言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

自分で自分をなげるように―エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』

この社会に生きていると、嫌な思いをすることが多々ある。困難が降りかかってくることもしょっちゅうだ。そういう諸々の面倒事を、こんなふうにさらっとかわして生きていけたら、どんなに幸せなことだろう、と思ってしまう。

 

彼らと争ってみても全然歯が立たないことは火をみるより明らかだったので、わたしは三十六計逃げるにしかずとばかりに、命からがら一目散に逃げ出した。だが、ものの三百ヤードもいかないうちに、わたしは、彼らにとっ捕まってしまい、まわりをグルッととりかこまれ、袋のネズミ同然だった。そこで彼らがわたしに何か手を出す前に、わたしは自分を、さっさと、平たい小石に姿を変えてしまい、自分で自分を投げながら、故郷への道を急いだ。

エイモス・チュツオーラ作、土屋哲 訳『やし酒飲み』岩波文庫2012、160頁-161頁より引用)

 

と、こんなふうに書き出したブログの記事であるが、別に「生き方」について自分の考えをとやかく言うつもりはない。

今回はわたしがはじめて読んだアフリカ文学の小説作品、エイモス・チュツオーラの『やし酒飲み』の感想を書きたいと思う。

 

やし酒飲み (岩波文庫)

やし酒飲み (岩波文庫)

 

 

エイモス・チュツオーラ(1920-1997)はナイジェリアの小説家。今回読んだ『やし酒飲み』が代表作で、wikipediaによれば「ヨルバ人の伝承に基づいた、アフリカ的マジックリアリズムと言われる著作で知られ」ているそうだ。岩波文庫版にも収録されている訳者の解説によると鍛冶屋をしていたこともあるという。同解説にハロルド・R・コリンズの指摘が引用されていた。それによると、「チュツオーラは、鉄を鍛える仕事が大いに気に入り、金属を曲げたり、型どったりすることに、一種の芸術的喜びを感じていた」とのこと。訳者は「農業中心のアフリカ社会では、鍛冶屋は、生活と芸術が一体化した職業であり、同時にヨーロッパの錬金術的な魅力をもった職業だといえる」と書いている。

先に引用した『やし酒飲み』の一節は私がとても気に入った部分なのだが、「自分で自分を投げながら」逃げるなんて、日本にいるとなかなかできない表現だと思う。とても楽しい。外国文学を読んでいると日本の、日本人の道徳観やら倫理観から自由になれると感じる瞬間がある(逆に、今回はじめて読んだこの作品に現れるアフリカ的な感覚は、解説を読むまでまったくわからなかった。たとえば森林(ブッシュ)への恐怖とそこからの価値基準の転換、アフリカ人の行動倫理の主体性についてや、縄張りの意識など。詳しくはこの本の解説に書かれている)。

『やし酒飲み』には対人関係のしがらみのようなものがほとんどない(語り手「わたし」とその妻の間に少し見られるが、物語のメインではない)。主人公が旅に出るのは自分の死んだ父親に会いに行くためではなく、父が生前主人公のために雇ってくれたやし酒造りの名人を「死の町」から連れ戻すためなのだ。しかも、連れ戻したい理由はあくまで主人公の側にあり(欲望)、やし酒造りの名人が死んでかわいそうだ、といった他者への眼差し(同情)は皆無である。やし酒造りの名人が死んでいるのを知った主人公はこんな感じだ。

 

彼(やし酒造りの名人)がそこに死んでいるのを見てまずわたしが最初にしたことは、もよりのやしの木に登り、自分でやし酒を採集し、現場に戻るまえにやし酒を心ゆくまで飲む事だった。それから、やし園までついてきてくれた友だちの助けをかりて、やし酒造りが倒れていたやしの木の根っこに穴を掘って、彼を埋めてお墓をつくり、それからわたしたちは町へ帰った。

(前掲書、8頁-9ページ)

 

主人公である「わたし」は物語の冒頭によると、「十になった子供の頃から、やし酒飲みだった」らしい。「やし酒飲み」として一貫した態度で事件に臨む。多和田葉子はこのことについて解説「異質な言語の面白さ――飢餓と陶酔の狭間で」において、「『わたしは、やし酒を飲む人間である』というのは随分ラディカルなアイデンティティーの提示だと思う。」(前掲書227頁)と述べている。

この小説の登場人物たちの多くは自分自身に忠実で、やりたいことをやりたいままにやっている、と感じた。旅人を助ける白い木の「誠実な母」は親切であるが、それに対してくどくどした感情は書かれない。ただ親切にしてくれた、という事実だけが残されている。他者との関係性というものに対して、とてもドライな作品だ。この関係性のしがらみのなさ(=自由さ)に、私は日本の社会生活にはない気楽さを感じた。

しかし、一切の関係性が存在しないというわけではない。この作品の登場人物同士には奇妙な貸借関係が成立することがある。たとえば「完全な紳士」の物語。この紳士は身体のあちこちのパーツを方々から借りることで完全な紳士となっている(本当は一個の頭蓋骨でしかない)。借りたということは当然返す描写がある。「左足を借りた所へやってきた時、彼は左足を引っこ抜いて、所有主に渡し、借り賃を払い」という具合だ。

それから「死の町」を目指す「わたし」とその妻は旅の途中で「死を売り渡し(お値段七十ポンド十八シリング六ペニー)」たり、一ヵ月三ポンド十シリングの金利で「わたしたちの恐怖を貸与」したりする。「死」や「恐怖」というものさえ売ったり、貸したりすることができてしまうらしい……(しかも金額の設定がやけに具体的である。作品冒頭ではタカラ貝だけが貨幣として通用していた時代もあったことがうかがえるのだが……)。

ちなみに「恐怖」は借主から取り戻すことができたのだが、売り払った「死」は結局買い戻すことができないまま物語は進行する(つまりここから先の部分は恐怖を感じても死ぬことはない、ということになる)。

この「死なない」ということが主人公の自信の根拠になっている。

前半部分では「わたし」は自分が「この世のことはなんでもできる神々の<父>」であると語っている。そしてそのことが自信や勇気の源泉・行動の原動力になっていた。さらに後半では、「わたし」は「不死身」の属性を手にし、それ故に直面する危機に真正面から臨んでいくことになる。解説で説明されるアフリカ人の「モラル」、言い換えると「恐怖」に対する人間の主体性の誇示というのはこのあたりに見られるアフリカの自信、気概のことなのだろう。

「ですます調」と「である調」が入り混じった奇妙な訳文に読み始めたばかりの頃は違和感ばかり抱いていたが、それにも次第に慣れてきて、しまいにはすっかり語り手たちの旅路に寄り添いたい気持ちになっていた。文化も歴史も違う国、感覚も私達とはずれている国の小説は、時に読み手を現実社会のしがらみから解放してくれる。

