言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

地球人という器―三島由紀夫「美しい星」

有名な作家の名を冠した文学賞はいろいろあるけれど、まさかそのうちのひとつの最終候補という名誉に自分が与ることになるとは、手を真っ黒にして鉛筆で文字を書きまくっていた子供時代の自分には思いもつかないことだったろう。書くことに関して真摯にやって生きてきたけれど、実は周りが期待するほど文学に精通しているわけでもない私は、三島由紀夫作品を読まずにここまで来てしまった。そんなわけで、候補の連絡をいただいてからこんな絶好の機会は人生でそう何度も訪れるものではないと思い三島由紀夫作品を読みはじめた。ありがたい機会だ。仕事帰りに書店の文庫本コーナーで、一度に片手で掴めるだけの三島作品の文庫を掴んでレジへ向かった。読みたかったけれどなかったものは図書館で借りた。そうして「潮騒」から読んだ。それから「憂国」「剣」「橋づくし」「魔法瓶」「月」「雨のなかの噴水」「絹と明察」「花ざかりの森」……。ここまで読んできて思ったことは、完全な美というものがあるなら、それは絶対の静止の中にあるのではないか? ということだった。美しいものは「時間」の中にはあり得ないというか。「時間」の流れの一つの表現である小説の中に美しいものを抛り込んだとしたら、それはやはり毀れていくしかないのではないか。完璧な美は一瞬の静の状態ではないか。美が毀れていくしかないことを知ったうえで見つめるという営みへの嗜好性が、人間が悲劇というものを好む理由のひとつなんじゃないかなぁ……。

 

今回ブログで話題にしたいのは「美しい星」である。

 

 

三島由紀夫という作家に抱いていたイメージとはずいぶん違っていて面白かった。作家の幅の広さを知った。手に取ったのは図書館にあった不思議な文学全集。

三島由紀夫「美しい星」(『De Luxe われらの文学5 三島由紀夫講談社、昭和44年、所収)

ブログ中に引用したページ番号はこの全集に依っている。「美しい星」は文庫にもなっているので、こちらのほうが手に取りやすいかと思う。

 

 

「美しい星」は1962年に出版された長篇小説。埼玉県飯能市に暮らす大杉家の一家四人は、ある時、空に円盤を見て自分たちはそれぞれ別々の星から地球にやって来た宇宙人だという自覚に目覚める。父・重一郎は火星、母・伊余子は木星、息子・一雄は水星、娘・暁子は金星という具合に。時代背景は冷戦による世界不安があって、ソ連の水爆実験など米ソの核開発競争が激化している。こうした時代の不安の中に居れば「地球は」「人類は」これからどうなってしまうのだろう? という主語の大きな疑問が浮かんでくるように思う。「地球は」「人類は」と論じる時、自分の立ち位置をそこから引き離したら……壮大な(時に荒唐無稽な)議論が可能になる。

 

重一郎は主張する。

「核実験停止も軍縮もベルリン問題も、半熟卵や焼き林檎や乾葡萄入りのパンなどと一緒に論じるべきなのだ。宇宙の高みから見たら、どちらも同様に大切なのだ、ということを彼らに納得させなくちゃいかん」

(前掲書、190頁)

 

 

重一郎はこの世界がおそろしくばらばらで、統一感の欠けていることを見抜いた。人類を救うため、宇宙的観点から結束を説き「宇宙友朋会」を組織して各地で世界平和達成講演会を開催する。

真偽はともかく、なんて人間に好意的な宇宙人なんだろう。「上から目線」になるのは仕方ない。だって「宇宙人」の意識はこの美しい星空に浮かぶどこか別の星から地球を見下ろしているのだから。地球人が美しい星を見上げるなら、宇宙人は美しい星として地球を見下ろすことも可能なのだろう(この視点の前提が人間臭くてとても好きだ)。

しかし、どうやら宇宙人は彼らだけではないらしい。宮城県仙台市に暮らす羽黒真澄助教授、銀行員の栗田、床屋の曽根の三人組は、やはり円盤を見たことをきっかけに、自分たちが白鳥座61番星あたりの未知の惑星からやって来た宇宙人であると自覚した。彼らは重一郎の主張とは逆に、人類全体の安楽死、すなわち人類滅亡を望んでいる。ほうっておけば人類にとって苦痛が募るばかりで、われわれは人類を愛しているからこそ「平和」という不可能な条件を課してまで存続させようとは努めない、とのこと。

 

物語のクライマックスでこの羽黒一派は大杉家にやって来て、重一郎と議論することになる。簡単に書いてしまえば、人間は不完全だから滅ぼしてしまうべきだと主張する羽黒と、人間は不完全ではあるが、それでも「気まぐれ」という美点があるから希望を捨てないという重一郎の論争である。羽黒の主張では人間には三つの宿命的欠陥があり、そのどれを考えつめていっても人間は水爆のボタンを押すのだと言う。重一郎は、羽黒の考える人間の欠点を認め人類に平和を与えようという企ての奇妙さもよく知っていた。「平和を願う人間どもは、現在存在している平和には不満であって、もっと完全な、不安のない平和を求めているのでしょうが、実は彼らが不満なのは、現在の平和の存在様態にではなく、平和の本質に不満なのかもしれない」(312頁)。

 

平和は自由と同様に、われわれ宇宙人の海から漁られた魚であって、地球へ陸揚げされると忽ち腐る。平和の地球的本質であるこの腐敗の足の早さ、これが彼らの不満のたねで、彼らがしきりに願っている平和は、新鮮な瞬間的な平和か、金属のように不朽の恒久平和かのいずれかで、中間的なだらだらした平和は、みんな贋物くさい匂いがするのです。

(前掲書312-313頁)

 

 

 

「平和」は宇宙産(?)なのか……、と文章の面白さに突っ込みをいれつつ、でも平和の「腐敗の足の早さ」はわかるような気がする。戦後〇百年、〇千年……ということは人類史上無い。前の戦禍の記憶が保たれるのはせいぜい数十年なのかもしれず、人間は飽きることなく戦争を繰り返している。そして「戦後」には「平和」が訪れる。その幸福な感じが共有される。

