Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

島暮らしに必要な「冒険」への愛情―トーベ・ヤンソン『島暮らしの記録』

日本ではムーミン物語の作者としてすっかり有名なトーベ・ヤンソンにとって、「島暮らし」というのは幼い頃からの習慣であり、人生にとって欠かすことのできない期間であったらしい。訳者の解説によると、母親の腕に抱かれた赤ん坊の頃に滞在したブリデー島の別荘に始まり、自分で小屋を建てたクルーヴ島に別れを告げるまで八十年近く、毎年のように島で夏を過ごしてきたのだそうだ。

今回紹介するトーベ・ヤンソン『島暮らしの記録』という本を読んで、なるほど、と思った。ムーミン一家がよくボートに乗ってピクニックに行くことや、嵐の風力を数字で表現することや(この数字、ビューフォート風力階級表というのに基づいているらしい)、『ムーミンパパ、海へ行く』の舞台となる岩だらけの島が、作者の記憶や意識に深く根付いていたものだったらしいことがわかった。 

 

トーベ・ヤンソン著、トゥーリッキ・ピエティラ画、冨原眞弓訳『島暮らしの記録』(筑摩書房、1999年)

島暮らしの記録

島暮らしの記録

 

 

島。

小島(ホルメ)、岩礁(シェール)、島(ハル)、岩島(コッベ)、絶壁島(クラック)

この本に登場する「島」という表現がこれほど豊かなのは、それだけトーベ・ヤンソンにとって(あるいは北欧で暮らす人々にとって)島というものが身近であったことの表れだろう。

 

わたしは石を愛する。海にまっすぐなだれこむ断崖、登れそうにない岩山、ポケットの中の小石。いくつもの石を地中から剝ぎとってはえいやと放りなげ、大きすぎる丸石は岩場を転がし、海にまっすぐ落とす。石が轟音とともに消えたあとに、硫黄の酸っぱい臭いが漂う。

 築くための石、またはたんに美しい石を探す。モザイク細工、砦、テラス、支柱、煙突、もっぱら構築するのが目的の壮大かつ非実用的な構築物のために。秋には海がさらってしまう桟橋を築く。それならといっそう工夫を凝らして築いた桟橋も、やはり海は根こそぎさらっていく。

(前掲書、冒頭7頁より引用)

 

1964年秋、トーベ・ヤンソンはクルーヴ島(ハル)で小屋の建設を始める。この島は面積、六、七千平方メートル、縁を岩山で囲まれ、中央に溜り水をたたえる環礁だ。もちろん、たったひとりで大工作業をしたわけではなく、シェーブルムやブルンストレムという人が主に協力してくれたらしい。それから一緒に島暮らしをするトゥーティという人、母親のハム、猫のプシプシーナのことも書かれている。

 

島暮らしというのは、一見ロマンチックだ。都会暮らしに疲れた人々に自然を売りにした観光ツアーが好評なくらいなのだから。だけれど実際、自然はままならないことのほうが多い。だから、あまり書かれてはいないけれど、トーベ・ヤンソンの島暮らしは決して楽なものではないはずだ。何を築こうが、ある日突然、全く予測のできない海や風によって根こそぎ奪われてしまうなんてことも珍しくはない。私はこの「ままならなさ」にとても親近感を感じた。昔、東京や大阪などの大都市に出掛けた際、電車が10分程度おくれただけで人々は苛立ち、電光掲示板に繰り返し「お詫び」が表示されていたのを思い出す。田舎暮らしの自分にとって何でも思い通りになると信じている人々が恐ろしく見えた。こちとらバスが40分程度遅れることなどよくある(しかも40分待った上に実は天候上の理由で運休になっていた、ということもある)。苛立つ人もいるけれど、「仕方ない」と諦める人のほうが多いような気がする。というか、「ままならない」ことが普通だ。インターネットが当たり前になって、どんなに最新の「情報」が入って来ても、肝心の映画作品は地元には来ないし(上映されないし)、雑誌も発売日に店頭に並ばない。

島暮らしについて回る危険や、不便がとても近しく感じられる。

 

 わたしたちはかつて野原を中庭に、低灌木を公園に変え、橋やらなにやらで浜辺を手なずけようとした。もちろん、失策(へま)だらけだったとしても。

 まあ、人間には失策がつきものだ。だから、なんだというのか。

 ときには報われぬ恋をしている時のように感じ、万事がむやみに誇張される。度はずれに甘やかされ下手くそな扱いをされたこの島は生ける存在で、わたしたちを嫌っているか憐れんでいるかのどちらかである、と想像することもできよう。こちらの不作法のせいなのか、たんなる成りゆきなのかはいざ知らず。

(前掲書、101頁より引用)

 

生きていくということは、常に何かに干渉し続けることだと思う。その結果がどうなるのかは誰にもわからないし、わかることもないのかもしれない。ほんのちょっとしたことがきっかけで、ふいに驚くような光景が目の前に広がること、それが島暮らしに必要な「冒険」への愛情だろう。「ままならなさ」を引き受けることではじめて得られる静けさがこの本から感じられる。諦観とも違う、この静けさは心地良い。

 

 はしゃぐのに飽きてしまい、腰をおろして感覚を研ぎすます。海は右も左も見渡すかぎり真っ白だ。そのときはじめて完璧な静寂に気づいたのである。

 自分たちが声を低めて喋っていることにも。

(前掲書、59頁より引用)

 

この本を読みながら、以前読んだアン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈物』という本を思い出した。

mihiromer.hatenablog.com

 

この本は私にはあまりに綺麗すぎる印象があったのだが、トーベ・ヤンソンの提示する海や島の暮らしには、時に理不尽な荒々しさがあり、そのことがとても私を安心させるのだった。