言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

静かで、綺麗で、切ない―ブルーノ・タウトの文章

不思議だな、と思うこと。

ブルーノ・タウトナチスによって祖国から迫害されなかったら、今私は彼の著作を読んでいないだろうな、ということ。同時にブルーノ・タウトが「日本美を再発見」することもなかっただろうな、ということ。世界史的な出来事が、こうして今の私の生活に影響を与えているということが漠然と不思議である。私はナチスドイツに直接被害を与えられたわけでもなく、勿論あの時代に生きていたわけでもないのに。遠くあの時代から水面を渡ってきた風が届くように、またはその水面の波紋のように、私の精神生活にブルーノ・タウトの文章が広がっていく。

今回は私が見つけたブルーノ・タウトの文章で特に美しいと思ったものを紹介したい。

ドイツで成功をおさめたタウトだが、晩年はその故国から社会的に抹殺された存在になってしまい、日本へ三年半滞在後、トルコで客死している。タウトは日本美を再発見しながらその風景に時として故国を重ねあわせている。今回紹介するタウトの文章には奥行があって、遠く海を越えてヨーロッパまで広がっている。それはちょうど、タウトの著作が水の波紋のように私の中に広がっていくのと同じようだ。静かで、綺麗で、切ない。

 

以下『日本美の再発見』(ブルーノ・タウト 著、篠田英雄 訳、岩波書店 1939年)より引用。

 

縁側に出ると、海の方から微風が吹き渡ってくる。海原の上には燦めく無数の星屑、暗い海上には点々と漁火が散らばっている(これで魚をおびき寄せるのである)。私達は西の方を眺めた、海の彼方にはまずシベリアがある、その向うにはマスク(タウトの弟)やフランツいま午餐をしている故国があるのだ。ここは暗く、かしこは明るい、――しかしそれはけっきょく外面的な違いでしかない。」(69頁より)

 

 

波は、怪奇な形をした岩と戯れている。いとも哲学的に宇宙を凝視している牛。いろんな花が咲乱れていた。なかでもおびただしいオドリコソウの花は、東プロイセンで過した少年時代を思い出させた。またいたるところに咲いているタンポポも、ドイツのハナタネツケバナを想起させる。それからスイバの赤い花、槲の葉さえ故郷のと同じ形である。いったいにこの海岸は、イギリス南部の海に非常によく似ている。」(78頁-79頁)

 

 

ブルーノ・タウトと言えば、「桂離宮」や「床の間」といった日本の建築や絵画・工芸といった美術品について多くのことを述べている印象があるかもしれない。実はそれと同じくらい、何の変哲もない日本の風景を見て多くのことを思ったのかもしれない。やや感傷的なまとめ方になるが、ここに一人の人間としてのブルーノ・タウトがみえてくるのは私だけであろうか?

 

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