言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

ここに小説を「置く」と、新たな時空間が立ちあがる? あれ、ここどこだっけ?―福永信 編『小説の家』

この本は、2010年4月号~2014年8月号まで『美術手帖』誌上で連載された小説とアートワークのコラボレーション(企画・発案:福永信)をまとめたアンソロジーである。

 

福永信 編『小説の家』(新潮社、2016年) 

 

この連載がはじまった頃、つまり2010年頃の自分ならこういう「アートとしての小説」にすごく共感したと思う。そしてそういう表現の在り方にインターネットいう場がぴったりだと思っていた(まぁ、この思いはやぶれるんですが笑)。

この本のすごい所は、小説は小説として面白く、アートワークはアートワークとして面白いのだけれど、その上でさらに合わさることによって独特の時空間を作り上げたと言える。これぞコラボレーションの意味……!

だからこの本、ちょっと紙質が良いです、カラー印刷です、ヴィジュアル面にとても力が入っています(だからちょっとお値段が高いです)。ページ上に小説を「置く」ということにここまで注意を払った本はそうそうないだろうと思う。眺めていてとても楽しかった。

途中、なんか白いページが続くのだけれど……。

 

このような、時間経過にともなって暗闇に目が慣れてゆく視覚の変化――そうした体験そのものを鑑賞行為に組み込んだインスタレーション作品が、ここには展示されている。

(前掲書掲載、阿部和重「THIEVES IN  THE  TEMPLE」159頁より引用)

 

……Yonda?

 

美術手帖』掲載時から「読めない」「印刷事故か」といった問い合わせ(苦情?)が編集部に寄せられていたらしい。極度に薄いインクで白地に印刷された、光にかざして角度を調整するとやっと判読できるかというエディトリアル処理、だそうであるが……読むのが大変だった。いろいろな角度からみた。まるで美術館にいるみたいな読書だった。

(ちなみに上の引用は、昔ネット上でよくみかけたネタバレ防止のための書き方をつかっています。なつかしい)

目次をさっと見るだけで、執筆陣の豪華さにしあわせを感じた。小説に対して何か「お題」のようなものが存在していたかどうかはわからないけれど、どの作品も「なにかをつくりだす」ことに向き合った結果なのだと思った。もちろん、作家によって方向性は様々。

中でも、最果タヒ「きみはPOP」という作品がとても好きだ。

 

「大量の肯定に少しだけの否定を混ぜたのがポップスだ」

(73頁より引用)

 

この作品の語り手は、大量の肯定(聴衆)に向かって少しだけの否定を投げ込んでいくアーティストだ。肯定だらけのねちょねちょした空間に「私」のするどい否定がわりこんでくる、これが才能、かっこいい。私ブログ管理人はSNSの「いいね」機能がかもしだす、漠然とした共感、肯定のねちょねちょした感じが嫌いなのだけれど、そんな自分にとってこの小説の語り手「私」の否定は気持ちが良かった。半ば暴力的と言ってもいいくらいの「否定」による切り裂きのこの爽快感。

たとえば「おまえら、死ねよ」(67頁)、「おまえらナルシストたちの自己愛発散のサンドバックになっている私です。」(69頁)、「私はパスタをもう食べたくないと思ってゴミ箱に捨てた。」(74頁)、「明るい日差しがカーテンから、まっすぐ目覚まし時計と私の小指を切っていく。」(78頁)

これらの言葉からうっすらと浮かび上がる暴力的な印象(それから冒頭の引き金を引く、もそうだ)。どれも小さな暴力であり、何かを決定的に破壊しつくすようなものじゃない。この小さな暴力の印象が作品全体にうすく広がるように注意深く配置されているように思った。ひとつひとつの小さな暴力(否定)が、小説の世界に充満する大量の肯定に混ぜられ薄められた、そのおかげで「私」が「売れる」ということを書いた、つまりこういうあり方が先生の規定したポップスの在り方であり、そういう存在になれた語り手「きみはPOP」なのだ。それでうれしいかどうかは知らない。語り手の声はPOPなものとしてCDというパッケージ化を経て消費されていく。作品のレイアウト(ここがアートワークと小説のコラボとして素晴らしいと思う所、そのもの以上の時空間を演出してしまう)も含めて、POPというものの在り様そのものを描いて見せたのが、この作品なのかもしれない。語り手の主張が濃く書かれれば書かれるほど、その部分がCDに添付されている歌詞カードの歌詞みたいに思えてしまう。ただ紙に印刷しただけの写真と文字で、これだけの空間を生み出せてしまえるのか……と正直驚いた。メタとかそういう言葉じゃ足りない、なんかこう読者を引きず込み巻き込んでしまう力を感じた。

 

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収録作品(本の帯より引用)↓↓

「鳥と進化 / 声を聞く」短編でしか拾えない声、柴崎友香の新境地。

「女優の魂」チェルフィッチュの傑作一人芝居にして岡田利規の傑作短編小説。

「あたしはヤクザになりたい」たくさんのたった一人のために。山崎ナオコーラが書く永遠。

「きみはPOP」最果タヒがプロデュースする視覚と音の世界。小説と詩の境界。

「フキンシンちゃん」新人漫画家・長嶋有の風刺&生活ギャグまんが、たくらみに満ちた続編。

「言葉がチャーチル」お前はすでに終わってる。青木淳悟が始末する世界史。

「案内状」あの耕治人が全国の文系男子を激励! 幻の作品、時空を飛び越えて収録。

「THIEVES IN  THE  TEMPLE」白いスクリーンに映り込む人間模様の黒い影。文学を漂白する阿部和重の挑…(おっと、帯がちぎれていてこの先がみえない)

