Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

視線の中の夢が始まる―ル・クレジオ『メキシコの夢』

今回紹介するのは、ル・クレジオ『メキシコの夢』という本。この本は著者のインディオ諸文化研究の成果を〈夢〉というキーワードのもとにまとめあげたもので、原著は1988年8月に刊行された。ル・クレジオには1967年に義務兵役代替としてメキシコ市のラテン・アメリカ学院大学で教授職を務めたという経歴があり、そこから彼のインディオ研究が始まっている。『悪魔祓い』なんかもこのあたりの経験から生まれた思索であり、都市文明に批判を浴びせていた著者にとって、インディオ文化の研究はよほど重要なものだったのだろうか。

 

ル・クレジオ 著、望月芳郎 訳『メキシコの夢』(新潮社、1991年)

メキシコの夢

メキシコの夢

 

 

著者は本書で、ベルナール・ディーアス・デル・カスティーリョ『ヌエバ・エスパーニャ征服の真実の歴史』(邦訳『メキシコ征服記』)、ベルナルディーノ・デ・サアグン『ヌエバ・エスパーニャ事物全史』、『チラム・バラムの予言』、『ミチョアカン報告書』を軸に多くの文献を駆使しながら、メキシコ古代文明の姿を浮かび上がらせる。著者の、文化人類学者に近い冷静な学問的態度と、初期の作品から他界との接触を試みてきた小説家としての情熱が入り混じった著作だ。この混淆がまた、本書の記述を<夢>のように見せ、ことばの魔術のような力を発揮して読者を眩惑する。二つの異なった文明(征服者と先住民)の〈夢〉に著者の<夢>が介入することで、読者の前に情熱的なメキシコの夢が出現するのだ。それは滅ぼされた民族の<沈黙>でもある。この本は小説ではないけれど、学術研究書というわけでもない。どちらというわけでもないところがまた〈夢〉のようなエクリチュールを可能にしているのかもしれない。

 

メキシコ。このブログでもたびたび扱っているラテンアメリカ文学の作家が何人かいるけれど、ル・クレジオフアン・ルルフォに言及しているし、ラテンアメリカ文学でたびたび登場する「花の戦い」の思想的背景なんかも書かれていて興味深い。またカルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』の第二部新世界で描かれていた「ケツァルコアトルの再来」に関する錯覚についても書かれている。

円環する時間、破局を基盤とする創造の思想、物事は非連続、混沌が真実の姿であるという思想についても詳しく書かれていた。少し長くなるが引用しておきたい。

 

破壊の神話と洪水の神話の異なるところは、メキシコの民の思考においては、破壊は歴然と世界の創造と結ばれていることである。神々はつくったものすべてを破壊すると約束した。この世の生命とは最初の混沌と最後の混沌のわずかな時にすぎない。この神話の意味は何よりもまず宗教的である。破壊を逃れるため、人間たちは祈り、血なまぐさい生贄を捧げなければならない。だが破壊の神話は他方、アメリカンインディアンの哲学に霊感を与える。ヨーロッパ・ルネサンスの理想主義者が着想し得たような調和と黄金時代に成立する世界という思想とは反対に、インディオの世界は(特にアステカ、プレペチャ、マヤ族は)創造を破局の連続、つまりは非連続、混沌と考えた。この概念はキリスト教の概念の全く対立している。

(前掲書、273頁より引用)

 

参考までに『テラ・ノストラ』第二部新世界より、円環の思想についての部分を少しだけ引用しておこう。

 

老人は頭を振り、たしかに矢のごとき生命が存在すると答えた。矢は射られて、飛んでゆき、落下する。わが友の生命はそうしたものであった。しかし円環のごとき生命も存在するのだ。終わったと思われても実際には新たに始まっている。再生可能な生命があるのだ。

(カルロス・フエンテス 著、本田誠二 訳『テラ・ノストラ』第二部新世界、552頁より引用)

 

黄金というものに対する両文化(征服者と先住民)の価値観の違い、インディオの破滅に向かう暗い情念(そしてこういう思想がたぶん彼らの「戦い」の源泉になっているのではないか? と私は思ったのだけれど)が、ル・クレジオの文体で書かれる魅力的な一冊であった。

結局のところ、大西洋を隔てて、それぞれ干渉することなく発展してきた二つの文化圏があって、一方が他方を、わずかな時間のうちに消し去ってしまったという世界史上の悲劇がある。それは事実であるが、私はそもそもこの「二つの文化圏」が出会ってしまったということに注目したい。様々なレベルの「信仰」がたぶん世界を形作っていて、別のもの同士が遭遇してしまった時に、大きなインパクトが発生する。世界は平面であり、海の彼方は巨大な滝になって世界の涯に落ち込んでいる……こういうヨーロッパのキリスト教信仰による世界観が「新大陸の発見」を遅らせたという側面もあり得る。