人間は「事後の平和」しか平和と認めない、「事後の平和」を願うということはつまり事の起こるのを前提としており、事とはつまり水爆戦争である。これが重一郎の説だ。それでもなお重一郎は人類に希望をみる。彼によると人類はまだ時間を征服できていないという。人類にとっての平和や自由の観念は時間の原理に縛られており、時間の不可逆性が人間の平和や自由を困難にしている要因らしい。

「もし時間の法則が崩れて、事後が事前へ持ち込まれ、瞬間がそのまま永遠へ結びつけられるなら、人類の平和や自由は、たちどころに可能になるでしょう」(313頁)

 

 

つまり、重一郎は人類に水爆戦争後の悲惨さを現在の時点においてまざまざと眺めさせ、その事後の世界の新鮮きわまる平和を味わわせてやれば水爆のボタンを押さずに済むと考える。しかし、そのためには人間の想像力がおそろしいほど貧しくて破滅を思い描けなかったという困難があったのだった。

水爆の悲惨さを人類に対して見せるという点において、羽黒一派と重一郎のあいだには違いはない。ただ見せた結果がそれぞれ異なっていて、人類の肉体をも破壊して滅亡させる羽黒のシナリオと、あくまで想像のうちで破壊させるのみで滅亡はしないという重一郎のシナリオが想定されている。どちらもかなり宇宙人的上から目線で、丁寧に読めば読むほど面白い。時間を征服し、未来を現在において経験することが前提なんて絶対に無理だと思うし、羽黒の人類滅亡シナリオのほうが想像しやすい(あ、やっぱり地球人の私って想像力が貧しい?)。

ところが、この一連の議論を精読して心のどこかで重一郎を応援したくなる自分も確かにいる。それで、宇宙人の視点で考えた人間像とその未来予想に関するこの議論は、私にとって「人間の面白さ」を気づかせる地点に着地した。人類を滅亡させるのか救うのか、正反対の意見のどちらも地球人である私の(あるいは作者の)想像のうちに共存している。どちらの可能性も、実現するかどうかは別として考えることはできる……。確かに地球人には重一郎が想定するほどのまざまざとした破滅を想像することはできないのかもしれない、故にその直後の平和の至福もわからないかもしれない。でもなんだか羽黒一派との論争を、人間である私はこの本の上から見ていて、あれこれ考えることはできるらしい。ここに希望があるのではないか? 人間は矛盾する存在であり、しかもその矛盾を納得して共存させることができる器だと私は思った。そういう意味で、描かれた羽黒一派と大杉家、ついでに暁子と束の間の恋愛をした竹宮と名乗った金星人も、作家の想像力によってあらゆる角度から描かれた人間の姿なのだ。

 

物語は、羽黒一派が好き放題言い放って去り、倒れてしまった重一郎が末期の胃癌であったことが判明する、と進んでいく。医者から内密に重一郎の癌の告知を受け取った息子の一雄は、目の前に迫った父の死という現実を悲しむ一方で、その死はたかが他の惑星人の仮の肉体の崩壊にすぎないという二重性を発見する。そのころは端午の節句が間近だったので、町の屋根屋根には鯉幟が風に翻っていた。その光景を眺めながら、一雄は宇宙人としての重一郎を裏切ったが、悲しむのはあくまで父の死なのだという矛盾した二つの感情の辻褄が合って、流れる涙が二つのものを結ぶ大きな絆のほんの一端が揺れさざめいているのだと思い做されたのだった。この鯉幟の描写がとても好きなので、引用して終わりにしたい。

 

 

こうした場合、自分の涙に一顧も与えずに、ほがらかにうねる鯉幟を、人間だったらその対照の冷たさに、むしろ敵意を以て眺めるだろうが、一雄は今それを一つの対照としては感じなかった。何故だか、自分の悲しみと、緋鯉や真鯉ののびやかな遊泳とが、同じ旋律で一つの円環をめぐっているような気がしたのである。ビル街の裏表には、強くなりかけた日ざしと影の、くっきりした明暗があった。すべてがひとつのゆるやかな、感情の輪舞を踊っていた。同じものが影へ入るときは悲しみの形になり、日向へ出れば鯉になって、風をはらんだ鮮やかな尾をひるがえすのだ。そう思うと、人間と宇宙人をつなぐ大きな絆が、おぼろげに覗かるような気がした。

(前掲書335頁)

 

獣と人―河﨑秋子『ともぐい』

河﨑秋子さんの本は、私の空白を満たしてくれる存在だ。北海道という土地のことを知りたくて、編纂された歴史書をどんなに読んでもわからなかったこと、寡黙な親、祖父母が決して語らなかった「あの時」「あの場所」とも言うべき、かつて確かに人が生きていた時間の手触りがある。ああ、きっとこうだったんだろうな。著者の小説の言葉は血の通った人間の感覚を通って私に届く。

はじめて手に取ってそう思ったのは『土に贖う』(集英社文庫)だった。私の生きる時代は「ぬるい」のかもしれない。祖父母や親の代には手に負えないものでも、なんとか人間が御してやろうと企む力があった。「温む骨」という短篇が印象に残っている。親の世代は厳しい労働を通して野幌粘土でレンガを焼いていた。その親の子供は同じ土を使って陶芸作品を作ろうとするもなかなか上手くいかない。ようやく作り上げたものは動物の頭骨に似た形をしていた。その空洞には「かつてこの地にあった、何者かであり、何者にもなり得なかった諸々の過去が、空虚という形で混在している」(『土に贖う』所収「温む骨」267-268頁)のだ。この感じは、私がずっと抱き続けていた北海道のひとつのイメージだった。北海道という土地は短期間に大きな変化を被った場所であり、わずか100年、150年で、生まれては消えていった多くの風景があったはずだ。上の世代が語る間もなく消えていったものたちの魂が空虚に浮かんでいる……。

 

河﨑秋子『ともぐい』(新潮社、2023年)

 

ともぐい

ともぐい

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さて今回は、第170回直木賞を受賞した『ともぐい』の感想を書いていきたい(作品のネタバレが嫌な人はこの先読まないでください!)。

 

