『ドン・キホーテ』後篇についての記事がこれで3本目になる。今回は基本的なことだけれど、『ドン・キホーテ』という作品全体に含まれるごく素朴な芝居観について書いてみたい。引用頁などは岩波文庫版の『ドン・キホーテ』後篇に拠る。
セルバンテス作、牛島信明 訳『ドン・キホーテ』後篇(岩波文庫、2001年)
- 作者: セルバンテス,Miguel De Cervantes,牛島信明
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2001/03/16
- メディア: 文庫
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「舞台の上と同じことが、この世の実生活においても起こっているのじゃ。現実の世界でも、ある者は皇帝を演じ、またある者は教皇になっている。要するに、舞台に登場させることのできるあらゆる役柄、あらゆる人物が、この世で演じられているのよ。そして終末が来ると、つまり人の命が終ると、それまで各人を区別していた衣装が死によって剝ぎ取られ、人はみな墓のなかで平等になるのよ。」
(前掲書、12章191頁、ドン・キホーテの台詞より引用)
そしてこう語る人物が、こんなに冷静に語る人物自身が、遍歴の騎士を演じていることに気がついていないという……たぶんこういう所にドン・キホーテの狂気がひそんでいる。
ドン・キホーテは旅の途中、『死の宮廷』という聖体神秘劇の上演をしている一座に巡り会った。その出来事と、そこから派生したドン・キホーテ主従の会話の部分において、ドン・キホーテは自身の素朴な演劇観念を吐露している。一座が通りかかった時、ドン・キホーテは「大冒険の到来」と思ったのだが、しかしそれがそれぞれの役柄に扮装した役者たちであることに気がついた。どうやらドン・キホーテは幼いころから仮面劇が大好きで、若い頃には役者稼業にも憧れた(11章、180頁)らしい。だけれど、自分が今遍歴の騎士(愁い顔の騎士、後篇の途中からライオンの騎士、とふたつ名を改めている)を「演じて」おり、それを読者が滑稽に思いながら読んでいるということには気がついていない。
思えば、嘘に嘘を塗り固めていくような物語の構造を持つこの作品では、多くの登場人物たちが、ありのままの自分とは全く異なる自分を演じている。たとえば、前篇に登場したミコミコーナ姫は「演じている」という自覚を持ってミコミコン王国(架空)の姫を演じ、ドン・キホーテを騙しているし、後篇に出てくるドン・キホーテと一騎打ちをすることになる騎士≪鏡の騎士≫や≪銀月の騎士≫(実はどちらも同一人物で、ドン・キホーテの暮らしていた村に住む学士サンソン・カラスコである)も、ドン・キホーテを村に連れ帰るための策略として、恋患いの遍歴の騎士を演じて見せている。
この長い物語にとって、出来事が事実であるかどうか、は実はあんまり重要ではない。後篇ではそのことを積極的に描いており、例えばモンテシーノスの洞窟の冒険が夢なのか現実なのか、冒険をした当の本人にもはっきりしていない。この冒険についてドン・キホーテは「信じてもらいたい」というような言い方しかできなくなっている。「信じる」という行為は価値判断の保留だ。それが正しいか正しくないか、または現実の出来事なのか妄想の産物でしかないのかといった価値判断はいったんわきへよけておかれる。
「でも、役者の皇帝たちがかぶっている王冠や持っている笏などは」と、サンチョ・パンサが言い返した、「決して純金じゃねえ、真鍮やブリキの安ぴか物と相場が決まってますよ。」
「なるほどそのとおりじゃ」と、ドン・キホーテが応じた。「それというのも、舞台の衣装や道具が本物であるのは決して望ましいことではなく、むしろ芝居そのものがそうであるように、まがい物であり模造品であるべきだからな。」
(前掲書、12章190頁より引用)
その「まがい物」であるはずの芝居が現実をよく映す、という素朴な芝居観念をドン・キホーテは持っている。『ドン・キホーテ』はフィクションであり、そこに描かれるものはすべてが「まがい物」である。ドン・キホーテという登場人物の造形にいたっては、彼が生きる「現実」に「自らが読んだ騎士道小説の世界」というフィクション(まがい物)を再現しようとするところに成り立っている。騎士道小説の「模造品」とも言える主人公が、上に引用したようなことをさらりと口に出してしまうことによって騎士道小説そのものを批評してみせる(つまり騎士道小説がまがい物であり、模造品であると認めているようにも読めてしまう、と、同時にそのまがい物が現実世界をよく映すこともありうるということになる)。
『ドン・キホーテ』の物語の結末は、ドン・キホーテのごく平凡な臨終だ。死によって衣装を剝ぎとられた役者、ドン・キホーテは、善良な郷士アロンソ・キハーノに戻って騎士道小説を罵りながら、劇の終幕を告げている。
ちなみに、ドン・キホーテを村へ連れ戻そうと≪銀月の騎士≫を演じ、一騎打ちでドン・キホーテを打ち破った学士サンソン・カラスコにむかってこんな言葉が向けられる。
「ああ、学士さん」と、ドン・アントニオが言った、「この世に二人といないあんなに愉快な狂人を正気に戻そうとして、あなたが世間の人びとにかけた損害を神様がお赦しになりますように! ドン・キホーテが正気になって世にもたらすであろう利益なんぞ、彼の狂気沙汰がわれわれに与える喜びに比べたら物の数ではないってことが、あなたにはお分かりにならないんですか?」
(前掲書、65章287頁)
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