この本の冒頭は征服者の(ベルナール・ディーアスの)純粋な驚きから書き出されている。その驚きの感情は「いかなる恐怖、いかなる憎悪とも無関係」のものだった。その驚きの視線で読者はこの本を読み始めることになる。征服者の驚きの視線と、この書物を読み進める興味を重ね合わせて書いてしまうところにル・クレジオの巧みさがある。「こうして、ベルナール・ディーアスの視線の中の夢が始まる。」(13頁)と、同時にこの本を読む者の読書体験は始まる。

世界史上の巨大なインパクト、全然ちがう二つのものが出会ってしまった時の驚きを、もう一度生き直すことさえ、ル・クレジオの文章は目論んでいるような気がしてしまう。

 

こうして二つの夢が出会い、一つの歴史が始まる。スペイン人にとっては黄金の夢、貪欲で、時には残酷の極にまで達する夢。まるで富や権力を所有することよりも、あらゆるものが永遠に新たになる黄金郷(エル・ドラド)神話の世界に到達するため、暴力と血の中で生れ変ることのほうが重要な、絶対的な夢。

一方、メシーカ族(アステカ族)にとっては、東の方、海のかなたから、新たに彼らを支配すべくケツァルコアトル(羽毛ある蛇)に導かれ、髭をはやした男たちがやってくるといういにしえから待ちわびられた夢。

二つの夢、二つの民族が出会った。

(前掲書、6頁-7頁より引用)

 

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ことばのちゃんぽん―温又柔「真ん中の子どもたち」

今回ご紹介する作品はこちら。

温又柔「真ん中の子どもたち」(『すばる』2017年4月号掲載)

すばる2017年4月号

すばる2017年4月号

 

※単行本が発売予定ですが、今回当ブログの記事での引用は『すばる』掲載時のものです。頁番号は『すばる』に依っています。

 

真ん中の子どもたち

真ん中の子どもたち

 

 

 

四歳の私は、世界には二つのことばがあると思っていた。ひとつは、おうちの中だけで喋ることば。もうひとつが、おうちの外でも通じることば。ところが、外でつかうほうのことばが、母はあんまりじょうずではない。

(『すばる』2017年4月号、10頁より引用)

 

温又柔「真ん中の子どもたち」はこんなふうにはじまる小説だ。

この作品を読むまで私は「母国語」というものに対して深く考えたことはなかった。なんとなく自分が普段しゃべっている言葉が母国語、その程度の感覚しかないのはたぶん私が日本生まれ日本育ちの日本語話者だからだろう。さらに本当に恥ずかしいことなのだけれど、両親のどちらかが「外国人」の家庭の子供は自然と(なんの葛藤もなく)バイリンガルになれていいな、くらいに思っていた(ごめんなさい)。母国語と国籍、本人のアイデンティティの拠り所、それらをあまりに無神経に一緒くたにして考えていた。

 

小説の語り手「私」こと、天原琴子(ミーミーとも呼ばれる)は台湾生まれの日本育ちで、国籍上は日本人。父が日本人で母が台湾人の家庭で育ち、家の「共通語」は日本語らしい。だけれども、まだ幼かった頃(台湾で暮らしていた頃)は「母のことば」を話していたから「中国語」を話すことができる。

(ずっと、母のことばを学んでみたいと思っていました)。

母のことばである中国語を本格的に学ぼうと上海に留学するも、言語教師である陳老師に台湾で話されている中国語(ミーミーの話す中国語)は標準的な中国語(普通话)とは違う、南方訛りだと指摘されてしまう。そんな「私」が「自分の根っこはまっすぐのみにではなく、あらゆる方向にむかってふくよかに伸ばせるものだと知」るまでの葛藤や、たくさんのよろこびが描かれた小説だ。

ミーミー以外の主要な登場人物たちもとても魅力的に描かれている。呉嘉玲(リンリンとも呼ばれる)は「中華民國 REPUBLIC OF CHINA」のパスポートを持っている。父親が台湾人だから日本の国籍を持っていないが日本育ち、家の「共通語」は中国語。龍舜哉、国籍上は日本人。でも自分では中国人だと思っているし、同時に日本人だとも思っている。「どっちにもなれる」と思っている。両親が彼の言葉によると「元中国人」で日本に帰化したために舜哉もたまたま日本の国籍を持っているのだ。ちなみに彼の話し言葉が一番おもしろく書かれていて、日本の「標準語」と関西弁と中国語が入り混じることもある。関西弁のことを「西日语」と中国語の領域に造語を作ってしまう。彼はことばのちゃんぽんの名人だ。

