言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

パースペクティヴ――磯﨑憲一郎『往古来今』

今回ご紹介する本はこちら。

磯﨑憲一郎『往古来今』(文春文庫、2015年)

 

往古来今 (文春文庫 い 94-1)

往古来今 (文春文庫 い 94-1)

 

 

この本をはじめて目にした時、なにかが違うような違和感を抱いた。往古来今? 古今往来ではなく? この違和感は単に自分の語彙力の無さに起因するらしいことが文庫の解説を読んでわかった。参考までに書いておくと、往古来今という言葉は前漢に編纂された思想書淮南子』斉俗訓「往古来今、之を宙と謂い、四方上下、之を宇と謂う」とあるそうだ(金井美恵子さんによる文庫の解説によると「新明解四字熟語辞典」(三省堂)に載っているとのこと)。往古来今、時間と空間の限りない広がりを表すこの言葉ほど、この短篇集を的確に表現したタイトルはないのではないだろうか金井美恵子は解説でこの小説を「物語の広がりを連想させつつ、小説を読むという甘美で贅沢な幸福(と言ってもいいかもしれない)の時間を読者に与えてくれる、小説と呼ぶにふさわしい小説である。」(前掲書、199頁より引用)と称している。

金井さんの解説“『往古来今』を読む”より少し引用しておきたい。

 

 小説を読むということは(あるいは書くということは)、私たちの持っている様々な記憶の中の、言葉で書かれた本や、映画や、町や公園や川や山といった空間で出来た世界の、無数の輝いてざらついていて、しかも平板な断片が、今読んでいる小説と、何枚もの布地(テクスチュアー)としてところどころで縫いあわされ、混じりあいつながっていることを(それは、裏返しだったり、重なり具合がずれて、幾重ものヒダになっていたりもする)確認することだ。(前掲書、199頁より引用)

 

私たちの記憶が、世界と自己の接する時に軋みながらたてる音や響き(世界と君との闘いでは世界を支援せよ、とカフカは書く)、光や風、声や色、形、匂い、味、手ざわり、皮膚に伝わるなまなましい感触といったものとの邂逅によって、ほとんど不意に立ちあらわれるものである以上、記憶も、そしてなにより小説も、いつだって水のようにあふれる(川や流水や海の波、地下水)他者の侵食に接している。

(前掲書、200頁より引用)

 

これ以上の言葉で、私は礒﨑憲一郎『往古来今』の魅力を伝えることができないように思う。この小説は実際に自分で文字を追っていかないことにはなにも立ち現われない。よくある特定の作品に対して(多くはカフカなのだけれど)あらすじや、ストーリー、解釈を求めてこのブログを訪れる人がいるのだけど、それは小説を読むたのしみのほんの表層でしかないと思う。読むことでしか見ることのできない世界というものは確かに存在するのだな、と『往古来今』を読んで改めて思ったのだった。

 

じっさいにはこの連絡を書いている最中はただ、段差や転調を作者の意図として書かずにいかに前に進めるか、どこまで小説に忠実でいられるか、だけを考えていたように思う。

(前掲書、著者あとがき196頁より引用)

 

そうは言ってもこれからこの本を手に取ろうか迷っている人のためにざっくり概要を書いて紹介しておきたいと思う。

この本には5つの短篇小説が掲載されている。

「過去の話」「アメリカ」「見張りの男」「脱走」「恩寵」それに著者のあとがきと解説だ。

5つの作品はそれぞれが繋がりあっているような、繋がり合っていないような絶妙な距離感を保ちつつ、それでも一応作品としては個々に独立している。新しい短篇を読み始めたはずなのに、何故か前の作品で見たような風景に再会し、さらにそれが往き過ぎてしまうことになんの焦りも感じない。ストーリーを追う、ということではなくて単に車窓から後方に往き過ぎる風景をながめているような旅のそんな感覚に似た作品である。行き過ぎてゆくものすべてを旅行者は写真におさめることはできないし、おさめたいとも思わない。車窓の風景は車窓の風景として、漠然と記憶に残ったり残らなかったりする。

 

ここからは私が特に気に入った作品である「見張りの男」についての素描になると思う。

「私」が生まれ育った町の風景、大きな川があり、けっして交わることのない二本の線路があり、「私」の祖父が架けたらしい赤く塗られた鉄骨のトラス橋がある。この赤い橋を渡ると道は山に向かい、その山頂近くに百足胎児で有名な俵藤太の末裔が城を築いたという話がある。城が築かれてから百年が過ぎ、源平合戦の頃、城主は四代目の時代を迎えている。その領主が見おろしたのと同じ山頂、同じ角度から「私」は城下町を見下ろしている。

 

夜、山頂から見下ろすと、平地には青白く照らされた粗末な小さい家々と水田があった、黒い水面には満月がその細長く歪んだ姿を晒していたが、空のどこを探しても月そのものを見つけることはできなかった。その先には河原を寝床にしている源氏の軍営が見えた、暗闇の中ときおりうっすらと浮かび上がる人や馬、牛車の影は米粒よりも小さいというのに、点々と灯された篝火だけは見つめているとこちらに迫ってきて、まるで目の前で燃えさかる炎のように近くにあった。領主が見下ろしたのと同じ山頂、同じ角度から、私は城下町を見下ろしている、源氏軍が待機していた川原には鉄橋が二本平行に走っている、その先には私の祖父が架けた赤い橋がある。

(前掲書「見張りの男」101頁より引用)

 

私はこの部分が特に大好きだ。はるか昔の風景、火、それが大きく迫ってくる炎のようにみえるという距離の変化、そして気がつけば現在の風景が連続して描かれている。ここを読んだ時に「見張り」というタイトルの言葉にニヤリとしたし、時空間の広がりに感激した。

この後、実はこの領主の顛末は『吾妻鏡』に書かれていることが語られる。この町には領主に関する伝説が二つあり、そのうちのひとつが長い間信じられてきたために領主をまつる神社がある。神社の裏手の雑木林、そこで板切れと段ボールを使って秘密基地をつくった子供時代の思い出、そこにいた友人のうちただ一人はっきり思い出せる「彼」の逸話。彼は元相撲取りで今は郵便配達人である。ある日ふと、誰かにじっと見つめられているような気がしてこう思う。「俺は俺自身を見張っている……まったく馬鹿げていると自らを嗤いながらも、口にしてみたその言葉には妙に腑に落ちるところがあった」(前掲書、119頁)

「彼」の逸話から急に「私」の視点に戻ってくる。「私」も「彼」のように生きた可能性だってあったのではないか、と。しかしそんな無責任な発言をして咎められるのは誰なのか?