自分の生まれを知らない、ただ養父に獲物を狩って山で生きる術を学んだ男、熊爪。作品の舞台は明治時代の北海道白糠の町と、その周辺の山である。白糠というところは古くからアイヌの人々が暮らし、早くから和人が集った集落だと説明される。山は熊爪が生きる場所、そして町には熊爪が狩ったものを買い取ってくれる井之上良輔の「門矢商店」(かどやのみせ)がある。ある時、熊爪は羆に襲われた男を山で発見し助けた。そのことをきっかけに「穴持たず」という冬眠をしない羆を追うことになる……というのが物語の始まりだ。

今ですっかり失われてしまった人間と獣の距離感が、静寂の原野に響く凍裂の音のような緊張感あふれる文体で書かれている。自分が生きるためには食わねばならない、だからそのために殺す、単純だが決してゆらぐことのない理を、熊爪の人生をもって表現しきった作品だった。

とにかくカッコいい。

白糠の町に来た熊爪が馬と道で鉢合わせになり、人間に使われる馬を「でかい」が「がっかり」だという場面があった。それから熊爪は畜産というものが分からないと書かれた場面、獣は笑わないから人間の笑いの意図がわからずその笑顔を直感的に恐れるという熊爪の人物像からは確かに獣臭さが立ち上る。人間同士の世の中の道理というものをよく知らない。

獣の側に視点を置いてみれば、人間の社会はおかしなことばかりに違いない。自分の命のために肉を得る必要がある、わかっていても動物を屠ることに抵抗のある人間は多い。その感覚が熊爪にはわからない。

 

鹿を撃ち取った熊爪は、雪に流れ落ちる鮮血を見てこう思う。

 

こんなきれいな赤が、鹿の中にも、熊の中にも、自分の中にもたっぷり満たされている。俺たちみんな、この血を入れておく袋みたいなものかもしれん。袋が飯を食い、糞をひり、時々他の袋とまぐわって袋を増やしては死んでいく。

(『ともぐい』8頁より引用)

 

 

 

熊爪の生命観だ。この感じが彼にとっての「本当」だったから、その視点から見る人間の世界は筋の通っていない上に、なんだか不気味な場所にさえ思えてくる。

しかし熊爪が「獣」か、というとそうではない。「人間」「猟師」の側に自分をおいて考えもする。両者は単に別の存在として遠く離れているわけではない。熊爪の中には人間と獣の両方が生きている。最近言われる動物福祉の観点やぬるい愛護精神から出てくる「共存」の幻想ではない。

 

「あ、きら、めねえ」

俺が持っているものを。帰ることを。生きることを。

(122頁)

 

 

と、山の中で負傷した熊爪は思った。そうして地面に這いつくばってでも、なんとか自分の小屋に戻ろうとするのだ。同時に、もし自分がここで力尽きて死んだら獣と鳥がたちまち自分らの糧とするだろうとも考える。

 

死んだ果てにそうなるのなら、それでも良いのかもしれない。

――なにしろ無駄がねえ。

(122頁)

 

 

獣は自分の死を考えない。最期まで、ひたすら前に進もうと(生きようと)歩き続ける。自らが死んだ後はどうなるだろうかと思い巡らすこともない。しかし引用した熊爪は、獣のようにただ生きよう、進もうと思うと同時に人間の想像力を持って自らの死後を考えてもいる……。

死後を想像するという行為は「人間」らしい。それにしても結論が「無駄がねえ」というのは、なんて潔いのだろう。自分は熊だろうか、人間だろうか、そのどちらにもなりそこなった「はんぱもん」だと自覚した熊爪は何を望み、どんな結末を迎えるのか、続きはどうぞ本を手に取っておたのしみください。

 

この作品の一節で私が最も好きなのは、これだ。

 

これからは一人。ずっと一人、狩って生きる。死ぬまでは狩る。(172頁)

 

ちなみに私はずっと鹿になりたいと思っている。たぶん無駄なく食われたい。命を粗末にしては駄目だ。おいしいお肉に私はなりたい……のか?

 

関連本↓↓

 

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先日、河﨑秋子さんのサイン会というのに行ってきました!

サイン会に行くのは初めてで、かなり緊張してしまい「この度はおめでとうございます」とお伝えするので精一杯になってしまいました。

どこにもなくて、遍くある―絲山秋子『神と黒蟹県』

〈蟹という字が書けるだろうか。〉

 

黒蟹営業所への異動が決まって、北森県から黒蟹県紫苑市へ赴任することになった三ヶ日凡。彼女が最初に思ったこんなことからこの小説は始まる。書き慣れない文字のある住所に移り住むこの感覚は転勤族の家庭で育った私には馴染みのある感覚だ。不思議なことに一年も経たずに、書き慣れないと思っていた字も書けるようになるし、なんなら書き慣れないと思っていたことさえ忘れてしまう。その頃には新しい土地にすっかり馴染んだ気になっている(本当に地元民になる、ということはないと私は思っているけれど)。ちなみに本書を繰り返し読んで日々生活をともにしていると書けるようになるものなんだな、「蟹」という字が。

 

絲山秋子『神と黒蟹県』(文藝春秋、2023年)

 

 

本書は「黒蟹営業所」「忸怩たる神」「花辻と大日向」「神とお弁当」「なんだかわからん木」「キビタキ街道」「赤い髪の男」「神と提灯行列」の八篇から成る連作短篇小説だ。自分の経験を重ねて「あるある!」と頷きながら読んだ、たのしい読書の時間だった。単行本になったことで、文芸誌に掲載されていたものをバラバラに読んでいた時にはわからない黒蟹県という場所の雰囲気がより浮かび上がってきて、ウヒョー!単行本ありがとー!と叫んでいるのは私だけではないはずだ。その「雰囲気」というやつを明瞭に説明できたらいいのだけど、それはちょっと難しくて、だからこそこの本を読んでほしいと思う(そもそも短篇集を紹介する文章を書くのが苦手なのだ)。

 