私は自分で自分をなげるような自由を感じつつ、『やし酒飲み』の文字の上をわたっていた。

人は語り、そして生きる―奥野修司「死者と生きる―被災地の霊体験」

今朝、午前六時二分、気象庁は東北地方太平洋沿岸に津波警報・注意報を発表した。同5時59分頃福島県沖で発生したマグニチュード7.3、最大震度5弱地震の影響だ。

ちょうどこの時私は月刊新潮に三回にわたって掲載された奥野修司「死者と生きる―被災地の霊体験」というルポルタージュを読み返していたところだった。雑誌から顔をあげて、息抜きするくらいのつもりでスマホのニュースをみると、津波警報・注意報の文字。本当に偶然だったのだが、そんな偶然にさえ物語を与えたくなるのが人間なのだろうと思う。

この「死者と生きる―被災地の霊体験」というルポには、著者が東日本大震災の被災地に実際に出向き、津波で大切な存在を失くした人々に取材した貴重な証言が記録されている。著者は「人は物語を生きる動物である」ということを強調していた。

 

人は物語を生きる動物である。そのことはこの旅を終えてあらためて確信した。最愛の人を失ったとき、遺された人の悲しみを癒すのは、その人にとって「納得できる物語」である。納得できる物語が創れたときに、遺された人ははじめて生きる力を得る。不思議な物語はそのきっかけにすぎない。亡くなったあの人と再会することで、断ち切られた物語は、生者によってあらたな物語として紡ぎ直される。その物語は他者に語ることで初めて完璧なものになるのだろう。

(連載第1回、新潮4月号掲載、195頁より引用)

 

タイトルにあるように著者は津波によって大切な存在を失った人々が感じた「霊体験」を集めて紹介している。取材を始めた当初は「霊体験」というよりは「幽霊体験」といったほうが良く、不思議な体験というよりは恐怖体験と言った方が適切だと思われるような話が多かったそうだ。それが、取材を重ねていくうちに恐怖よりももっと近しい感覚を纏った「霊体験」が集まってくるようになったらしい。

それぞれ個別の体験については全三回に分けて掲載された「死者と生きる―被災地の霊体験」をご覧いただければと思うが、証言の大まかな筋を要約すれば(本当は要約なんかしては意味がないのだが。何せ、人々が個別にそれぞれもつ「物語」こそ、被災者それぞれの生きる力になったのだから。)こんな具合になる。

津波によって大切な人を失くした人々は落ち込んだり、途方にくれたり、あの時どうして助けてあげられなかったのか? と言った堂々巡りの自責の念に駆られてしまったりしていた。そんな時、ふと不思議な体験をするのである。亡くなった人が夢に現れたり、亡くなった人が、あたかも目の前の風景、そこに「いる」かのような現象が起こったり……。届くはずのない死者からのメール、そして電話……。このような不思議な出来事は、しかし恐怖体験ではなかった。証言をする生き残った人々は不思議な体験をしたその時に「死者と再会」していたのだ。生と死の境界が消え去るように、日常の中に死者の存在が滲む。そうしてその再会から、死というものが決して遠くに隔たった別個の存在ではないと確信した時、人は生きる力を得る。

 

著者がこのルポを書いた意図を第三回(新潮10月号掲載)で明確に書き記している。「津波で逝った大切なあの人と、共に生きようとしている人の物語を記録することだった。」(引用)と。不思議な体験のひとつひとつが丁寧に拾いあげられ書き記されている。もし、筆者が聞かず、書かなかったとしたら、被災者の死とともに消え去ってしまっていただろういくつもの「物語」が大切におさめられていて、このルポルタージュは私にとって、一読した時から忘れられないものになっていた。

被災者の中には自身の不思議な体験を東北地方に残る山岳信仰(葉山信仰)と重ねた人がいた。また、オガミサマという沖縄のユタや恐山のイタコに似た「口寄せ」や「仏降ろし」を職業とする霊媒師の存在についても触れられている。いにしえの日本人が死を「逝く」と表現したことや、「ご先祖様に申し訳ない」という倫理観についても触れられており、それらの記述から、日本人の集合的無意識としてある「あの世」とのつながりというものに焦点があてられる。「あの世」がどこか「お隣さん」のような存在として実感される経験というものは確かに存在すると思う。

 

かつて日本には生者と死者は共に生きるという感覚があったように思う。いわば死者と生者の共同体である。それがまだ東北に残っているのかもしれない。亡くなった人との再会は、大切な人を死なせて後悔している生者が、あの世の死者と和解する場であり、死者とともに生きていることの証でもある。だからそれがどんなかたちであっても、大切な人との再会を祝福してあげたいと思う。そのとき生者は、死者と共に自ら新たな物語を紡ぎだせるはずだから。

(第1回、新潮4月号掲載194頁より引用)

 

亡くなった人に「再会する」なんて、そんな話はそう簡単にしゃべれなかった、そんな風に証言した人もいた。自分のかけがえのない「再会」についていくら熱を込めて他人に話しても「作り話」だと言われてしまう。そのことが悔しく、またそのせいで傷つくこともあるだろう。現代日本においては「あの世」という非科学的な存在自体が「うさんくさい」と片付けられてしまいかねない。だがこういった合理主義を越えた話を聞いてもらうことが、遺された人々にとって重要なグリーフケアになり得るのだ。物語にとって信憑性などどうでもいい、ただそれを経験したひとがいて、それを語ってくれるひとがいて、その物語を記録したひとがいた。そんなことに目頭があつくなる連載だった。

 

人間は本来、合理性と非合理性のバランスの中で生きてきたはずである。無理に合理的に解釈しようとするから、不思議な体験をした人たちは幻覚かせん妄を見たことにされてしまうのだ。僕は、オガミサマを信じる文化が残っていることをうらやましく思う。

(第1回、185頁より引用)

 

筆者は不思議な体験をした方とは最低でも三回は会うことにしていたそうだ。この理由として筆者は「人は物語を生きる動物であると書いたが、その物語がどう変化するかを確かめたかったからだ」と書いている。実際に半数の方の話に微妙な変化があった。話し始めた時は漠然と「にこっと笑った顔」が見えたような気がするという言い方をしていたものが、三回目に会ったときは「見た瞬間に(亡くなった)お父さんだとわかった」という言い方に変わっていた。変化したからと言ってはじめの話も、後の話もどちらも事実であることには変わりない。

 

「人は物語を生きる動物だが、その物語はけっして不変ではない。常に自分が納得できる物語に創り直されているのだ。創り直すことで、遺された者は大切なあの人と今を生き直しているのである。」

(第2回、新潮9月号掲載200頁より引用)

 

さて、このブログの管理人である私の携帯電話にも悲しい番号がいくつも残されている。震災以後、繋がらなくなってしまった電話番号や繋がらないことがわかってしまって確かめることさえしなかった電話番号、そんな「今はもう使われていない数字の羅列」がいくつもある。この番号たちをアドレス帳から削除せずに、そのまま残しておく私は意味のない数字の羅列に何か意味(物語)を与えようとしているのかもしれず、それは墓碑のような「死の印」であると同時に、かつてその番号の背後に確かにいたあの人たちの顔「生の印」を忘れないように刻み付けておくためのもののようである。