「理解者は往々にして遠くにいる。」(126頁)

最後は「百年前のプラハに生きた一人の人物」(別の作品の叙述から勝手にカフカが連想させられる)について描かれ「彼ほど徹底して自らを見張り続けた人生を生きた人間は現れていない、彼こそが唯一の生存者であり勝利者だったが、彼と共に暮らした人びとの中でそのことに気づいた者は誰もいなかった。」(127頁)と小説は閉じられる。

 

遠くにいる「理解者」とは誰なのだろう。それは時代を超えたところの存在する他者かもしれないし(『吾妻鏡』を読みその伝説を享受する我々や、カフカの作品を享受する我々)、昔の出来事を回想する自分自身かもしれない。あるいは他者の人生についてあれやこれやと想像し、それがある選択によっては自分自身の人生であったかもしれないなどと考える自分の思考かもしれない。

遠くから自分を見張る自分というのは記憶の領域では可能である。この「遠く」という言葉を使って表現される記憶の遠近感もこの小説の魅力であると私は思う。

あこがれのまなざし、そのゆくえ―津島佑子『狩りの時代』

「差別ってよくない」「差別をやめよう」

なんていう言葉はもう何十年も(いや、もしかしたら自分の人生を超えているから実感が沸かないだけで実はもう何百年も)言われているのかもしれない。

しかし、何が差別で何が差別ではないのか? あまり考えられることもなく、私達は「常識」という既成の世界観の中でつい安穏としてしまう。誰もが差別を乗り越えなくてはならないと感じ続けている、けれどこの「差別」というのはやっかいな感情で、自覚していないことのほうが多いのかもしれない。「人種差別」「性差別」と言葉が与えられ、カテゴライズされているものは自覚しやすい。というか、私達はそういう差別の解消を叫びながら、別の差別できっと誰かを傷つけている。

まだ言葉を、たった一言で簡潔に言い切れるわかりやすい言葉を与えられていない感情や感覚を、津島佑子『狩りの時代』は小説という表現で私達読者にそっと残していってくれたのかもしれないヘイトスピーチの加速と、誰もがインターネットを介して簡単に発言できてしまう環境にどのくらいの関係性があるのか(それともないのか)私にはわからないままだ。

 

今回紹介する本は、津島佑子『狩りの時代』(文藝春秋、2016年)。

 

狩りの時代

狩りの時代

 

 

この小説は著者の死後パソコンからデータとして見つかったものだそうで、津島佑子最後の単行本になった作品だ。生前担当編集者に「ほとんど完成」しているとメールで書き送っていたものらしいのだが、書きかけの作品をこの世に残して旅立たなければならなかった著者の心境を想像すると、他人のくせについ、苦しくなる。

単行本の巻末に著者のご長女である津島香以さんの<「狩りの時代」の発見の経緯>、という文章が掲載されているのだが、それによると著者は2015年の暮れにこの小説について話していたらしい。

「差別の話になったわ」

と。

 

あのことばだけは消え去らない。その痛みだけは忘れられなかった。

ダウン症だった兄との思い出。ヒトラー・ユーゲントの来日。老核物理学者の見果てぬ夢……。この国の未来を照射する物語。

(帯文より引用)

 

読み始める前、「ダウン症」という言葉と「ヒトラー」という人物名がほんの少し結びついたくらいで、これらの事柄が作品内でどのように結びつくのか全く想像できなかった。

あらすじを簡単に書いておくと以下のようになる。

物語の大半は絵美子という人物に焦点が合わせられている。彼女がまだ子供だった頃のエピソードから大学、そして社会人になってゆく時間の流れが語られていく一方で、彼女をとりまく身内のエピソードが絡み合ってひとつの作品を折り上げていく。視点や時空間が自由奔放に揺れ動き、バラバラに見えていた個々のエピソードが絵美子とその母カズミを中心に据えた一族の歴史になっている。時間の扱い方も一定方向があるわけではなく、進んだり戻ったりするが、だいたい太平洋戦争開始直前~現代までが描かれている。

親戚の多い家らしくたくさんの登場人物が描かれるが、その誰もが「差別」に近接する経験を持っている。たとえば、絵美子の兄、耕一郎(こうちゃん)はダウン症だった。十五歳で他界してしまう兄との思い出を懐かしむ絵美子は、兄がいない母や自分を想像することさえできないと思っている。兄の存命中に「障害者差別」という言葉に触れることがなかった絵美子の思い出は美しい。しかしその一方で耕一郎についてこそこそ話す人間もいる。耕一郎と絵美子の母カズミは、子供たちには絶対に聞かせたくない言葉に晒されて生きてきたという側面もある。また、絵美子は母方のいとこから言われた「フテキカクシャ」という言葉についてずっと問いたださなければならないと感じながら生きていた。

物語はさらに複雑で、カズミの弟や妹が子供だった頃、日独伊同盟の使節団として日本にやってきたヒトラー・ユーゲントの少年たちを目撃したというエピソードが語られる。少年少女たちのこの経験、「美しい」アーリア人の少年たちを目撃した、そしてその「美しい」少年たちと自分たちの圧倒的な差を目の当たりにした少年少女の痛み(自分たちがどうしても劣っているように感じてしまう)と、ドイツへのあこがれというアンビバレントな感情がページを捲るたびに深く、読者の心に突き刺さってくる。同時に、じろじろと不躾な、好奇の眼差しを向けられ続けるヒトラー・ユーゲントの少年たちのことを考える描写ある。誰が悪い、というわけではない。ただ眼差しを向けるというだけで暴力になり得るというあやうさがそこにはある。

外国へのあこがれ。

世代が変わればあこがれる国も変わる。そのことが物語としてさりげなく提示されているように思えた。はじめはドイツ、その後物質的に圧倒的に裕福だったアメリカ、そのアメリカで生まれ育った世代があこがれるのはフランスのパリだ。

