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Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

海から受取ったものを海へ返す―アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈物』

読書日記

美しく生きるのは難しい。世界がごちゃごちゃになっている、というのが最近のニュースやSNSを見ていて思う私の雑感だったりする。そう世界がごちゃごちゃ。これは自分が大人になったから引き受けなければならなくなった社会的な責任なのか、それともやっぱり単にごちゃごちゃしているのか、よくわからない。

今回紹介する本はそんなごちゃごちゃになった物の見方を一度じっくり整理するのに役立つかもしれない。アン・モロウ・リンドバーグ吉田健一 訳『海からの贈物』新潮文庫、昭和42年)だ。いや、役立つとか、役立たないとかいう視点ではあまり語りたくない。単純に私がこの本から受け取ったものを、感想(ブログ記事)にしてネットの海へ返すか。

海からの贈物 (新潮文庫)

海からの贈物 (新潮文庫)

 

 

ひと言で書いてしまえばこの本は、著者が浜辺で見つけた貝殻を素材に女の人生についての思索を綴ったエッセイだ。シンプルに生きることや、恋愛から結婚、そして結婚した後の夫婦関係、もっと言えば人間と人間の関係性を特定の貝殻と結びつけて描いたもの。

 

著者のアン・モロウ・リンドバーグ(1906-2001)はアメリカの飛行家、文筆家で、1929年に単独での大西洋無着陸横断飛行を史上初めて達成したチャールズ・リンドバーグの妻である。こういう「世界的な偉業を成し得た夫」を持った著者にとってどれほど世界がごちゃごちゃな物(本書風に言うなら調和を欠いた物)になってしまったのだろう、などと勝手に想像してしまう。

『海からの贈物』には、そういう有名人としてではなく、あくまで「ひとりの女」としてアン・モロウ・リンドバーグが浜辺で思索した事柄が静かに綴られている。そう、この本はとても静かで、綺麗だ著者が浜辺で見つけたりもらったりした貝殻から連想した様々な事柄がゆるやかに繋がり合い、まるでたゆたうように描かれていく。いくつかの章に分かれていて、それぞれ章のタイトルに「ほら貝」「つめた貝」「日の出貝」「牡蠣」「たこぶね」と、貝の名前が記される。著者が手にした貝殻そのものについても丁寧に描かれる。

例えば、つめた貝について。

 

これは蝸牛の殻の格好をした貝で、円くて艶があって橡の身に似ている。こぢんまりした形の貝で、猫が丸まっているような具合に、い心地よさそうに私の掌に納まる。乳白色をしていて、それが雨が降りそうな夏の晩の空と同じ薄い桃色を帯びている。そしてその滑らかな表面に刻み付けられた線は貝殻のやっと見えるぐらいの中心、眼ならば動向に相当する黒い、小さな頂点に向って完全な螺旋を描いている。この黒い点は不思議な眼付きをした眼で、それが私を見詰め、私もそれを見詰める。

(前掲書、37頁)

 

それぞれの貝にはそれぞれの思索が込められており、ひと言で言うのは難しいが、敢えて列記するとこんなふうになるように思う。

ほら貝=調和、つめた貝=島・孤独、日の出貝=今・この瞬間、牡蠣=結婚して何年か経過した夫婦生活・雑多なものを抱えた生活観、たこぶね=自由・独立

 

日の出貝(二枚貝)のところで著者は、男と女が結ばれた当時の美しい関係、何にもわずらわされない純粋な関係の瞬間について書く。それは永続するものではない。美しい関係はやがて生活に必要な様々な事柄や関係性といった雑多なものに埋め尽くされてしまう。その状態を著者は「牡蠣」にたとえた。貝殻は不格好でごたごたしてはいるが、岩にびったりくっついてなかなか剥がれない牡蠣は、しっかりと生活に根をおろすこと、夫婦が社会に根ざすことの比喩として連想されている。所帯じみる、なんて言葉も思い出す。やがて人は「たこぶね」の状態に至ることを著者は志向する。これを執筆した時点で著者はまだ「たこぶね」の状態にはおらず、おそらく「牡蠣」の状態にいる。「たこぶね」はあまりなじみのない存在だから簡単に書いておくと、貝を持つのはメスだけ。メスは貝に卵を産み保護するために使うらしい。そうであるから、卵が孵化して子供たちが泳ぎ去ったら、母のたこぶねは貝を捨てて新しい生活を始める。このあり様に著者は大変魅力を感じている。先ほど私は「たこぶね」に関して「自由・独立」という言葉をあててまとめてみたが、この自由と独立は、孤独を受け入れて成熟した人間同士の関係でしか起こりえないだろう。つめた貝の状態から日の出貝の状態、それがやがて牡蠣の状態へ、そして最後にたこぶねの状態へ……これが著者の理想なのだと思った。ちなみに一番初めの「ほら貝」には調和という言葉でまとめたが、この調和というものは生活の煩雑さによって損なわれるもので、それによって平衡を失うということの危機感みたいなものを著者は書いている。

 

紹介文などを読む限り「女性」に向けられて書かれたようだが、現代の我々が読むならば「女性」に限定する必要はないだろう。女性に、というよりは、繊細な人に届いて欲しい本だと私は思う。貝殻の持つ、うすくて壊れそうなフォルム、あの繊細さ。こういう感覚に共感できる人はきっとこの本が好きだ。

 

繊細な人はごちゃごちゃしすぎた世界に疲れやすいかもしれない。SNSで飛び交う情報や、悲観的見通しばかりの経済問題、戦争、法律。現代社会はアン・モロウ・リンドバーグが想像していたよりもはるかに個人が背負わなければならない情報量が増えてしまった。勿論、それらをきちんと自分の中で精査する時間は与えられない。逃げろ、とは言わない。だがいつまでも情報の渦に飲まれていたらあなた自身が擦り切れてしまう。

せめて時々、ひとりになってみればいいのだと思う。そういう時間を持つことの贅沢さや尊さはあちらこちらで繰り返されているが、『海からの贈物』で綴られる文章ほど静かで綺麗なものはないだろう。なおブログタイトルにした「海から受取ったものを海に返す」は本文中からの引用(9頁、序)。

 

煩雑な生活を捨て去ること、シンプルに生きるということを追求した点で、ドミニック・ローホーという人の以下の本のことを思い出した。特に「ほら貝」の部分で書かれていたことが、シンプルに生きるという言葉で言い直されているように見える。

 

シンプルに生きる―変哲のないものに喜びをみつけ、味わう

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