今朝、奥野さんの文章を読み直している最中に地震津波が起こったという偶然にもひそかに何か、意味を与えたいのかもしれない。

最後に、「死者と生きる―被災地の霊体験」の第3回(新潮10月号掲載)で紹介されていた東北大学災害科学国際研究所の川島秀一教授の言葉を引用しておこうと思う。

 

気仙沼駅を降りて、海側へ少し歩くと市役所が見えてきます。江戸期に入るとそのあたりから埋立てられていき、町が形成されました。おそらく今回の津波でやられたところは埋立てられた土地だったと思います。もともとこのあたりはリアス式の土地ですから、平地なんてなかったはずです。自然を改造しても、海は必ず取り戻しに来るということを覚悟したほうがいいですね」

(第3回新潮10月号掲載176頁より引用)

 

奥野修司「死者と生きる―被災地の霊体験」

(第1回新潮2016年4月号、第2回新潮2016年9月号、第3回新潮2016年10月号、掲載)

 

2017年9月30日追記。

単行本化されていたようです。

 

魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─

魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─

 

 

名づけられた様々な魔法に放り込まれた遍歴の騎士―セルバンテス『ドン・キホーテ』後篇感想④

今回の更新で『ドン・キホーテ』後篇に関する一連の更新は終りになります。前篇も合わせれば随分とこの機知に富んだ郷士に振り回されていたような(汗)

 

ドン・キホーテ〈後篇1〉 (岩波文庫)

ドン・キホーテ〈後篇1〉 (岩波文庫)

 

セルバンテス 著、牛島信明 訳『ドン・キホーテ』後篇 岩波文庫、2001年

 

彼の死を見とどけた司祭は公証人に、世間でドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと呼びならわされていた善人アロンソ・キハーノは、天寿をまっとうしてみまかったということを、書きつけにして証明してもらいたい、と頼んだ。シデ・ハメーテ・ベネンヘーリ以外の作者が不届きにもドン・キホーテをよみがえらせ、彼の武勇伝を果てしなく書き続ける可能性を排除したいからだ、というのがその理由であった。

(前掲書、74章412頁)

 

こんなことが後篇の最後のほうに書かれているのだけれど、それというのもセルバンテスが存命中にでさえ、『ドン・キホーテ』続篇という贋作が世に出回ったからだ(この贋作の存在も後篇の物語の中に取り込まれている)。それだけでなく、この古典はその後の近代小説の成立発展に大きく寄与し、ことあるごとに見直され論じられてきた作品でもある。私がそもそも『ドン・キホーテ』を読もうと思ったのは自分の好きなラテンアメリカ文学の作家たちがみんな、多かれ少なかれ影響を受けているらしいことを知ったからだった。ホルヘ・ルイス・ボルヘスの作品に「ドン・キホーテの作者、ピエール・メナール」という短篇がある(『伝奇集』収録)が、この作品は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』を一字一句変えずに現代世界でもう一度書くというのはどういうことになるのか? まるで批評のように書かれた作品である。全く同じテクストが、背景となる時代や文化の違いによってどのように変質するのか、書くこと読むことがどういうことなのか、を書いた変な作品である。カルロス・フエンテスセルバンテスまたは読みの批判』も読むことや書くことについて、背景となる時代や文化と合わせて考えることで再検討を加えている(セルバンテス論の白眉とも評されるこの書物は、我々読者に「ドン・キホーテ」の読みの可能性を提示している)。

 

前置きがとても長くなってしまったが、それだけこの作品が後の時代に与えた影響は多く、今でも多くの人を「読む・書く」という営みの中へ引きずり込んでいるのではないだろうか。今回は以下の二点について書いていきたい。

・名づける、ということで作り上げられる世界の枠組み

・『ドン・キホーテ』にみられる魔法のしくみとその性質

 

 

■名づける、ということで作り上げられる世界の枠組み

 

ドン・キホーテは名づけるのが大好きだ。なぜなら「名づけ」という行為によって彼の大好きな物語がはじめて駆動するからである。前篇において、冒険の旅に出る前に彼は遍歴の騎士としての自分の名前、愛馬の名前、そして思い姫の名前をつけた。この名づけによって冒険(物語)が始まるが、後篇にも何度か「名づけ」のシーンがあるので紹介したい。

後篇の旅でドン・キホーテと従者サンチョ・パンサは、とある公爵夫妻の城(前篇であれほどドン・キホーテが執着をみせた本物の城である)に辿り着く。この公爵夫妻は『ドン・キホーテ前篇』の読者であり、ドン・キホーテの存在を知っていた。知っていたからこそ、城に招待し、歓待した。何故ならドン・キホーテを愚弄して楽しもうと思っていたからだ。公爵夫妻は様々な芝居を用意し、ドン・キホーテを騙していくのだが、そのひとつに「木馬クラビレーニョの冒険」がある。≪快速(アリヘロ)≫クラビレーニョとは、木材(レーニョ)でできていて額に大きな栓(クラビーハ)をつけており、しかも脚の速い(リヘーロ)ことを示しているもので、名前と実体がぴったり、「名前に関しては音に聞こえるロシナンテと十分に肩を並べることができる」(40章253-254頁)というもの。なにかといえば、公爵夫妻の悪ふざけのひとつで、ドン・キホーテを騙すために用意された木馬なのだが、この木馬は魔法の力によって空を飛び、少しも揺れることなくものすごいスピードで目的地へ辿り着くことができるという……(勿論、公爵夫妻の嘘である、本当にただの木馬)。これにまたがって目隠しをされたドン・キホーテとサンチョがしていた(と信じた)冒険が「木馬クラビレーニョの冒険」の物語である。この部分にも「クラビレーニョ」に関して立派に名づけがされてから冒険物語が始められている(ちなみに名づけたのは嘘をでっちあげた公爵夫妻だろう)。参考までに前篇第一巻よりロシナンテの名づけについて書かれた部分を引用しておこう。

 

かくして記憶をたどり、想像をはたらかせて、数多くの名前をこしらえたり、消したり、削ったり、付け足したり、こわしたり、またでっちあげたりしたあげく、ついにロシナンテと呼ぶことにした。彼の見るところでは、崇高にして響きの高いこの名はまた、この馬が以前(アンテス)は駄馬(ロシン)であったことを示すと同時に、現在は世にありとある駄馬(ロシン)の最高位にある逸物(アンテス)であることをも表しているのであった。

(『ドン・キホーテ』前篇1章、岩波文庫版51頁より引用)

 

この他にも後篇には名づけに関して面白いエピソードがある。銀月の騎士との決闘に敗れたドン・キホーテは遍歴の旅をしばらくやめることを決意するのだが、その間代りにやりたいと思ったことが牧人生活である。それをはじめるにあたってもドン・キホーテはちゃんと新しい名前を用意していた。≪牧人キホーティス≫(ドン・キホーテ)、≪牧人パンシーノ≫(サンチョ)、≪牧人サンソニーノ≫または≪牧人カラスコン≫(サンソン・カラスコ)、≪牧人ニクローソ≫(床屋のニコラス)、≪牧人クリアンブロ≫(司祭)などである。結局、牧人生活を始める前にドン・キホーテが死の床につくため、この名づけから物語がはじまることはなかったが、やはり物語に先行して名づけということが重要であったらしい、と思えてくる。