「あこがれ」という感情は物事の一面しかとらえてはいない。「差別」もそうかもしれない。どちらもある人物や集団、物事の一側面だけを取り出して誇張したところに生まれる感情かもしれない(単に「あこがれ」が直接「差別」に結びつくとか、そういうことを書きたいのではない。ただこのふたつの感情の対象への眼差しが似ているように思えてならないのは私だけだろうか。)早くに亡くなったカズミの夫の兄である永一郎は核物理学者であり、アメリカで成功している。しかし、若い頃には単なる「あこがれ」の的であった無限増殖する核エネルギーというものについて、実は人間とは共存できないのではないかと考えはじめる。

ヒトラー・ユーゲントをめぐる記憶、耳元で囁かれた「フテキカクシャ」という言葉をめぐる葛藤、そして様々な対象への「あこがれ」。これらが物語として提示されることで、私たちが自覚できないでいる「差別」の感情の存在を丁寧に浮かび上がらせていくように思える。

 

最後にひとつだけ引用して終わりにしたい。

 

ダウンジャケットに毛糸の帽子をかぶった子どもたちは、まだ朝の時間だということもあり、ピンクの頬がかがやくようで、いかにもかわいらしい。寛子は思わず、キスをしたくなる。美しいものがきらいだというひとはいるのだろうか。美しいものには、ひとはすぐにだまされる。寛子は自分の子どもたちを見て、ため息をもらす。美しくて、かわいらしい子どもがいれば、天使のようだ、とひとはいう。天使は醜い顔をしていてはいけないのだ。けれど、なにが醜くて、なにが美しいというのだろうか。ひとによって感じるものはちがうんじゃなかったの、と言いたくなる。それとも美とは人間の生命にとって、なによりも普遍的な価値なのだろうか。

(前掲書、23頁-24頁より引用)

 

 

関連リンク↓

hon.bunshun.jp

 

 

hon.bunshun.jp

 

ちいさな文芸誌たちのこと

最近、「ちいさな文芸誌」に注目している。

ここで「ちいさな」という言葉を使ったのは、単にいわゆる「五大文芸誌」と区別するためで否定的な意味はない。大手出版社が刊行しているのとは別の文芸誌、という程度の意味である。誌面はとても充実していて、作り手の大きな熱意がダイレクトに伝わってくる、発行ペースはゆっくりだけれど読みとばすページがない、そんな素敵な文芸誌がある。第155回芥川賞候補作である今村夏子「あひる」が掲載されていたことで話題になった『たべるのがおそい』がもっとも知られているかもしれないが、今回は私が実際に目を通した『吟醸掌篇』と『草獅子』というふたつの「ちいさな文芸誌」を紹介したい。

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■『吟醸掌篇』

 

編集工房けいこう舎、2016年4月

編集人:栗林佐知

編集工房けいこう舎サイト

 

吟醸掌篇 vol.1

吟醸掌篇 vol.1

  • 作者: 志賀泉,山脇千史,柄澤昌幸,小沢真理子,広瀬心二郎,栗林佐知,江川盾雄,空知たゆたさ,たまご猫,山?まどか,木村千穂,有田匡,北沢錨,坂本ラドンセンター,こざさりみ,耳湯
  • 出版社/メーカー: けいこう舎
  • 発売日: 2016/05/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

 〈ほかでは読めない作家たち、集まりました。〉

 

私が一番最初に手に取った「ちいさな文芸誌」である『吟醸掌篇 vol.1』は短編小説6本、コラム3本を集めたアンソロジーである。サイトによると、「新人賞受賞後、発表の場を得られないものの、めげずに書き続けている連中が、それぞれ自分ならではの、どうしても書きたいものを出し合ってつくる短篇アンソロジー」だそう。

「ほかでは読めない作家」=「売れない作家」ではない。「こういう作品なら売れるor売れない」という出版界の「常識」からの自由も謳歌したいとサイトにはあった。つまりそれぞれの書き手が文芸界隈の流行に左右されることなく、書きたいものに全力投球したという気概あふれるアンソロジーなのだ。他媒体では扱わないテーマ、作風にも出会いたい、と編集後記にはあった。

小説作品の他に読書家の方々による書籍に関するコラムがあったり、表紙絵、挿絵も充実している(表紙絵以外は買ってみないと見ることができないのだけど、かなりかっこいいイラストや綺麗なイラストがあったり)。

価格も一作の分量も「知らない作家」を新しく知るために読むのにちょうどいい。1冊800円+税。「ほかでは読めない作家たち」に出会ってみるのも読書の旅の醍醐味だと思う。

ひとつだけ引用させてください。

 

「わたしは目を閉じ、ねずみを水面下に沈める。ねずみの苦悶が捕鼠器の取っ手から指に伝わる。わたしの脳裏に、津波に呑まれて死んでいく人たちの『阿鼻叫喚が響く。濁流に揉まれ水底に引きずり込まれていく人たちのなかに、わたしの姿もある。

 やがて捕鼠器の振動が消える。わたしの全身が静まる。」

(志賀泉「いかりのにがさ」より引用)

この作者が目指しているのは「フクシマを世界文学に!」

 

 

関連リンク↓↓

 

discocat.hatenablog.com

 

 『吟醸掌篇vol.1』にいただいたお言葉 - Togetterまとめ

 

 

■『草獅子』

 

双子のライオン堂、2016年11月

発行人:竹田信弥

編集人:寺田幹太

本屋発の文芸誌『草獅子』/公式サイト

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〈文学のたのしみを身近に[そう・しし]〉

 

本屋発の文芸誌ということで話題になっていた『草獅子 vol.1』。特集[終末。あるいは始まりとしてのカフカ]をはじめ、小説、マンガ、俳句、短歌、詩、論考やコラム、ブックレビューまで幅広く充実した誌面は既存の文芸誌を意識した作りになっている。この一冊でいろいろな角度から楽しめるという文芸誌の醍醐味を本屋が作り上げてしまった……!