「ろば奴」いしいしんじはよちよち歩きで世界の果てまで到達する。奇跡の作品。

「図説東方恐怖潭」「その屋敷を覆う、覆す、覆う」そのとき、古川日出男は現実を超越する。

「手帖から発見された手記」すべてはここから始まった。円城塔によるまさかの大団円。

 

 

 

関連サイト↓

www.shinchosha.co.jp

大事は静けさのうちに―古井由吉『夜明けの家』

小説を読んでいる間の、時間はいったい誰のものなのだろうか、とふと思う。

読む作品によって、本を読んでいる時間の在りようというのは、どうしてこうも違うのだろう。やっぱり小説を読んでいる間の時間は、純粋に自分の時間ではないかもしれない。素朴な考え方だけれど、その時間というのは登場人物の生きている時間であったり、その人物にとって過去の時間であったり、またそれに同調するように自分もふと思い出してしまう過去の時間であったり、時には作者によって支配されてしまう時間なのだ。
古井由吉の『夜明けの家』という本を読んだ。

古井由吉『夜明けの家』(講談社、1998年) 

夜明けの家 (講談社文芸文庫)

夜明けの家 (講談社文芸文庫)

 

 (私が読んだのは、文庫版ではなくて単行本だったので、引用ページ番号は単行本になっています。ご了承ください。)


濃密な文体の小説はその濃さのゆえに、読者の時間感覚を麻痺させてしまうものらしい。この一冊を読んでいる間の私の時間は止まっていた。本を読んでいる間の時間が極限まで圧縮され、まるで止まっているかのような心持ちになった。こういう読書体験は久しぶりかも知れない。読み始めるまで時間がかかり、読み始めればその時間の外側に逃れることができなくなる。なかなかに怖い経験だったと言える。

生と死、または覚醒と眠りのはざまのゆらぎ。明確な線で区切ることのできない領域、そのあわい時空間を描いた短編集だ。生死の間(あわい)を縫う最高の連作。
収録作品と初出をメモ程度に書いておく。私は特に、「祈りのように」「クレーン、クレーン」「島の日」「夜明けの家」が好きだ。

 

『夜明けの家』収録作品(初出誌はすべて「群像」)
「祈りのように」1996年11月号
「クレーン、クレーン」1996年12月号
「島の日」1997年1月号
「火男」1997年3月号
「不軽」1997年4月号
「山の日」1997年5月号
「草原」1997年7月号
「百鬼」1997年8月号
ホトトギス」1997年9月号
「通夜坂」1997年11月号
「夜明けの家」1997年12月号
「死者のように」1998年2月号

 

死者の時間が、生者の見る風景にまぎれこむように描かれている。たとえば「島の日」の干潟であったり、「クレーン、クレーン」に出てくる外装工事をされる建物であったり、夜明けという時間帯と、そこにある不眠であったり。「夜明けの家」冒頭の鴉も印象的に描かれている。その飛べない鴉の生死を語り手は気にしているのだが、その鴉の姿を見かけなくなる、というのは何のことはない人間の身勝手、つまり語り手の目が探さなくなっただけに過ぎない。それは「死んでいる」のではないのかもしれない(実際に死んでいるかもしれないけれど、本当のところはわからない)。生と死の間(あわい)も、覚醒と眠りの間も、また現在と過去の記憶の風景でも、自由自在に往来する筆の運び。「夜明けの家」に登場する老人は「生死の境のゆるむままにしか生きられなかった。境がゆるまずには夜が明けない」(229頁)
作者はこの一連の短編小説を書くことで、死者の時をはかっているのではないか、と思った。生と死を対立するものとして捉えるのではなくて、そういう捉え方をすればつい取りこぼされてしまいそうになるものがあるのだという感慨に深く感じいる。


「生きている」というのはどういう時間に自らを浸している状態のことだろうか。では「死んでいる」というのは何だろうか。それは時間に沈むようなことだろうか。だがしかし、そうであるならば生者の回想に突然浮かび上がってくるこの死者の時は一体どういう状態に属するものなのだろう。


この作品の中では決して「大事件」は起こらない。人が死ぬ、ということは確かに当事者や周囲の人々にとっては十分に大事件であるし、死というもの、あるいはそこへと至る可能性を秘めた病というものを書く作品において、人の死は避けては通れない。しかし、この作品に「大事件」の喧噪は見あたらない、あるのはただ静けさばかりだ。喧噪があるとすればそれは「生きている」者の周囲に広がる風景からくるものだ。そこに死者の沈みかけるような時間の沈黙が上塗りされている印象を受けた。
「大事件」は起こらない、だけれど大きなことが起こっている。大事は静けさのうちに生起し、そして消えていく。

最後に「島の日」という作品から引用しておきたい。

 

「鳥たちがまた騒いでいる。玉を転がすような細い音色だが、寝床から耳を澄ませば、たちまちおびただしい群の声
になる。昼よりは近くに聞える。潮が上げてきたので、狭くなった渚にひしめいて、いよいよ忙しく餌を漁っているらしい。夜半にはまだ間がある。睡気のほうはせっかく満ちかけたのがまた引きつつある。旅の最後にはとかく不眠の夜が来る。」
(前掲書、50頁より引用)

「昨日と今日との間に畳みこまれて、別の一日があったのか。あるいは墓丘の上の夕暮れと、寝床の上に打ちあげっれたこの今との間に、長い漂流がはさまるのか。干潟の光がいつまでも失せずにいるので、つい夜半までさまよって、かすかになった足音が、風に流れる草の穂を分けて近づいてくる。部屋の中に入り、片隅にまとめた荷物をひょいと肩に掛け、夜明けのほうにもう近いので、その足で家へ帰って行く。朝一番の船に乗り、また一日歩きまわった末に、空港の搭乗待合室で眠っている。」
(前掲書、68頁より引用)

