言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

繭のような感想――大江健三郎『燃えあがる緑の木』

とにかく「意味」を求めたり与えたりしたくなる、というのは人間の習性なんだろうか? だれが、だれに、どうして、なんのために? 「意味」を与える(求める)ということについての問いは、その「意味」を巡って堂々巡りすることになる。答えはきっと空っぽなんだろう、ただ巡ることだけが無限に続いていく。揺れ続ける。ある一つの結論を出したと思っても、すぐにその反対側にある思考の気配が感じられる。片側は緑に覆われていて露が滴っていて、もう片方の側は燃え上がっている木。両極が同時に存在しているということ。

 

今回は大江健三郎『燃えあがる緑の木』を読んで考えたことを書いていく。

大江健三郎『燃えあがる緑の木』(新潮社、大江健三郎小説10、1997年)

 

 

 

第一部〈「救い主」が殴られるまで〉、第二部〈揺れ動く(ヴァシレーション)〉、第三部〈大いなる日に〉からなる長篇小説だ。

〈「屋敷」のお祖母ちゃんが、あの人をギ―兄さんという懐かしい名前で呼び始められた〉という印象的な一文で物語は始まる。読み始めたばかりの読者には「屋敷」も「あの人」も「ギー兄さん」のこともわからないけれど、「語り手」にとってギー兄さんという名前は「懐かしい」ものらしい。この冒頭から続く一段落は〈地下に伏流していた名前が、湧水となって地表へ出たのだ〉で閉じられる。こうして地表へ出た湧水の「ギー兄さん」は、物語の終盤で〈一滴の水が地面にしみとおるように〉物語の「外側」へ帰っていく。お祖母ちゃんが「ギー兄さん」と呼ぶより前の、ただ素朴に「魂のこと」をやりたいと思ったという時間へ、あるいは歴史時代の一揆や、〈壊す人〉がこの土地を開いたという伝承にまで繋がっていくような無限の時間に。たった一段落にふくみこまれる時空間の大きさに圧倒される読書経験だった。……というのも、私が本書に与えたひとつの「意味」だ。

 

物語全体を簡単に言ってしまえば、四国の山間の集落で一人の男が宗教を作ろうとする話、というふうにまとめられると思う。地元でオーバーと呼ばれるお祖母ちゃんに土地の伝承をきき、「魂のこと」をしたいと思い立ってから繰り返された様々な対話、そして偶然から「救い主」と呼ばれるようになった男はサッチャンこと語り手「私」とともに「燃えあがる緑の木」という教会を立ち上げる。農場が拡大し経済基盤が整い、礼拝堂まで建てたのちにメンバーが分裂し、やがて男が教会を去ることになるまでの出来事。イェーツ、ダンテ、ドストエフスキー、アウグスチヌス、シモーヌ・ヴェイユワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』という過去に書かれたもの、さらには大江自身がかつて書いた自作(『懐かしい年への手紙』など)からの引用と対話から、登場人物がそれぞれの身に起きる人生の事柄に「意味」を与えようとする物語でもある。「本にジャストミートするかたちで出会うことは、読む当人がなしとげる仕業というほかないんだね。選び方もあるし、時期もある」と第三部で作家のK伯父さんが言うように、ある本が深く心に刺さるためには、読む当人がそこになんらかの「意味」を見つける必要がある。自分にとって今一番必要だと感じられる本、文章、言葉、そういうものに出会った時の喜びを「私」は「私」にしか与えられない。その固有の「意味」を登場人物たちはそれぞれに読み解いていく。

 

「燃えあがる緑の木」の教会には「神」がいない。そのことについて教会の主要なメンバーの一人であるザッカリーは「空屋のごとき教会」と表現する。ギー兄さんはその表現が適当だと思う。「なにもなかにはないかも知れない、むしろなくていい、そういう繭のようなものが思い浮かぶから」と言う。

教会のメンバーたちは「救世主」ことギー兄さんの言葉を待っている。福音書をまとめたいし、祈りの言葉だって定めたい。教典も必要になるだろう。そういうものを「救世主」に定めてもらいたい、「意味」を与えてもらいたい。

しかしギー兄さんは、やがて教会に背を向けることになる。なんであれ「意味」を与えるということが他人によってなされる時、それは自分にとって真っ直ぐなものでなくなるというか、正直な、自分のためのものではなくなってしまうのだ。だから「魂のこと」も、生きる意味みたいなものも、なぜ自分が死んでいかなければならないのかということの答えも、人間が他の人間に与えることなんかやっぱりできないのではないか。そんなふうに思うから私には深く信仰する宗教が無いのかもしれない。そのくせ「私の神様」的な何かに祈ることがあるのだから、ここまでくるともはや自分勝手としか言いようがない。しかしなんと言われようとも自分にとって「固有」なものにしがみついていたい、そうやって生きたいのだと言い張りたい。

 

――痛みは少しもありませんでした。しかし、愛想もこそもなしに、歯が捥ぎとられましょう? ミリミリという音がして。あれは下顎から耳の神経に直接つたわる音なのでしょうがな、魂が身体から捥ぎとられる時も、この音を聞くのかと思いました!

(第一部、17頁のオーバーの言葉)

 

 

お祖母ちゃん(オーバー)の身体感覚に根差した魂の捉え方は、オーバーの身体を通さないと聞こえてこないものなのだ。このオーバーの言葉に私は強く揺さぶられた。それから語り手サッチャンが水の中から飛び上がったアメノウオが羽虫をパクリと脣(くちびる)に加え込んだのを見て、羽虫をオーバーの魂に、そしてアメノウオをオーバーの肉体と捉え、「お祖母ちゃんが、こちら側から向こう側に移られる際にも、羽虫のようにかすめ過ぎようとした自分の魂をとらえなおして、脣にくわえこんだ澄まし顔が、時と空間のそれぞれに滲みあうところで見えるのか?」と問う場面がある。この魚と羽虫のいる光景にこの魂という「意味」を見出せるのはサッチャンだけだ。

「魂のこと」とは、やっぱり人それぞれ個別のことなのかもしれないし、だからこそ想像される光景のひとつひとつが尊いものになる。

……なーんていうのも、私が本書を読みながら重ねていった「意味」のひとつでしかない。

 

結局は自分の言葉でどう把えなおすかということが、つまりはテキストの受容だからね。自分の頭と心を通過させないで、脣の周りに反射的な言葉をビラビラさせたり、未消化の繰りかえしだけをやる連中がいるけれど――学者に、とはいわないまでも研究者にさ――、こういう連中は、ついに一生、本当に大切なテキストと出会うことはないんじゃないだろうか?