 

中国語や台湾語をちゃんぽんにする母のことばを瞬時にそれらしい日本語に言い換えられる私を、父は時折こんなふうに褒めてくれることがあった。

――ミーミーは、ママの最高の翻訳家だね

(前掲書、19頁より引用)

 

上海に留学した彼、彼女たちの先生(陳老師、日本語を学ぶ中国人学生たちは「陳先生」と表現していたりする)は言語教師としての使命に忠実であり、生徒にとても厳しく「普通活」を教える。ことばの癖として個人に染みついた訛り(特にミーミーの南方訛り)を徹底的に矯正しようとするが、それは「正しい」ことばを教えなければならないという職業上の使命ゆえであった。

しかし、中国は広い。「中国語」ってなんだっけ? と思ってしまうほど本当は色々な音があふれているのだと思う。作中に出てくる台湾語上海語は「普通话」とは違って「正しい」ことばではない。だけれど、「生きている」ことばだ。「生きている」ことばには、そのことばを話すひとの履歴みたいなものが無意識のうちに染みついている。だからこそ、ことばは常に変わっていく可能性を秘めているのではないだろうか。生きているひとがあちこち動き回るのに合わせてことばも動くように変わる。その動きを意識的にやれば龍舜哉みたいな造語作りもできてしまう。彼はこんなことを言う。

 

ナニジンだから何語を喋らなきゃならないとか、縛られる必要はない。両親が日本人じゃなくても日本語を喋っていいし、母親が台湾人だけれど中国語を喋らなきゃいけないってこともない。言語と個人の関係は、もっと自由なはずなんだよ」

(前掲書、69頁より引用)

 

縛られる必要はない。それは特定の○○語を話す、ということに限らず「ことばのちゃんぽん」をしたっていい。「標準」ではない変な喋り方をしていても、学問上のことでなければ気にする必要はない。

どういうわけか、社会やそれを取り巻く諸々の制度は「標準」を「真ん中」に据えようとしてくる。そしていつの間にか「真ん中」に据えられた「標準」こそ「正しい」のだという観念が浮き上がり、やがて「標準」以外のすべてを「周縁」に位置付けて「間違い」と断罪する。しかし、そういったものでは割り切れない個人と言語の関係はあるはずだ。様々な来歴を持ったひとびとが様々なトーンで自分のことばを喋る。そういうことばは常にゆらぎ、変化の可能性すら秘めている。真ん中の子どもたちは、その変化の可能性の中を生きている。どっちにもなれる、いや、二択ではなくて、もっと違う何かになるかもしれない。違った来歴のひととの間で便利な「共通語」も存在する。だけれどそれがすべてではないのは言うまでもなく、言語と個人の自由な関係の中で、「ことば」はあらゆる可能性を開花させようと根を伸ばしているのかもしれない。

何故か一緒に論じられることの多い言語(母語)と民族アイデンティティの矛盾をついた快作だと思う。このふたつは、必ずしも固定されてはいないのだから。

肖像を描くために―ル・クレジオ『アフリカのひと――父の肖像』

今回紹介する本はル・クレジオ 著、菅野昭正 訳『アフリカのひと――父の肖像』(集英社、2006年)

 

アフリカのひと―父の肖像

アフリカのひと―父の肖像

 

 

どんな人間存在にもすべてひとりの父親とひとりの母親による結果である。彼らを認めない、彼らを愛さないということはあっても、彼らを疑うわけにはいかない。とにかく彼らはいるし、彼らの顔、態度、物腰、癖、幻想、希望があり、彼らの手の形と足の指の形、眼の色と髪の色、ものの言いかた、考え、おそらくは死のときの年齢があり、それらすべてが私たちのなかに受けつがれているのである。

ル・クレジオ『アフリカのひと――父の肖像』11頁より引用)

 

自分が今ここに存在しているということ、それはまぎれもなく父と母が存在している(いた)ということだし、さらに父や母がそれぞれに存在するためにはその前の世代の父や母が延々と、史実としての正確さはおいておくとして、存在していたということになる。血筋というものについて考えていて気が遠くなるのは、この漠然とした、描きようのない顔や態度を備えた無数のひとが数珠つなぎになっているような気がするからだ。