 

 

島々を書く、やがてそれは大陸になる―ル・クレジオ『ラガ 見えない大陸への接近』

日本は島国である。

と、敢えて当たり前のことを書いて再確認したくなるほどに、私には島暮らしの実感がない。自分の属する国が他国から見れば「島」であるにも関わらず、なんとなくもっと「地盤」のしっかりした場所にどかっと暮らしているような気持ちでいる。そして、私が「島」だと思う場所は自分の暮らす土地のほかにある。たとえば、礼文奥尻小笠原諸島や沖縄、対馬長崎県九十九島と呼ばれる一帯のことを、また北方領土のことも「島」だと思っている。それらが「島」であるのに、自分が今立っている場所は「島」だとは思えない。これってちょっとおかしな感覚だ、ということにはじめて気がついた。自分を中心に考えて、自分の立っている領域より狭い場所を、私は「島」だと思ってしまうらしい。

それでずっと、「島」という場所には一種あこがれの感情をもって接してきた。

 

今回紹介する本はこちら。

ル・クレジオ 著、管啓次郎 訳『ラガ 見えない大陸への接近』(岩波書店、2016年)

 手に取って最初に、この本の装丁の、深い青色に心が満たされる思いがした。 

ラガ――見えない大陸への接近

ラガ――見えない大陸への接近

 

 

 

南の島々、と聞いて我々は一体なにを想像するだろう?

どぎつい色をした花柄のワンピースを着た島の女の、日に焼けた黒い顔。その彫りの深い顔の、くぼんだ眼と高い鼻、厚いくちびるからこぼれる言葉はどこか呪文めいた語の羅列、そういう歌のハミング、たとえばラグビーで有名なトンガから連想される、からだの大きな人々から漏れ出す細やかなリズム。強烈なにおいのする見たことのないような巨大な花はどれもこれも驚くほどに赤かったりピンク色をしていたりする。これが私の思い描く、大雑把に捉えるならチリ沖のイースター島から台湾のあたりまでの太平洋のイメージだ。もちろん、この地域には一度も行ったことはない。つまりこのようなイメージは本当にただの想像でしかなく、それを根拠にした「好き」という感情さえ、自分が南の島々に対して勝手に押し付けたイメージに対する好奇心でしかないかもしれない。それなのに時々、無性に心配になる。何故、この大好きな熱帯地域には「アメリカ」があるのだろう? かつて「日本」もあったという。ふと中島敦という小説家や、土方久功という彫刻家のことを思い出す。

 

おそらく旅には、自分自身の無能を正確に測るという以外の理由などないのかもしれない。ラガという、見えない大陸のこの一片に、ぼくはほとんどついうっかりとでもいうようにして近づいてしまった、それがぼくに何をもたらしてくれるのかも知らず。夢か欲望か、幻想か、新たな希望か、それともただの寄港地か……。

一瞥し、かすめただけのラガが、すでに遠ざかってゆこうとしている。

(前掲書、109頁より引用)

 

太平洋に点在する島々は大きく三つに分類される。

ミクロネシアメラネシアポリネシアだ。

本書でル・クレジオが扱うのは、南西太平洋にひろがるメラネシア地域に、1980年に生まれた独立共和国ヴァヌアツ、その中でも特に独自の言語と習慣が生きているという島、ペンテコスト島、現地名は「ラガ」という場所だ。原著は2006年に出版されたスーユ社の「水の人々」と呼ばれるシリーズの一冊で、ペンテコスト島を訪れたル・クレジオの紀行文と言える(以上、要点は本書に挟み込まれていた訳者の管啓次郎氏による解説「訳者から読者へ」というブックレットを参照した)。

ペンテコスト島、ラガ、アオレア。これらはすべて同じ島についている名前だ。ラガはアプマ語、アオレアはサ語という言葉による「ペンテコスト島」の別名だそうだ。訳者は「別の言語集団からはまた別の名で呼ばれ、そのようにしてひとつの島は何重にもかさなった名と記憶をもっているようです。」と書いている。

不思議なことのようにも思えるが、考えてみればこの感覚はとても身近なもので、たとえば北海道に住む私の場合「樺太」と「サハリン」が同じ場所をさすことを知っているし、その上にある都市「豊原」は「ユジノサハリンスク」、「大泊」は「コルサコフ」であるということも知っている。かつてそこが先祖の地であったという記憶が土地の名前の重層的なイメージを支えているようだ。北方四島も、ロシアから見れば、日本から投影するイメージとはまったくかけ離れた名前や役割が与えられているのかもしれない。単に国の違いに留まらず「島」の内側と外側という意識の違いによって生じる風景もあるだろう。

ル・クレジオが紹介する「ラガ」の風景は、決して穏やかなものではない。

 

海は純粋な青だ。観光客がよろこぶラグーンのトルコ石の色ではなく、暗く、激しく、深い青。ペンテコスト島では岩礁がない。島は深淵から立ち上ってきた孤立した高い火山の山頂であり、どこか始原の壮麗さを身にまとっている。それは何千何万年にもおよぶ雨と嵐の時期、空がそのまま地表に落ちてきてまだマグマが顔をのぞかせている谷を溺れさせ、やがて太陽が成立したころのことだ。

(前掲書、54頁-55頁より引用)

 