(第三部、K伯父さんの言葉)

 

 

肝に銘じつつ(時々、大江健三郎自身の読書観ではないか? と思いたくなる文章が出てくる1冊でもあった)、やっぱり「私」は過剰に「私」にとっての本の読み方しかできない。せめて繭の中で自分にとって「意味」を育てていくような読書の日々が続けばいいと願う。まあ時には、歪んで凝り固まった自分が羽化してどっかへ飛んで行き、空の彼方へ消え去っていって、その繭が空っぽになることもあるかもしれないけれど。

 

時間のゆくえ、星雲に浮かぶ小鳥の羽根の永遠―小川洋子『約束された移動』

――死者はとても耳がいいから、小さな声で充分なのだ。

という言葉を「巨人の接待」という作品の中に見つけて、なんだか安心した。というのも、私事で大変恐縮だが、先日同居のモルモットのこもるさんが亡くなったのだった。10月25日の深夜0時26分。飼い主の膝の上で、しゃっくりのように繰り返していたふるえる呼吸がぴたっと止まり、そのまま命がスッと抜けて行ったような最期だった。

この一つの死を私は、あらかじめ約束された移動だったのだと思っている。

 

文学を志す者として、私の本の読み方は相当歪んでいて、そして邪道だと思う。その時々の自分が置かれた状況や心境をどうしても映してしまう。映さずにはいられないというか、そうやって読んでいった本が後で振り返った時に、本当に大切な一冊になっていることが多い。

今回は小川洋子さんの『約束された移動』を紹介したい。この本を手にとった時にはモルモットのこもるさんはまだ生きていた。亡くなって少し落ち着いてから読み終えてみれば、まるでこの本が自分のために用意されていた安心の「四角い囲み」だったと思うほど、深く慰められていたのだった。たぶん私の寂しさや悲しさを癒せるのは、書かれた言葉だけなのだろうと思う。

 

小川洋子『約束された移動』(河出書房新社、2019年)

 

 

「約束された移動」「ダイアナとバーバラ」「元迷子係の黒目」「寄生」「黒子羊はどこへ」「巨人の接待」本書は、この“移動する”6篇の物語を収めた1冊だ。

 

赤い背景に青い台、その上に置かれた銀の皿の上の洋ナシ、リンゴ。コーヒーカップに巻き貝1個、そして透明の花瓶に活けられた花は途中で大きく伸びてゆく方向を変えている、こんな装画の本だ。表紙に描かれた青い台は敢えて本の右端に長辺に沿って縦に配置されている。そのせいで花瓶の花は画面右から横方向に伸びて、途中でぐっと縦方向に向きを変える。左端に配された縦方向に伸びる花と右端の青い台で、題名と著者名がそっと囲まれている。あ、この四角い囲みは小川洋子さんの物語の場所だ、と思った。小川さんの作品に時々みつけてしまう、安心の場所だ。そこは読者にもそっと差し出されている。装画は三宅瑠人というひとの作品だった。皿の上の果物や活けられた花を見て、17世紀西洋絵画の静物画を思い出した。“移動する”物語に静物の装画? このコントラストを考えているうちに、静物画というものも停止しているものを描いているのではなくて、すべては「約束された移動」の最中を描いているのだと思った。

移動とは変化だ。生きている限り、人は絶えずどこかへ移動していく。人だけではない、生きている者すべて、いや命の無い物体であっても絶えず変化し続けるという移動をしている。それは時間。すべての存在は時間を孕むものとしてうつろっている、生き物ならば生から死へと移動していく。

 

表題作「約束された移動」は今ではすっかり落ちぶれてしまったハリウッド俳優Bと彼が宿泊したホテルの客室係「私」がこっそり共有する移動の物語。Bはロイヤルスイートに宿泊するたびに書棚から1冊ずつ本を持ち去って行く。

「ダイアナとバーバラ」は、かつてこの国にエスカレーターが導入されたばかりの頃、慣れない乗り物を安全に運行するための補助員だったバーバラと孫娘の物語。大事なのは「そこにいるけど、いないも同じ、という雰囲気を出すことなんだ」(60頁)

“ママの大叔父さんのお嫁さんの弟が養子に行った先の末の妹”(この続き柄に大移動を感じてしまう)の斜視の黒目が迷子を発見するのに最適だった、決して可愛そうな子を見逃さなかったという物語「元迷子係の黒目」。

〈ヒトに寄生する虫たち~その離れがたき関係~〉という虫の特別展で知り合った相手にプロポーズをしようと出かけていった「僕」に、突然見知らぬ老女がしがみついてきて離れなくなってしまう「寄生」。

大風の吹いたとある夜に座礁した貿易船から流れ着いた二頭の羊を引き取った村はずれに住む寡婦がやがて村で唯一の託児所『子羊の園』の園長となって、子どもたちが子どもでなくなるのを「ある日」まで見送り続けた物語「黒子羊はどこへ」。

 

最後の物語は巨人と呼ばれる作家の小さな声を通訳する「私」が、その声が小さいのは死者に向かって語りかけているからだ、と気がつく「巨人の接待」。

 

あなたはあなたの声帯に相応しい声で語ればいいのです、と私は心の中で呼び掛ける。すると巨人は耳たぶで私だけに合図を送り、マイクに視線を落としてから、二言三言答える。星雲の流れに小鳥の羽根を浮かべるように、そっと言葉を吐き出す。

(前掲書、196頁)

 

 

