言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

断言できないもの―『カフカ短篇集』より「流刑地にて」「父の気がかり」「狩人グラフス」

一冊の本を読むと、しばらくその本についてのブログ更新が続く……というパターンがすっかり安定してきました。今回は前回の続き、岩波文庫の『カフカ短篇集』から「流刑地にて」「父の気がかり」「狩人グラフス」について書いていきたいと思います。

 

カフカ短篇集 (岩波文庫)

カフカ短篇集 (岩波文庫)

 

 

 

「流刑地にて」

カフカ作品を読んでいて感じる「回りくどさ」をたっぷり感じることのできる短篇作品だ(短篇なのにこの回りくどさはすごい……)。学術調査の旅行家が、訪れた土地の処刑を見学するというもので、その処刑に使われる装置についての丹念な説明と処刑に要する時間(12時間!?)についての記述だけでもう十分すぎるほど回りくどい(笑)

処刑の方法というのが、囚人の身体に針で判決文を刻みこむという拷問。この判決文がそもそも回りくどい。何せ12時間かけて刑を執行しなければならないのである。

 

「単純な書体であってはならないのです。即座に殺すのではなく、平均十二時間はもたさなくてはなりません。ちょうど真中の六時間目がきりでして、そのため本来の判決文をとり巻いて、たくさんの飾り文字があるのです。」

池内紀編訳『カフカ短篇集』岩波文庫1987 68頁より引用)

 

この飾り文字の多さ故に、目視で判決文を読むことができないらしい。なんて無駄な……と思うが、この処刑機械を扱う将校は無駄な時間をかけずにさっさと処刑していると信じているようだ。

 

「一時間ばかり前に中尉が報告にきました。わたくしは記録を取るとともに直ちに判決をくだしました。そしてすぐさま鎖をかけました。単純至極なことでしてね。もし召喚して訊問したりしていれば、ゴタゴタしただけでした。〈中略〉ぐずぐずしていられません。そろそろ死刑執行にとりかからなくてはならないというのに、まだ機械の説明が終わっていないのです。」

(前掲書63頁より引用)

 

なんという皮肉。ちなみにこれから処刑される囚人の罪状を一言で書くと「上官侮辱罪」。訊問して普通に処罰したほうが明らかに早くないだろうか。こんな処刑の顛末は≪正義をなせ≫という図面によって意外な形にまとめられる。処刑を執行するはずの将校が突然自ら刑を引き受けるのである。というのも、この処刑装置はまもなく廃止されることが明らかになったからだろう。馬鹿馬鹿しいくらいに処刑装置にこだわりを持つ将校なのだ。

処刑に際して、身体に針で刻むのに将校自身が選んだ図面が≪正義をなせ≫(勿論飾り文字満載なので目視で読むことができない)。

装置にこの図面を仕込んで処刑の準備は整うのだが、その時装置が故障してしまい、自ら長たらしく説明していた処刑機械の機構とは全く関係ない死に方をする将校が描かれる。

 

「まるで何かある大きな力が≪製図屋≫(処刑の際に刻む文字の図面をいれる装置の一部)を圧しつぶし、歯車が押し出されたようだった。」

 (97頁)

 

「正義」を成した結果が機械の故障と、その機械を司る将校の死なのだろうか。そんな風にも読めるが、私が読みながら最初に考えたことは「正義」を書くなんてことはできない、ということだった。「正義」は客観的に目視できるものではない。書くことのできない「正義」というものの図面を、囚人の身体に書き込むという機構に入れた先には破綻しかない。

回りくどい手順を一切無視した呆気ない将校の死。

処刑機械を圧しつぶし故障に導いた「何かある大きな力」が具体的に何なのか、全く書かれていないし、たぶん誰にもわからない。あるいはこれが「正義」なのかもしれないけれど、誰にも断定することはできないのだ。

 

 

 

「父の気がかり」

 

「いかにも全体は無意味だが、それはそれなりにまとまっている。とはいえ、はっきりと断言はできない。」

(104頁)

 

得体のしれない存在「オドラデク」がこの先いったいどうなることやら。というのが「父の気がかり」なのであるが、そもそも「オドラデク」というものの現在すらよくわかっていないのに未来について心配しているという不可思議な話だ。しかも過去についてもよくわからない。カフカの作品には時々、時間の中にきちんと嵌ることのできない不可思議なヤツが出てくる。

 

 

 

 

「狩人グラフス」

この作品も時間軸を飛び出している存在が描かれている。時間というか、どこにも属せない存在、「生」と「死」の狭間を漠然と漂い続ける存在が描かれる。こういう存在を描いたどことなく地に足のつかない作品が好きだ。

なんの変哲もない町の港(日常)の風景に、音もなく小舟が入ってきて棺(死)が下ろされる。はっきりと描かれる日常的な風景に異質なものが侵入してくる、この手触りがたまらない。

 

「棺台の覆いは取り払われていた。髪も髭ものび放題の男が横たわっている。ピクリとも動かず、目を閉じ、呼吸(いき)もしていないようすだった。そのくせ、まわりの連中の態度、物腰を別にすれば、死人といったところもないのである。」

(108頁)

 

棺の中の男によると、死んでから三途の川を渡り損ねたらしい。渡し舟の舟乗りが舵を取り間違えて以来、生きているとも死んでいるとも言いきれない存在として、漂い続けている。生と死、どちらにも属せない。

 

「いまはここにいるが、ただそれだけのこと、それ以上のことはできやしない。小舟には舵がないのでね。死の国の一番下手(しもて)で吹いている風のまにまに漂っていくだけだ」

(115頁)

 

 そしてたぶん、これからもずっと漂い続けるだけななのだ。

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