そういえば、現代日本の我々だって、子供の名づけを始めとして何かと名づけには慎重である。小説書きはじめの人によくあるのが「名前だけつけて満足する」パターンかもしれない。やはり物語に先行して名づけるという行為があるらしい。名前というものが世界観を規定する装置として機能し、また名づけという行為が物語の始まりの合図なのかもしれない。

 

 

■『ドン・キホーテ』にみられる魔法のしくみとその性質

 

前篇と後篇で、魔法の性質が異なっている。前篇の魔法の源泉は常にドン・キホーテの頭の中(つまり、ドン・キホーテの読書体験)にあった。彼の頭の中に端を発する(?)「魔法」に周囲が巻き込まれていくのが前篇だった。しかし後篇では、ドン・キホーテ自身が魔法の主導権を握ることはない。終始、周囲によって作り上げられた「魔法」の中をドン・キホーテは困惑しながら進むことになるのだ。最も多くの装置を用意し、周到にドン・キホーテを「魔法」に封じ込めたのが前述の公爵夫妻だ。「木馬クラビレーニョの冒険」の他にもドン・キホーテ主従は多くの「魔法」の中に放り込まれる。

しかし後篇において、一番はじめにドン・キホーテを後篇の「魔法」のロジックに落とし込んだのは従者のサンチョであった。

思い姫、ドゥルシネーアに会いにきたドン・キホーテの目の前には田舎娘の姿しかない。確かにドン・キホーテの目には「驢馬に乗った三人の百姓女」しか見えないのだが(そしてそれが間違いなく現実なのだが)サンチョがこう言う。

 

「まっ昼間の太陽みたいにきらきら輝きながら、そこにおいでなすった方々が姫たちだってことが分からねえとは、ひょっとしたら、お前様の目はぼんのくぼにでもくっついているのかね?」

(10章、164頁より引用)

 

ドン・キホーテにドゥシネーア姫への使いを頼まれたけれど、そんな姫が村にいるはずのないことを知っていたサンチョが苦し紛れについた嘘だ。田舎娘を「美しい姫だ」と言ってしまったのだ。しかしどう足掻いても、ドン・キホーテには田舎娘しか見えない(後篇の彼の目はわりと正しい、前篇では城に見えていた旅籠も、後篇ではちゃんと旅籠に見えている)。結局のところ、ドン・キホーテに敵対する魔法使いが、ドゥルシネーアの姿を醜い百姓娘に変えてしまった、しかしそんな悪い魔法によってドゥルシネーアの美しさを享受できないのは最も姫を想っているドン・キホーテだけなのだという解釈が生まれた。

 

まんまと悪ふざけに成功したサンチョは、ものの見事にだまされた主人のたわごとを聞いて、こみあげてくる笑いをかみ殺すのに一苦労だった。

(10章172頁-173頁)

 

はじめは自分こそがドン・キホーテを魔法にかけた(騙した)ことをはっきり理解していたサンチョであったが、公爵夫妻によってさらに嘘を上塗りされ(騙され)、本当に魔法によってドゥルシネーア姫の美しい容姿が損なわれたと信じてしまうようになる。

 

「さっきのドゥルシネーア姫の魔法の一件に話を戻しますけど、サンチョさんが御主人を愚弄して、百姓娘をドゥルシネーアだと思いこませた、つまり、御主人に姫の姿が見えなかったのは姫が魔法にかかっているせいだと思いこませたと、あなたが想像していらっしゃるあの件は、実はすべて、ドン・キホーテ様を迫害する魔法使いのうちの誰かの仕業であるってことを、わたくしは確認済みの間違いない事実だと思っているのよ。というのも、わたくしはたしかな筋から真実この上ない情報によって、驢馬の背に跳びのった田舎娘こそドゥルシネーア・デル・トボーソであったし、今でもそうであること、そして好漢サンチョは自分では騙したつもりでいても、実は騙されているのだということを知っているからです。」

(33章165頁、公爵夫人の台詞抜粋)

 

やがて姫にかけられた「魔法」を解くための条件に、サンチョが自分の意思で自分自身に三千と三百回の鞭打ちをすることが定められる。もちろん、この魔法解きも公爵夫妻によって作られた「魔法」(つまり嘘)のうちに含まれるのだが……。

 

自分の読書経験に裏打ちされていた「物語」を動き回っていたドン・キホーテが後篇になると(そして後篇のほうが本物の城や冒険にあふれている)影をひそめてしまう。読まれる存在となったドン・キホーテは単に自分が読んだ多くの騎士道物語を生きることができなくなってしまったのだった。何が本当の冒険で、何が嘘なのか、モンテシーノスの洞窟の冒険でもそうであったが、ドン・キホーテは前篇ほどに「物語」を信じることができなくなっている。

なぜ、ドストエフスキーが『ドン・キホーテ』を「最も悲しい物語」と評したのかはわからないままだが、案外こういう自由を奪われたドン・キホーテに悲しさを感じたのかもしれない、と読む者の特権として勝手に思っておこう。

 

ずいぶんと長くなってしまったが、これにて『ドン・キホーテ』前篇・後篇の感想更新はすべて終り! 2016年、この本を読んで本当に良かったと思う。

 

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演じるということ―「ドン・キホーテ」に含まれる素朴な芝居観について/セルバンテス『ドン・キホーテ』後篇感想③

ドン・キホーテ』後篇についての記事がこれで3本目になる。今回は基本的なことだけれど、『ドン・キホーテ』という作品全体に含まれるごく素朴な芝居観について書いてみたい。引用頁などは岩波文庫版の『ドン・キホーテ』後篇に拠る。

セルバンテス作、牛島信明 訳『ドン・キホーテ』後篇(岩波文庫、2001年)

 

ドン・キホーテ〈後篇3〉 (岩波文庫)

ドン・キホーテ〈後篇3〉 (岩波文庫)

 

 

「舞台の上と同じことが、この世の実生活においても起こっているのじゃ。現実の世界でも、ある者は皇帝を演じ、またある者は教皇になっている。要するに、舞台に登場させることのできるあらゆる役柄、あらゆる人物が、この世で演じられているのよ。そして終末が来ると、つまり人の命が終ると、それまで各人を区別していた衣装が死によって剝ぎ取られ、人はみな墓のなかで平等になるのよ。」

(前掲書、12章191頁、ドン・キホーテの台詞より引用)

 

 