死者はとても耳がいいから、小さな声で充分なのだ。巨人には双子の弟がいたのだけれど、母親のお腹にいる間に天に召され、兄の隣に寝かされた時には既に死者となっていたという。巨人は夜になると幼い弟や妹に自分で作ったおとぎ話を聞かせてやっていたのだが、そんな時しばしば一人足りない、という感覚に戸惑うのだった。その欠落に向けて語る巨人の声は小さいのだ、小さくていいのだ。そしてたぶん作家である巨人が小さな声で語りかけたいのは弟だけではなくて、かつていて今はいないもっと多くの者たちなのだった。モーリシャスクイナ(1700年)、タヒチシギ(1773年)、カササギガモ(1878年)、ワライフクロウ(1914年)、カロライナインコ(1918年)。すべて絶滅した鳥たちを座席にデザインしたメリーゴーランドが巨人と通訳の「私」が最後に行った野鳥の森公園にある。巨人が乗ったのはドードー(1681年)だった。巨人はうっとりと目を細め、語り手には聞こえない小さな声でドードーに話かけるのだ。絶滅した鳥たちがメリーゴーランドの回転によって延々と一つの円を描き続けている。私はこの物語には特に、死の向こう側の永遠を見る思いがした。そしてこの永遠を読者に見せて本書は終わる。

 

さて、私もそろそろ移動しなければならないな、と思う。私の移動は日々の読書でできている。そんなわけでもしかしたら、約束されたその移動に、ついて行くことができるかもしれない、とそんなことを考えたのはこのブログ記事をそろそろ書き終えようとしている時だった。作品内に登場するのと同じ本を私も手に取って行くのはどうだろう? と企み始めたのだ。ちょうど表題作「約束された移動」でハリウッド俳優Bが持ち去った移動にまつわる本を、語り手「私」が同じものを読むことで追いかけるように。「私」のあとを読者の私が追いかけたら、私の読書遍歴は面白い移動になるのではないか。

 

ハリウッド俳優Bが出演した作品の中で、語り手「私」の一番のお気に入りはデビュー作だった。その作品がスタートしてからちょうど十八分四十秒後、仲間に怪我を負わせてしまったBが行き場を失い、延々と川沿いの道を歩きながら幼い頃に祖母が繰り返し語ってくれた象の移動の物語をつぶやいている。昔々、この町で万国博覧会が開かれた時、船で運ばれてきた十六頭の象たちが、港から会場まで川材の道を行進したんだよ。その移動の途中で子象が一頭生まれた。それから移動には子象も加わる。

 

ああ、これはあらかじめ約束された移動なのだ、と誰もが深くうなずいて、生まれたばかりのその生きものに祈りを捧げた。厳かな気持ちにさえなった。象たちは再び歩き出した。もちろん子象も一緒だ。小さいからといって近道できるわけじゃない。何のために、どこへ行くのか知ろうともせず、ただ黙々と歩くのだ……。

(前掲書9頁より引用)

 

 

 

ハリウッド俳優Bがロイヤルスイートの書棚から持ち去った本はこんな具合。

ガルシア=マルケス『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』、コンラッド『闇の奥』、アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』、アラン・シリト―『長距離走者の孤独』、サン=テグジュペリ『夜間飛行』、アガサ・クリスティオリエント急行殺人事件』、アンデルセン『絵のない絵本』、ライマン・フランク・ボームオズの魔法使い』、ケネス・グレーアム『たのしい川べ』、スタインベック怒りの葡萄

 

デビュー作の映画のワンシーンでつぶやいた象の移動の物語は、ハリウッド俳優Bが新たに読んだ本の別の物語に取って代わっていき、それと同じ本を開いた「私」はBの後を追いかけていくように読む。本当のところBが何を思っているのかはわからないけれど、「私」はBが今でも移動し続けていると信じている。どんなに落ちぶれて世間に蔑まれても彼が手に取った物語の登場人物たちに導かれるようにして「ただ黙々と歩くものだけがたどり着ける場所まで、彼は歩き続ける」(9頁)のだ。

 

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今月発売の「新潮」12月号に小川洋子さんの『掌に眠る舞台』の書評を書きました。

題名は「消失点の場所」です。どうぞよろしくお願いします。(久栖)

 

 

 

網の目の自立―森田真生『僕たちはどう生きるか 言葉と思考のエコロジカルな転回』

私は子供の頃、一生大人になれないと思っていた、ような気がする。その当時実際にどう思っていたのかなんて今となってはある程度想像するしかないことなのだけれど、ひとつ確かに言えるのは、子供の私にとって世界が「圧倒的なもの」に見えていたことだ。目の前からどこまでも続く道路は誰がつくったのか、どうして信号機は淀みなく赤や青にひかるのか? 家はどうやってつくるの? テレビから流れてくる番組は誰の頭のなかにあったものなの? この絵本は、この物語は……と、自分の目の前にあるものが何一つわからなかった。電化製品が大変な恐怖だったことも覚えている。特にカセットテープ、本を読んでくれなかった母親の代わりに喋っている機械が、もし永遠に止まらなくなったらどうしようと思って執拗に停止ボタンを押していた。学校の行事で「社会見学」なんてものがあって、浄水場下水処理場を見学したけれど、その断片が「圧倒的なもの」として映る私を取り巻く世界と結ばれることはなかった。そして「大人」になったら、仕組みなんて全然わからないのにそんな「圧倒的なもの」を作らなければならないと思っていて、そんなの無理に決まっているし今では一人の存在が一から十まで建設しているわけではないことを知っているが、その当時はわからなかった。それが一生大人になれないという思いにつながっていたのではないか。

 

そのことが今回紹介する一冊の本とどうつながっているのか。

それは、子供時代の私にとっての「大人」のイメージとは狭い意味での「自立」だったのではないか、ということだ。

 

森田真生『僕たちはどう生きるか 言葉と思考のエコロジカルな転回』(集英社、2021年)

 

 

〈「ここでないどこかに行く」ためではなく「すでにいるこの場所を精緻に知る」ために〉(帯文より)

「これまで反復していた自然がかつてのようには反復しなくなり、当たり前にいたはずの生き物たちが次々と滅びていく世界で、心を壊さず、しかも感じることをやめないで生きていくためには、大胆にこれまでの生き方を編み直していく必要がある。」

(前掲書、3-4頁引用)

 

 

本書は、2016年『数学する身体』で小林秀雄賞を受賞した森田真生さんのエッセイだ。2020年春、つまり新型コロナウイルスの感染が日本で急拡大を始めたころから1年ほどの出来事と著者の思索がつまっている。

