言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

ままならないことを、ままならないままに―トーベ・ヤンソン『ムーミンパパ海へ行く』

「だけど、それじゃ海は生きものにちがいないな。海は考えることができる。したいほうだいのことをする……。あいつを理解することは不可能だ……。もし森が海をおそれるのなら、それは海が生きているということになる。そうじゃないか」

「じゃあ、わしは理解する必要がないぞ! 海ってやつは、すこしたちがわるいよ」

(『ムーミンパパ海へ行く』第7章南西風 より引用、ムーミンパパの台詞)

 

日常生活には、ままならないことどもがあふれている。そのままならなさは地震や台風といった自然災害に翻弄されることだけではなく、本当に日常のささやかなところにさえ、どうしようもないことがたくさんある。たとえば別に会いたくもない人に毎日会わないといけなかったり、好きでやっているわけでもない家事だってたくさんあるし、そういう日常の労働には終わりがない。ここまで終わったら「完成」ということがない。作り上げた生活をは、どんなにつまらないルーティンワークになってしまっても維持していかなければならない。そしてそのためには実に多くの事柄に手間と時間を割かなければならない。こればっかりはどうしようもない、やるしかないのだ。

ムーミンパパ海へ行く』というムーミンシリーズ8巻目(1965年発表)の小説を読んでいるとそういうことを考えてしまう。と、同時にその「ままならなさ」の中で成長したり、新しい興味を見出したり、そんなことの繰り返しで人生は過ぎていくのだなと思う。

 

 

 

さて、この小説について少し詳しく感想を書いていこうと思う。

全8章からなるこの作品の舞台は、なんとお馴染みのムーミン谷ではない。タイトルの通りムーミンパパは一家(ミイは養女ということになっている)を引き連れて冒険号に乗って海に出る。そして辿り着いた灯台のある島であたらしい生活をはじめようと奮闘する、というのがおおまかなあらすじだ。パパが海へ出た動機はかわりばえのしない日常からの脱却なのだと思う。あたらしく生活をやりなおしたい、そうすればきっと刺激のある日常を生きられるに違いない。住み慣れて、すっかり日常生活が形作られたムーミン谷にはない生活を求めてムーミンたちは海へ出た。つまり、作品の大半は「いつもと違うムーミンたち」が描かれている。その姿はどこか作り物めいていて、怖さすら感じてしまう。第一章「水晶玉の中の家族」に、ムーミンたちの家の庭にある水晶玉の描写がある。ムーミンパパがのぞきこむ水晶玉にうつる世界はこんな感じだ。

 

水晶玉はいつでもひえびえとしていました。その青は海の青さよりももっと深く澄んでいましたし、全世界の色をかえて、冷たく遠くふしぎにしました。このガラスの世界の中心に、ムーミンパパは自分と、大きな鼻を見、そのまわりに姿をかえた夢のようなけしきがうつっているのを見ました。青い地面は、玉の深い深い内側にうつっていました。そしてムーミンパパは、自分のいくことのできないそんな奥に、家族のものがいやしないかとさがしはじめるのでしたが、いつでもすこし待っていると、家族のものは出てくるのでした。いつでもみんなは、この水晶玉の中にうつってくるのです。

 

水晶玉にうつると、みんなの姿はとほうもなく小さく見えましたし、みんなの動作も、とてもあわれっぽく、たよりなく見えましたっけ。

ムーミンパパはそれがすきだったのです。これを見るのが、ムーミンパパの夕がたの遊びだったのです。それお見ると、家族のみんなが、ムーミンパパだけの知っている深い海の底にいて、自分はみんなをまもってやる必要があるのだと、ムーミンパパは感じるのでした。

(前掲書、第一章「水晶玉の中の家族」より引用)

 

ムーミンパパのエゴとそれによって歪められた家族の風景がひえびえとした水晶玉にうつっている。こんなシーンがあるからなのか、私ははじめ読みながらこの後に続く展開をすべて「ムーミンパパの想像」だと思っていた。ムーミンパパは灯台の模型を作っていたりもするので、その模型を見ながらあれこれと想像しているのかと。でもどうやらムーミンたちは本当に「灯台のある島」に移住していた。

ちなみにムーミンの家にはムーミン谷の地図があり、それに「灯台のある島」が描かれている。それを見たミイは海の真ん中あたりにある小さな点として表現されるその島を「はえのふん」と表現している。パパのエゴやプライドをこう言って揶揄しているだろう。