そしてこう語る人物が、こんなに冷静に語る人物自身が、遍歴の騎士を演じていることに気がついていないという……たぶんこういう所にドン・キホーテの狂気がひそんでいる。

ドン・キホーテは旅の途中、『死の宮廷』という聖体神秘劇の上演をしている一座に巡り会った。その出来事と、そこから派生したドン・キホーテ主従の会話の部分において、ドン・キホーテは自身の素朴な演劇観念を吐露している。一座が通りかかった時、ドン・キホーテは「大冒険の到来」と思ったのだが、しかしそれがそれぞれの役柄に扮装した役者たちであることに気がついた。どうやらドン・キホーテは幼いころから仮面劇が大好きで、若い頃には役者稼業にも憧れた(11章、180頁)らしい。だけれど、自分が今遍歴の騎士(愁い顔の騎士、後篇の途中からライオンの騎士、とふたつ名を改めている)を「演じて」おり、それを読者が滑稽に思いながら読んでいるということには気がついていない。

思えば、嘘に嘘を塗り固めていくような物語の構造を持つこの作品では、多くの登場人物たちが、ありのままの自分とは全く異なる自分を演じている。たとえば、前篇に登場したミコミコーナ姫は「演じている」という自覚を持ってミコミコン王国(架空)の姫を演じ、ドン・キホーテを騙しているし、後篇に出てくるドン・キホーテと一騎打ちをすることになる騎士≪鏡の騎士≫や≪銀月の騎士≫(実はどちらも同一人物で、ドン・キホーテの暮らしていた村に住む学士サンソン・カラスコである)も、ドン・キホーテを村に連れ帰るための策略として、恋患いの遍歴の騎士を演じて見せている。

この長い物語にとって、出来事が事実であるかどうか、は実はあんまり重要ではない。後篇ではそのことを積極的に描いており、例えばモンテシーノスの洞窟の冒険が夢なのか現実なのか、冒険をした当の本人にもはっきりしていない。この冒険についてドン・キホーテは「信じてもらいたい」というような言い方しかできなくなっている。「信じる」という行為は価値判断の保留だ。それが正しいか正しくないか、または現実の出来事なのか妄想の産物でしかないのかといった価値判断はいったんわきへよけておかれる。

 

「でも、役者の皇帝たちがかぶっている王冠や持っている笏などは」と、サンチョ・パンサが言い返した、「決して純金じゃねえ、真鍮やブリキの安ぴか物と相場が決まってますよ。」

「なるほどそのとおりじゃ」と、ドン・キホーテが応じた。「それというのも、舞台の衣装や道具が本物であるのは決して望ましいことではなく、むしろ芝居そのものがそうであるように、まがい物であり模造品であるべきだからな。」

(前掲書、12章190頁より引用)

 

その「まがい物」であるはずの芝居が現実をよく映す、という素朴な芝居観念をドン・キホーテは持っている。『ドン・キホーテ』はフィクションであり、そこに描かれるものはすべてが「まがい物」である。ドン・キホーテという登場人物の造形にいたっては、彼が生きる「現実」に「自らが読んだ騎士道小説の世界」というフィクション(まがい物)を再現しようとするところに成り立っている。騎士道小説の「模造品」とも言える主人公が、上に引用したようなことをさらりと口に出してしまうことによって騎士道小説そのものを批評してみせる(つまり騎士道小説がまがい物であり、模造品であると認めているようにも読めてしまう、と、同時にそのまがい物が現実世界をよく映すこともありうるということになる)。

ドン・キホーテ』の物語の結末は、ドン・キホーテのごく平凡な臨終だ。死によって衣装を剝ぎとられた役者、ドン・キホーテは、善良な郷士アロンソ・キハーノに戻って騎士道小説を罵りながら、劇の終幕を告げている。

 

ちなみに、ドン・キホーテを村へ連れ戻そうと≪銀月の騎士≫を演じ、一騎打ちでドン・キホーテを打ち破った学士サンソン・カラスコにむかってこんな言葉が向けられる。

 

「ああ、学士さん」と、ドン・アントニオが言った、「この世に二人といないあんなに愉快な狂人を正気に戻そうとして、あなたが世間の人びとにかけた損害を神様がお赦しになりますように! ドン・キホーテが正気になって世にもたらすであろう利益なんぞ、彼の狂気沙汰がわれわれに与える喜びに比べたら物の数ではないってことが、あなたにはお分かりにならないんですか?」

(前掲書、65章287頁)

 

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本を読むこと、本で読まれること―セルバンテス『ドン・キホーテ』後篇感想②

今回の更新は前回に引き続き、『ドン・キホーテ』後篇の感想を書いていく。前回の更新で今後書いていくことについて箇条書きにしておいたが、今回はひとつめ、「本」というものをめぐる諸々の話について書いていきたい。我々にとって「本」というものはごく当たり前の存在になっているのだが、よくよく考えるとこう、いろんな本を手に取っているというのは不思議なことであるように思う。

 

ドン・キホーテ〈後篇2〉 (岩波文庫)

ドン・キホーテ〈後篇2〉 (岩波文庫)

 

 

 

「そのうえ、このような勇ましくもキリスト教徒にふさわしい数多くの武勲のおかげで、ついに拙者は本に描かれ、すでに世界のほとんどすべての、あるいは大半の国々で印刷されて出まわるまでになりました。さよう、拙者の伝記がすでに三万部印刷され、天意がそれを妨げぬかぎり、これから千部の三万倍も増刷りされようとしておりまする。」

(『ドン・キホーテ』後篇16章、254頁、ドン・キホーテの台詞抜粋)

 

 

「本」というものをめぐる原作者と翻訳者、そして登場人物たちの意見と行動

ここでいう原作者と翻訳者について、基本的なことだけれど、一応はっきり書いておこう。原作者は前篇に引き続き、アラビアの歴史家シデ・ハメーテ・ベネンヘーリ、翻訳者はセルバンテスである。(そこに日本語への翻訳者として牛島信明が加わるという広がりは考えてみるととても楽しい。)歴史家であるシデ・ハメーテ・ベネンヘーリがラ・マンチャ地方で資料を集めて、編纂した伝記が『機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』つまり、「ドン・キホーテ」前篇である。それをセルバンテスが翻訳して読者に提示しているのだ、という設定で語られる物語なのだ。原作者が「歴史家」ということの意味は大きい。こうすることで、ドン・キホーテ(または郷士アロンソ・キハーノ)について語る時この人物は実在していたのだ、ということを強調することができるからだ。特に前篇はこの意味合いが大きかったが後篇になって多少崩れている。後篇世界において「ドン・キホーテ」前篇は出版され、広く読まれているのだという。おかげで、後篇世界ではいろいろな人が前篇に対して評価をくだす。そしてそれらの評価は書かれた歴史に対して、というよりも一つの小説作品に対しての批評になっている(どちらかというと、歴史家による云々という設定は後篇になると薄れ、前作や贋作の存在が際立つにつれ、『ドン・キホーテ』の小説性が際立ってくるように思われる)。

ひとつ、引用してみよう。ドン・キホーテの住む村にいる学士サンソン・カラスコの発言だ。

 

「あの物語の欠点のひとつと見なされているのは」と、学士が言った、「作者がそこに『愚かな物好きの話』と題する小説を挿入していることです。別にこれが駄作だからとか、書き方がまずいからというわけじゃない。そうではなく、それがまったく場違いで、ドン・キホーテ殿の物語となんのつながりもないからなんです。」