著者によると、アメリカで独自の環境哲学を展開するティモシー・モートンは同じことが別のスケールではどんな意味を持つかを常に想像し続ける姿勢を「エコロジカルな自覚」と呼ぶ。(エコロジカルな自覚=おびただしく多様な時間と空間の尺度があることに目覚めること)すべてがただ順調に作動しているときには、その順調さを測るための「一つの尺度」に依存しているわけだが、順調でなくなる(危機に陥る)時に、人は初めて自分がこれまで寄りかかっていた「一つの尺度」の脆さに気づき、いままではとは別の尺度を探し始める。

 

大洪水や干ばつ、森林火災など世界的な自然災害の増加によっていよいよ顕在化してきた地球環境の問題や、新型コロナウイルスの世界的流行が多くの人間に「危機」として迫った。特に新型コロナウイルスによって、それ以前までは当たり前に動いていた社会生活が否応なしに寸断されてしまうという事態に、私たちは遭遇した。それで「新しい生活様式」というのが盛んに言われて、家にいて、ひとりで過ごすための様々な物へのニーズが一時的に高まった。いつもより本を読もうと思う人もいたし、ネットフリックスとかアマゾンプライムの契約をして、映画やドラマをまとめて観ようと思った人も多かったと思う。業種によってはそんな悠長なことを言ってもいられなくて、仕事を失う危機を抱いた人や、医療従事者として否応なしにコロナのすぐそばにいるしかなかった人もいただろう。「私って、この状況でどう生きればいいの?」はっきりそう問うことはなくとも、今まで依存していた「一つの尺度」から別の尺度を探さなければならなくなった。

 

本書の著者はパンデミックの前までは国内外を忙しく旅しながら、数学にまつわるレクチャーやトークをするという活動をしていたが、それが次々と中止や延期になったことで、「自分が言葉を発するよりも、自分でないものたちが発している声に、耳を澄ます時間が多くなった」という。何せ冒頭いきなり「僕の一日は、家にいる生き物たちの世話から始まる」と本書は切り出される。カワムツ、ヨシノボリ、エビ、オタマジャクシ、サワガニ、トノサマガエル、クワガタ、カミキリムシ、カマキリに餌をやり様子を確認し、昨日の生ゴミコンポストに入れ、カブ、パクチー、万願寺唐辛子、トマト、モロヘイヤ、ローズマリー、レモン、ミントなど庭にたくさんの野菜やハーブがひしめいている。(そもそもこうなるに至った経緯に幼稚園のお子さんの「ねぇ、おうちも、おにわも、ぜーんぶようちえんにするのはどうかな!?」という提案があって、なんだかほっこりした。)

自分とは違う生き物と暮らすということは、これまでの自分の生活の中に別の尺度が入り込んでくることだと思う。

 

かつて「自力」を信じることができた時代に、知の目指すところは「正しさ」であったが、エコロジカルな自覚のもとではこのような「高さ」という考えそのものが機能しなくなる、と著者は書く。エコロジカルな自覚とは、錯綜する関係の網(メッシュ)のなかに自己を感覚し続けることで、網には「てっぺん」などない。人間は、人間以外のものに深く依存して生きているわけだが、近代という時代はそのことを巧みに秘匿してきた。人間は人間だけで「自立」していると思っていた。だが、本当のところ「自立」とは「何ものにも依存していない」状況ではなくて、むしろ依存先をいくつも持つことによって「一つ一つの依存先への依存度が極小となり、あたかも何ものにも依存していないかのような幻想を持てている状況」なのだと小児科医、熊谷晋一郎氏の脳性まひ当事者としての経験を引きながら本書の著者は説明する。「弱いからこそ」人間は他者とつながることができる。強い主体として「自立」を保つことではなく弱い主体として他のあらゆるものと同じ地平に降り立つこと、大小様々なスケールにはみ出していくエコロジカルな網に編み込まれた一人として自己を再発見していくことを説く。

 

 

この記事の始めに書いたが、子供の頃の私にとって世界は「圧倒的なもの」に見えていた。その世界は完成されていて完璧に私を包み込む「絶対」だった。そんな遥かな「てっぺん」みたいなものを作るのが「大人」でそれは「自立」しているべきものだった。

漠然とであれ、そんなふうに思っていた子供の頃の私に言いたい。

この世界は、本当は無数の小さなものの犇めき合いからできていて、その関係の中であなたは生きているんだよって。だから、たとえばあなたが今日書いた他愛もない作文や、私が今書くこんなブログ記事でさえも、その一部として世界の形になっているんだよって。

孤独とおなかの中の獣―ハン・ガン『菜食主義者』

自分の心臓の音がきこえるほどの孤独、という言葉を思い浮かべた。長い間ひとりぼっちで静かな場所にいて沈黙を守っていると、自分の鼓動ばかりが耳につくようになってくる。耳を澄ませば、次第に大きくなっていく鼓動は、自分の生命活動による現象であると同時に、自分とは切り離れた外部の物音であるような気もしてくる。これは願いだろうか。孤独のあまり「だれかに一緒にいてほしい」という願望が鼓動から私を切り離して生み出した空想の他者だろうか。まるで自分の心音を二人分と思って耐える孤独があると思う。でも自分の中に感じられるもうひとつの存在は、必ずしもおだやかな存在ではなくて、時に自分自身の運命さえもめちゃくちゃにしてしまうかもしれないのだ。

今回はハン・ガン(韓江)の『菜食主義者』という作品について書いてみたい。

 

ハン・ガン(韓江)著、きむふな訳『菜食主義者』(クオン、2011年)

 

 

著者は1979年金羅(チョンラ)南道の光州(クァンジュ)で生まれた、今日の韓国文壇を代表する作家のひとり。本書『菜食主義者』は2002~2005年に発表された「菜食主義者」「蒙古斑」「木の花火」という三編のゆるやかに繋がった中編小説から成る。訳者あとがきによると「彼女の作品の主なテーマである人間の欲望と心の傷、植物性、死、存在論の問題を集約した秀作と評価され、その年の李箱(イサン)文学賞を受賞」(298頁)とのこと。2016年には『菜食主義者』でブッカー国際賞を受賞している。

 