島にある村は海岸沿いの便利な位置にはない。切り立った崖を登ったところ、その深みに人の暮らす場所がある。そのこと自体が、かつてこの地域を襲った「ブラックバーディング」と呼ばれる島々の征服をめぐる黒い伝説の影だ。本書によれば「ブラックバーディング」とは、1850年から1903年にオーストラリアの法律により公式に終止符が打たれるまで続いた強制的に徴用された労働力の取引のことであり、事実上、奴隷制そのものだったという。南洋地域は歴史上、幾度となく戦場にされたり、核実験の場所として選ばれてきた暗い歴史もある。しかし、それだけでなく、ル・クレジオはラガの風景から「抵抗への意志」を汲み取っている。たとえば言語。征服者たちの暴力の痕跡を背後に秘めるクレオル語には、クレオル語話者たちの「生き方と世界理解の仕方が、変化し生き延びみずからを再発明する能力」が刻み込まれているという。

 

島。その場所を、

海に囲まれているがゆえに、外界から隔絶されていると捉えるか、

海に囲まれているがゆえに、あらゆる場とつながっていると捉えるか。

 

この捉え方ひとつで世界は随分と違って見えるものだ。近年の歴史学の研究では後者の立場をとって日本史や世界史をとらえ直す動きが盛んになってきている(そしてこの見方は、教科書的な「硬直した」歴史とは全然違ったイメージを与えてくれる)。ル・クレジオの立場も後者だろう。

 

アフリカのことを人は失われた大陸だという。

オセアニア、それは目に見えない大陸だ。

目に見えないというのは、そこに最初に思い切って乗り出した旅人たちにはそこが見えていなかったからであり、また今日でもそこが国際的には承認されていない場所、通過地点、ある種の不在であるに留まっているからだ。

(前掲書3頁より引用)

 

大地ではなくむしろ太陽によってできあがった大陸であり、様々な群島、深海からそびえたつ火山、あらゆる時代を通じてもっとも恐れを知らない海の旅によって人間たちが住みついた珊瑚礁から、なっていた。初期のヨーローッパ人航海者たちがそれを見ることなく横切ってしまったひとつの大陸。夢の大陸だ。

(前掲書7頁より引用)

 

南太平洋に浮かぶ島々を、ひとつの大陸と見なすこの大胆な表明。

ル・クレジオの目に島々がそう見えた理由、それは人の移動とともにゆるやかに移っていったと想像できる文化の痕跡や、死者たち、先祖たちの声が、遠く島を越えて伝わってゆくように響き合うスリット・ゴング(木鼓)の音と重なりあったように感じたためだろう。スリット・ゴングの響きは大陸の「博物館」のような場所では何も語らない。生活の猥雑な、整理されていない、まさに生きているという現場でこそ初めて聞かれるもの、文化というものへの深い洞察をもつル・クレジオが「ラガ」で拾い集めて書き上げた言葉。その言葉がこうして一冊の本になって私たちの手元に届く。「ラガ」から、ひとつひとつ拾い集められた言葉はやがて風景になって、いつの間にか読者の前で繋がるように、島々をひとつの「大陸」に見せてしまう。

 

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30年という時間―津島佑子『半減期を祝って』

今回は津島佑子半減期を祝って』という本について感想を書いていきたい。この本には表題作のほか「ニューヨーク、ニューヨーク」「オートバイ、あるいは夢の手触り」という短篇小説が収録されている(初出はいずれも『群像』)。

 

 

半減期を祝って

半減期を祝って

 

 

 

みなさま、おなじみのセシウム137は無事、半減期を迎えました。祝いましょう!

30年後のニホンの未来像を描き絶筆となった表題作のほか、強くしなやかに生きる女性たちの姿を追った「ニューヨーク、ニューヨーク」「オートバイ、あるいは夢の手触り」を収録。女性や弱者、辺境のものたちへの優しい眼差しと現状への異議――。

日本を越えて世界規模の視野を切り拓き続けた津島文学のエッセンスがここにある!

(本の帯文より)

 

表題作「半減期を祝って」には、セシウム137の半減期を迎えた30年後のニホンが描かれる。生活は確実に苦しくなっていて、自殺者数、死刑の執行数も増加しているのに「平和がなによりですね」というコメントが流れるテレビの街頭インタヴュー(ほとんど誰も見ていない)。戦後百年というキャンペーンでメディアはみんな大騒ぎ。そんな社会には14歳から18歳までの四年間、子どもたちが入ることになるASD愛国少年(少女)団なる組織がある。そのあと今度は男女問わず国防軍に入らなければならないという社会が設定されている。ちなみにこのASD出身者は国防軍では優先的に幹部候補として扱われることになるらしいが、ASDには厳しい人種規定があって、純粋なヤマト人種だけが入団を許されているというのだ。アイヌ人もオキナワ人もトウホク人も入団できないという。『狩りの時代』にヒトラーユーゲントが描かれていることをふと思い出した。何の罪もないはずの美しい者(子供たち)が政治的に利用されていくという悲しい姿がいつまでも心に黒い染みとなって残るようだ。

 

半減期」という言葉は、おそらく東日本大震災原発事故後しばらく経ってから一般に馴染みだした言葉だろう。「放射性元素が崩壊して、その原子の個数が半分に減少するまでの時間。放射線の強さが半分に減少するまでの時間」(URL)と説明されているが、一体なんのことやら……というのが私の生活の実感としての正直な感慨だ。「私の生活の実感」を他者に押し付けるのはあつかましいが、しかし多くの人にとって「半減期」はそういう感慨をもって眺められている言葉ではないだろうか。作中で「半減期を祝っている」人々も同じような感慨も持っているように思える。「半減期の厳密な定義なんてぶっちゃけよくわかんないけど、なんかヤバいやつの影響が30年経って半分になったってこと? それなら良かったじゃん!」という程度の認識。実際は半減期を迎えたというセシウム137の他にも(たとえばプルトニウムなんかも)原発事故によって私たちの暮らしの只中にばらまかれたのだけれど、人々はそんなことも忘れてしまっているかのようだ。忘れてしまっている、というか忘れさせられているというか。そもそも原発の抱える根本的な問題さえ認識しないまま、人々が営む日常は「大きな声」によってだいぶ歪められた社会に見える。

