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Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

使用済み、トナー、工場ウ、私、こんな風に社会を切り取ること―小山田浩子「工場」

今回は、小山田浩子『工場』(新潮社2013)より

「工場」(初出「新潮」2010年11月号)についての感想。

 

工場

工場

 

 

 

嘘くさいレベルで巨大な工場(しかも何を製造しているのか全く不明)に小学生の都市伝説レベルの要素を投入した小説、というのが私の「工場」という作品への第一印象だった。「工場」は著者、小山田浩子さんのデビュー作(初出「新潮」2010年11月号)で、それ故なのかとても自由に書きまくってる感があり、読んでいて楽しかった。小山田作品に特有の「後ろめたさ」や「薄気味悪さ」はデビュー作からも感じられるが、それ以上に「笑い」があったように思う。著者の作品の中でもしかしたら一番笑えるかもしれない。特に小学生の都市伝説的と言っていい存在は「森の妖精ズリパン」である。中年から老年の男性で森にいるズリパンは、相手が女性でも男性でもズボンとパンツを下ろそうとしてくるらしい。スーツを着ていると被害に遭わずに済む、なんていうのはどこか懐かしいくらいに経験したことのある都市伝説だ(笑)

 

小説の語り手は3人存在する。「私」牛山佳子は工場の契約社員。「僕」古笛(ふるふえ よしお)は工場の正社員だが、環境整備課屋上緑化推進室という自分ひとりしかいない部署で何を仕事としていいのかよくわからない。「俺」(牛山佳子の兄)は派遣社員として工場の資料課というところで、赤ペンを用いた校閲の仕事をしている。この三人の語り手に共通していることは、誰もが工場の労働者でありながら仕事の「やりがい」とは無縁の作業をしているということだ。さらに、自分たちが何を作っているのか全くわからない……。

この町にとって工場という存在は巨大で、外側の人は「工場」に勤めることを名誉なことだと思っているし、何を作っているのかも漠然とではあれ知っていると思っている。社会科見学で訪れる場でもある。にもかかわらず、内側に入り込むと、何もかもがわからないことに気がつく。

工場の敷地内には正体のイマイチわからない生物がすみついているらしい。正体不明の生物は、小学生の自由研究によると(ただし本当に小学生が書いたものか疑わしい)「工場ウ」(黒い鳥)、「ヌートリア」(獣)、「洗濯機トカゲ」(クリーニング工場の洗濯機に生息するトカゲ)の三種類に分類されている。語り手が三人で、正体不明の生物が三種類、全部が直接的に書かれてはいないけれど、何だか三人の語り手がそれぞれの生物に「変身」しているような気配がある。

 

「口元がもぞもぞしたので触ると、髭が随分生えていた。手がちくちくした。何だかわからないが何かが数センチほど伸びている。ぎょっとしかけたが、すぐに何ともなくなった。手にもどこにも体中に毛が生えてきたからだ。」(小山田浩子『工場』118頁)

 

「そして自分の足元に置いてあったコンテナの中の最後のひと束をシュレッダーに差し込んだ瞬間、私は黒い鳥になっていた。人の足が見え、腕が見えた。灰色の塊が見え、緑色も見えた。潮の匂いがした。」(前掲書123頁)

 

引用した部分は語り手「僕」と「私」。「俺」は、意味のわからない文章の校正(しかも何のやくに立つのかさっぱり理解できない)をやっている中で常に睡魔と戦っており、「眠り」と「覚醒」の間を薄ぼんやりとたゆたう。文字がばらけて意味をなさない線と点に解体していく、そういう「心もとない」状態にあり、常に変身への可能性を感じさせる。

 

語り手の三人は我々日本人がこれまで信じていたところの「企業戦士」ではない。たとえが古くて申し訳ないが昔テレビで放送されていた「プロジェクトX」という番組がある。その番組に登場するサラリーマン達は皆、自分たちの役目に価値を感じていた。どんなに苦労があっても乗り越えた先にはきっと今よりもいい現実が待っていると信じていた。語り手の三人はこういう存在ではないのだ。仕事に対しての価値観がまるで違う。

