きた者として、何かを残すこと。動物塚によって残るのは慰霊対象の動物の存在だけではない、塚を建立した者の動物観や動物との関係性までを包み込んで後世へ伝わっていく。私がこのブログの最初のほうに書いた「シロネズミの碑」によって強く心を動かされたのは、おそらく動物の死だけではなくそれを悼んだひとびとの存在まで感じられたからだろうと思う。

 

〈旅〉の終わりに、やっと始まる―プルースト『失われた時を求めて』第七篇「見出された時」

時を失いながら、旅するように本を読む。目的地らしきものはたぶん一生見つからないのだから、これは旅というよりむしろ彷徨とか、かっこつけなくて良いなら迷子とか言った方が的確かもしれない。平成最後の夏、などと言われているこの時の中で、私はひとりマルセル・プルーストの長大な小説『失われた時を求めて』を読んでいた。そして先日、読み終えてしまった。最終篇の「見出された時」を手に取った時、小説の「語り手」は時の中に一体何を見出すのだろう? と思ったことさえすでに遠ざかってしまった。存在するもののすべてが「時の奔流」にさらされている。押し流され続けることが、生きて死ぬことなのだろうと(あるいは生じて滅することだろうと)思う。しかし、どこかにこの激流をかわせるような瞬間があるのではないか? たとえば小説の語り手が紅茶とマドレーヌで啓示を得たあの時のように。

 

マルセル・プルースト 著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて12 第七篇 見出された時Ⅰ』(集英社、2000年)

失われた時を求めて13 第七篇 見出された時Ⅱ』(集英社、2001年)

 

失われた時を求めて 12 第七篇 見出された時 1 (集英社文庫)
 

 

 

失われた時を求めて 13 第七篇 見出された時 2 (集英社文庫)
 

 

最終篇を手に取った読者は、コンブレ―の近くタンソンヴィルにあるサン=ルー邸の窓からの光景を読むことになる。コンブレ―の教会の鐘塔が遠くに見える。長い長い時を経て、どうやら再びコンブレー付近に戻って来たような感慨と共に読み進んでいくと、なつかしさよりは時の経過の惨さを感じずにはいられなくなった。

ゴンクール兄弟の日記(小説の中に登場するのはプルーストによるパスティーシュ)を読んで語り手に生じた文学への疑念、第一次世界大戦下で空襲に晒されるパリ、夏の夕暮れの空を飛ぶ飛行機、この不穏なものさえ時に美しく見えてしまう不思議。ジュピヤンの宿で快楽を貪るシャルリュス氏、それからサン=ルーの戦死の報。

たくさんの出来事が語り手周辺を流れ、そして消えていく。

 

ある日語り手のもとへ一通の招待状が届く。それはゲルマント大公邸での午後の集い(マチネー)への招待状だった。出掛けて行った語り手はゲルマント大公邸の中庭で不揃いの敷石につまずいたのを皮切りに、次々と無意識的記憶の奔流に飲み込まれ、やがてその意味を掴み上げた時に〈時〉の呪縛を振り捨ててその「外側」にいる存在を見出すのだった。

我々がいつも「日常」だと思って漫然と見ているものは「現実」ではなくて習慣のために多くの要素を落としてしまったあとに残された「あたりまえ」にすぎない。そうではなくて真に「現実」を見出すこと、見出したことを表現するのに既成の表現はやくに立たないからこそ文学の表現を追求すること、それが芸術である。人生が素晴らしいのは素晴らしい風景を見ることができたからではなくて、その風景を素晴らしいと感じる何かがあったからだ。その「何か」こそ、散歩の途中で見たサンザシや木々が語り手に囁いていたこと、またあの印象的なマルタンヴィルの鐘塔を見て語り手が得た感慨であり、紅茶とマドレーヌ、バルベックのホテルの硬いタオルやスプーンの音などから甦った無意識的記憶の奔流の中から語り手が掴み上げた一瞬の「永遠」なのだ。

 

いわゆる「仮装パーティー」と呼ばれるゲルマント大公邸での午後の集い(マチネー)の描写と、語り手のこれまでの人生の多くがサン=ルー嬢に結び付けられること、そして語り手が今こそ一冊の書物を書こうと決心したことが後半で語られる。

(これまでの人生がサン=ルー嬢に結び付けられていくというくだりで、私はこんなことを思った。よく自分に関係する人々同士が別の場所でふいに繋がるような時に「世間って狭いね」などと言うが、そう思うようになるのもまた〈時〉の作用なのかもしれない。〈時〉が人の心に作用してそう思わせる、というかその人が生きてきた時をそんなふうに意味づけて組み立て直しているというか。)