私はこの一冊を「どこにもなくて、遍くあるもの」を書いた本だと思った。物語の舞台である黒蟹県という県が実在しないことはすぐにわかる。けれどそれぞれの市や町の名付けようのない特色や関係性は、実在する日本全国津々浦々の「地方」と呼ばれる場所をぎゅっと濃縮したような存在感がある。生活していて、日頃当たり前に尊敬する山があって、あの町とこの町は歴史的な経緯もあって現在も不仲らしく、菓子ひとつとっても〇〇派VS〇〇派という強いこだわりがあり、ご当地テレビ番組の情報がゆるやかに共有されている(私が学生時代住んでいた青森県を思い出した、あの頃「笑っていいとも」は夕方に放送されていたんだよ、「いいでば英語塾」という津軽弁で英会話の勉強をする番組があったんだよ)。同じ苗字の人が多い地域、方言、新しく作られた道路と「旧道」と呼ばれるようになる道がある。

 

ある土地にずっと地元にいる人もいれば、他所から移ってくる人もいる。よそ者が排斥されるわけでもないけれど、よそ者というのは、そこがどんな場所なのか、どこが他所と違うのかと自分の周りをやたら情報で埋めたがるという特徴がある。それ故に土地に対して無頓着に暮らしている地元民とはたぶん長い間、なんか違う存在ということになってしまう。

生活にとって本当に大切なことは情報ではなくて、「見えないランドマーク」のほうなのだ。新しく赴任してきた三ヶ日凡は雉倉豪という前任者からの引継ぎのため、営業場所を車で回るのだが、廃業して今はもう跡地すらわからない百貨店をランドマークとする「デパート通り」や「ダイエー南交差点」、ガソリンスタンドがあったとされる「モービルの角」(実は我が家の近くにもある)なんていう呼び名に出くわす。「狐」を先頭に1キロの渋滞が起こったりもする。地図やカーナビには無いけれど「それらは現実の住所よりもずっと緻密で、正確に共有されている」、ああ、生活だなあと読みながら思った。

 

生活、生活と散々書いてきてふと立ち止まって振り返っても、きっと後ろにはこれといって特筆すべきものは何も見えない。おかしなことを言うようだけど、もしかしたら人間の生活は人間には見えないのかもしれない。それで本作には人間の「生活」や「関係性」を眺めるという重要な役割を担う「神」が登場する。全知全能の神ではない「半知半能」の神だ。「本物のよそ者」だと私は思った、それが少し寂しく思われることもあった。

神はある時は「おっさん」である。また別の時には六十代無職の存在として、さらに別の時にはホームセンターで働く「おばさん」の一人でもある。登場人物の思い出の中にいる人物になっていたり……実に遍く存在する。この神にとって「人類は永遠の興味の対象である」らしい。神として人間の願いごとを聞き届けているわけではないし、目の前にいないとき、人々が神を思い出すことはないけれど、神はちょうどいいタイミングで現れてちょっとした頼みごとをきいてくれたりする。

普段の生活で、人間はいちいちこんなことを問わない。けれど神には純粋に不思議がって問えることがある。

 

「弁当とはいったい何か」

神は人類に問うた。

(前掲書97頁)

 

 

ささやかに見せかけて、なんて壮大な問いなのだろう。

私が毎日職場に持っていく弁当はおにぎり一個である、ここにあるこだわりについて考えたことなんてそういえばなかった。作中では、介護職の樋口夏実が考えるお弁当観が印象に残った。樋口によるとお弁当は「二度寝の布団みたい」であり、それは「公私の狭間にある」存在なのだ。「こだわり」である以上、それは人それぞれで、そんなひとつひとつの些細なことが神には興味深いものに見えるのだ。そして神は思う、「人類とはなんと愛らしく、そしていじましいのだろう」と。

 

こういう「神」のまなざしを私は勝手に「絲的神の視点」と呼んでいる。作品論みたいな言い方になってあまり好きじゃないけれど、「神」という「装置」があるからこそ、名付けようのない関係性が見えてくるのだろう。ある土地に新しくやってきた「よそ者」が当初はこの神の視点に近い物の見方をするのかもしれないが、しかし「よそ者」はいずれ土地に馴染む。神は絶対に人間の土地には馴染まない。どんなに姿形を人間に似せても、永遠のよそ者なのだ。

 

「どこにもなくて、遍くあるもの」という私にとってのこの本の印象の出どころは、たぶん、地方の「あるある」を煮詰めたような架空の土地である「黒蟹県」や「神」の在り方、見つからない「大日向氏」であり(県庁文化推進部の大日向さん、『昼飯ワンダフル』の大日向忠太さん、というふうに同じ姓の人が多い地域では職業などで呼び分けられる、それがないただの「大日向氏」はいつまでも見つからない、けれどたぶんどこかにはいるのだし、そうやって互いを認識し合う人間って面白い)、行方不明の「コーキ」である。「ムッカやべえ道」にある「異世界ファミレス」だって、ないはずだけどあるような気がする。著者が作り出した架空の方言はどこにもないが、この作品世界からは当たり前のように聞こえてくる。現実から離陸しきった隙の無い虚構、作品が提示する世界観が「どこにもなくて、遍くある」を体現している。全国各地の読者は夢うつつの心地で作品世界に引き込まれればいい。ひとつの世界を夢にみている気分になればいい(そうしていたら、ひつじくんの言葉も意味深に思い出されるのだ、「一人一人がそもそも違う世界に隔離されていて、別のものを見てるんじゃないかって思うんだ」というあの言葉。本を読み始めて没入して、その世界の夢を見ている、永遠に覚めないということはない。ふと「じゃんがじょうに寝てくわる」という声が聞こえてくる。

「どこにも行けなくて、どこからも見えなくなってしまう線路なんだ」という中辻えみりの言葉が最後まで物語を読み終えてから余韻を持って響いてきた。どこにも行けなくてどこからも見えなくても、それはある。だから「神」と「妻である者」のあの生活も確かにあって、それはあまりになつかしくかけがえのない、いとおしき日々だったのだと思いたくなる。

 

「もちろん町に対しての好き嫌いというものはある。でも、好き嫌いの原因の殆どはその土地ではなく、自分自身の故郷との接し方や、恥の感情からくるものだと凡は考えている。」

(28頁より引用)

 

 

ここから先は本の感想には関係ないので、興味が無い人は回れ右!