「夢を見るから……それでお肉を食べないんです」

「何の……夢を見るというの?」

「顔」

(『菜食主義者』「蒙古斑」142頁より引用)

 

 

3つの作品はそれぞれ語りの中心人物を変えながら、ある時から肉を食べなくなったヨンヘという女性を巡る物語を描いている。彼女は肉を食べなくなってから次第に痩せ細り、死に近づいていく。その三年ほどの月日が一冊の本の中に流れている。

 

一つ目の作品「菜食主義者」の語り手はヨンヘの夫で、ヨンヘという女性の「平凡さ」が強調される。その平凡な女性が、暗い森の中の納屋、血だまりに映った顔、だれかがだれかを殺して隠すというような悪夢を見るようになったことがきっかけで肉を食べなくなる。二つ目の「蒙古斑」の語り手はヨンヘの姉であるインヘという女性の夫を中心に描いた三人称形式。インヘの夫は映像作品を作っている人物で、ある時から強烈なイメージに悩まされるようになった。それはインスピレーションの枯渇状態がどうにか終わる予感、「エネルギーが腹の底から少しずつうごめきながら上ってくる」(93頁)のと同時にやってきた「官能的な、ただ官能的であるだけのこのイメージはまるで怪物のようなものだった」(94頁)。ある日、彼は妻との何気ない会話から、妻の妹ヨンヘの尻にまだ蒙古斑が残っていることを知る。尻の蒙古斑を花のように見立てた彼の官能的なイメージが衝動のように彼のうちから湧き上がった。ついに自身が生じたイメージから逃れられなくなった彼は、自分の体とヨンヘの体に絵具で花の絵を描いてビデオカメラを回して交わる。それをインヘが目撃して、インヘと夫の夫婦関係は破綻してしまう。最後の作品「木の花火」ではインヘを中心に描く三人称形式だ。姉インヘの視点から、ついに「木になりたい」と言い始めたヨンヘを見つめる。

 

私がどうやって知ったかわかる? 夢の中でね、お姉さん、わたしが逆立ちをしたら、わたしの体から葉っぱが出て、手から根が生えて……土の中に根を下ろしたの。果てしなく、果てしなく……股から花が咲こうとしたので脚を広げたら、ぱっと広げたら……。(「木の花火」236頁より引用)

 

 

 

木は食事をしないから、ヨンヘは肉だけでなく一切の食べ物を受け付けなくなり、入院していた精神病院で死に瀕している。

そんな妹の世話をするインヘは子供の頃のことを思い出す。父親の暴力をいつも浴びていたのは妹のヨンヘだった。やがてヨンヘは少しずつ口数が減ってよそよそしくなっていった。そして今ではもう「お姉さん、わたしもう動物じゃないの」(244頁)とまで言う。ふたりの姉妹の距離はどんどん遠くなってしまっていた。時間は止まらない。すべてが無意味で耐えられそうになくもう前に進めない、進みたくない。そう思ったインヘは自分の人生が自分のものではなかったことに気がついてしまう。良い娘として、良い姉として、良い妻として、良い母として……。自分は生きていくのに常に纏わりつく関係性の中にしかいなかった。そうであるなら、もし父とは疎遠になり、妹と夫は狂気に囚われたならどうだろう。気がつけば、インヘが最も深い孤独と向き合っている。

 

著者はあとがきで、この小説を書いていたときにつけていた作品のメモ書きにこんな文章を綴っていたという。「慰めや情け容赦もなく、引き裂かれたまま最後まで、目を見開いて底まで降りていきたかった。もうここからは、違う方向に進みたい」(293-294頁)『菜食主義者』は「底まで」降り切った作品だと思った。「底」には濃い緑色に燃え上がる道路沿いの木々がある。それを「暗くて粘り強い」視線でにらんだインヘだけが「底」で生きていかなければならないことを認め、向き合っている。どんなに孤独になってしまっても時間は止まらないから、生きていくしかない。子供の存在がインヘの孤独を癒す救いになることを祈らずにはいられなかった。

 

登場人物のだれもが孤独な境遇にある。ヨンヘの家族、インヘの家族、どちらも夫婦が少しずつずれていく。ほんの少しのすれ違いが人を孤独の坩堝に抛り込む。

ヨンヘが肉を食べなくなったきっかけの夢、それは「顔」の夢だった。今まで数えきれないほどの肉(命)を食べては排泄してきた自分のおなか、そこから「顔」が出てくるのだと、やがてヨンヘは語る。結局は彼らの運命を狂わせるインヘの夫のインスピレーションは彼の内側から出てきた逃れようのない怪物だった。そしてインヘは「彼女の中の誰かが」自分を殺してしまいそうな恐怖を感じる場面があった。

孤独な者たちはそれぞれ、自分の内側にいる獣じみた存在に気がつく。そいつは衝動で何者かの肉を裂き、食らい、あるいは犯し、体液にまみれる。だれかをどこかへ突飛ばして殺してしまおうとするかもしれない。どうしてこんなやつが出て来てしまうのかはわからない。わからないけれど、深い孤独の底には制御しきれない衝動の獣がいる。「欲望」とも「暴力性」とも呼ばれ得るこの獣から逃げるのか、向き合うのか、戦うのか。そういう生き方が描かれている作品のように私には思われた。

座ったまま―『LOCKET』5号

机の上に、とん、と尻をつき前脚を揃えて座る木彫りの熊がいる。子熊だ。そう思うのは、座り方のせいだと思う。ふつう熊はこんな座り方をしないんじゃないか。この座り方はまるで子犬だ。それで私のなかでは、この木彫り熊は子熊ということになっている。銘の無いただのお土産品で、鑿の痕がでこぼこ粗くて、はっきり言って下手くそな木彫りだと思う。妙に背筋がピンと伸びていて横から見るとプロポーションのおかしさがきわだつ。だが、好きだ。原稿に行詰まって言葉を見失うたびに指の腹で撫でる木の感触は心地よくて、だんだん可愛くなってくる。

今回は、特集に木彫り熊が取り上げられている、と教えてもらって早速WEBで注文した『LOCKET』5号を紹介したい。

 

内田洋介編『LOCKET』5号 BEAR ISSUE 野性の造形

snusmumriken.thebase.in

 