移り住んだ島の灯台は、パパが作りかけのままにしてしまった模型にそっくり。灯台は明かりがつかなくなってしまっていた。さらに灯台の下には鳥の白骨死体がいくつもあるし、島自体は岩だらけでヒースの生える荒涼とした場所だった。灯台に住むことにした一家はそれぞれにあたらしい興味を見つけて自分の作業に没頭し、時々家族のことさえ忘れてしまう。「いつもと違う」ことに没頭していくムーミンたちの姿はパパだけでなく、それぞれのエゴが浮き上がっている。しかしそんな中、唯一「いつもと同じ」なのがミイの態度だ。

島には漁師がいるのだが、ミイはたいてい漁師のあとを追いまわしている。しかしこれといって話をすることもない。

 

おたがいにただ相手をそういう人間だとみとめて、好意をもちながら、しかもおたがいに無関係という関係だったのです。おたがいに相手を理解しようとか、相手に印象をきざみつけようとか、めんどうなことを考えなかったのですが、それも一つの生きかたですよね。

(前掲書、第四章「北東の風」より引用

 

これを冷たいと思うか、気楽でいいと思うかは人によってそれぞれなのだろうけれど、ミイのこういうべったりしていない態度に魅力を感じる人はきっと多いと思う。というのはブログ記事のはじめにかいたように私達は「ままならない日常」を生きなければならなくて、そのためにはある程度、自分と物事の間にちょうどいい距離感を見出さなければならないからだ。ミイは別の巻で自分自身は笑うか怒るかしかないというようなことを言っているのだが、この思い切りの良い「割り切り方」に共感する人が多いのだと思う。

 

島での生活をするうちに家族の成員それぞれが自分の興味関心に没頭してしまうので、少し家族間に距離が生まれてくるように見える。そんな中でムーミントロールは自分と物事(他者)の間にちょうど良い距離感を見出し成長していくのだ。

たとえば、モランというキャラクターが登場するが、この「おばさん」が座った地面は凍りつき、あんまり長く座っていると植物さえ育たなくなるという。モランはカンテラの明かりに誘われて島へやってくる(別の巻でも明るいものに惹かれてしばしばムーミン谷に訪れていた)。誰もがそう言いようにムーミントロールもこの「おばさん」とは関わり合いになりたくはなかった。だけれどカンテラの明かりをつけて浜辺にいると(実はうみうまを待っていたのだけれど)モランがやって来てしまう。そうしてモランはカンテラの明かりをみると喜びうたい、踊る。ムーミントロールはモランとは関わり合いになりたくない、だけれど黙って捨て置くのも気が引ける。「気が引ける」というのは捉え方によってはムーミントロール中心の考え方で彼もまたエゴイズムに陥っている。このことはムーミンパパが海を理解したいと思っているのと似ている。結局のところ、ムーミンパパは冒頭に引用した通り、海を理解する必要なんかなくて、「ままならない」ことを「ままならない」ままに好きでいるということを悟るし、ムーミントロールもモランとの間にちょうどいい距離を見出す。

「モラン」のことや「うみうま」のこと、「空き地」のことは第7章でママに打ち明けるまで、ムーミントロールの秘密だった。家族にさえ言えない秘密を抱えてままならない現実を相手に自分ひとりで世界との距離を作り上げる、いつもと違った生活の中でムーミントロールがささやかな成長を遂げる物語でもある。

 

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メモ程度に。

ムーミンママがホームシックのあまり、自分が壁に描いたムーミン谷の絵に入り込んでしまうシーンがある。私は読みながらとても怖いと思った。

第6章「月がかけていく」より引用しておく。なおここに登場する「りんごの木」はムーミンママが自ら描いた絵である。

 

ムーミンママはりんごの木をだきかかえて、目をつぶりました。木のはだはざらざらしていて、あたたかでした。海の音もきこえなくなりました。ムーミンママは、もう自分の庭の中にはいっていたのです。

 

ムーミンママは、りんごの木のうしろに立って、みんながお茶の用意をするのを見ていました。ママにはみんながすこしばかりぼやけて見えました――まるで水の中を動き回っているみたいに。

(前掲書より引用)

 

 

 

Twitterでつぶやいたことのメモ(初めて読んだ時の素朴な感想として笑)

ムーミンパパ海へ行く』を読んだ。庭の水晶にうつる日常の歪みの描写から始まる本作で描かれるムーミン一家は、いつものムーミン一家ではなかった。まるで歪んだ鏡面にうつる像のように思えてしまうほど、ムーミンたちの動きさえなんだか作り物めいていて、怖い作品だった

いつもの雰囲気とは程遠いけど、その「いつも」から逃れ出ようと海へ行ったわけで……。そういう意味では一貫性のある作品だなぁと思った。一番怖かったのはムーミンママが自分で描いた「作り物」のムーミン谷に入り込んでいたところ。