 

「本当は働きたくない、生き甲斐であるとか生きる意義であるとかいうことと労働はまるで結びついていない。かつて結びつくはずだと思っていたこともあったのだが、もう結びつかないことがよくわかった。」(100頁)

「仕事、労働に至るこれまでというのが、それは戦いでさえなくて、もっと不可解で奇妙な、自分の中にない、外の、他の世界のことなのだ。自分が能動的に働きかけるような類のことではないのだ。私はただ一生懸命に今までやってきたつもりだが、私の思う一生懸命さというものは実は何の価値もなかったのだ。」(100頁)

 

工場の敷地はいたるところで分割されている。大きな河があって南北にわかれている、部署が分かれている、建物が分かれている、「俺」の作業場の机は間仕切りで仕切られて狭い範囲に分けられている……。工場とは「分割された社会」かもしれない。その社会は放り込まれている自分たちにはよくわからない不条理な存在で、その不条理の中で無気力が醸成されていく。この小説はかつての日本のサラリーマン像、「企業戦士」という神話が信じられなくなった、労働にアイデンティティーを見いだせなくなった現代の若い労働者に送る新たな物語かもしれない。

 

「工場ウ」は時々工場の職員が捕獲して何かに利用しているらしい。「私」は印刷課の人がトナーを持っている姿を見て羽を広げた黒い、首のある鳥を羽交い絞めにするように抱きかかえていると錯覚した。黒くぬらぬらしていそうなこの鳥の群の中には常に「数匹から数十匹の使用済み工場ウがいます。」(92頁)

こういう表現が非常に面白く、想像力を刺激される。「使用済み」「トナー」「工場ウ」「私」という連想から、現代で働く人々への残酷な処遇が想像できはしないだろうか。

 

ちなみに作品の冒頭は、

「工場は灰色で、地下室のドアを開けると鳥の匂いがした。」(7頁)

 

 

以下twitter(@MihiroMer)で読みながら呟いていたことをメモ

2016年1月9日

小山田浩子「工場」読み始めました。町の人々みんなが大企業(?)として仰ぎ見ているような巨大な工場が舞台。いかめしい外観やイメージとは裏腹に工場の中にある様々な要素は小学生の都市伝説レベル(笑)巨大工場という硬質なイメージとのギャップが面白い。

まだ途中ですが、もっと不穏な要素に満ち満ちているのかと思っていたら、不穏さよりも今のところは笑いのほうがある。最新作「名犬」の露天風呂の婆さんたちの会話の途中で「犬かよっ!」とツッコミを入れた時の心境に近い笑い。森の妖精ズリパンとかもうどうしよう(笑 

確かに不安要素もあるし、絶対に不条理なんだけれど。受賞第一作(たしか)「いこぼれのむし」よりも表現で遊んでいる感じがする。さすがデビュー作。どんな不穏に落ちていくのかこれから楽しみ。

 

2016年1月11日

小山田浩子「工場」を読み終えた。やっぱり最後まで読むと怖かった。この怖さ、安定の小山田作品(笑) 労働にアイデンティティーを見出せない現代の社会人達に広く読まれてほしい作品です。時々、自分のことが書かれているかと思った、ワタクシ非正規雇用労働者。

自分のこういう生き方が正しいかどうかなんてわからない。わからないけれど、こう生きるしかない。昔の日本の企業神話みたいなものを信じられなくなっている人々にとって、小山田さんの「工場」は新しい物語なのだ。日常を異化するの上手いなぁ……。

「使用済みトナー」と工場ウ(得体のしれない黒い鳥)と「私」、こんなふうに並べて社会を切り取ること。 作中いたるところに設置された不穏さは読み終わった後に真価を発揮した。単に不条理や人間疎外というだけじゃもったいない作品だ。