表紙を見て、まず「?」と思ったのは、緑色と赤色のどちらかを選べた線模様のイラストのことだった(ちなみに私は緑バージョンを購入)。この緑色の線は何かの塊の輪郭線のように思えるのだけど、なんだかわからない。わからないまま、表紙一枚めくったらそこはトルコだった。

『LOCKET』は内田洋介さんが個人という最小単位で運営している独立系旅雑誌。「ロケットペンダントに一瞬の感情を詰めるように、主観的な真実のようなものを綴じる」ことを目指した雑誌で、2015年の創刊以来、取扱店舗は100軒を超え、発行部数は延べ7000部に到達とのこと(本書130頁より)。すごい。

 

2021年10月、編集の内田さんは10年ぶりにトルコへ。カラハン・テぺ、コンヤ、チャタルホユック、イスタンブール、カッパドキヤ、シャンルウルファ、ギョベックリ・テぺ……。知らない町の名前、遺跡の名前とだれかの日常の風景が写真になって収められている。ページをめくっていって、表紙の緑色(または赤色)の輪郭線が「BEAR SEAL」、「クマの印章」であることがわかった。「農耕牧畜や神殿など高度な文化を有していたチャタルホユックは、各家庭の住居の表札代わりに印章が使用されていた」(4頁)そうだ。表紙の輪郭線は、この一冊の入口の表札だったのか!

 

クマ意匠。これが世界中のあちこちにあることの不思議。

「輪切りにされた丸太から、木の塊が削り出されて、それがだんだんとクマに見えてくるって……考えてみたら不思議ですよね。たとえばシカが木彫り熊を見ても、木の塊としか思わないでしょう。木の塊がクマに見えてしまうのは人間の能力な気がして、そこに惹かれます」(65頁)というのは、十勝の木彫り作家である高野夕輝さんの言葉。木彫り熊と言えば北海道土産というイメージだけど、クマ意匠というとトルコの遺跡やドイツの街中にも見られるそうだし(少し話題が逸れるけれど、多和田葉子『雪の練習生』を思い出した)、神話なんかにも出てくる。人間の想像と創造の案外深いところにいる動物、それがクマなのだろうか。

 

私にとって、熊は「分厚いにおいと気配」だ。姿を見ることはめったにない。でも、近くにいる。それは山道を歩いていると風上から来る獣の濃いにおい。気配が何層にも重なって迫ってくるような、においの塊。それと机の上に座る子犬みたいな木彫り熊。子供の頃から土産物屋の店先で木を彫る人の姿に馴染んでいたせいか、木彫り熊があまりにも近く当たり前の存在すぎて、これまで深く考えたことがなかった。再評価されているとのことで、嬉しい。木彫り熊の発祥が八雲、スイス系なのか、旭川アイヌ系なのかは人によって考えが違うところではあるけれど、ひとつ言えることは、木彫り熊は今なお北海道に続き発展しているということだ。特集「野性の造形」を掲げた本書には、先に紹介したことの他にも、民芸熊玩具、今現在活躍している木彫り職人の声やオホーツク文化アイヌ民族の「熊彫」を受け継いだ藤戸竹喜さんのことが紹介されている(藤戸竹喜さんの仕事を追った在本彌生・写真、村岡俊也・文『熊を彫る人』という本もおすすめです)。

 

チャタルホユック、ギョベックリ・テぺ、カラハン・テぺ。いくら遺跡を訪れても、原初の野性を知覚することはできないかもしれない。でも、丘があったなら、そこに登ってみようとすること。そこでなにかを築くこと。野性を本能が創る性質とするならば、好奇心に衝き動かされる行為によってのみ、失ったものを取り戻せるのではないだろうか。それは旅をすることであり、ぼくにとってのなにかはこの雑誌を編むことだ。(29頁)

 

 

 

私は、旅はできないけれど(だいたい机の上に、とん、と座っている子熊も旅とかしないような気がする)、でも机に向かってこうやって言葉を書いていくことも旅だと思っているので、コロナ禍にあってもなんとか自分に必要な広がりを失わずに済んでいる。座ったまま、旅をしている。ふだん小説を書きながらその言葉が私を遠くへ連れて行ってくれる。そして書く旅に『LOCKET』みたいな雑誌を携えていられるというのは、本当にしあわせなことだと思う。

 

創造が広がっていく。

 

 

逃げると生きるは背中合わせ―絲山秋子『逃亡くそたわけ』

亜麻布二十エレは上衣一着に値する。

意味はわからない。だけどこれが本の文字の中に見えると、なんだか不安になってくるのだ。

亜麻布二十エレは上衣一着に値する。そしてこれは、この本の中に何回も出てくる。語り手である花ちゃんこと「あたし」にきこえる幻聴だからだ。

実はマルクスの『資本論』に出てくる一節らしいのだけど、亜麻布二十エレは上衣一着に値する、そんなことがわかったところで「あたし」が抱えるつらさはきっとわからない。「あたし」は、躁うつ病(現在では双極性障害と呼ばれる)を患っており、こんな幻聴亜麻布二十エレは上衣一着に値するがきこえてくると調子が悪くなって、あるとき軽い気持ちで死のうとして精神病院に入院することになってしまった。

だが、21歳の夏は一度しか来ないのだ。

どうしようどうしよう、と焦燥はつのり……「だけん逃げんばいかん!」

病院の中庭で悲しそうな顔をしてしゃがんで野良猫をかまっていた「なごやん」と一緒に、「あたし」は病院から逃げ出した。そうして二人の、福岡から鹿児島までおんぼろ車(名古屋ナンバー)で九州を縦断するめちゃくちゃな旅が始まったのだ。亜麻布二十エレは上衣一着に値する。

逃げることは、生きることだ。そのくらい「あたし」は切実だったのだ。もしもそのまま病院に入院していたら強い薬によって朦朧とさせられ「廃人」にされてしまう。だから生きるために逃げなければならない、と本気で思っているのだ。逃げなければならない、道がなくなるまで、高速道路では見つかって病院に連れ戻されるかもしれないから国道を、時に「酷道」をひたすら南へ向かって逃げる。

 

絲山秋子『逃亡くそたわけ』(講談社、2007年)

 

 