(前掲書、3章67頁より引用)

 

ここまで書いてしまうともう立派な「小説論」になっている。実はこの脱線作品である「愚かな物好きの話」に対して以前「ドン・キホーテ」前篇について感想を書いた時には積極的に意味づけをしてみた。しかし、どうやら発表された当時からこういった物語の脱線は歓迎されていなかったらしい。

少し離れているのだが、第44章冒頭で翻訳者によって原作者シデ・ハメーテ・ベネンヘーリの愚痴のようなものが紹介されるのだが、そこにはこの批評への弁解が綴られている。一部分だけ抜粋しておこう。

 

かくして原作者は、もともと宇宙全体でさえ扱うことのできる理性と才能に恵まれながらも、たえず物語という狭隘な枠内に身を置き、そこからはみ出ないように気をつけているのだから、そうした苦心をないがしろにしないでもらいたい、」

(前掲書310頁-311頁、44章、抜粋)

 

小説を書いていて、なんだか本文が散らかってくるな、と感じることがあるが、それについて作者が一々弁解している。「たえず頭と手とペンを、ただひとつのテーマについて書くことに、そして、ごくわずかな人物の口を介して話すことにさし向けてゆくというのはひどく耐えがたい仕事」(同じく44章より引用)とまで書いてしまう。

 

後篇の第三巻に掲載されている訳者解説も参考のために一応引いておく。

 

「『ドン・キホーテ』は小説のなかで行われた批評である」(アルベール・ティボーデ)とか、「あらゆる散文のフィクションは『ドン・キホーテ』のテーマのヴァリエーションである」(ライオネル・トリリング)といった認識は、いまやわれわれの共有するところであろう。そして、こうした認識との関連において言えるのは、『ドン・キホーテ』は自己省察の小説reflexive novelであることである。セルバンテスにあっては書くこと、つまり小説を作るという営為が絶えず反省され意識化されて、その過程が読者の前にさらけ出される。」

(後篇第三巻430頁、訳者解説より引用)

 

「読む」「読まれる」という関係や、それによって生じる新たなテクスト(贋作の存在や批評)、そしてそれらがまた読まれ、語られ、書かれるということ。「ドン・キホーテ」に含まれる小説を作るという営為は世紀を越えて、なんと我々の読書生活にまで忍び寄ってくる。現に私は今、『ドン・キホーテ』(後篇)を読んで感想を書いているのだから。

 

作中には「ドン・キホーテ」前篇を読んだ者と読んでいない者がいる。未だ前篇の物語を読んでいない者がドン・キホーテに出会った場合、そのリアクションは前篇でドン・キホーテに出会った人々と同じようなものになる(つまり、なんか奇妙な恰好をした変な奴がいるぞ!くらいの)。そういう人に加えて後篇ではすでに「ドン・キホーテ」を読んで知っている人々が登場し、公爵夫妻をはじめとした彼ら「ドン・キホーテ」前篇の愛読者たちは、ドン・キホーテを見て驚くよりもいかに彼を愚弄して面白い物語を演じさせるかを考える。

ここまで主に読まれた「ドン・キホーテ」について書いてみたが、物語も後半になるとドン・キホーテも読んでいる。彼が目を通したのは偽物の自分について書かれている物語、つまり「贋作ドン・キホーテ」である。(本編では「ドン・キホーテ続篇」という言葉があてられているが、ブログではわかりやすくするために敢えて贋作と書くことにする。)

彼は、人々が読んでいた「贋作ドン・キホーテ」を目にしたり、通りを歩いていてふと見かけた印刷所で『機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(つまり贋作)の校正が行われているのを目撃することになる(この印刷所へドン・キホーテが行ったというのは面白いと思う。それまで本の印刷がどのようになされているのか知らなかったドン・キホーテがここではじめて本づくりの現場を目撃するのだから)。

 

「贋作ドン・キホーテ」によると偽物のドン・キホーテは前篇の最後に予告されていた通りサラゴサで開催された馬上槍試合に出場している。それに出るように仕向けたのは、偽物のドン・キホーテのごく親しい友人であるドン・アルバロ・タルフェという人物なのだが、なんと第72章において、ドン・キホーテはこの人物に出会ってしまう。

 

「それにしても奇遇ですね。だって、正直に申しあげますと、わたしはあのドン・キホーテをトレードのヌンシオ精神病院に治療のために入れてきたんですよ、それなのに今こんなところで、もうひとりのドン・キホーテがわたしの知り合いの男とはまったく異なるドン・キホーテがひょっこり目の前に現れるのに出くわすとは。」

(72章、381頁-382頁、ドン・アルバロ・タルフェの台詞)

 

ちなみに「贋作ドン・キホーテ」を知ったドン・キホーテは、その物語が偽物であることを証明するためにあえて予定を変更してサラゴサには行かず、バルセローナに向うことになる。

 

「そういうことなら」と、ドン・キホーテがひきとった、「拙者はサラゴサには一歩たりとも足を踏み入れぬことにいたそう。そうすれば、その新しい物語の作者の嘘を天下にさらし、彼の描くドン・キホーテが拙者ではないことを、余の人びとに知らしめることになるはずじゃ。」

(59章、181頁-182頁)

 

そもそもドン・キホーテは本(騎士道小説)を読んでいる存在だった、それがいつしか本(「ドン・キホーテ」前篇)で読まれる存在になり、その中で再び本(「贋作ドン・キホーテ」)を読んでいる。そしてその姿が再び本(「ドン・キホーテ」後篇)で読まれ、広く翻訳されているのだ。なんという広がりをもった「本」なのだろう、とこの構造の成立がただただ不思議でならない、というのが私の正直な感想である。

 

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著者が約束した後篇―セルバンテス『ドン・キホーテ』後篇の感想①

近代小説のはじまりと言われているセルバンテスの『ドン・キホーテ』を今年に入ってから読んでいたのだが、つい先日後篇を読み終えた。長いような気がしていた物語も、読み始めればあっという間に終わってしまった。今回からしばらくの間『ドン・キホーテ』後篇についての感想を更新していきたいと思う(前篇については、過去記事参照。関連記事としてこの記事の一番下にリンクを貼っておく)。

 

セルバンテス 著、牛島信明 訳『ドン・キホーテ』(後篇)、岩波文庫2001年

引用頁番号などは、すべて岩波文庫版に拠っている。

 

ドン・キホーテ〈後篇1〉 (岩波文庫)

ドン・キホーテ〈後篇1〉 (岩波文庫)

 

 

「ひょっとして」と、ドン・キホーテが言った、「著者は後篇を約束しておりますかな?」

「ええ、約束しています」と、サンソンが答えた。「しかし作者は、まだその続きが見つかっていないし、それを誰が持っているのかも分からないと言っているので、本当に後篇が日の目を見るのかどうか、いまだはっきりとは言えない状況です。かてて加えて、「後篇がよかったためしがない」と言う者がいるかと思えば、「ドン・キホーテの行状なら、これまでに書かれたもので十分だ」と言う者もいたりで、後篇の出版を疑問視する向きもあります。」