 

(アナウンスの声)

……みなさま、おなじみのセシウム137は無事、半減期を迎えました。正確にはすでに四年前、半減期を迎えていたのですが、今年は戦後百年という区切りの年です。すべてにおいてまだ原始的だった百年前の戦争で、どれだけ多くのひとたちが理不尽な苦しみのなかで死んでいったか、そのことを偲ぶための記念すべき年でもあるのです。戦争において、兵士が餓死するなど決してあってはならない事態です。しかも、一般市民の頭のうえに、原子爆弾がはじめてアメリカによって無慈悲にも落とされたのでした。

(前掲書、78-79頁)

 

踊らされてはいけない、大きなメディアの大きな声、この言葉いつだって上滑りだということを、私は東日本大震災をめぐる一連の報道の中で感じていた。こういう暴力も存在するのだ。

作者はこの暴力の存在を描きながらも、しかしそれだけのディストピア小説が書きたかったのだろうか? というのが読了後ずっと私の頭の中にあった。著者は単に近未来ディストピアを書きたかったわけではないだろうと思えてならないのだ。では何を書こうとしたのか? もちろん、原発を取り巻くあらゆるものへの「告発」であり「挑戦」なのだが、それよりもむしろ「30年という時間の感覚」を書きたかったのではないだろうか、と思った(これは本当にブログ管理人の単なる雑感ですが)。

身の回りにある昔より便利になったあらゆる物の存在を思えば、30年は充分に長い年月のように思え、しかし生活の実感としては本質的な変化があるようには感じられない。と同時に、原発事故で避難を余儀なくされた人々が避難先に定着するのに充分な時間でもある。

 

三十年後の世界を想像せよ、と言われると、それじゃ三十年前はどうたったのか、と反射的に考えたくなる。

(前掲書75頁より引用、この作品の冒頭)

 

三十年後にしても、三十年前にしても、人は自分の生活の実感でしかその距離を感じることはできないのかもしれない。同じ三十年に対して、あっという間だったと思うひとも、ひどく長かったと思うひとも当然いる。そういう思いの背景にはいつもそれぞれの生活の実感というものが横たわっているのだ。それを無視してひたすら「半減期を祝う」ということが、どれほど残酷なことであるのか、本書を読みながらひとり考えてしまった。

津島佑子は『狩りの時代』において、「差別」とは何か、はっきりと言葉にされていない「差別」を言葉の力で浮き彫りにして読者の目に「見える」ようにした。とすると、この作品にも空気のように漂う形の無い暴力を捕まえようとする意志があるのかもしれない。

 

併録されている「ニューヨーク、ニューヨーク」は、トヨ子という大柄な女性が男と離婚してから亡くなるまで辿った時間を、息子の薫が男に伝聞するという形式の物語。トヨ子はニューヨークにあこがれていたのではない、ニューヨークを自分の体に呑みこんでやりたかったのだ、ということに気がついた時には何もかもが遅く、すべては過ぎ去ってしまったあとなのだった。「オートバイ、あるいは夢の手触り」は、主人公の景子という人物が見聞きした「オートバイ」にまつわる思い出をあれこれ思い出していく物語。そしてそれらのオートバイの手触りを、景子はもう二度と感じることはないという寂寥がなんとも言えない余韻を残す(少し渋いな、と感じた)。「聞き慣れたオートバイの音は二度と、景子の人生の時間に戻ってはこなかった。」(72頁)

 

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言葉と沈黙―ル・クレジオ『悪魔祓い』

どうしてそんなことがあり得たのかよくわからないのだが、とにかくそういう具合なのだ。つまりわたしはインディオなのである。メキシコやパナマインディオたちに出会うまで、わたしがインディオであるとは知らなかった。今では、わたしはそれを知っている。

ル・クレジオ『悪魔祓い』冒頭、9ページより引用)

 

 

今回は、フランスの作家であるル・クレジオによる、こんな宣言からはじまる1冊を紹介しようと思う。ル・クレジオインディオの出会いは偶然のものだった、と解説にあった。1966年、当時のフランスにはまだ兵役制度があったのだが、兵役に服するかわりに二年間ばかりを教員、技術者などとして海外で勤務する「海外協力隊員(コオペラン)」という選択も可能であった。後者を選んだル・クレジオは1967年からメキシコシティーラテンアメリカ研究所に勤務することとなる。これがル・クレジオにとってインディオ文化との出会いだったそうだ。とくにエンベラ族とワウナナ族との出会いは印象的だったようである。

(以上の情報はすべて『悪魔祓い』の解説にあったものを簡単にまとめた。)

 

ル・クレジオ 著、高山鉄男 訳『悪魔祓い』(岩波文庫、2010年)

悪魔祓い (岩波文庫)

悪魔祓い (岩波文庫)

 

 

ちなみに、ル・クレジオはのインディオ文化に関する本で私がすでに読み終えた本に『メキシコの夢』と『マヤ神話―チラム・バラムの予言―』がある。

 

どうして、ル・クレジオは自分がインディオなのだという直感に満たされたのだろう。

はっきりとはわからないけれど、本書を読んでいくと著者は自分の物の見方や考え方をインディオのそれと重ねあわせていったことがうかがえる。初期の作品で明確な都市文明批判を繰り広げていた著者にとって、世界や自然との調和を保ったインディオ社会は理想的なものに見えたのかもしれない。