『逃亡くそたわけ』はこんな物語で、道中の実に様々な「とんでも逸脱行為」がコミカルに、そして時々シリアス?に(だって野菜泥棒をするならハサミは持っていた方が便利だし、なごやんにばっかり車の運転を任せていたら申し訳ないから無免許だって「あたし」は運転するのだ)描かれている。精神の病を題材にした小説だなんていうと、暗くて死にたいつらいの溜息ばかりと思われそうだが、本書はそうではなくて、ひたすら車で九州を南下して逃げる愉快な逃亡劇だ。この物語の語り手は強いと思う。「逃げる」は「生きる」に直結する強い意思だから。死にたいつらいの溜息語りで物語は進まない、だけれど、本当はすごくしんどいのだ。亜麻布二十エレは上衣一着に値する。たびたびの幻聴に、それから幻覚に脅かされる。

 

今回再読をして「ねえなごやん、悲しかね、頭のおかしかちうことは」(112頁)という語り手のセリフが心に突き刺さった。精神の病はやはり悲しいのだ。亜麻布二十エレは上衣一着に値する。自分が自分の肉体から逃げ出してしまいそうになりながら(もしかしたら、自死にはそういう感覚があるかもしれない)亜麻布二十エレは上衣一着に値する、幻聴や幻覚に対抗するために、薬だって必要なのだ。でもこの「逃亡劇」はあまりにも無謀で、そして間違えているかもしれないと心のどこかでは思い続けてもいる。それでも逃げなければならなかった。

 

「ボラ、みたいなもん?」

樋井川の河口に、でっかい身体で水の中から飛び上がってはぼちゃっと落ちるボラの姿が浮かんだ。飛び込みの経験から言うとあれは相当痛いはずだ。でもボラは鈍いから感じないのかもしれない。痛くても飛ばずにはいられないのかもしれない。理由はボラに聞いてみなければわからない。

(135頁より引用)

 

 

本書のもうひとつ重要なテーマは「土地」だと思う。「あたし」と一緒に精神病院から逃げ出した「なごやん」(蓬田司)は名古屋出身で、だけど名古屋にとても複雑な感情を抱いている。東京の大学を出て就職し、その後転勤で福岡にやって来たが、ひたすら「東京かぶれ」なのだ。「俺は方言は絶対に喋らない」というなごやんによると、「人間の精神は言語によって規定される」のがウィトゲンシュタイン以降の常識らしく、名古屋に規定されたくない彼は名古屋弁を喋らない。「あたしには九州の血の流れとってから、それば誇りに思いようけんね。だけん自分の言葉も好いとうと」(55頁)という花ちゃんとは正反対なのだ。

なごやんの気持ちが私にはわかるような気がする。私は北海道で生まれ育ったけれど、北海道に複雑な気持ちを持っている。好きか嫌いかという線をすっぱり引くことはできないけれど、「嫌い」だと思って振るまっている時、他人にその「嫌い」を共感されると途端に反論したくなるし、「好き」だと思って振るまっている時には、どうしても土地に滲み込んでいる歴史的な暗い事実の気配を感じてしまう。方言はあまり喋らない。

物語の最後に花ちゃんとなごやん、二人が辿りついた場所から、小さな湾の向こうに開聞岳(薩摩富士)が姿を現す。

「なんだれあれ、富士山のレプリカかよ」と黄色い声で怒鳴ったのはなごやんだった。「地の果てまで来てこんなもん見せられるとは思わなかったよ」と言うなごやんの表情から「俺の富士山をバカにしやがって」と思っているのが「あたし」にはよくわかった。

 

そういえば、北海道生まれの私が大学時代の数年間移り住んでいた青森県には「津軽富士」とも呼ばれるお山がある。「くそたわけっ」と、なごやんは叫ぶに違いないが、たぶん探せば日本全国あちこち「ご当地富士山」みたいに「〇〇富士」というのがあるのではないか。なごやんにとっては、結構な数の「くそたわけ案件」かもしれない。

 

ゆたーというのは、世界をまるごと抱きしめたくなるような気持だ。そして世界があたしを抱きしめ返してくれて、全身の力が抜けていく。自分が「いる」ということがたまらなく気持ちいい。(176頁より引用)

 

 

 

 

亜麻布二十エレは

この旅は鹿児島で終わりを迎える。ゆたーとした感覚、世界に自分が「いる」ことを肯定されている気持ちになれたら、それは幸福なのだと思う。

なおこの物語から十数年後の物語が『まっとうな人生』(河出書房新社)だ。そこでなごやんは名古屋との和解の第一歩を踏み出す。花ちゃんは結婚して、なんと富山県で頑張って暮らしていた。で、花ちゃんのお相手は年上の甘党のおじさんだった。え?! 「赤パンのよかにせ」じゃないんですかっ!? みたいなアホ発言はブログだから書ける。

 

 

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今月発売の「文學界」8月号に、本書の続編である『まっとうな人生』(河出書房新社)の書評を書きました。題は「人が引いた線なんて」。どうぞよろしくお願いします。ちなみに『まっとうな人生』から読んでも、充分にたのしめます。書店で私の書評を立ち読み後『まっとうな人生』を買って帰るのがおすすめです。(久栖)

遭難、比喩にて―プルースト『失われた時を求めて』

ねむれない夜に、ベッドの上で『失われた時を求めて』についてとりとめなく考えていると、いつもひとりの旅人の姿が思い浮かぶ。ひとりの旅人が、道の真ん中にぽつねんと立っている。この長い小説に、私はこんな印象を抱いているのだ。

それはまるで、本書の語り手「私」が子供の頃、母親に読んでもらった『フランソワ・ル・シャンピ』という本に内容以上の印象を含み込ませていたのに似ている。例えばシャンピ、という名前の主人公の少年が「鮮やかで、真っ赤な、魅力的な色合いを帯びる」(106頁)と考えていたことに似ているかもしれない。自分が手に取った本には内容とは別に独特の手触りみたいなものが残ると思う。例えば私の思い浮かべる旅人の、カーキ色のコートみたいな。

 

マルセル・プルースト作、吉川一義訳『失われた時を求めて1 スワン家のほうへⅠ』(岩波書店、2010年)

 

※今回のブログ記事では、この岩波文庫版第一巻に絞って感想を書いています。

 

