いろいろな本の買い方があると思う。
その中で、私が最も贅沢だと思う本の買い方はなんとなく書店へ行って、なんとなく手に取った本になんだか魅かれて、そのままレジへ持っていくという買い方だ。時々、こういう本の買い方をしたくなってしまう。衝動買いですか、と言われればそれまでだが、これが私にとっての究極の贅沢である。なにせ今回ご紹介する本に対する私の第一印象は「形が面白い!」だった。内容への興味より前に、物体として興味を持ってしまって手に取って良く見てみると……。自分が大好きだった作家の連載を書籍化してくれた人の本だった(そしてその本とブックデザインの方が同じひとだった!)
内沼晋太郎『これからの本屋読本』(NHK出版、2018年)だ。
(※アマゾンのリンクを貼ることに若干の抵抗があるのだけれど、はてなブログの仕様というかこのブログの在り様というか……すいませんご容赦ください。)
著者はブック・コーディネーター/クリエイティブ・ディレクターとして本にまつわるあらゆるプロジェクトの企画やディレクションを行っている。先に書いた通り、私の大好きだった作家の連載を『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記』(滝口悠生 著)という一冊の本にしてくれたNUMABOOKSの代表でもある。こういう縁はなんだかうれしい。本屋という場所を愛して良かったとさえ思う。
『これからの本屋読本』では「本」や「本屋」にまつわる事柄、本の仕事をしながら著者が十五年にわたって調べ、考えてきたことが1冊にまとめられている。なぜ、本やという空間はたのしいのか? そもそもそこに並べられている本とはなにか? 本屋をつくるとはどういうことか? これからの本屋にはどんな可能性があるのか? さらに別冊として「本の仕入れ方大全」という本の流通に関してかなり具体的に書かれたページがある。私は実際に本屋を開業してみたいと思うことはないけれど(本の著者になりたいんだけどね笑)、自分の好きな物の流通の仕組みくらいは知っておいてもいいのかもしれないと思った。それを知っておくことでもしかしたら好きな場(本屋)を間接的であれ、支えられるかもしれないのだ。
本屋という空間がおもしろい場になっているのは、利用者が本と言うものの構造を理解しているという前提がある、という部分になるほど、と思った。一冊の本には様々な時間が流れている。それは著者が本を書くために費やした時間でもあり、その本の対象となった世界に流れる時間でもあり、その世界がつくられるのに経過したたくさんの時間(過去)の蓄積でもある。たくさんの労力や資金や知識を投入して一冊の本が生まれることの尊さを愛書家は知っている。そういう様々な「時間」が本屋(あるいは図書館)にはつまっている。おもしろいに決まっている。
その空間にはさらに「流れ」がある。
著者は福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社、2007年)に書かれている「生命とは動的平衡にある流れである。」というのを引いてきて、その考えを本屋という場のあり様に敷衍する。つまり、個々の生命体を構成するたんぱく質が作られては壊されるように、本屋を構成する本は入荷されては売れていく(場から無くなっていく)、本は日々入れ替わって行く。それでも一個の生命体が同じ個体でありつづけるように、その本屋もまた「らしさ」を持った同じ本屋でありつづける。
「生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で動的な平衡状態を保ちえているのである。」(福岡伸一『生物と無生物のあいだ』)
だから本屋に、まったく同じである瞬間はない。けれど一方で、その本屋らしさは、まったく変わらないこともある。少なくとも急に大きく変わることはあまりない。それはすべて、舵を取る人が支えているのだ。
(内沼晋太郎『これからの本屋読本』より48頁)
本屋の相補性を支えるのが人間の仕事であり、その内容にとどまらずあらゆる意味を含み得る「本」、一筋縄で定義することのできない「本」というものを一冊一冊、自分が目指す「本屋」の文脈に置いていく、そこに個性が出るというのは本屋の醍醐味だろうと思う。
話が逸れてしまうが、私も参加させていただいている『吟醸掌篇』(けいこう舎)という小さな文芸誌がある。著者でもあり編集・発行人でもある栗林佐知さんの素晴らしい仕事だ。なんとこの文芸誌を実際に取り扱って下さっている本屋がいくつかあって(しかも賛同してくださる本屋がぞくぞく増えていったという感動があった)、そのどれもが面白そうなのである。
〈吟醸掌篇を置いてくださっているすてきな書店さま〉についてはこちらのリンク先でご確認ください。本当にありがとうございます。わたくしクズもどこかでデビューしたら全店回りたい!!
本屋とカフェ、本屋とイベント、本屋とギャラリー(『これからの本屋読本』ではこれらを「本屋と掛け算する」と呼ぶ)たただ本を並べるだけでなく店主が目指す「らしさ」の滲む場所、そういう本屋はたぶんこれからも愛され続けるのだと思う。
ちなみに本書によると店舗を構えなくても「本屋活動」はできてしまうわけで、私みたいなやつが勝手に書いているこういうブログも広義の「本屋」であると言えるらしい。そこに人が、他の人に、大切な本を手渡していきたいという願いがあるかぎり。
追記:新型コロナウィルス(緊急事態宣言)の影響を受けて臨時で店を閉める決断をした本屋さん、新たにオンラインサービスを提供することに決めた本屋さん、様々な制約のなかでなんとか営業を続けている本屋さん……。図書館も閉館を余儀なくされているし、アマゾンの在庫も微妙な感じだし……、それでも私たちに「本」を届ける術を、可能性を模索するすべての関係者に敬意を。
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