言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

主観の渦の中、永遠のよそ者K―カフカ『城』を読んで

フランツ・カフカの短篇をいくつか読んだ後は、是非とも長篇も! ということで長い間積み本になっていた「城」の征服に乗り出してみましたが……。遭難しましたッ!ひとまず読み終えることはできたし、数年前に積んだ時よりは面白さがわかったような気がします。それにしても長い(笑)文庫本にして600頁超(全20章)もあるのに、そんなに言葉を尽くしたのに、何一つ解決しない上に未完!!(苦笑)生前は発表されず、死後1926年に友人マックス・ブロートによって公刊された作品です(カフカは死ぬ前に原稿を破棄するよう友人に頼んでいたはずなのに。この友人が裏切ったおかげで現在われわれはカフカ作品の多くを読む事ができるんですね)

今回読んだのは前田敬作訳『城』(新潮文庫 昭和46年初版)

 

城 (新潮文庫)

城 (新潮文庫)

 

 

 

さて、では「城」について具体的に。

城に雇われて遠路はるばる雪深い村にやってきた測量士のKという人物が主人公。

雇われて仕事をしにきたはずなのに、村へ到着後も城からは何も依頼がなく、測量士Kはその職務を果たすことができないでいる。なんとか、城へ行こうとしても雪道という悪路に阻まれ辿り着けず、ではどうにか城の関係者に連絡をとろうとしても複雑な官僚組織に阻まれて果たせない。村で数日間暮らしているうちに、村人との接点が生まれるが、Kは村に完全に馴染むことができない。彼は最後までよそ者でしかなく、人々が当たり前だと思っている城やその機構をめぐる慣習について完全に理解することはない。

見知らぬ土地で何もあてにできず、1人取り残された測量士Kの姿は、社会から疎外された個人の姿にみえるのだ。

 

ひとつの世界には、その世界にのみ通用する生きかたのうえでのさまざまな約束や習慣の複合体がある。これは、一般に道徳という呼称を冠せられているが、じつはその世界に所属し、世界から存在の「義認」を得ようとする者が絶対に遵守しなくてはならないその世界の「律法」なのである。これに従わなければ、世界から所属をゆるされず、したがって、存在することができない。

(前掲書、訳者解説624頁より引用)

 

さらに訳者解説によると、カフカはあるアフォリズムのなかで存在するということは「そこに在る」(Da-sein)ことだけでなく、同時に「そこに属する」(Ihm-gehöre)ことを意味する、と書いているそうだ。つまり人間存在は世界に所属している、ということでこの所属が剥奪されると、存在しないということになってしまうのだ。訳者はカフカ文学を「存在の文学」と位置付け、そこから掟(律法)、罪、裁きなどのカフカ作品に繰り返し現れる観念があらわれてくるとしている。

 

たぶん、こういう読み方が、カフカの「城」という作品の一般的な解釈なのだろう。ただ私は自分が読んだ時の第一印象を大事に掬い取って言葉にしてみたいと思う。というわけで、上記の解釈に付け加えて提示してみたいことがある。

それは、この小説の語りの特徴と、その客観性の無さに関わってくる問題だ。

「城」という作品は測量士Kと村人の対話によって多くが語られる物語だ。現代ではとてもこんな書き方はできないわけだが、一人の人物の一度の台詞が数頁にもわたっていることが少なくない。台詞によって小説世界の状況が語られるわけだから、この語られた状況は著しく客観性を欠いている。読みながらたびたび感じたこと、それは「この村には一体何人の村人がいるんだろう? フリーダだけでもう何人もいたような気がする……。フリーダだけではない、もうすべての村人が名前という記号によって統一感を与えられているにすぎず、主観の数だけ変幻自在に存在しているのではないだろうか?」ということ。

 

もっとわかりやすく書くとこんな具合に見えたのだ。

Aという人物がBという人物を語る。

Cという人物がBという人物を語る。

同じBという人物について語っているのに、それぞれ語られるBの印象が全く違う。

 

語る人物たちはそれはもう主観たっぷりに言いたいことを言いたいようにしゃべりまくる。その噂話が何人ものフリーダや、何人ものバルナバスを生み出している。

城や村の常識(というか訳者の言葉を借りれば「律法」)について理解できず混乱しているKの頭の中には、さらに追い打ちをかけるように何人もの同じ名前を持つ人物が蠢いているのかもしれない。しかし、Kも主観をもって語る人間である。自分が正しいと思って選び取った印象を他の村人に語って聞かせるが、何を言っても村人たちには嘲笑されるか、間違った認識だとしてあしらわれるのだ。何も知らないKをよそに村人たちは何故かみんな「測量士さん」を知っている。村のなかにひしめく多くの主観の渦に飲みこまれながら、Kはどこにも行けずに戸惑い続ける。

 

 

 

おまけ(読んでいる途中でtwitterに載せたコメントを多少修正しつつメモしておく)

@MihiroMer

「今カフカの『城』を読んでいるのだけれど、短篇集で登場したモチーフが長篇小説の中にも活かされているなぁ、と感じます。「城」に登場する測量士Kの二人の助手の存在が短篇「中年のひとり者ブルームフェルト」に登場する二個のボールに似ている。あのウザさ。それから「父の気がかり」に通じるものがあるような気がします。

 

得体の知れない機構が存在していて、それに巻き込まれていく、というカフカ作品の持ち味みたいなものが感じ取れる作品だと思います。やけに回りくどいのもカフカならでは、なのでしょうか。昔積んだ「城」という作品に面白さを見いだせる日が来るとは思っていませんでした(笑)