ねむれない夜に〈ねむれない夜について書いてあるこの本〉から連想される、ひとりの旅人、彼の前には反対方向の二つの道があって、ああこれはメゼグリーズのほう(スワン家のほう)とゲルマントのほうという二つの散歩道だな、と私にはわかる。わかるが、旅人はいつまで経っても歩き出さず、物語らしきものは動かない。やがて雨が降ってくると、庭に駆け出してバラの茂みを毟るおばあさんが現れ、ツバメが暗い空に飛び立った。風が吹くと、ちぎれた雨雲が流れて空が晴れた、そう思うと旅人の鼻の上にぽったりと水滴が落ちる……、

 

失われた時を求めて』を思い出そうとすれば、こんな風景が見えてくる。今年は四度目の再読をしようと思って、最近少しずつ読み返している。夏に読みたいと思うのは、この本のせいだ。

 

 

 

上に書いた風景は、第一巻でかつて読んだことの断片を私の頭が組み立て直したものらしい。ねむれない夜には次から次へと言葉とイメージが出てきて無理やり繋がろうとしてくる。今回の再読で気がついた。別に「旅」を描いた作品でもないのに、旅人を生み出してしまうのは長い時間をかけて読む小説の文字を旅するようだからだろうか。そしてこの大長編を旅すると、けっこう「遭難」してしまう。第一巻は作品の入口としてたくさんの人が手に取ると思う。でも最後まで読み通す人は少ないのだと思う。

どうしてだろう。それはこの作品の言葉とそこから派生するイメージの豊かさに阻まれてしまうからではないだろうか。とても長い比喩が語り手の日常に差しはさまれるものだから、登場人物がその時どこにいて、何をしていたものか、時々わからなくなる。とても長い比喩は読み手をまどわす。だが旅慣れてくると、まどわされるのが愉しくなる。盛大な誤読が壮大な旅のはじまりになることもあるかもしれないから、それもまた一つの面白がり方だと開き直って読みだすのがいい。

 

 

おはようを言うために、叔母の寝室の手前の部屋で待たされた時、炉のレンガのあいだにはすでに火が焚かれているのを見た語り手「私」は、こんなふうに思う。

 

すると火が、まるでパイ生地を焼くように、食欲をそそる匂いをこんがりと焼きあげる。その匂いが部屋の空気を練り粉にし、朝の、陽光をあびた湿った冷気で発酵させて「膨らませる」と、火はその匂いを幾重にも折り重ね、皺をつけ、膨らませたうえ、こんがりと焼きあげ、目には見えないが感知できる田舎のパイ、巨大な「ショーソン」をつくりあげる。(前掲書123頁より引用)

 

 

 

あれ? ダイニングにいたんだっけ? それとも台所?

いやいや違う、叔母の部屋におはようを言いにきたんだった。何度も読んだおかげで、美味しそうな朝だなと思えるが、案外この箇所は「朝の遭難ポイント」になり得る。

「場」がすり替わったり、あちこちに飛んで見える長い比喩の例として、他にはこういうのがあるけれど、どうだろう?

 

その花が土手のあちこちを飾りつけるさまはタピスリーの縁を思わせ、そこにまばらに現れた鄙びた田舎のモチーフはやがてタピスリーの全面に拡がってゆくのだ。それらはいまだ数も少なく、間隔もあいているが、ぽつんぽつんと現れる一軒家がすでに村の近いのを告げるのにも似て、麦の波が砕け散り、雲がもくもくと湧く広大な拡がりを予告してくれる。そして一本のヒナゲシが、網具のロープの先に高々と赤い三角旗をかかげて風にはためかせ、その下方に油じみた黒いブイが浮かんでいるのを見ると、私の胸は高鳴った。旅人が、低地で座礁した小舟を大工が修理しているのを見かけただけで、まだあらわれてないうちから「海だ」と大声をあげるのと同じである。

(前掲書304-305頁より引用)

 

 

もちろんタピスリーの話ではないし、語り手の前に海はない。

 

こういう長い文章の断片だけを記憶にとどめておいて、ようやくねむれない夜も終わるかと明け方うつらうつら舟を漕ぐと、自分だけの『失われた時を求めて』に辿りついてしまう。長い小説を読む魅力はこういうところにあるのではないか、と思う。読み手である「私」だけが再構築できる作品の形がある。読み返したり思い返したりするたびに生じる形の、ひとつひとつが大切な思い出になる。

 

語り手「私」が紅茶にマドレーヌを浸して食べた時に経験する「無意志的記憶」の風景の蘇りが有名だが、第一巻において、それは幼少期に過ごしたコンブレ―の叔母の家を中心とした風景である。だが、はじめに思い出す母親がおやすみを言いにきてくれないことへの恐れに関するエピソードでは、「コンブレ―とは狭い階段でつながれたふたつの階だけで出来ていて、そこには夜の七時しか存在しなかったかのようである」(109頁)。それが少しずつ思い出される空間を増やしていって、やがて「二つの散歩道」にまで広がっていくという、歳とった「私」のねむれない夜のコンブレ―回想の手順は、あたかも読者が文字を追って、自分自身の作品イメージを開拓しながら小説を読んでいくことに重なっていく。

雨の描写で好きなところが二か所もあって、クロード・モネの睡蓮を連想させる描写があって、多面的な人間の性格についてのシニカルな考察があって……と思い出し続けると想起がずっと終わらない気がするので、最後に一つだけ書いておくと、

 

こうしてすばやく反りかえったために押し戻されたのが、筋肉が猛り狂うように波打つルグランダンのお尻で、私はそれがこれほどむっちりしているとは思わなかった。そしてなぜかわからないが、このようにうねる純粋な物質、波打つ肉になんら精神の発露がなく、下劣きわまりない熱意に嵐のように揺れうごくだけなのを見て、突然、私の心に、ルグランダンは私たちが知っているのとは別人かもしれないという疑念が芽生えた。(前掲書276頁)

 

 

 

失われた時を求めて』の語り手「私」の人間観察はだいぶ容赦なしなので、あまり友達になりたくないタイプだなぁなんて、考えてみたりもする。

 

 

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今月発売の「群像」7月号に「船乗りに吹く風」という題で随筆を寄稿しています。

よろしくお願いします。