私自身、自分が住んでいる土地に屈折した感情を抱いている。どうしても好きになれない。そうでありながら、私は北海道という土地についてこれからも書いていきたいと思っている。なぜなら知りたいからだ。この土地とそこに流れてきた時間のことを知りたい。住んでいるくせに一番よくわからない場所のことを知りたい。そして、それらと自分の距離を見定めてみたい。自分の感情が描き出す場所とそこからのフィードバックで私に生じる感情がすごく知りたい。

気配と手触り―小山田浩子『パイプの中のかえる』『かえるはかえる パイプの中のかえる2』

久しぶりに小山田浩子さんの短篇小説「広い庭」(『庭』新潮社、2018年所収)を読み返した。やっぱりいいな~この作品好きだな~と思った。文芸誌に掲載されたときに初めて読んで、その時もなんだかひとりで盛り上がって「これはちょっとすごいんでないか」とずっと言っていた記憶がある。あるようなないような、「気配」とでも言いたくなるものをそうとは書かないで、あくまでも具体的な存在としてはっきりくっきり書いたらちゃんと池のある庭の形になっている、みたいな面白さ。もちろん具体的に書かれているから「ない」ものの手触りすら「ある」という不思議。広い庭の形と池の形(どちらも楕円形)など、あちこちに見えてくる遠近や相似形、それらが広がっている風景の見え方。「黒い大きな魚が泳いでいる。カポ、と口の形の波紋が浮かび上がって消える。アメンボの脚が作る小さな丸い水のくぼみが、沈んだ魚の鱗に光って映り六弁の花模様になっていた」(「広い庭」より引用)確かにある、この手触りときらめき、気配。

 

実は今回のブログの記事をずっとどうやって書き出そうか悩んでいた。小山田浩子さんのエッセイ本を紹介しようと思っていたのだった。

 

小山田浩子『パイプの中のかえる』(twililight、2022年)

小山田浩子『かえるはかえる パイプの中のかえる2』(twililight、2023年)

下のリンクよりtwililightさんのサイト→ONLINE SHOPで購入することができます。

(ちなみに私は事前予約でサイン本をゲットしたのでした~)

twililight.com

 

『パイプの中のかえる』は著者にとっての初エッセイ集で2020年7月から12月の半年間、日経新聞夕刊に毎週連載していたコラムをまとめたもの。そして今年出版されたエッセイ集第二弾『かえるはかえる パイプの中のかえる2』は2023年4月~9月に「twililight web magazine」に連載されていたものに書きおろしを加えた一冊。もとが新聞のコラムだったせいか、一回に読む分量が休憩時間にちょうどいい感じで、私は職場のお昼休みのおともにしていた。エッセイをひとつ読んで、むう……と考えていたら休憩時間が終わる。読みながら、ああこんなことあったな、あんなことあったな、という著者と同じ時間を共有できる社会的な出来事から、著者しか知らない日常の些細な、けれど重要なこと(キャビネット埋蔵金の発見)まで、真剣に考えたり笑ったり。

 

井の中の蛙」じゃなくて「パイプの中のかえる」なのがなんだか親しみやすい。井の中の蛙と言われても、ちょっとそこいらに井戸なんかないからその中のかえる?って、どんな感じなんだろう、わからない。パイプなら、なんかありそうだと思える。どういう仕組みでかえるに住みよい場所になっているのかわからないけれど、住んでいても別に変じゃない、なんなら見たことあるような気さえしてくるのは、たぶん小山田さんの短篇小説「広い庭」に出てくるからなのだ。一見何の変哲もない「普通」(なんてほんとはないけど)の光景だって書き方によっては異様なものに見えてくる、そういう小山田作品の面白さがエッセイでも読める。

 

『かえるはかえる パイプの中のかえる2』の前書きで小山田さんは「普通」なんて本当はなくて、何が普通で普通じゃないかと人と確かめ合ったりせずに過ごすなかで「自分の普通や普通でなさを書き留めておく機会は本当にありがたかった」と書いている。そんな小山田さんの日常の見方、手触りや立ち込めてくる気配が書き言葉になって本になって私の手元にある、というありがたさを昼休みに味わっていた。

 

 

私は小説を書いていて、具体、固有をどんどん書きつけて深くしていくと、何故か普遍というか、全然ちがう他人の感覚に近づいていくというか、他人に「あ、この感じわかるかも」と経験を喚起させる力が宿ると感じることがあるけれど、小山田さんのこのエッセイ集はまさにそんな力の塊だった。とても不思議なのだけど、エッセイに書かれた言葉を読んでそれを書いたひと(著者)の経験や感覚を私(読者)の中に再生させていると、何故かどんどん自分自身の別の記憶を呼び起こしたりして、こういう読み方が正しいのかどうかはわからないけれど、とにかく楽しかった。子供の登校時の交通安全見守り活動について書かれたエッセイを読んで、私は自分が新型コロナワクチン接種が始まったばかりの頃に会場運営の仕事をした時のことを思い出したし(コンニチハー、ゴクロウサマデース、コチラニドーゾー)、Eテレさんで朝の時間を計って行動している様子を描いたエッセイを読めば、自分も子供時代に親と「忍たま乱太郎が終わったらお風呂に入ること」なんて約束していたなと思い出した。

考えさせられたことは、子供が触れるものの(本書ではEテレの番組)倫理観のこと、広島の平和教育のこと、配偶者をどう呼ぶかということ。このあたりは昼休みに「むう……」と唸って全然休めなかった話だった。

他人の「夫」のことはやはりどうしてか「旦那さん」「旦那ちゃん」(?)と呼んでしまっていることに気がついた。この場合の私の心理を少し深堀りしていくと、そこにはたぶんその「夫妻」の主従みたいな意識はなくて、単に人様の配偶者を重んじるニュアンスで使っているんじゃないかと思った。男性に配偶者のことを尋ねる時はたいてい「奥様お元気ですか?」となる。独身の自分にしてみれば、結婚している人たちはなんかすごく偉いと思う。あくまで感覚の話だけれど、じっくり考えたことがこれまでなかったから興味深い。

 

