フランツ・カフカ、頭木弘樹『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社、2011年)
たまには軽めの本を手に取るのもよかろうと思い、図書館で見かけたこの本について。
今回はこの一冊について軽めに更新したい(何故か、このブログで安定的?なアクセスのある記事がカフカについて書いたものだったりする)。
この本もそうなのだけれど、有名な小説家や思想家の日記や手紙の断片を集めて一冊にした書籍というのは結構ある。ある特定の小説家なり思想家のコアなファンにとって、自分の大好きな人物が書いたものが細切れにされて恣意的に並べられるのは耐えがたいものだろう。何せ、そこにはある特定の小説化なり思想家とは別人の、つまり編者の意図が大いに反映されてしまうからだ。私もどちらかと言うと、この手の「断片を集めた系書籍」は避けてきた(今も避けているかもしれない)。
ただし『絶望名人カフカの人生論』には負けたかもしれない、敗北を認めてブログの記事にしようと思った。この本の場合、編者の恣意性というか着眼点こそが面白かったのだ、困ったことに。一つだけ難があるとすれば「人生論」とタイトルに銘打ったことだろう。これは人生論なんてお堅いものではないと思う。「人生論」というよりは「チラシの裏に書いた愚痴」である。
いくつか引用しておこう。
1倒れたままでいること
将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。
将来にむかってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。
――フェリーツェへの手紙――
(24頁より引用)
25自分を信じて、磨かない
幸福になるための、完璧な方法がひとつだけある。
それは、
自己のなかにある確固たるものを信じ、
しかもそれを磨くための努力をしないことである。
――罪、苦悩、希望、真実についての考察――
(78頁より引用)
ちなみにフェリーツェという人物は、カフカの婚約者だった人で(結局結婚はしなかった)、婚約者に宛てた手紙にしたためた内容がこのやる気の無さ(笑)
カフカのネガティヴ思考を集めて一冊の本にしたため、ずっとこのテンション。カフカの言葉(日記や手紙からの抜粋)に編者の簡単な解説がついている。この本の「はじめに」という部分で述べられているように、本当に落ち込んでいる時にはポジティヴな名言というのはあまり心に響かないもの。勿論、ポジティヴな言葉が悪いのではなくて、ただ受け取りにくい心理状態というものは確かにあるのだ。そんな時、意外と人を元気づけるのはこの本で集められたカフカのネガティヴ思考ではないだろうか?いや、あんまり元気にはならないかもしれない(爆)。
が、ひとまずパラパラ読んでいて思ったのはあまりにネガティヴすぎていっそ面白かったということだ。本当は結婚したかった、本当は幸せな家庭を築きたかった、本当はもっと評価されたかった、……云々。だけれどなんか無理だったカフカの愚痴が、15章分「世の中」「仕事」「将来」「結婚」などなど人生のいろいろな局面に分類されて掲載されている。
繰り返して言うが、この本を読んでも別に元気にはなれなかった(少なくとも私は)。だが、あらゆることに「絶望した!」にも関わらず、「第十五章 病気に絶望……していない!」というカフカのネガティヴな物事の捉え方を巡ることのできる編集になっていて興味深いのだ。
こういう本から興味を持った人が、なかなか手に入りにくいカフカの手紙や日記、断片などを集めたマニアックな書物に進めばいいのではないか、なんて思った。
勿論、やはり私はカフカは作品によって評価されるべきだと思うが、そういえばその作品のほとんどが未完成であり、本来ならカフカの死後焼却処分されているはずのものだった。
解説からいくつかメモ程度に書いておくが、日本で一番最初にカフカの翻訳をしたのは中島敦だそうだ。翻訳したのは「罪、苦悩、希望、真実の道についての考察」の一部で青空文庫で読むことができる。
それから日本で最初に出版されたカフカの翻訳小説は、昭和15(1940)年、本野亨一訳『審判』(白水社刊)であり、当時6、7冊しか売れなかった。にもかかわらず、そのうちの一冊を安部公房が買っていたらしい(笑)。
今では世界的に20世紀最高の小説家、という評価を受けているフランツ・カフカであるが、そんな彼も当然人間であるから手紙や日記に愚痴だってつづっているのだろう。自己肯定感が乏しいのか、自己に課したハードルが高すぎるのか、低空飛行なカフカの一生を漠然と感じた。
最後にひとつだけ。これは解説の部分からの引用になるのでカフカのどの書物から抜き出したものかわからなかったのだが、メモ程度に書いておきたい。以前twitterのカフカbot(カフカの日記や手紙の一部を定期的に投稿するアカウント)から流れてきて気になっていたフレーズだ。カフカが友人に宛てた手紙の一部らしい。
「いったい何のためにぼくらは本を読むのか? 君が言うように、幸福になるためか? やれやれ、本なんかなくたって、ぼくらは同じように幸福でいられるだろう。いいかい、必要な本とは、このうえなく苦しくつらい不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない」
↓参考記事(カフカ作品に関する過去記事)