言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

――引用、乗代雄介「最高の任務」

過去の回想のようであって、単なる過去の回想を超えた、そこに「書く」という営みへの信頼と力強い肯定を感じた作品――乗代雄介「最高の任務」の感想を書きたいと思う。日記という体裁をとった作品で、実は私も小六の頃から日記を書きつづけているせいか、そしてうっかり大学で考古学を専攻していたせいか、「書く」という営みを通して「過去」を取り扱う時のこの作品の手つきに感動してしまったのだ。

 

乗代雄介「最高の任務」(初出『群像』2019年12月号掲載)

 

最高の任務

最高の任務

 

 

※引用のページ番号は文芸誌掲載時のものであることをここにお断りしておく。

※単行本は2020年1月11日発売予定とのこと(買っちゃうかもしれない)。

 

私は不遜ながら芸術作品を修復する人々の手つきを思い浮かべている。彼らによって作者はこの世に留まる。修復されて作品が残るからではなく、修復する手が、その作がなければそのように動くことはなかったということが、作者をこの世の仲間に留めおく。

(前掲書、43-44頁より引用)

 

 

いつの時点で書かれたものかはわからないが、この作品は日記という体裁をとっており、大学の卒業式のあとの日々のどこかで「私」によって書かれたものらしい。

内容はいたってシンプルで、2008年11月8日に叔母のゆき江ちゃんが小五の「私」(阿佐美景子)に日記帳を渡したことに端を発している。それで「私」は日記を書きはじめたわけだが、一度日記を擬人化して「あなた」なんて呼びかけて相談事を持ちかけた翌日にひどい嫌悪感を覚え、それ以来日記の書き出しが「あんた、誰?」となる日々が一年以上続く。家にある曲がった木の棒である「ねじ木」で弟の尻を叩こうとしたこと、相澤忠洋の『赤土への執念』で読書感想文を書こうとしたこと、小学校の卒業でクラスで作る短歌集に「友」にかかる枕詞と叔母に教えられて(担がれて)「かこつるど友とも言えない私たちを 待たぬ桜の散るを見る夜」と書いたこと、そんな子供時代の日記が何度か「引用」される。途中で日記を書かなくなってしまったために、2017年のこどもの日に叔母と閑居山に行ったことが書かれることはなかったが、叔母が亡くなって一年ほど大学を休学した「私」が再び書きはじめた日記で「叔母と出かけた場所へ一人で出かけるという形をとって」2019年5月5日の日記が書かれることになる(それを「私」が「引用」することで読者の前に明らかになる)。

そうやって、「私」は過去の日記を振り返り引用しながら、土屋辰之助という人物のことや、高橋虫麻呂という万葉の歌人のこと、分福茶釜で知られる守鶴のこと、岩宿遺跡発見で有名になった相澤忠洋について調べたことによって、補完されていくような過去をも含む卒業式の日の家族の出来事を書いている。それがこの作品だと私は読んだ。

 

日記の中に過去の日記の引用が出てくるわけだが、こうして「私」によって再構成された出来事は二重にも三重にもなり、はじめの一回で経験したその時よりもずっと長い時間となっていく(そしてそれは最早ただの「過去」ではない)ような印象を覚えた。日記を書きながら「私」は「長い時間を見ていた。」なんて思ってしまったのはこんな文章が出てくるからだ。

 

広がる田圃は輝く空を鈍い群青に映しながら、目を凝らせば細い苗の点描を整然と並べている。ところに遠くから青鷺が降り立つ。獲物をさがして苗を踏むことなく盛んに歩き回り、やがて細い畦に足をかけて首を低く前に差し出したところで止まった。私たちはその長い時間を見ていた。

(前掲書、20頁より引用)

 

実際に「私」と叔母が青鷺を見ていた時があって、それを二年後に一人で青鷺をみて思い出した時があって、さらにそれを書いた時があって……と、語り手「私」が読者の前に差し出す現在に至るまで増幅し得るのかもしれない。

過去の日記に書かれてしまったことは、それはそれでひとつの停止であるが、別の時に思い出したり調べたりした事実によって違うふうに再構成されていくこともある。再構成(あるいは「書く」という行為)には書き手の作為がついて回り、それが都合のいい解釈や物語を呼び込んでしまうものだけれど、「私」はそれさえ否定しない。「私が閑居山を再訪したりメモを見つけたりすることの確率の低さだって問題にしてたまるものか。信じるということは、確率や意見、時事すらを向こうに回した本当らしさをこの目に映し続けることである。」(55頁)、ここに「書く」こと、そこから見出したことへの信頼を感じた。作為を意識しつつも「だからどうした?」踏み越えて行く文学の強さを感じた。

 

 

叔母が私に考えさせたかったのは、ここで、この時、このことだという気がする。それとも、私はやはり「心情を交えすぎ」ていて、叔母を特別扱いしている「お話バカ」なのだろうか? でも私にとってこのお話は、体よく考えられてまとめられた過去ではありえない。私がそれを聞き漏らしたり思い出さなかったり、こうして相澤忠洋について調べなかったりしたら、一つ一つ埋もれたままになっていたかもしれない過去なのだ。私はもはや日記とは言い難いこの書く営みによって、叔母がこの世に埋めていった何もかもを「一家団らん」や「孤独」と一緒に掘り出さなければならない。けちな事実確認のためではなく、改めて埋葬するためでもなく、ただ何度となく、風呂上りにでも見つめて恍惚とするために。すなわち私だけのために。

(前掲書、51-52頁より引用)

 

過去の日記を単に「私だけのために」現在へ引用する。そこに立ち現われる何かに「あんた、誰?」と何度でも問いかけることで(そう思わされる筆のすべりに)単なる過去の回想ではなく「自分を突き動かしている切実なものに気付く」(52頁)、過去と向き合って、あるいは故人を懐かしんだり自分の名字や家にあった物の由来が明らかになってゆくのを書いた作品なのに、過去に甘んじない、この書き手にだけ書くことのできる形式を持ったすぐれた作品だと思う。