書かなければすっかり忘れてなかったことになってしまう小さな憤り、世間への違和感、私って一体何が好きで、どうしてそれが好きなんだろうという些細なこと。世の中はどんなふうに移り変わっていて、その中にいる私の感覚とどこが似ていてどこが違うのか。日常は毎日ほとんど変わらないように見えて、それはパイプの中みたいな狭い場所かもしれないけれど、でも本当は変わらないということはなくて些細なことであっても変化をまぬがれない。だから、どうしたら自分の大切なことを守って生きていけるんだろうかと考える。

 

「社会の、身の回りの、さまざまなものについてそのあり方決められ方消され方忘れられ方について意識して選び続けること、その継続の先にしか平和なんてない。ちゃんと選んだほうがいい」

(『かえるはかえる パイプの中のかえる2』より引用)

 

社会は動いて変化して、でもそれはどうしてなんだろう? 気がつけばそこはパイプの外側の流れのただ中で、これから何がどうなっていくのか、注視したほうがよさそうだし、ちゃんと選んだほうがいいってことだ。選挙にも行った方がいいってことだ。小山田さんのX(旧Twitter)アカウントによく書かれている「戦争反対、絶対反対」というような意思表示をもっとしたほうがいいってことだ。そういうことがとても大事に書かれたエッセイだと思っている。

 

2023年も残りわずかとなりました。

当ブログをお読みいただきありがとうございます。

今年は、私の新人賞受賞第一作というのをやっと出すことができたり、去年書いたエッセイが『ベスト・エッセイ2023』に収録されたり、岡田敦さんの『エピタフ 幻の島、ユルリの光跡』の書評を書いたり、『LOCKET』第六号にエッセイを書いたりと充実した一年を過ごすごとができました。いつもお読みくださっている読者の皆様には心よりお礼申し上げます。ありがとうございます!

来年は何か出せるかはわかりませんが(一応進行している原稿はあります、半年以上放置されているのもあります汗)、己の人生の全部を文学に込めて、できれば長生きしたいと思っているので、応援よろしくお願いします。

よいお年をお迎えください。

(久栖)

B面に行きたかった!―『LOCKET』06 SKI ISSUE 地図の銀白部

子供の頃、ウォークマンはカセットだった。今から思えば、よくあんなに大きなものを、しかもたいしてたくさん音楽が録音できるわけでもない装置を持ち歩いていたなぁと思うのだけど、あの頃はあの装置だけが私を「音楽」の世界に連れ出してくれたのだった。再生ボタンを押してガチャリ、そしてA面からB面へ切り替わる時もガチャリ。

 

旅をしない人間である私が旅雑誌を読んでいる、しかもその旅雑誌にエッセイを寄稿してしまったという面白いことが今年あった。

雑誌の名前は『LOCKET』。編集者/内田洋介ひとり、デザイナー/大谷友之祐(Yunosuke)ひとりという最小単位の体制で、ロケットペンダントに記憶をとじこめるように、主観的な真実のようなものを綴じることを目指すインディペンデントマガジンだ。今年出版されたのはなんと6号! 2015年創刊以来、累計発行部数は1万部、取扱店舗は全国150店舗に拡大中とのこと(オンラインでも注文できます)。

snusmumriken.thebase.in

さて今回の6号はスキー特集。「SKI ISSUE 地図の銀白部」と題して広く、そしてとてもディープな見たことのない世界を見せてくれる1冊だった。

どうやら私が北海道に住んでいるのでスキーができるだろうと思われてのエッセイ依頼だったらしい。依頼をいただいた時「え、私、スキーできないし、一回しか挑戦したことがないんですが……!」と愕然。すいませんが……と恐縮しつつ「北海道は広くて、場所によって随分と気候に違いがあるので〈スキー文化圏〉と〈スケート文化圏〉の地域があります。残念ながら、私はスケート文化圏に住んでいるので、スキーをした経験は一度しかありません。こんな執筆者でよろしければ……」

そんなわけで、私が書いたエッセイ「鳥になりたかった!」は、スキーができなかったひとのスキーエッセイになってしまった。私は「B面」には行けなかった!でも写真と合わせて見開きのページにかっこよく配置していただけて、これは本当に私にとって大事なロケットペンダント的経験になった。

 

自分のことはさておき、一読者として最初から最後まで読んだ感想を書いていきたい。

正直に言って、スキーを巡ってここまで考えたことはなかった。内田さんは巻頭にこう書いている。

 

「地図から空白部が消え、秘境がなくなったとはいえ、視点を銀白部に切り替えるだけで新たな旅先がいくつも浮かび上がった」(1頁)

 

 

 

そう、スキーってすごいのだ。ある特定の場所においては人類にとって最強の移動手段でもあったわけで、人類で最初にスキーを始めたひとが仲間たちに広げてみせた世界の風景というのは想像するだけでわくわくする。北欧神話に描かれたスキーヤーの存在や、古くて紀元前3000年のものといわれているスキーヤーの岩絵(ノルウェー)、韓国の古いスキー板「ソルメ(Sseolmae、漢字にすると雪馬)」も紹介されている。さらには手のひらサイズのスキーヤーの木彫りがあったり、民謡になっていたり……。スキーと人間の関わりかたの幅にも驚いた。そもそも、イランやトルコでスキーができるの?! という驚きが私にはまずあったのだけど、とにかく最初から最後まで、驚きっぱなし。「うわあああああああ」「うわおおおおおおお」とスキーで斜面を滑り降りるというか落ちるというか、なにかそういう絶叫をあげてみたくなる。

道具(今号はスキー)が体験を生むということ。そのことは「モーグルスキーチェア」のページでデザイナーのマイク・エーブルソン氏がお話しされていてとても興味深かった。

 

「たとえば茶葉なら、それ単体だとモノですが、使うことによってお茶会という体験が生まれますよね」(63頁)

 

 

 

普段、車で移動しているところを歩いてみたら、なんだか全然風景が違って見えて不思議な気持ちになることがある。自転車を使ってもそう、私の場合は危険度が増すだけなんだけど……(うわああああああああ=地元の道の凸凹具合と坂の多さを知った日)。