「仮装パーティー」(時が人々を〝仮装〟させたかのような、けれどもこれは仮想ではなかった)で感じさせられる時の経過はやはり酷い。語り手は一冊の本を書こうと決心したものの、そうすると今度は自分に残された時間のことが心配になる。果たして書き終えることができるのか、と。

(このあたりを読んでいると語り手がプルーストと、語り手が書こうとしている一冊の本というのが『失われた時を求めて』と重なり合ってしまう。実際に『失われた時を求めて』を完成させる前にプルーストは世を去ることになってしまった。)

まるで円環が閉じるように、スワンを送ってゆく両親の足音と、スワンが帰って行くことを告げる門の小さな鈴の音が聞こえて、この長大な「時」の小説は終わりへ近づく。第一巻ではスワンの来訪を告げていたあの鈴の音が、今度はスワンが帰っていく音として響くのだ。

 

おそらくその生活は、少しずつ、感じられないくらいに、私たちも内部で進行しているのだろう。そして私たちにとってこの生活の意味や様相を変えたさまざまの真実、私たちに道を切り開いた真実、そういった真実の発見を私たちはずっと前から準備していたのであろう。しかもそれと知らずに準備してきたのである。だからこれらの真実は、私たちにとってそれが見えるようになったその日その瞬間から、やっと始まるにすぎないのだ。

(『失われた時を求めて1 第一篇 スワン家の方へⅠ』321頁より引用)

 

 

空間の中でひとりの人間が占める場所は小さな点のようなものだが、時の中に占める場所は際限なく大きくなる、そんなことが書かれて『失われた時を求めて』は終わる。

語り手は自分の本を読む人たちについて「彼らは私の読者でなくあて、自分自身のことを読む読者」(206頁)だと語る。この本を読んで、私はこれまで六つのブログ記事を(この記事を入れて七つだ)書いてきたが、それは私だけの感慨だったのかもしれない。読んだその時の私が感じたものは再読でまた変わっていくのかもしれないし、また別の時の自分を映しだしてくれるのかもしれない。

失われた時を求めて』13巻分の私の「旅」は四か月だった。四か月の間、失われた時を求めて迷走し続けていた間に、平成最後の夏と呼ばれる時は過ぎていった。

 

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時に滲む散歩道の行き先―プルースト『失われた時を求めて』第六篇「逃げ去る女」

「だって、二重の意味でたそがれの散歩だったのですもの。」(92頁)

 

語り手とパリで同棲生活をしていたアルベルチーヌがある日、なんの前触れもなく出て行ってしまってから届いた手紙にこんな言葉があった。

二重のたそがれというのは、ふたりの関係が終わりに差し掛かっていることと、夕暮れの散歩のことをさしている。この言葉がとても印象に残っていて、一読者である私の中に、いつまでもアルベルチーヌの残像のようなものが、夕暮れの散歩道に伸びる長い影みたいになってゆれているような気がする。読了後の余韻にはいろいろあるけれど、なんとなくしんみりしてしまった。「だって、二重の意味でたそがれの読書だったのですもの。」と書きたくなる。この長い長い小説が終わりに近づいているということと、休日の夕暮れに読んでいたということで。

 

マルセル・プルースト 著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて11 第六篇 逃げ去る女(『ソドムとゴモラⅢ第二部』)』

集英社、2000年)

 

失われた時を求めて 11 第六篇 逃げ去る女 (集英社文庫)

失われた時を求めて 11 第六篇 逃げ去る女 (集英社文庫)

 

 

さて、第六篇「逃げ去る女」テクストの成立事情は中々錯綜しているようだ。というのも、第五篇「囚われの女」もそうであったように、このあたりの原稿を確定する前に作者プルーストは世を去ってしまったからである。第六篇の副題として「消えたアルベルチーヌ」というのを見たことがある、という人もいるかもしれない。この第は第六篇部分のタイプ原稿に付された題であり、それを作品の副題として採用する向きもあるようだ。訳者によると、以下の三通りの原稿が存在するらしい。

 

① 自筆ノート、標題はないが書きながら「逃げ去る女」という題を考えていたことがわかっている。

② タイプ原稿1、「消え去ったアルベルチーヌ」、生前最後の修正が加えられたもの。大幅な削除がありこのままでは最終篇「見出された時」につながらない。

③ タイプ原稿2、弟ロベールらの修正の入ったもの

 

これらをどう解釈してひとつの作品として世に出すか、ということがすでに難しい問題だ。

なお集英社版は基本的に新プレイヤード版を底本として訳出したものであるが、この第六篇だけはリーヴル・ポッシュ版(タイプ原稿1の刊行者の手になるものであるが、1954年のプレイヤード版、1986年のフラマリオン版より新しく、それ以後の資料や問題点も考慮されている)を底本としている。