(『ドン・キホーテ』後篇、4章、79頁より引用)

 

まず一番衝撃的なのは、『ドン・キホーテ』後篇の世界では、すでに前篇が広く出版され人々に読まれている!という設定になっていることだ。登場人物の中には『機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(前篇)を愛読している者さえいるのだ。そういう人にとっては、向こうからやってくる痩せ馬に乗った時代錯誤の騎士は、本で読んだ「あの」人物だ、とわかってしまう。なんだかすっかり有名人になった≪愁い顔の騎士≫ドン・キホーテ。こんな設定になっているからこそ、上に引用した通り「後篇」の出版についてあれこれ意見を述べる人物もいるのだ(ちなみに上に引用した文章に出てくるサンソン・カラスコという人物はドン・キホーテと同じ村に住んでいる学士で前篇を読んだことのある人物である)。

いつの時代も同じようなことが言われるらしい。現代日本においてもなんとなくわかる感覚がスペインの小説(それも17世紀)に書かれている。その感覚とは「根拠はよくわからないが、小説でもドラマでもアニメでも、ヒット作の続編はつまらない」というもの。巷でよく聞くうわさ話のネタである(『ドン・キホーテ』後篇に関して言えば、前篇とは違った意味で面白い、と私は思う)。

 

作者であるスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』前篇が出版されたのが1605年、それから十年後の1615年に後篇が出版された。『ドン・キホーテ』前篇がそれ以前に刊行されていた騎士道小説を下敷きにしているのと同じように、後篇は前篇の物語を下敷きにしている。さらに複雑なことに、前篇と後篇の間には『ドン・キホーテ 続篇』という贋作が存在している。アロンソ・フェルナンデス・デ・アベリャネーダなる人物によって書かれたこの贋作は実際に出版されているわけだが、セルバンテスは後篇を書くにあたり、贋作の存在までも取り込んでしまった。つまり、『ドン・キホーテ』後篇の作中世界では、前篇だけでなく、続篇(贋作)までもが出版されて人々に読まれている!ドン・キホーテが自らについて記述された物語の存在を耳にするし、贋作ドン・キホーテを手にとる場面もある。前篇の記述の矛盾をサンチョが印刷のミスだ、などと弁解する場面もある。

前篇も後篇も作者はアラビア人の歴史家であるシデ・ハメーテ・ベネンヘーリという設定になっており、セルバンテスはそのテキストを翻訳したのだ、という語りの特徴を持っている。ある行為が記述され、翻訳され、出版されるという流れを一作の中に書き込んだ『ドン・キホーテ』のメタフィクション構造は現代人が読んでも十分楽しめると思う。

後篇は、ドン・キホーテの三度目の遍歴が描かれている。もちろん、従者のサンチョ・パンサも一緒であるが、前篇とは旅の印象がかなり違う。前篇ではドン・キホーテの狂気に物語の原動力があったのに対して、後篇ではドン・キホーテ自身に物語を押し進める力はないのだ。彼によって、というよりは彼の周りにいる人々によってドン・キホーテは欺かれ、嘘に嘘を塗り固められて遍歴の旅を続ける(これがちょっと悲しいところかもしれない。自らの冒険を信じ切れない≪愁い顔の騎士≫はどこか不安そうに見える)。

 

今回の更新はざっくりこんな感じの感想にとどめておいて、次回から以下のことについてもう少し詳しく書いておきたいと思う。

 

①「本」というものをめぐる原作者と翻訳者、そして登場人物たちの意見と行動

→後篇世界の人物たちの中には『ドン・キホーテ』前篇や続篇(贋作)を読んでいる人物が登場する。前篇を読んだ人と読んでいない人では、ドン・キホーテその人を見た時のリアクションが全然違っている。贋作に登場する人物とドン・キホーテが後篇世界で出会ったりもする。それだけではなく、後篇は前篇に書かれた物語の矛盾を指摘してみせたり、小説論のようなものを展開するなど、メタフィクションの要素が強い。「原作者」や「翻訳者」が作品のいたるところに顔を出す。また、ドン・キホーテが印刷所を見学する場面もあり、それについても少し紹介したいと思う。

 

②演じるということ―ドン・キホーテに含まれる素朴な芝居観念について

→嘘に嘘を塗りこんでいく過程で、多くの登場人物たちが自分ではない何者かを演じる場面が多くある。そもそもアロンソ・キハーノというラ・マンチャ地方のある村の郷士が遍歴の騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャを演じている。

 

③名づける、ということで作り上げられる世界の枠組み

→遍歴の騎士は前篇において自らの名前をつけ、想い姫の名をつけ、愛馬の名をつけた。そこから「冒険」がはじまるのだが、後篇においても新たな冒険を示唆するような名づけが行われている(しかし、それは実現する前にドン・キホーテは臨終を迎えてしまう)。

 

④魔法のしくみ、その性質

→あらゆる出来事を「魔法」のせいにしていく『ドン・キホーテ』であるが、前篇と後篇では描かれる魔法の性質が違っている。上述したように、後篇にはドン・キホーテ自身に物語を押し進める力はないのだが、それは魔法の源泉が彼にはないからである。終始、周囲によって作り上げられた「魔法」の中をドン・キホーテは進まなければならなかった。なお、ドン・キホーテの想い姫ドゥルシネーアを醜い村娘の姿にするという「魔法」を使ったのはサンチョであり、彼が後篇の物語で一番はじめにドン・キホーテを欺いている。

 

 

以上、今後数回に分けてざっくりこんなことを今後書いていきたいと思う。

 

おお、令名赫赫たる作者よ! おお、幸運なドン・キホーテよ! おお、その名も高きドゥルシネーアよ! おお、機知に富んだ愛嬌者のサンチョ・パンサよ! そなたたちが一人ひとり、また皆いっしょになって、この世に生を受ける者たち共通の慰めとも喜びともなるために、無限の世紀を生きながらえますように!

(前掲書40章、247頁-248頁)

 

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ムーミンがいる、ということ―トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の十一月』

今回でムーミンシリーズの原作小説についての感想は終わりにしようと思う。最後はシリーズ最終巻である『ムーミン谷の十一月』(1970年)を取り上げたい。今月はひとりで黙々とムーミンシリーズの小説を読んでいたが、本当に出会えてよかったと思う。とても満足しているし、9巻もあったはずなのにあっという間に全部読んでしまった。

 

 トーベ・ヤンソン 著、鈴木徹郎 訳『ムーミン谷の十一月』

 

「ぼくはね、ムーミンたちを、よく見てみたことがないんだ。あいつらは、ほら、いるにはいてもさ……」

ヘムレンさんは、なにか、うまいことばを見つけようとしました。口ごもりながら、あとをつづけました。

「つまりさ、なにかさ、いつだって、ちゃんといるにはいるんだけど、ってみたいなものさ。わかるかなあ、ぼくのいうこと……ほら、木みたいなものさ。どう……? でなければ、なにか……」

トーベ・ヤンソン著、鈴木徹郎 訳『ムーミン谷の十一月』第6章魔法の水晶玉より引用)