内田さんにとっては、スキーという体験で知っている場所がA面からB面へ切り替わる、そこに旅することの面白さを見ているのだろうなぁと思う。

私は写真の良し悪しを語る言葉を持たないから詳しくは書けないけれど、掲載されているどの写真も魅力的で、人の表情はきっとこの瞬間限り、その背景にあるかもしれない空の青さと雪原の白さのコントラスト、足跡やシュプールの形はシャッターを切ったその時一回限りの風景なんだろう。スキーウェアの点々と散らばるリズミカルな色調に心が躍る。

 

道具によって加わる新しい体験が、そのまま未知の、新しい世界の風景を切り開いていく、そういう感触が素敵な旅雑誌だった。そういえば、私は旅をしないひとだけれど本を読むことで(今回は『LOCKET』6号を広げて)知らない世界を旅した気分になったりするのだ。

 

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道路の発見―サン=テグジュペリ『人間の土地』

最近、自分のすぐ近くで理不尽な死に遭遇してしまって、随分考え込んでしまった。生きていて、こうしてブログに何を書こうかと悩んでいられるということ、この絶妙なバランスの上に日常が成り立っているという感じ。

ウクライナや中東の戦争に関するニュースを観るたび、どうして人は戦うことができるのだろう? と、平和ボケした自分は考えてしまう。自分の国を守るために武器をとることは「普通のことだろう」「当たり前だろう」と叱られるかもしれない。だが、今の私はほぼ間違いなく逃げる。冷たい心で、高齢の親もペットも見捨てていくかもしれない。そして逃げ足が遅いので、たぶんすぐに死ぬだろう。仮に生き延びたとして、自分が見捨てたものたちの日常の残骸ばかりが目の前に広がって、それを引き受けられるほど私の心は強くないだろう。計り知れない痛みのただなかに取り残される、その中で守りたいもののために勇敢にたたかった人がいたという話を聞けば、尊敬と妬みの両方の気持ちがおこるような気がする。私は戦えなかったのにと。

 

サン=テグジュペリ著、堀口大學訳『人間の土地』(新潮文庫、昭和30年)

 

星の王子さま』で有名なサン=テグジュペリの『人間の土地』という本を十数年ぶりくらいに再読した。著者から見れば、逃げる私の姿には人間の尊厳なんて感じられないだろう。卑怯で小心者の自分について考えさせられる読書だった。正直に言うと少しきつかったけれど、そのきつさと無様さを素直に書いておくことが、戦争を正当化しそうになる時代の空気にこんな弱音も必要だと思った。

 

 

「ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える」(7頁)と本書にあるように、飛行機の操縦士である著者は〈行動の人〉だった。郵便飛行機の航路開拓期のこと、飛び立ったまま戻ってこない僚友のこと、空から見る地上の風景……本書には著者の職業飛行家としての十五年間の体験の思い出が綴られている。

旅をしない私が一生見ることはないだろう風景の数々に魅了される。操縦士にとって星は近く、風は耳の奥で鳴り続ける。それからこの地球上には人影がまばらで、ほとんどが砂礫や岩石の領分であるということがわかる。「道路は不毛の土地や、石の多いやせ地や、砂漠を避けて通るものだ。道路というものは、人間の欲望のままに泉から泉へと行くものなのだ」(65-66頁)と、著者は自身の発見した驚きを書き記した。読みながら、なるほどと思いつつも、たとえ私が、サン=テグジュペリと同じルートを飛行したとしてももう同じ風景を見ることはできないのだと知っている。私の生きる時代はあまりに「空撮」に慣れ過ぎてしまった。撮影にドローンという新しい道具を使うことで、今ではもう俯瞰するという景色の見え方が当たり前になってしまった。

それにしても、この「道路」の考察が長い間、私の中に引っかかり続けていた。人間にとって生活の都合にいい二つの地点を線で結ぶのが道路だとしたら、子供の頃の私にはしばしば道路がなかった。自宅の周辺が空き地だらけだったため、学校からの(正確にはバス通学だったのでバス停でバスを降りてからの)ルートは毎日違っていて、どの空き地をどう通るかは私の勝手だった。背丈ほどもある草むらを抜けてみたり、前日の雨でぬかるんだ土に足をとられたり。そういう道なき道(?)を野良猫のあとについて歩いていると、いつもなんとなく家に着いたから今こうして考えてみると不思議だ。そこまで極端でなくても、歩道をとぼとぼ歩く子供は忘れ物をしたことに気がついてくるっと向きを変えて後戻りもしたし、道端に落ちているカラスの羽根を見て長々と立ち止まったり、黒猫が自分の前を横切ったら後ろに三歩下がらなければならないなんていう、子供の世界で生まれたルールに従うことができた。とにかく「道路」に何か人間としての生活を規定されている感じはなかった。そんな私が「道路」というものを強く意識するようになったのは大人になって仕事に就き、当たり前のように毎日「自動車」を運転するようになってからだった。サン=テグジュペリが「飛行機」に乗ることで「道路」を発見したのと似ている。乗り物によって道をみつけた。サン=テグジュペリは飛行機に乗ることで道路を離れて自由であり、その視点から「人間の土地」を発見した。それに対して私は自動車に乗ることで道路というものに強く縛り付けられる思いがした。運転をする人は知っていると思うけれど、自動車の道では急に停まると追突される恐れがあるし、いきなり方向転換するのは難しい。一方通行で通れない場所があって、直線的に目的地には辿りつけない。なんて不自由なんだろう。特に広い北海道にあって「道路」の多くは歩くためには作られていないのではないか。

大人になって私が見つけた「道路」には、子供の頃のあのでたらめな自由さが全くない。「道路」を知った私は道路交通法を無視することはできなくなった。そしてそこには「責任」が生じたのだと思う。(今となっては空路の自由もそれほどないかもしれないけれど、少なくとも二十世紀初頭の、サン=テグジュペリが飛んでいた時代にはまだ空路は無限の広がりという夢を抱いていた。)

 

ある時、砂漠に不時着したサン=テグジュペリは極度の渇きとともに彷徨いながら、自分の帰りを待つ人々を強く思うあまり「難破者は、ぼくらを待っている人々だ!」(179頁)と考えた。自分を始点にすれば、迷っているのは自分ではなくてその他大勢のほうだ、という転倒をしている。孤独ではなかっただろう。むしろ人との結びつきを強く感じていたように私には読めた。だからこそサン=テグジュペリは「責任」を思い出したのではないだろうか。人間は人間の世界に結ばれていなければきっと生きていけない。それはつまり責任を背負いこむことだ。