双子のライオン堂は、東京赤坂にある選書専門店。『ほんとの出会い』『100年残る本と本屋』をモットーに2013年にオープン(以上の情報は双子のライオン堂サイトより)。既存のくくり(書籍のジャンルなどのよくある分類)に縛られない本の展示、販売を行っている。また読書会や古本市などイベントも多数開催している模様。『草獅子』発行人の竹田さんは双子のライオン堂の店主である。以前、小説家の絲山秋子さんのラジオ番組(絲山秋子のゴゼンサマ、ラジオ高崎、毎週金曜5:45~)に電話出演した際、『草獅子』について「宴みたいな」という表現をしていた。双子のライオン堂のコンセプトの支店のような形、まるでお店を拡張していくような感覚で発行したらしい。文芸誌を「実験の場」とし、とにかく発表の場を増やすことで文芸作品自体を増やしていきたいとも語っていた。

 

「文芸誌を作ろうと思った理由は、作品の発表の場を一つでも増やしたかったから。あのとき夢中になった文芸誌――僕にとっての宴を自ら開きたかったからだ。」

(『草獅子 vol.1』編集後記より引用)

 

私が今回、『草獅子』を手に取ろうと思った理由は、まずカフカ特集に惹かれて、それから、執筆陣の豪華さと、好きな小説家が関わっていたためだ。特集に関して言えば、カフカ好きはチェックしておいたほうが良いと思う。少なくとも私は、今まで自分の中にあったカフカ像がほんの少し更新されたように思う。カフカの紹介者として有名になってしまった小説家のマックス・ブロートについても触れられている。特集とは別に絲山秋子さんの掌篇小説「コノドント展」「寺院船」「主催者」も掲載されている。

なお、巻末の予告によると次号の特集は〈宮沢賢治〉になる予定らしい。

 

関連リンク↓↓

本屋発の文芸誌 #草獅子 発売後の反応まとめ @lionbookstore - Togetterまとめ

 

 

※2017年1月23日追記

本屋発の文芸誌ですが、こちら(↓下記リンク)でもお求めいただけます。

双子のライオン堂さんより「多くの方に手にとっていただければ幸いです」とコメントをいただいたので、リンクを貼ることにしました。いちおう、全国の書店さまにて取り寄せ可能ということも併せて追記しておきたいと思います。

 

草獅子 vol.1(2016)―文学のたのしみを身近に 特集:カフカ

草獅子 vol.1(2016)―文学のたのしみを身近に 特集:カフカ

 

 

三人のアルテミオ・クルス、未来が過去を予言する??―カルロス・フエンテス『アルテミオ・クルスの死』

2017年もまだ始まったばかりだというのに、さっそく素晴らしい長篇小説に出会うことができた。今回はカルロス・フエンテス『アルテミオ・クルスの死』(新潮社、1985年)という本を紹介したい。

 

ちなみに以前カルロス・フエンテス『澄みわたる大地』について感想を書いたものはこちら(合わせてどうぞ)↓↓

 

mihiromer.hatenablog.com

 

外国文学を読んでいて特に感嘆するのは全体の構成……だろうか、と最近思う。小説についての認識が広がっていくのがとても楽しい(日本の小説を読んでいると構成よりは表現に目がいってしまう。逆にラテンアメリカ文学は表現より構成に目がいってしまう……。これはおそらく自分の日常の延長にあるのはラテン国ではなく、日本国だからだろう、いやでも自分自身にしみこんでいる感覚は日本の感覚なのだ)。

 

「わしには分らん……彼がわしで……お前が彼で……わしが三人の人間なのかどうか……それが分らん……お前は……お前はわしの中にいて、わしといっしょに死んでゆく……喋っていたのは……わしとお前と彼の三人だ……わしは……彼はわしの中にいて、わしといっしょに死ぬだろう……ひとりで……。」

(前掲書、355頁より引用)

 

「アルテミオ・クルス……名前……『むだだ』……『心臓』……『マッサージ』……『むだだ』……お前にはなにも分らないだろう……お前はわしの中にいた、わしはお前といっしょに死ぬだろう……三人……わたしたちは死ぬだろう……お前は……死ぬ……お前は死んだ……わしは死ぬだろう」

(前掲書、356頁より引用)

 

さて、本題『アルテミオ・クルスの死』についての感想を書いていく。私はこの作品ほど時間操作が巧みな小説をまだ読んだことがないと思う。小説における時間処理の方法を考える上で外せない作品かもしれない。

この小説は語りの構造が特異なのだ。

小説のあらすじをざっくり書いてしまうと、アルテミオ・クルスという人物の生涯とその最後の時(死)を書いた作品ということになる。恵まれない環境で生まれ育ち、革命戦争に参戦し、その後ビジネスで成功して富と自由と名声を勝ち取った71年の生涯。しかし単に生涯を書いたというのにとどまらないのがこの作品の魅力だ。書き方がとても面白いのだ。ふつう、ある登場人物の一生を書こうと思ったら生まれてから死ぬまでをひとつのストーリーとして構想してしまうだろう(いわゆる伝記的な書き方、ちょうどあらすじを紹介するのに上に書いたように)。または、人生に起こったエピソードの時間順序をばらばらにして語る方法もすぐに思いつく。しかし、それでは別に小説として面白くない。

この作品には三人の「アルテミオ・クルス」が想定され、語りの方法が三パターン用意されている。このまるで「アルテミオ・クルス」が分離したかのような書き方がこの作品の魅力だと思う。

  1. <わし>という一人称の語り、死にゆく老人の内的独白のパート(現在形)
  2. <お前>という二人称の語り、お前と呼びかけられる対象について予言的なパート(未来形)
  3. <彼>という三人称の語り、このパートの始まりには必ず年月日が示される。彼の行動が語られるパート(過去形)

それぞれ違った時制で語られる<わし><お前><彼>は、作品を読み進めていくとすべてアルテミオ・クルスのことを指しているらしいとわかってくる。現在「死」に瀕している<わし>は病床で過去を回想する(その回想の中で行動するのが<彼>だ)。そしてその過去回想のパートの前に、二人称<お前>の語りが挿入されていて、それが<彼>の行動を予言するような未来形の体裁(お前は~だろう。)を取っている(未来が、過去を予言する??)。

 

人称を変えることで<アルテミオ・クルス>の分離感を引出し、鏡やテープレコーダーの描写を用いてこの分離感を補強する(テープレコーダーが不思議な効果を醸し出している。このテープは仕事をしているアルテミオ・クルスの声を録音したもので、死の床で再生されるのである)。こんな表現もある。

 

反射神経の痛みがおさまると、今度は内臓の痛みがじりじり襲ってくるだろう、そして、お前は自分がふたりの人間に分割されたように感じるだろう。受身にまわる人間と行動する人間、感覚人間と行動人間に。