このような複雑な事情からなかなか読みにくい部分もあるのも事実で、一度死んだと書かれた登場人物が再登場したり、話の途中にあとで削除しようとしていたのかもしれない文章が挿入されて本筋が寸断されたりしている部分も存在する。

 

とは言っても、魅力的な書物であることは間違いないと思う。

あらすじを簡単に書くと、パリで語り手「私」と同棲していたアルベルチーヌが出て行ってしまった。語り手はなんとか連れ戻そうとあれこれ画策するのだが、そうこうするうちにアルベルチーヌが落馬事故で死んでしまったという電報が届く。去ってしまったものは美化され、生前アルベルチーヌが使っていたものから甦る思い出や感情に語り手は苦しめられるが、「習慣」というものに流されているうちに悲しいかな、やがて語り手にとってのアルベルチーヌは「忘却」に沈んでいくのだった。それから母親と念願のヴェネツィア旅行、サン=ルーとジルベルト、オロロン嬢(ジュピヤンの姪でシャルリュスが養女にした)とカンブルメール家の息子、二組の結婚が明かされる。ここに来て、一見反対方向に見えていたコンブレ―時代のふたつの散歩道「ゲルマントの方」(サン=ルー、シャルリュスの方)と「スワン家の方(またはメゼグリーズの方)」(スワンとオデットの娘ジルベルト、カンブルメール家の方)が姻戚関係によって繋がるのである。

 

 

「もしよかったら、やっぱり一度、二人で午後早く出かけたらどうかしら。そうしたらメゼグリーズを通ってゲルマントへ行けるわ。これが一番いい道なの」

(前掲書、450頁、ジルベルトの言葉)

 

 

メゼグリーズを通ってゲルマントへ行ける……このことは語り手にとっても新鮮な驚きなのだった。コンブレ―時代には、決して相容れることのない反対方向の道だと思っていたのに。「空間と同じように、時間のなかにも目の錯覚がある。」(300頁)私はこのふたつの散歩道が合流してしまった「時」に辿り着いて、時というものが空間(地形)さえ変形させてしまったのではないかと思った。

風景は時に滲む。

時の経過のために違ったものの見方ができるようになれば、空間は違って見える。それだけでなく、その変化は「回想」にも影響を及ぼす。つまり、思い出すという行為をする「私」の立ち位置が変わることで、それまで流れた時間に位置づけられる出来事の意味合いも変わっていく。思い出の見え方も変わるのかもしれない。それが、ふたつの散歩道とそのあたりの風景を違ったものにしてしまった。

 

 

またしばしば語り手にとって、ゲルマントの方とは芸術に結びつく方向であり、反対のスワン家の方(メゼグリーズの方)は欲望(快楽)や恋愛と結びつく方向であったことにも注目しておきたい。芸術に接近することを志向し続ける語り手であるが、その思いからしばしば逸れた時間を過ごしてしまう。数々の煌びやかな誘惑(豪勢な晩餐会や友人たちとの会話、それに恋愛)がじっとものを考える語り手の時間を奪っていく。多くの時が失われていく……。けれどこの失われた時さえ単に無駄なものではないのかもしれない。何故ならここで、芸術と快楽が結びついてしまったのだから。作家を志す語り手「私」がどんな結末を迎えるのかはまだわからない。ただ一読者として私が思うのは(私はプルーストという作家を知っているがために)「失われた時」があってはじめて書くことができるものがあるはずなのだ。そう考えれば語り手「私」がここまで過ごしてきた時間というものは、何らかのかたちで、語り手の芸術観をかたちづくるものになるのではないだろうか。

 

最後に語り手が母親と訪れたヴェネツィアの風景描写から、私が特に気に入ったものを引用しておきたい。ヴェネツィアでは、物の影が落ちるのは褐色の地面ではなくて水の青さの上であり、影がその青をいっそう濃くするのだと言ったような表現もあって「水の都」それらしさをいっそう引き立てているように思われる。

 

 

また運河の横断している庭は、戸惑う木の葉や果実を水のなかに漂わせ、また家の水ぎわでは乱暴に切り出された砂岩があわてて鋸で挽いたようにまだざらざらしており、そこに腰かけた腕白小僧たちがゴンドラの通るのに驚き、バランスをとりながらその足をまっすぐ垂らしてぶらぶらしているさまは、開閉橋の両側半分が今しも左右に分かれて海水を導き入れたときにその橋の上にすわっている水夫たちを思わせた。

(前掲書、357-358頁より引用)

 
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