私はムーミンパパのことが大好きだ。
何故かといえば、自分の好きな人に「似ている」と言われたからだ。どうやら、傍から見ていると、私とムーミンパパは似ているらしい(体型は全然似ていないと主張しておきたい笑)。そう言われてみてから、ムーミン物語を読み返したり、キャラクターグッズをじっと眺めたりしてみて、はじめて気がつくことがいろいろあった。
ムーミン物語に登場するあのタイルストーブの形をした家の中には、意外と本というものがあるらしい。コミックスに登場するエピソードも含めるけれど、ムーミンたちは何か事あるごとに本を開いたりしている。それに、あの世界では本のほかにも記録として「ノートをつける」ことも習慣としてあるらしい。たとえばスノーク、フレドリクソン、ムーミンも何かを書こうとしているし、ムーミンママは「おばあさんの手帖」に残された記録を日常的に使っているようだ。
中でも「物書き」の属性を与えられたムーミンパパが何かを積極的に書いている姿というのは印象的だ。『ムーミンパパの思い出』という小説は、ムーミンパパが自らの半生を自伝的な「思い出の記」として書くという体裁で作品として成立している(でも、パパが書く文章はちょっとクサい。繰り返し語られるエピソードは繰り返される度に変形するし、そのおかげで矛盾を孕んだ記述が登場したりもする。ムーミンパパは語り手としては信用ならんやつなのである笑)。また「海の長編大作」を書こうとして挫折し、結果として「居心地のよいベランダがなつかしい」という心安らぐ小品を書くことにしたというエピソード(ムーミンコミックス第一巻に収録されている「ムーミンパパの灯台守」より)まである。小説版では、『ムーミンパパ、海へ行く』でせっせとノートをつけているパパの姿があった。
さて、前置きがだいぶ長くなってしまったが今回紹介する本は、おそらくムーミンシリーズが大好きな著者が、トーベ・ヤンソンのムーミンシリーズ以外の作品(『彫刻家の娘』『ソフィアの夏』)も交えつつ、ヤンソンの姿勢やムーミンの魅力を語った書籍である。
東宏治『トーベ・ヤンソンとムーミンの世界 ムーミンパパの「手帖」』(鳥影社、1991年)
ムーミンの秘密の扉を初めて開ける
いま、ムーミンを読んでいる子供や若い人たちに
かつて、ムーミンを読んだパパやママたちに
スナフキンが何故こんなにも魅力的なのか、ムーミンママが何故こんなにも優しくしかも頼もしくさえ思えるのか、ちびのミイの皮肉や辛辣さがどうしてユーモラスに見えるのか? またフィリフヨンカや何人か登場するヘムレンさんたちのこと、「ちいさな」存在と大自然という世界観の中で展開する動物とのつきあい方、アニミズムとその昇華などトーベ・ヤンソンが深く感じていたと思われる事柄について、著者独特の切り口で紹介されている。
ちなみにこの本の著者によるとムーミンパパの個性は、少女ヤンソンやソフィア(ヤンソンの自伝的作品である小説『ソフィアの夏』に登場する)が好感を持つ大人の男性像、その魅力をどれも備えてはいるけれど、どれひとつ格好よく演じることができないという。
「これが、ムーミンパパのユニークさと平凡さの由来であると思う。つまり彼は、存在としてはユニークなのだが、能力としては平凡なのである。」(前掲書、165頁より引用)
日常を大切に生きようと思った時に、この平凡さが私をほっとさせるのかもしれない。そしてこの平凡さを自分の中に受け入れようと思った時にますますムーミンパパに親近感を抱くのかもしれない。それでどんどん好きになる。
気になる人もいるかもしれないから一応スナフキンについても書いておきたいと思う。
このキャラクターは本当にマイペースに生きている。ひとりで旅をして、テントで暮らし、毎年春になるとなんとなくムーミン谷に戻って来るけれど、秋にはさっさと旅に出てしまう。物事にこだわりがない。大切な持ち物は自分のハーモニカくらい。すごく優しいというわけじゃないけれど、穏やかな性格をしていて、さりげなく他人の気持ちに配慮することができる存在……。そんな穏やかな存在である彼が唯一感情を荒げるのが「看板」であり、スナフキンはどうしても許せない存在である「看板」(~すべからず、という禁止の看板)とは戦わなければいけなかったりする。……というのが私の「スナフキン観」であるが、この本の著者はこんな風に書いていた。
スナフキンが看板を嫌悪する理由を、ひとの自由を束縛することへの憤りだと、ぼくは前に説明したが、別の見方もできるのである。「立入禁止」とか「境界」を設ける看板や囲いなどは、ひとの自由の束縛であるとともに、看板を立てる側の人間の個人的な私有や独り占めをも意味しており、およそものの所有を嫌うスナフキンにとって許せないことなのである。
(前掲書、58-59頁より引用)
ムーミン作品を自分なりに何度も読んでいると、いつの間にか自分の中に独自の「ムーミン観」が根を下ろし始めていることに気がつく(そういう「押しつけがましい」ムーミン観をズバッと指摘してくれる『ムーミン谷の十一月』という小説は面白かった)。そうすると、自分以外の他の人の「ムーミン観」も気になりはじめて、時にはこういった書籍に手を伸ばしたくなる。そこで今まで気づいていなかったキャラクターの魅力に出会うこともあれば、真っ向から対立したくなることもあるのだ。
最近、ムーミンパパの丸っこい鼻の曲線と、シルクハットの黒さをじっとみていると、だんだんパパの顔の輪郭線が「茄子」に見えてくるんだよなあ……(ぼやき)。
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1991年鳥影社版の増補復刊。こちらのほうが入手しやすいと思います。