 

こう考えてみて、ああそうか、とひとつ納得できたことは、私が「人間」であり「人間の土地」に間違いなく結ばれているという事実だ。「道路」のことだけではなくて、私のありとあらゆる振る舞いは人間の世界で生きるためのものだ。人間が作った世界の中で人間として生きるには、それを維持していく責任を生じる。その責任を果たすために死ぬこと、時にこの本はそういう事柄に意義を見出そうとする。訳者の言葉を借りれば「人道的ヒロイズムの探究」というのが本書の根本想念だという。

それでも私は逃げるのだ。誰の迷惑にもならないように、というささやかな配慮について考えるみみっちいやり方で「人間の土地」に背を向けるのだ。

ところが状況というのは恐ろしくて、コロナ禍の三年間、私はありとあらゆる行楽を無視した。そして末端の医療従事者として責任をもって、コロナ禍という状況の中で戦っていたのだった。冷静であるつもりがいつの間にか状況の渦に飲まれている。よくやった、がんばった、そう自分を褒めてあげたくなるところに「ヒロイズム」が宿る。

行動制限というものが確かにあった時期をずいぶんと過ぎて、最近は、せめて歩いている時くらいは「道」を踏み外してもいいですか、などと考える。だけれどそもそも「自分の国を守るために武器をとることが当たり前」という場所だけが「人間の土地」なんだろうか。

蝉の声に触る―平沢逸「点滅するものの革命」

「普通」小説は存在しているものを書くか、書くことで何かを存在させようとするものだと思う。見えないもの、聞こえないもの、触れないもの、そういうものの感触を言葉にすることで存在させることができるのが小説だ。しかし、この作品はそもそも存在しないことを書いている。存在し得ないものを堂々と開き直って書ききった稀有な作品だった。

 

平沢逸「点滅するものの革命」(初出「群像」2022年6月号掲載)

 

※単行本化されていました。私が読んだり等ブログに引用したりしているのは、初出の群像掲載時のものです。ページ番号は省略しました。

 

この作品にあるのは、多摩川緑地沿いにある団地に暮らす小学校入学前の女児である「わたし」と「父ちゃん」のひと夏の光景だ。「父ちゃん」は多摩川の河川敷で、数年前の殺人事件で使われた銃を探している。建前としては警察の報奨金狙いということになっているが、もう見つかりっこないことをわかっていながら、ただ河川敷の草を刈り、穴を掘るという作業を続けている。そこに集まってくる人々との他愛のない会話があるだけで、物語に語り手や父ちゃんの運命を左右するような決定的な「何か」が起きるわけでもない。

ところが、この作品は「革命」なのだ。

語り手が「空を見上げると、蝉の鳴く声が瞳孔に突き刺さった」。「よく熟した青」がのぞいた空の「青はその青さをそのままふくらませ」て夜になる。暗闇は色彩を奪うが、夏の午後のまばゆい光もまた色彩を埋没させるから「夏という季節は、色のない昼から色のない夜へとくりかえし移行していく季節」だと語り手は思う。そして夕方は、大気が小麦色じみて、日向と日陰の境界線を淡くし、父ちゃんの赤褐色にきらめく肌や指先についた蝶々の鱗粉などという細部の色彩が「時間の空隙を突くように」とらえられる瞬間でもある。「蝉の鳴き声は、まつ毛を爪弾くように目の前で細かくゆれていた」ともある。

この小説について何かを語ろうとするとき、一人称の語り手「わたし」が効果的に機能しているかどうか、成功しているか否かが問われがちだと思う。私もはじめそこに突っかかりを覚えたのだ。そもそも小さな子供が、こんなに難しい言葉を使って小説的に語ること自体あり得ない、読んでいてそう思った。だけど書かれてしまっているということはつまり、何故だかあり得てしまっているということだ。それはどういうことだろう?

気がつくと、この小説の言葉が書かれてあるままに面白くて、ありえないと思いつつも読むことにすっかり没頭してしまった。蝉の声はふつう瞳孔に突き刺さらないし、ゆれているのが見えることもない。というか、音は見えない。だけどこの作品では見えてしまう。5~6歳くらいと思われる語り手の女の子には見えている。この作品は小説だからこそ可能になった点滅する光景なのかもしれない。もしも自分が語り手と同じくらいの年齢の時に「小説の言葉」を持っていたとしたら、自分が感じる世界をこんなふうに語るんじゃないだろうか。そう考えていたら面白くなった。「点滅」という言葉は「光」の状況を表すものだろうけれど、「音」だって点滅するようにチカチカと響いてくるし、その感じが耳に触れると触覚になる。私はずっと聴覚は耳の触覚なんじゃないかと考えていたからこの作品に出てくる蝉の鳴き声の感じがとてもリアルに感じられた。蝉の声に触れる感じ。高村幸太郎は「触覚の世界」という文章の中で「彫刻家は眼の触覚が掴む」「彫刻家は物を掴みたがる。つかんだ感じで万象を見たがる」というのがある。この世界に触った感じそのものを、それも子供が触った感じを書こうとした作品のように思える。

 

「いまだに存在していない未来のわたしは、こうして確かに存在しているいまのわたしを思いだすことができないにちがいない」

 

 

 

決して思い出すことのできない子供時代の「感覚」を、存在しないものと認めた上で書いている。存在しないものを書いてしまっている。もしかしたら子供時代の自分は今の自分が当たり前と思っている(生きていくために身に着けた「普通」の)感覚の外側を生きていたのかもしれない。「音」と「光」のあふれた風景と大人たちの猥雑な会話が混然一体となって作品の前面に、読者の目の前に飛び込んでくる凄みがあった。言葉によって理路整然と風景の「当たり前」と思われている紋切り型の感覚に到る前に、自分はこの作品に書かれたような世界にいたんじゃないか? 証明のしようはない。あの時の感覚は永遠に失われてもう存在しないし、よみがえることもない。

そうとわかって言葉にした時に、何かなつかしいような気配が現れる。よく考えるとちょっと怖い。そんな気配が現実に表出する革命である。