「調和」

二文字で済ませてしまえば簡単ではあるが、しかしこれは一体どういうことなのだろう?そのことを言葉で表現するのは難しい。それはたぶん、インディオ社会が「言葉」というものを忌避し、自己表現や芸術というものを拒否していることに関係がありそうだ。

 

この体験については、たとえば海について語るように語らねばなるまい。海はそこにあった。人々は、日々それと隣り合わせ、眺め、それについて考えていた。しかし海がなにを意味するかは知らなかった。しかし海のほうでは知っていた。都市をとり囲み、人間の思想を組織し、音楽と絵画と詩を律していたのは海だったので、その逆ではなかった。どうしてそんなことが想像できよう。人々が言葉を使用し、それを白い紙の上に並べたとき、人々はそのことに気づかなかったが、じつは紙の上に並べていたものは貝だった。そこである日のこと、ただ海のほとりの岩の上に坐っているだけで、人々が発見するのは、人間の体験は宇宙の体験のなかに含まれているということだ。おわかりいただけるだろうか? これはほんとうに恐ろしいことだ。と同時に悦ばしいことだ。というのは、そのとき、多くの言葉が現われ、多くの言葉が崩壊するからだ。つまり、言葉は人間の口によって変形された宇宙の表現であり、いわば翻訳された言葉であって、もとの言葉そのものは永遠に翻訳されないままなのである。

(前掲書、16頁-17頁より引用)

 

インディオにとっての「言葉」は暮らすということ、生きるということに直結していて、単なる伝達の道具ではない。「言葉」の持つ表徴の力の危険や「言葉」によって自分を暴露すること、危険にさらすことがどういうことであるのか、インディオは知っている。「言葉」は単なる記号ではなくて、呪術的なものだ。だからこそインディオは「言葉」のほかに「沈黙」を重んじる。「沈黙」は単に黙っていることでも、無活動の瞑想でもない。それはいくつもの言語を解し、いくつもの声を聞きわけるものだ。じっと暮らす、その沈黙から編み出される模様、それはインディオにとっての「絵画」に結びつく。西洋の絵画はキャンバスの上に固定されたもの、確定した形式の展示である。それに対してインディオの「絵画」は暮らしの中で生きているものである。芸術家でも天才でもない、不特定の人々の手によってくりかえし浮かび上がる模様だ。インディオはそういう絵を「展示」することはない。それはまた表徴するということの危険を知っているからだとル・クレジオは語る。

 

身体そのもの、「肌」。唯一の真の画布、なにも書いていない唯一の真の表面、失われることがなく、生命によってつくられ、生命《である》画布。インディオたちは、芸術を展示しない。自分たちの肌に描くことによって、自分たちの肉体を芸術作品とすることによって、彼らは、総合的意味作用の領域に達した。インディオは芸術のなかに生き、絵画と一体となっている。ようやく生命(いのち)を得た芸術、呪術。

(前掲書、131頁より引用)

 

この本の目次は大きく三部に分けられている。すなわち「タフ・サ―すべてを見る目―」「ベカ―歌の祭り―」「カクワハイ―悪魔を祓われた肉体―」

 

タフ・サ、ベカ、カクワハイ、インディオを病気と死から奪い返すためのこれら三つの段階は、あらゆる想像の小径の道しるべそのもの、すなわち、秘法伝授、歌、悪魔祓いなのであろう。芸術というものはなくて、あるのはただ《医術》だけだということを、いつの日か人々は悟るにちがいない。

(この本のカバーにあるル・クレジオの肉筆、訳文、本文10頁)

 

ル・クレジオはこの本が完成しかかった時に、この本が偶然にも(作者の知らぬうちに)タフ・サ、ベカ、カクワハイという呪術的治癒の儀式を追ってしまっていたことに気がつく。

タフ・サ、まずは示される。そうして示されたものを見ることで、すべてが名づけられる。ベカ、名前と形の祭り。インディオの沈黙と歌で形作られる世界観を読者はル・クレジオの文章によって感じとる、それは暮らし(生きること)と一体となっていて、気晴らしのための《芸術》など存在しない。カクワハイ、名づけたものの変容によって怪異なもの、理解不能なものがなにもなくなった状態、悪魔祓いの祭りの感性、インディオが自らの肌に絵を描くということがどういうことなのか、読者の前に示される時。

 

しかしだれかがある民族について語り、自分が属していない社会の情念や意図をおしはかってみたいなどと思うといつもそうなるのだが、その個人がかならずしも自分の知識を信用していない場合でも、大きな危険をおかすことになる。こういう次第で、人を近づけないこと、および沈黙することをもって偉大な徳としているような人々について書かれた以下の文章は、残念なことに、著者自身についてしか語り得ていない。

(前掲書、9頁-10頁より引用)

 

 

どんなに言葉を尽くしても、これはインディオを書いた書物ではない。そのことをル・クレジオは了承している。あくまでも、インディオ文化に触れた著者自身のことしか書かれていないし、読者はそのエクリチュールを通してしかインディオ文化に触れることができない。そのことは、言葉というものが作り出す溝の存在を浮き彫りにする。

 

 

本書のあちこちに写真が掲載されているのだが、巻末にその目録がついている。博物館のカタログではないこれらの写真の被写体は、生きているものであり、老いたり、滅びたりもする。大きくふたつに分類できる写真群の表題はそれぞれ〈インディオたち〉と〈わたしたち〉だ。ヨーロッパ文明とインディオ社会のヴィジョンの対立をストレートに描いた書物である。

 

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いろいろと予定を変更して急遽、ル・クレジオの『悪魔祓い』を再読した。とても良かった。自分が保つべき言葉と暮らしと社会の距離感みたいなものを再認識できたような気がする。さすがにおれはインディオではないけどね笑。(この本の冒頭でル・クレジオは自身をインディオであるとしたのが有名)