(前掲書、65頁より引用)

 

このような分離の感覚が<死>という一点に収斂し、現在のアルテミオ・クルスに重なっていく。異なった時間軸を束ねるために用いられた描写のひとつが星の光という現象である。カルロス・フエンテスは自分のモチーフ主要モチーフである大地のイメージに覆いかぶせるように、天体まで持ち出してきて「時間」を取り扱う。このスケールの大きさにただただ圧倒された。

 

星々の現在がお前の現在でないように、あの時間もまたお前の時間ではないだろう、お前はふたたび星を眺め、はるかな、おそらくはすでに死んでしまっている過去の時が送ってくる光を眺めるだろう……。お前が目にしているのは、数年前、あるいは数世紀前に、光源である星から発した光の亡霊でしかないだろう、その星はまだ生きているだろうか?……お前の目が見ている限り、星は生き続けるだろう……。今お前が眺め、その目で洗礼をほどこしてやろうとしている光は、過去の光なのだ、今――その星がまだ存在しているとして――その星から発した光は、はるかな未来にお前の目にとどくだろう、その星を眺めながら、お前はそれがすでに死んでしまっていることに気がつくだろう……。

(前掲書、352頁より引用)

 

<彼>という三人称のパートはそれだけ集めるとアルテミオ・クルスという人間の年代記になっている。構造の面白さを追求すると、物語性が抜け落ちてしまうことがあるのだけれど、カルロス・フエンテスの書く長篇小説は物語としても普通に面白い(実際、結構エンターテイメント的な勢いで読んでしまった部分がある)。記された年月日を整理してみると、アルテミオ・クルスは1889年4月9日に生まれ、1959年4月9日(71歳)で倒れている(その日のうちに死亡するかどうか直接書かれてはいないが、作者の徹底した時間処理のことを考えると、生年と同じ日に没年があるほうがしっくりくる気がする)。

 

なんとなく、まとまりに欠けた記事になってしまったがこの小説は本当に面白かったのでおススメしたい。読み始めは少し読みにくさを感じかもしれないが、慣れてくると作品の構造と内容に自然と引き込まれてあっという間に読み終わってしまう。

スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い』を読んで考えたこと

昨年末から年始にかけて、しばらくスーザン・ソンタグ著作を読んできたわけだが、今回の更新で一旦終わりにしたいと思う。今回は『隠喩としての病い』を読んで考えたことをまとめておきたい。

 

スーザン・ソンタグ 著、富山太佳夫 訳『隠喩としての病い』(みすず書房、1982年)

隠喩としての病い

隠喩としての病い

 

 

私の書いてみたいのは、病者の王国に移住するとはどういうことかという体験談ではなく、人間がそれに耐えようとして織りなす空想についてである。実際の地誌ではなくて、そこに住む人々の性格類型についてである。肉体の病気そのものではなくて言葉のあやとか隠喩(メタファ)として使われた病気の方が話の中心である。私の言いたいのは、病気とは隠喩などではなく、従って病気に対処するには――最も健康に病気になるには――隠喩がらみの病気観を一掃すること、なるたけそれに抵抗することが最も正しい方法であるということだが、それにしても、病者の王国の住民となりながら、そこの風景と化しているけばけばしい隠喩に毒されずにすますのは殆ど不可能に近い。そうした隠喩の正体を明らかにし、それから解放されるために、私は以下の研究を捧げたいと考えている。

(前掲書、5頁-6頁より引用)

 

この本は著者が自分自身の癌体験から着想を得て書いたものらしい。しかしこれは単なる闘病記ではなく、著者自身の体験が書かれているわけではない。病気そのものというよりは病気に付された隠喩(メタファ)について、主に結核と癌を素材に考えた事柄が綴られている。これまでの文学作品や思想において、結核や癌がどのように書かれてきたか、具体例を交えながらその病に付された隠喩や変遷を辿っている。

たとえば私達がよく知っているいわゆる「サナトリウム小説」。サナトリウムとは、空気の綺麗な高原などに作られた結核療養所をさすことが多いが、そこで繰り広げられる男女の儚くも美しい恋愛物語……。この物語が可能なのは、ロマン主義者たちが結核という病にある隠喩を与えたからだ。つまり「つまり、下卑た肉体を解体し、人格を霊化し、意識を拡げる結核による死を利用したのである。結核をめぐる空想を通して死を美化することができた。」(前掲書、28頁より引用)肉体の病というよりは、精神または魂の病という隠喩を与えられた結核は文学の題材として好まれることになるようだ。逆に徹底して肉体の病とされた癌のほうに霊性が付与されることはなく、素材として忌み嫌われるようになる、つまり美化され得ない(患者にしてみれば、そんな隠喩などいい迷惑であるが)。

著者が引いた詳しい事例は本書を読んでいただければわかるので割愛するが、確かに時代がある特定の病に対して与える隠喩というものは存在しそうである。

少し考えてみよう。

たとえば「社会の癌」という言葉(最近はあまり使われなくなったか?社会に限定せず○○の癌という言い方は一時期よく見かけていた気がするのだが。)は、社会に巣食う悪であるが、まるで癌の腫瘍を摘出するように排除し得るもの、という意味合いを帯びている。癌に対する私たちの感覚はスーザン・ソンタグが癌について考えていたころよりもずっと「容易に摘出し得るもの」になっているはずだ。一昔前よりもはるかに癌の治療はしやすくなった。「乗り越え可能な悪」という隠喩が現代では与えられているのではないだろうか。

(摘出できないタイプの癌、たとえば悪性リンパ腫さえ最近では放射線治療等で対処し得る。ほんの10年ほど前、私の親戚はこの病で亡くなったが当時は治療不可能と言われ、痛みをやわらげる程度の治療しか行わなかったはずだ。)

ちなみにスーザン・ソンタグはこんな風に書いている。

 

或る現象を癌と名付けるのは、暴力の行使を誘うにも等しい。政治の議論に癌を持ちだすのは宿命論を助長し、「強硬」手段の採択を促すようなものである――それに、この病気は必ず死に到るとの俗説をさらに根強くしたりもする。病気の概念がまったく無害ということはありえないのだ。それどころか、癌の隠喩そのものがどことなく集団虐殺を思わせるとの議論も成り立つように思われる。