 

ムーミンシリーズを読んでいるうちに、読者の中にはたぶんそれぞれに「ムーミン」のイメージが形成されているのだと思う。そしてきっとこのシリーズを好きになってしまった人には自分だけの「理想のムーミン像」みたいなものがあると思う。それは決して悪い事ではないのだけれど、シリーズ最終巻で作者は読者を突き放す。

ムーミン谷の十一月、例年通りであればムーミン一家は松葉をたくさん食べて蓄え、ムーミンハウスで冬眠している頃だろう。『ムーミン谷の冬』や別の短篇作品で時々冬眠していたけれど目を覚ましてしまったムーミンが描かれてはいるが、ムーミンハウスに誰もいないなんていうことはなかった。あの家にはいつも誰かがいた。

しかし、この作品にはムーミン一家は登場しない。これよりひとつ前に発表された『ムーミンパパ海へ行く』において、ムーミン一家は灯台のある島へ旅立ってしまっていたのだ。秋の深まる寂しい谷にぽつんと、誰もいないムーミンハウスが残されている。

そんなムーミン谷に、いろいろな登場人物が訪ねてくる。主な登場人物は、スナフキン、フィリフヨンカ、ホムサ・トフト、ヘムレンさん、ミムラ姉さん、スクルッタおじさんだ。彼らはそれぞれに「理想のムーミン像」のようなものを抱えていて、そのイメージへの憧れを胸にムーミン谷へ集まってくる。しかし、ムーミン一家は留守で、がらんどうになったムーミンハウスが鍵もかけずに残されているだけだった。

当たり前に描かれているだろうと思った存在が描かれていない。この強烈な「不在」の印象に読者は登場人物と共に面食らうことになる。あのたのしいムーミン一家はどこへ行ってしまったのだろうと。

そんな中ではじめは他人同士でしかなかった登場人物たちは、ムーミンたちに関する話題を媒介にして関わり合いつつも(時に衝突もする)、ムーミンたちの存在を抜きにした新しい関係性を築き上げるというのが物語のだいたいのあらすじである。はじめのほうで引用したヘムレンさんの台詞はムーミンという存在をよく表している。自分の抱く理想を抜きにしてムーミンを語ろうとすれば、きっとあんなふうにつっかえつっかえしてしまうのだ。「いるような……いないような……」そういうあやふやな存在として読者はムーミンを再認識するのかもしれない。

 

エピソードとして面白いのは、お話を作るのが大好きなホムサ・トフトが、ムーミンハウスの中で見つけた分厚い本を読みながら(意味はよくわかっていない)「ちびちび虫」のことを知っていくというところ。彼が読んでいる本の内容が時々作中に出て来るのだが、ちょっとだけ引用しておこう。

 

この原生動物類の、めずらしいかわり種のことはいくら考えても、かんぜんに知りつくすことはできない。この虫がほかに例を見ない進化のしかたをした理由についても、もちろん、事実にもとづいての判断はできないものの、からだに電気をおびていたことが、このように、最後まで生きのこる条件となったのであろう、と推定することはできる。

(前掲書、第8章 電気を食べる、ちびちび虫 より引用)

 

こういう記述から、ホムサ・トフトはお話として「ちびちび虫」を作り出す(読者は電気やかみなり、という語からニョロニョロを連想するかもしれないが、この作品にニョロニョロは登場しない)。そしてやがて頭の中にあったイメージが外へとび出てきたような描写があって、一個の「動物」がムーミン谷に出現したように見える。はじめは小さく弱々しかった「ちびちび虫」はかみなりが鳴るたびにどんどん大きくなっていく。だけれどそんなことを知っているのはホムサだけ。やがてホムサでさえもこわくなってしまうほど、動物は大きくなっていく。

 

いま、そいつはとても大きくなったし、おこっているし、おまけに、大きくなったり、おこったりすることに、すこしもなれていないのです。

(前掲書、18章シーツの上を「冒険号」は走る より引用)

 

ふだんはおとなしいホムサ・トフトが怒って食卓をめちゃくちゃにしてしまう場面を思い出す。ホムサはちいさな存在として描かれているため、上に引用した文はまるでホムサ・トフトのことを言っているようにも読める。彼は自分がいきなり腹をたてて食卓をめちゃくちゃにしてしまったことに戸惑いを感じていたのだ。ホムサ・トフトとちびちび虫を二重写しにして読む事もできるだろう。空想が何かを存在させ、その何かが自分の中にあった別の自分を映している、というように。

ミムラ姉さんの台詞にこういうのがある。

 

「空想して、ねこがいるわ、と思えばいいのよ。そしたら、もう、あんたにも、ほんとにねこがいるのよ」

(前掲書、第17章 大パーティーの準備 より引用)

 

自分の内面にいる、自分が知らなかった自分に戸惑いを隠せないホムサ・トフト。彼は空想で「ちびちび虫」を存在させてしまったのだが、彼の中から出てきたこの存在は大きくなるにつれ、彼自身が受け入れがたいと思っている自分の一部分になっていくように思える。

 

「あんまり、おおげさに考えすぎないようにしろよ。なんでも、大きくしすぎちゃ、だめだぜ」

(前掲書 第15章ちびちび虫、うなる よりスナフキンの台詞引用)

 

 

ここまで考えてきてふと、私は自分の中の「理想のムーミン像」を思ってみる。

可愛いムーミングッズやイラストは見ていてとても楽しくなるし、時々さみしくなったりいじわるだったりする物語中のエピソードがどれもこれも懐かしく思える。

私の中に根付いているムーミンたちは「いる」と思えば「いる」のだろう。しかし、おそらくこのイメージと完全に重なるイメージは他者の中にはないはずだ。ということは、本当にムーミンたちは「いる」と言えるのだろうか? あなたの中にはたぶん、私とは違った「ムーミン」が「いる」のではないだろうか? 強烈な「不在」の印象で読者を突き放した後で、こんな「可能性」を残したこの作品はムーミンシリーズの小説の中でもっとも味わい深いものであった。

 

最後に印象に残った文章をひとつ。

 

一日じゅう、雪はひっきりなしにふりしきりました。ますます寒くなりました。まっ白になった地面、旅に出ていって、いなくなった人たち、見ちがえるようにきれいになった家――そんなもののために、その日は、なにもかも、うごかなくなったみたいで、もの思いにしずみたくなるような日でした。

(前掲書、第19章スクルッタおじさんはねむるのだ より引用)

 

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Twitterに投稿したはじめて読んだ時の感想↓↓

人が死んでしまった後に残された日常生活の痕がとても残酷に見えることがある。残された物が普通の、なんのことはない当たり前のものであればあるほど、深く冷たく胸に突き刺さってきて思い出をえぐってくる。そんな感覚に言葉を与えてくれる『ムーミン谷の十一月』、不在について心に深く沁みる。

 

誰も死んではいないけどね(作品の中で)。というか、そういう思い(不在の感覚)の端緒となりうる出来事が何も描かれてはいなくて、作品全体が非常に淡々としている。