黒くぬらぬらしたものが―沼田真佑「影裏」

第122回文學界新人賞受賞作であり、同時に第157回(平成29年上半期)芥川賞受賞作の「影裏」について、ようやく何か書けそうな気がする。非常に技術力の高い描写で話題のこの作品、実は一読目には良さがよくわからなかった。「うまい」のはわかる。だけれど、何が面白いのかよくわからない。そう思いつつ、何も書かないでいたのだけれど先日出た芥川賞選考委員による選評を読んで思うところがあったので、今こうして書いている。

※このブログ記事に記載するページ番号はすべて、文學界2017年5月号掲載時のものである。

 

影裏 第157回芥川賞受賞

影裏 第157回芥川賞受賞

 
文學界2017年5月号

文學界2017年5月号

 

 

そもそもこの作品のタイトル「影裏」とは何なのか? 一読目は作品の後半に出てくる「電光影裏斬春風」という言葉の二文字だろうとわかった気になっていたのだが、なんだか違う気がする。この言葉自体、わかるような、わからないような禅語らしく、手持ちの辞書には載っていないから仕方なくインターネットで検索をするも、やっぱりよくわからない。

「人生は束の間であるが、人生を悟った者は永久に滅びることなく、存在するというたとえ」(電光影裏の意味 - 四字熟語一覧 - goo辞書

 

これが「影裏」という小説作品となんの関係があるのか?

いや、はっきり言って関係ないのである。作中、日浅という人物の実家に飾られていたこの言葉についてこんなふうに書かれている。「不意に蔑むように冷たい白目をこちらに向ける端正な楷書の七文字が、何か非常に狭量な、生臭いものに感じられた。」(前掲書、36頁)わかったようなわからないような禅語のたとえ「永久に滅びることなく存在する」という不動の価値観についての拒絶だろうか。しかし、それならば何故、わざわざタイトルに「影裏」の二文字を持ってきたのだろう?

この素朴な疑問になんらかの答えを求めて、馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、大真面目に漢和辞典を引いてみたりした。そうしたら「影」と「裏」の二文字から、どうも「外側から見えないもの」という意味が浮かび上がってきて、あるいは作者はこの二文字にこのようなものを仮託したのではないか、と思えてきた。

そして、この「外側から見えないもの」を見ようとして小説の中で表現した場合、それは「黒くぬらぬらしたもの」として立ち現われるのではないだろうか

たとえば、電光影裏斬春風という文字は「滴るような墨汁」(33頁)と書かれる。「さて、と立ちあがった氏の影が、それをつまんだわたしの指を冷たく浸した。」(37頁)、「黒々と濡らして消える波の弱音」(31頁)、「背からたっぷり黒漆をそそいだような」(16頁)という表現が見つかる。私はこれらの表現にどうしても「黒くぬらぬらしたもの」を感じてしまう、というか、そう言葉を与えてみたくなった。ぬらぬらしているかどうかを別にするなら「黒」のイメージは作中にいくらでも見つかる。だからこの作品を貫くカラーは間違いなく「黒」だ。その色が「影」と結びつきもして、「外側から見えないもの」この得体の知れないものは黒いような気がしてくる。

「何か大きなものの崩壊に脆く感動しやすくできていた」(11~12頁)日浅、「ある巨大なものの崩壊に陶酔しがちな傾向」(12頁)をもつ日浅という登場人物の目には見えない内側(心の中)を支えるものは、得体の知れない黒くぬらぬらしたものではないだろうか。この人物に対して主人公の「わたし」や読者が抱いたイメージは後半になって少しずつ崩れていく(その崩壊が震災と結びついているのでちょっと都合よく出来過ぎているような気がしてはいるのだが)。たとえば日浅の生活の頽廃ぶりであったり、学歴詐称が判明してしまうと、それ以前には泰然としていた日浅の印象も変わってしまう。とにかく、日浅のイメージの崩壊のあとで、それまで外側から見えないものであった「黒くぬらぬらしたもの」が浮かび上がってきて、読者はそれに直面しなければいけなくなる。面白いのは、そういう秘匿されていたものが露わになったあとも「わたし」は日浅に対して「頼もしく感じた」(37頁)という前向きな感慨を持っているところだ。「わたし」にとって、たぶん日浅は崩壊しておらず相変わらず不動のものとしてイメージされ続ける。それは後半に出てくる「逃げまどうバッタ」と「動じない縞蛇の子供」の描写からも明らかだ。そんな「不動」が「電光影裏斬春風」から導かれる永久の存在と通じるならば、やっぱり少し胡散臭くもある。

崩壊したことで見えてきた黒いぬらぬらした得体の知れなさ、みたいなものは単に崩壊以前は外側から見えなかっただけで、始めから存在していたものではないだろうか。ここで高樹のぶ子氏の選評を思い出す、引用しておこう。

 

言葉を掴んでくる視力とセンスの良さに感服し、引きこまれて読むうち、この美しい岩手の地中深くに内包された、不気味な振動が徐々に表面化してくる。それは釣り仲間の友人の異変として顕れる。何かをきっかけに表層の覆いが剝ぎ取られて邪悪な内面が剥き出しになるのは、大自然も人間も同じで、東北大震災はこのように、人間内部の崩壊と呼応させて書かれる運命にあった。」

文藝春秋掲載の、第157回芥川賞高樹のぶ子氏の選評より抜粋)

 

また吉田修一氏の選評にはこうある。

 

作者の筆は核心から離れよう離れようとするごとく、岩手の美しい自然を描写していく。そして自然を精緻に描写すればするほど、離れたはずの核心がなぜか近づいてくる。遠景としての核心が近景に、近景としての自然が遠景となるような混乱が起こる。では、その核心とはなんなんだ? というのが選考会での議論になった。