(前掲書、125頁)

 

他にも考えてみよう。

うつ病心の風邪」という表現について。これも一昔前によく言われた言葉だ。この言葉のおかげで精神科や心療内科への敷居が下がり、救われた人もたくさんいただろう。だが、「風邪」という言葉の気軽さは人を救うのとは逆の方向に隠喩を働かせもした。多くの人がうつ病を始めとした精神疾患に対して過度に敏感になっているように思えてならない(と書いている私も実はうつ病適応障害の間をここ15年ほど行ったり来たりしているわけなんだけれど……笑)。ほんのちょっとの気分の落ち込みさえ「病」とされてしまうかもしれないという心配。

いわゆる「難病モノ」「闘病モノ」といわれる物語(テレビドラマや映画、小説など)や、「24時間テレビ」で繰り返し提示される「障がい者像」に対して嫌悪感を抱いている人をよく見かけるが、その嫌悪というのは病や障害という対象そのものに対してではなくて、他人の日常や苦悩に美しく装った意味(愛とか感動という隠喩の付与)への嫌悪だろう。実は私も一時期本当に「難病モノ」「闘病モノ」が苦手であり、それはたとえフィクションであっても、何か不純な意味を物語にとって都合よく他者に押し付けている印象があったからなのだろう。病は隠喩になり得る、というのは『隠喩としての病い』を読んで新しく得た視点かもしれない。何かに意味を与えるということには常に慎重にならなければならない(それでも人は意味を与えたくなる、だから難しさを感じる)。

人工透析患者に対して、最近、暴力的な言葉がインターネット上に掲載されて物議をかもした。人工透析は「自己責任」という例のアレだ。こういう考え方がどうして出て来るのか、病が隠喩として機能してしまうということから少し考えてみた。

まず「生活習慣病=糖尿病→人工透析」という安易な図式が存在する。そして「生活習慣病」という言葉(表現)には無意識のうちに仕込まれた隠喩がある。「生活習慣」は自分の意思で決められるもの、それで病が引き起こされたならやはり悪いのはお前自身だ、という考え方。上記の生活習慣病人工透析を結びつける図式の存在と、生活習慣病という言葉が隠喩として機能した結果、人工透析患者=自己責任論という荒唐無稽な暴力的言説に結びついたのかもしれない。(言う間でもないが、人工透析の理由は何も生活習慣に起因する糖尿病だけではないし、そもそも生活習慣自体が個人の努力ですべて良い方向へどうにか転換できるというものでもないし、さらに言えば、そもそも生活習慣がすべて病の原因というわけでもないはずだ)。

 

他に著者は「癌のことを記述するさいの中心的な隠喩は、実は経済学からではなく、戦争用語から借用されたものである。」(97頁-98頁)と興味深い言葉の使用について述べている。それによると癌細胞は単に増殖するだけではなく「侵す」と言われるし、小転移は「植民地を作る、小さな前哨点をつくる」、「徹底的な」外科手術、体の地形を「走査」、「腫瘍の侵略」……などと言われることに注目している。

 

治療法にも軍事的なものがつきまとう。放射線療法には空中戦の隠喩がつきもので、たとえば患者は有毒の抗戦によって「空爆される」。化学療法は毒物を使う化学戦争となる。治療の目的は癌細胞を「殺す」ことになる。

(前掲書、98頁-99頁より引用)

 

このあたりを読んでいてふと思い出したので自分のメモ程度に残しておくけれど、松波太郎『ホモサピエンスの瞬間』において、登場人物の過去なのか、それに語り手である「わたし」の空想を付加した話なのか判断はつかないが「戦争」の様子が描かれている。体の不調と言葉の閊えを「戦争」の描写に近接させて描く書き方のことをなんとなく思い出した。言葉の閊え=コミュニケーション不全を「梗塞」(血栓の詰まり)と合わせて書くこと。癌の他にも最近では心筋梗塞脳梗塞に知らず知らずのうちにかぶせられる隠喩があるのかもしれないと思った。私にはまだ、言葉にすることができないけれども。

 

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たとえ新しい感情がわきあがっても―スーザン・ソンタグ『ハノイで考えたこと』

 

今回はスーザン・ソンタグの『ハノイで考えたこと』という本を取り上げたい。

スーザン・ソンタグ 著、邦高忠二 訳『ハノイで考えたこと』(晶文社、1969年)

 

ハノイで考えたこと (晶文選書)

ハノイで考えたこと (晶文選書)

 

 

ソンタグは1968年5月にベトナム戦争真っただ中のハノイ(北ヴェトナム)を訪れている。本書はその時の直接体験をもとにソンタグが考えた事柄(文化や彼女自身の意識について)をまとめた記録である。知識の上ではよく知っているはずの異文化に実際に触れてみた時の著者の純粋な驚きや戸惑いが、なぜそういう感情として表出するのかというところまで含む深い洞察である。

 

ここでベトナム戦争ハノイについて簡単にまとめておこうと思う。

私達がよく聞くベトナム戦争は、1955年11月から1975年4月30日まで続いた「第二次ベトナム戦争」をさすことが多い。この戦争はインドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争の総称だ。細かな事例を挙げればきりが無いのでここでは割愛する。簡単に書いてしまえば、ベトナム共和国(南ヴェトナム/背後にアメリカ)VSベトナム民主共和国(北ヴェトナム/背後にソ連)という構図で説明することのできるいわゆる冷戦を背景とした代理戦争でもあった。ハノイ北ベトナムの都市で戦争中にはアメリカ軍による空爆にもさらされている。南北ベトナム統一後、現在ベトナム社会主義共和国の首都である。経済の中心と言われるホーチミン市に対してハノイは政治・文化の中心地と言われることが多い。

北ベトナム政府の招聘によって、本書の著者でアメリカ人のスーザン・ソンタグが戦時下のハノイを訪れたのだ。

 

歴史の理解は、私が当然のものとみなしているその目的、つまり、客観性とか完璧性という目的とはちがった目的をもつこともありうるのだ、と。それは実用のための歴史である――正確にいうなら、生き残るための歴史だ。だから、それは、まるごと実感された歴史であり、距離を保った知的関心事のジャムみたいなものではないのだ。過去は、現在という形態のなかに継続し、また、現在はうしろの時間にむかい、のびひろがってゆく。

