Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

動物塚が抱くもの―依田賢太郎『いきものをとむらう歴史 供養・慰霊の動物塚を巡る』

――シロネズミのあの赤い目の色を抱く

東京都文京区本駒込、吉祥寺に癌の研究で世界的に著名な吉田富三博士の墓がある。その右横にある小さな石碑の碑文に上に引用した言葉がある。

今回紹介する『いきものをとむらう歴史 供養・慰霊の動物塚を巡る』という本に碑文の全文が引用されている。心がふるえた。この碑は「シロネズミの碑」というもので、医学研究の動物実験のために命を落とした数多くの生き物を悼んで、昭和四十八年に建立されたものであるそうだ。

※参考→シロネズミの碑(外部サイトへ)↓↓

http://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohaka2/50jikken/53kanto/sironezu.html

 

このように、われわれ人間の歴史にはたくさんの動物との関係がある。そして当然関わってきた動物の死がある。そういうものと向き合った時に先人たちは何を感じてどう考えてきたのか、それを今に伝えるものの一つとして本書に紹介されているのが「動物塚」というものである。

 

依田賢太郎 著『いきものをとむらう歴史 供養・慰霊の動物塚を巡る』(社会評論社、2018年)

 

 

いきものをとむらう歴史 -供養・慰霊の動物塚を巡る-

いきものをとむらう歴史 -供養・慰霊の動物塚を巡る-

 

 

筆者の定義では動物の遺体を埋葬した「墓」と、生を絶たれた動物を慰霊または供養するために碑だけを建てた動物慰霊碑(供養碑)を合わせたものを「動物塚」と総称する。

筆者は全国各地に存在する動物塚500基を調査。建立時期は奈良時代以前のものから近代以降(ごく最近建てられたものもある)までさまざまだ。対象とされる動物も多岐にわたっており、最も多いのは馬だそうだが、鯉・鰻・鮭といった魚類や、蜂・蟻・蝗といった虫のための供養碑なども存在するらしい。産業との関わりで私が特に関心をもったのは蚕だった。

 

動物塚建立の背景となる思想は、建立当時の「動物観」に立脚する。

動物観というのは人が動物をどのような存在として捉えているのかという認識のことで、人と動物の関係性によって形成されるため地域や時代によって異なる(前掲書25頁参照)。

現在知られている最後の動物の墓は1万2千年前のイスラエル、アインマラハのナッフィアン遺跡にある人に抱かれた状態で埋葬された仔犬の墓であるそうだ。ちなみに日本では縄文時代の遺跡から埋葬された犬の骨が発掘されている。

 

どの時代にどんな動物塚が見られるかを調査・検証すれば、その当時の動物観をうかがうことができるだろう。動物塚の形態や碑文の性格の変化を辿れば、動物観の歴史的変遷を描くこともできるかもしれない。それが「いきものをとむらう歴史」と言えそうだ。

 

筆者は碑を建立する動機の底にある要素として縄文時代のオソレ、弥生時代以降の古神道的ケガレ、タタリ、仏教の殺生戒にみえるツミなどを挙げた。しかし、現代ではそのような宗教的意識が希薄になり、感謝や哀惜などの感情が建立動機において比重が高くなっている。

(前掲書、47頁引用)

 

近年のペットブームを考えればわかりやすいかもしれない。

 

それから鳥インフルエンザや豚コレラなど、食用動物たちを襲う感染症がひとたび発生すれば大量の家畜が処分されてしまうわけだが、こういった動物たちの慰霊碑も建立されているらしい。

蛇足になりそうだが、先日テレビで放送されたスタジオジブリ作品「もののけ姫」を見ていて気がついた。この作品の冒頭に「動物塚」の建立を示唆する台詞が存在する。

冒頭、主人公アシタカの村を襲ったタタリ神(その正体は西国の巨大なイノシシ神、神格化動物)に向かって集落の指導的立場に立つ人物(ひい様、シャーマン)が言った言葉。

 

ひいさま「この地に塚を築きあなたのみたまをお祀りします。恨みを忘れ鎮まりたまえ」

 (この後どういう形の動物塚が築かれたのかはちょっと気になりますね笑)

 

人間と動物の関係はこれからもどんどん変わっていくだろう。

たとえば私達が飼っていたペットの死を悼んで墓標を建てる、大きな自然災害による動物の犠牲を悼んで慰霊碑を建てる、盲導犬や警察犬の慰霊碑を建てる……これらの行為を支える「動物観」が動物塚によって表現されていく……。過ぎゆく時のなかに生きた者として、何かを残すこと。動物塚によって残るのは慰霊対象の動物の存在だけではない、塚を建立した者の動物観や動物との関係性までを包み込んで後世へ伝わっていく。私がこのブログの最初のほうに書いた「シロネズミの碑」によって強く心を動かされたのは、おそらく動物の死だけではなくそれを悼んだひとびとの存在まで感じられたからだろうと思う。