文藝春秋掲載の、第157回芥川賞吉田修一氏の選評より抜粋

 

この小説の核心がなんであるのか、私にはいまだわからないが、それに近いものとして黒いぬらぬらとしたものが存在しているように私には思えた。

また「影裏」というタイトルが気になったから自然と目がいってしまうのだが、作中に二度出てくる結婚式場のパンフレットに一度ずつ「影」と「裏」の文字があらわれている。これは単なる偶然なのか、それとも描写のうちにさりげなくイメージを挿入してくる作者が仕込んだものなのか。パンフレットの新郎新婦の姿は「過剰に覆い焼きを施した写真」であり、その不自然に影をなくした写真はみるものの手が作り出す影に暗む。

意識の宛先―滝口悠生『茄子の輝き』

こんなちっぽけなブログを、ひとりでちまちまと書いている自分を、いつか別の自分が思い出すかもしれない。そのいつかの自分のために、こうして「意識の宛先」みたいなものを残しておいてやろうと思うのも、この小説のたのしみかたのひとつかもしれない。いや、待てよ。そもそもこの本を巡る記憶だったり、それを「素敵!」と思ったりした自分のことは、いつどこからどんなふうに思い出されるのだろうか? そもそも思い出されるのだろうか? みんな忘れてしまっているんじゃないだろうか? と思ったらたとえば何気なしにスーパーで手に取った茄子が蛍光灯の光を全力で反射しているのを見て思い出してしまうかもしれない。「忘れる」とは「思い出す」とはいったいどういうことなんだろうか? 今回紹介する本は、「覚えていることと忘れてしまったことをめぐる6篇の連作に、ある秋の休日の街と人々を鮮やかに切りとる「文化」を併録した素敵な一冊だ。

 

滝口悠生『茄子の輝き』(新潮社、2017年)

茄子の輝き

茄子の輝き

 

 

悲しみに暮れた日々も、思い出せない笑顔も、記憶も中で輝きを放ち続ける。
かけがえのない時間をめぐる連作短篇集。
(書籍の帯より引用)

 

妻、伊知子と離婚した2008年正月、3月の地震、カルタ企画という会社に入社して千絵ちゃんという存在が風景の中心にあった日々、2011年8月にカルタ企画を退社、それからカルタ企画の倒産。ひとりの男がかつて自分が書いた「日記」や「写真」を経由して過去のいろいろなことを思いだそうとしたり、思い出す過程で歪む空間など明瞭さとは反対のカオスを漂ってしまうような小説だ。妻と結婚前2006年2月に会津若松に行ったことと、会津若松が千絵ちゃんの実家の所在地であることが時を越えてオーバーラップする感覚も楽しい。主人公の風景の中心にいたはずの千絵ちゃんもやがて彼氏と出雲に行ってしまう、そんなことどもを思い出している「私」の記憶の時間や空間もどんどん不思議な広がり方をしていく。

 

これから婚姻届を出す、あるいは今出してきた彼らにとって、今日は人生のなかの特別な日であり、今まさにその特別さの只中にいて、今日の日付が来年以降も、ロビーの真ん中で立ち止まってさっき住民票と一緒にもらった領収証をポケットから取り出して日付を確認している冴えない私も、特別な日の背景となる。彼らのもとには、たしかに今とその先に続く幸福がある。私にとって今日は、このまま予定通り行けば、記載上、十五年ほどの運転歴がきれいさっぱりなくなったまっさらな免許の取得日になる。
(前掲書収録「今日の記念」168頁より引用)

 

長い人生の途中にいくつか「記念日」と呼べるようなものができあがっていくことがある。なんとなくそういう「日記」に書いてしまえそうなことを中心に、わたしたちの「思い出す」「忘れる」は繰り広げられているのではないだろうか。というか、「記念日」があるからこそ、そこを中心にして「思い出す」ことや「忘れる」ということが営まれていると言えるのではないだろうか。しかしその「記念日」は単なる中心ではなくて、その周辺にあったちょっとしたことを思い出すことで、どうとでもぶれてしまうようなものなのだ。固定されたものではないから、その時の前にも後ろにも影響されて変質してしまう。だからどんな些細なことがらであっても、それが記憶の営みに参与してしまえば、ふいにかけがえのない輝きを発してしまうかもしれないのだ。そうしたらそれは途端に「忘れたくないもの」になりもする。

 

そう言われて思い出す、橋のたもとで欄干にしがみついて何事か駄々をこねる自分の姿や、黄色いアロハの千絵ちゃんが笑顔で手を振って駅の方へ歩いて去っていく様子が、自分の記憶なのか、小麦谷の話からつくりあげた映像なのかわからない。天ぷらだの、茄子だの、餃子だのを、本当に食べたのかもわからない。しかし小麦谷の話では、私は欄干の隙間から川を見下ろして、大きな茄子が流れているぞ!と何度も言っていたというから、茄子を食べたのはたぶん間違いないし、あの茄子の輝きや、茄子を食べていた千絵ちゃんも幻ではなく私のたしかな記憶だと思う。
(前掲書収録「茄子の輝き」122頁より引用)

 

思い出される過去の馬鹿馬鹿しさ、その瞬間のひとつひとつ、そんな些細な日常のすべてをこの本は、いとおしいものとしていつくしんでくれるような気がする。写真や文字という記録も、記憶も、そのあてにならなさというか、いい加減さというか、心許なさも含めて全部がいとおしいのだ。なんて優しい語り方をする作品なんだろう、と読みながら思った日々の感慨を、私はまたいつか別の自分として思い出してしまうのだろう。