(前掲書、37頁より引用)

 

ソンタグは自分が持っていた歴史観ベトナム人が持っている歴史観にどうやら違いがあるらしいことを感じる。ソンタグから見たベトナム人たちは「歴史の世界に生きて」おり、しかもその歴史は「目的の一貫した歴史」である。そういう歴史観という思想的背景によって形作られた現在のベトナム人の思考の枠組みが当初ソンタグには見えなかったらしい。アメリカはベトナム空爆している、しかし当のベトナムではアメリカに一種畏敬の念のようなものさえ持っており、ソンタグを歓待してくれる。そういう価値観がまったく理解できなかった戸惑いが著者の思考の契機になっているように思える。

また、考えれば考えるほどにスーザン・ソンタグは自分の中にあるアメリカ的な価値観(思考の枠組み)が浮かび上がってくることに気が付く。著者はアメリカによるベトナム空爆を痛烈に批判していたわけだが、それでもなお自分はアメリカ人であることを捨てきれないというディレンマを抱えなければならない。実際にベトナムの地を踏んだからこそ、知識にとどまらない感覚にまで踏み込んで自身の価値観を検討する必要に迫られたのだ。

 

ハノイに旅立つまえ、私が想像世界のなかで勝手に関連づけていたヴェトナム像は、現地にのぞんだとき、なんら現実性をもっていないことが立証されたのである、過去数年間、ヴェトナムは私の意識の内側で、“弱者”の苦難と英雄行為を示す、ひとつの典型的な像として腰を据えていたのだ。しかし、私の心にとりついていたのは、じつは“強者”アメリカ像のほうであった――アメリカ的権力、アメリカ的残忍性、アメリカ的独善の形姿であった。

(前掲書、131頁より引用)

 

同じページで、スーザン・ソンタグは「歴史の課題とは、つまり意識の課題である」という言葉を引き、ハノイの滞在によってこの警句のもつ真理が自分自身にとって鮮明かつ具体的になったと書いている。単なる知識であったベトナムが、著者自身の「思考作用の限界をやぶるための能動的対決に転化された」という。

ソンタグの語る言葉をすべて鵜呑みにすることはできないが(著者の言葉はオリエンタリズム的な枠組みから逃れてはいないと思う)、ある特定の国における歴史のとらえ方や、そういう思考体系からくる文化観について考え抜いた著作であるとは思う。特に私がこの本を読んで面白いと思ったのは、ソンタグの異文化観察の眼差しがやがて自身の内側の「アメリカ的な部分」にはねかえっていったことだ。他の文化を理解するのにどれほど自分の中にあった思考の枠組みが邪魔になるかということ、しかしそうでありながら、その既存の枠組みを捨てきれはしないこと、アメリカ人であることをどこまでもつきつけられること。

異文化に対する寛容や異文化交流は世界がずっと模索してきたことだし、今でも模索し続けていることだろう。非常に難しい問題で、それこそ教科書的に語ってしまうのは簡単なことなのだが、実際に異文化に接した時に自分が表明する態度が教科書的な模範解答になるとは限らない。歴史観や文化観の違いというものについて、そこからどういう感情が表明され得るのかについて、アメリカ人であるスーザン・ソンタグは実際にハノイを訪れ、考え、書いた。

 

彼女(スーザン・ソンタグ)には、人間は絶えず変化してゆく弁証的な存在であり、それを教導する契機は“新しい感情”である、という認識がある。彼女がハノイの現実に触れて喚起された新しい感情を、どのように処理し、どのように進展させるかが、この日録を彼女に書かせた動因だといえるだろう。そして、新しい感性、感覚の新しさこそ人間を変革させ、人間活動に変更をくわえる発条になるのだ、と彼女はいいたいようである。

(前掲書、149頁、訳者あとがき「スーザン・ソンタグについて」から引用)

 

経験を拒絶せず、できる限りしなやかに対応することができれば、それだけ世界は広がっていくのかもしれない。その広がりの中で自分のもつ捨てきれない感覚にも自覚的になっていくのかもしれない。たとえ新しい感情がわきあがってきても、それを怖れることなく向き合っていくことを忘れないでいたい。

写真ってなんだ?―スーザン・ソンタグ『写真論』

今回はスーザン・ソンタグの『写真論』を読んで考えたことを書いてみようと思う。この本を読むまで、そもそも写真とは何か? どういう性質のものであるか? などと考えたことはなかった。考える暇もなく、現代の我々はスマホで気軽に写真を撮るのである。この本が書かれた頃に比べて、現代の我々はより写真に囲まれて生きているだろう。写真、大半の写真は物体として印刷されることもなく、画像データとして端末に保存されている。情報としての大量の写真に我々は囲まれているのだろう。このブログもそうだけれど、今の私たちの物の見方や考え方から画像を抜きにすることはできないと思う。

 

スーザン・ソンタグ著、近藤耕人 訳、『写真論』(晶文社、1979年)

写真論

写真論

 

 

正直、はじめて「写真」というものを考えることになった私にはこの本をしっかり読み込めた自信はない。なので、今回はこの本については断片的に取り上げることしかできそうもない。『写真論』の内容は巻末の訳者あとがきから引用しておこうと思う。

 

『ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス』誌にこれらの評論を書いていくうちに、彼女(著者、スーザン・ソンタグ)は写真というものがじつに大きな主題であることに気がついてくる。写真について書いているというよりも、近代性(モダニティ)について、私たちの現在のありようについて書いているのだと悟るようになる。写真の問題は現代のものの感じ方、考え方へのひとつのアプローチであり、写真について書くことは世界について書くことだと彼女は話している。

(中略)

この評論集は「写真論」と題されてはいるが、実際は写真を鏡として裏側から照らし出したアメリカの社会と文化を論じたものであり、さらに広く、民主主義社会と写真の関係を解明しているものであって、アーバスの作品群はまさにその象徴なのである。

(前掲書、訳者あとがき219頁より引用)

 

1930年代のアメリカ・リアリズム文学と写真的リアリズムとの関係にとどまらず、それ以後のアメリカ文学全般と、この<写真的見方>との関係は、アメリカ文化をその特徴的な鍵で解き明かすために、興味あるテーマであり、この本はその手がかりを与えている。

(前掲書、訳者あとがき220頁より引用)

 

 

■写真ってなんだ?

 

ひと言で「写真」と言っても様々な種類がある。アルバムに綴じられていくような家族の思い出写真や、証明写真、メディアの報道写真……。最近驚いたのはプリクラの性能だ。最近のプリクラの顔面補正力にはほんとうにびっくりした。あそこに映し出された自分の姿は確実に自分ではない。

 

写真はただ現実を記録する代りに、事物の私たちへの現われ方の基準となって、それによって現実の観念、レアリスムの観念そのものを変えてしまったのである。

(前掲書、94頁より引用)

 

写真は我々人間の眼(視力)の限界を超えている。たとえば、「ミルククラウン」という現象をぴたりと静止したものとして捉えることは人間の眼には不可能である。顕微鏡写真も我々人間の眼では見ることのできない微細なものを写しだす。X線写真もそうかもしれない。これら人間の視力を超えたものを写真として見慣れてしまうことで、我々の観念はいくらか変えられてしまったのかもしれない。もう少し身近なところでは風景写真。誰もが美しい景色をみたら、ポケットの中のスマホを取り出して写真を撮りたくなるものだが、たった一枚の風景写真を撮るということを考えただけでも、そこには信じられないほど多くの選択が絡んでいる。まず、何を写すかという被写体の選択、それからどういう風にフレームに収めるか、どういう風に風景写真として切り取るかといった技術的な選択。アマチュアカメラマンでさえ(いや、もっと現代的に言えばカメラマンという意識を持つことさえなく写真を撮る我々ひとりひとりでさえ)、自らの欲求に技術力、はたまたシャッターを切った瞬間の偶然に左右されながら風景写真を撮る。撮影者の意図が明確であればあるほど、その写真は観光パンフレットのような見易さや美しさを持った写真になるのかもしれないし、そうだからこそ、実際にその場所を訪れた場合、がっかりすることが多いのだ。つまり、写真の風景は現実の(ふつう我々が見慣れている)風景とは異なったものである。そういう物に晒され続ければ自ずと観念にも影響を及ぼすだろう。

 

個々の写真は断片にすぎないから、その道徳的、情緒的な重みはそれがどこに挿入されるかにかかっている。一枚の写真はそれが見られる文脈によって変るものである。それでスミスの水俣の写真はコンタクト、ギャラリー、政治的デモンストレーション、警察のファイル、写真雑誌、一般ニュース、雑誌、本、居間の壁、で見た場合はちがって見えるだろう。これらの状況はそれぞれ写真のちがった用途を暗示しているが、どれも写真の意味を確実にすることはできない。

(前掲書、112頁より引用)

 

写真は撮影して終わり、というものではない。撮影された写真を見る者という他者の存在によって意味づけがなされるものだ(勿論、撮影した時に撮影者は撮影者なりの意味や意図を持っているだろうが)。写真を資料として見る歴史家の視線と、同じ写真であってもそれを芸術作品としてみる視線は大きく異なっている。この本の最後の章「引用の小冊子」でグスタフ・ヤヌーク『カフカとの対話』が引用されているのだが、そこでカフカはこんなことを言っている。

 

「写真は表面的なものに眼を集中させる。そのために、それは光と陰の戯れのように物の輪郭を通してほの見える隠れたいのちをあいまいにしてしまう。それは最高のレンズを使っても捉えることができないのだ。それは感覚で手探りしなければならないものなのだ。(……)この自動カメラは人間の眼を何倍にもふやすのではなく、とんでもなく単純化したはえの視覚にしてしまうのだ」

(前掲書213-214頁より引用)

 

カフカは写真についてこんな風に思っていたらしい。それは人間の眼をひどく単純化したものだと。

 

写真はいくつかの形での獲得である。一番単純な形では、私たちは写真の中で大事なひとやものを代用所有する。その所有のお蔭で、写真はどことなく独特の物体の性格を帯びてくる。私たちはまた写真を通じて、出来事に対して消費者の関係を持つようになる。私たちの経験の一部である出来事とそうでないのとの両方に対してで、それはこのような習慣形成の消費者であることがぼやかすさまざまな経験のタイプのひとつの区別である。三番目の形の獲得は、映像作りと複写機を通して私たちはなにかを(経験というよりも)情報として獲得できるということである。実際、ますます多くの出来事が私たちの経験に入ってくる媒体としての写真映像の重要性は、結局それが経験から切り離されて独立した知識を有効に供給できることの副産物にすぎない。

(前掲書、158頁)

 

写真は所有である、という感覚。プリントアウトをせず、物体としての厚みをなくしたデジタル写真であっても、この感覚は無効にはなっていないと思う。「思い出を残したい」という願望が我々に次々とシャッターボタンを押させる。後で見返すかは別として「残したい」という願望は確かにあるのかもしれない。それはある特定の瞬間の所有である。七五三や成人式の写真を撮るというのもよく考えればその時にしかできない「自分」を保存して所有する行為である。ふと思ったが[盗撮]という行為と所有願望は結びつくものなのだろうか? どちらかというと「盗撮」の場合は所有よりもスリルを求める心情と結び付けられて論じられている印象があるが……?

 

さて、長くなってしまったが、今回この本を読んで写真というものについて色々と考えることができて本当に良かった。はじめに書いた通り私は写真が嫌いである。写るのも嫌いだが、実は撮るのも嫌いである。特に人間を被写体にすることにはある種の恐怖さえ感じている。他人を被写体にしてシャッターを切ることが何か暴力的なことに思えるのだ。被写体の生命活動を写真の中で凍結すること、そのことへの怖さだったり、そうすることで被写体に何か当初意図していなかった意味を押し付けることになりはしないかと不安になるのである。

カメラという装置が現実を侵食している。

それが良いとか悪いとか、そういうことを言うつもりはない。ポケモンGOですっかり有名になったAR(Augumented Reality、拡張現実)技術は写真が人間の視力を超えたものであるという事実をさらに延長して、積極的に推し進めたものであるように感じる。また、SNSの浸透によって我々の意識にはフォトジェニックという言葉が浮かびやすくなっているのかもしれない。昔ならそういうことを考える場面は非常に限られていたはずだが(例えば見合い写真や生前に撮って用意する遺影、芸能人のブロマイド)、今では日常的な思考になっている。