 

このブログでたびたび話題にしているフランス在住の作家ル・クレジオは1940年4月13日に生まれ。8歳の頃(1948年)、母シモーヌと一歳半ほど年上の兄イヴ・マリーとともに南フランスのニースから英国籍の医師である父ラウル・ル・クレジオの任地ナイジェリアへ赴き、一年余り滞在したそうだ。この時の経験をもとにJ.M.G.ル・クレジオは『オニチャ』という作品を書いたのは以前ブログで紹介した通り。幼少の頃のアフリカ経験が後のル・クレジオ作品に様々な影響を与えている。

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それはそれでとても重要なことであるが、この本が書かれた理由はそのアフリカ経験を書き残すためともうひとつ、父ラウルについてル・クレジオは知りたいと思ったのではないだろうか? と考えてしまう。

ル・クレジオにとって父はどこか取っ付きにくく、はじめて会った時(ナイジェリアに渡った時)はまるで知らない男を見たような感覚に陥るほど親しみのない人物であったらしい。その阻隔感がどうして生まれたのか、どのように持続したのか、作者の筆は回想と思索を書き出していく。

 

父は別のことを選んだのだった。たぶん誇りからだろうし、イギリス社会の凡庸さから逃れるためだろうし、また冒険の意欲からだろう。そしてこの別のことは無償ではなかった。それはひとを別の世界に投げこむことであり、別の人生のほうへ運んでいくことだった。それで戦時には世界から遠ざけられることになったし、妻や子供たちと会えなくなったし、ある意味では不可避的に異邦人にされたのである。

(前掲書、60頁より引用)

 

ル・クレジオ父子はこういう言い方が適当かどうかは置いておくとして「一般的な」関係にはなかった(はじめのほうに書いた通りふたりの間には阻隔感というものがあったらしい)。ル・クレジオは8歳頃まで父のいない世界(ヨーロッパ)を生きていたのだ。父はイギリスで医師の資格を取り、軍医(と言っても戦地とは無縁)という立場で植民地社会での医療に携わり続けた。

 

自分自身で作成した一枚の地図に、父はキロメートルではなく、歩行の時間と日数とで距離を記した。その地図に示されている詳細はこの国の大きさと、父がこの国を愛する理由とを説明している。浅瀬を歩いて渡れる地点、深い川あるいは荒れやすい川、登らなければならない斜面、道路のジグザグの箇所、馬では行けない谷底への下降、越えられない断崖。

(前掲書、93頁より引用)

 

20世紀、ヨーロッパ各国は植民地を持つことが当たり前だった。そんな歴史の中を生きた父がアフリカの地で経験した様々なことを、まるで追体験するようにル・クレジオは書く。そうして書き進め、父の肖像が浮かび上がるのと同時に少しずつ知っていったのではないだろうか。父の感じたアフリカの風土と、それを踏みにじっていく植民地権力、そしてその権力の側に自分自身が属しているということを父が知ってしまった時の深い苦悩。さらに「戦争」という断層のために自分の子供たちがほとんど「未知」の存在になってしまったという孤独。

本書には、20世紀という歴史的時間の中に自らの父を位置づけ、その中でひとりの人間として変わらざるを得なかった父の姿(アフリカのひとにならざるを得なかった父の姿)が書き記されている。そして書きながら作者は父の人生を理解していったのだと思う。まるで肖像画を描くように、その起伏、その凹凸を。

その名に星を秘めて、太陽にやかれて―ル・クレジオ『さまよえる星』

前回ブログ記事で紹介した『オニチャ』と合わせて作者の幼少時の思い出から生まれた〈二部作〉とされる『さまよえる星』という本について、今回は書いていこうと思う。フランスで刊行されたのは1992年4月だが、作者が≪ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール≫誌(1436号)でジャン・ルイ・エジーヌ記者に語ったところによると「さまよえる星」執筆は「オニチャ」(1991年)以前。「さまよえる星」の部分は書籍の刊行以前に発表されていたようだが、当時険悪だったイスラエルパレスチナ関係の中で政治的に利用されることを心配したガリマール社が刊行を見合わせたようだ。作者と面識のある訳者の望月氏の推測によると、「さまよえる星」の執筆はおそらく1986-87年、『メキシコの夢』(1988年)と平行していたのではないか、ということだ。

(以上、訳者あとがき参照)

 

 ル・クレジオ 著、望月芳郎 訳『さまよえる星』(新潮社、1994年)

さまよえる星

さまよえる星

 

 

この本の献辞は「囚われた子供たちに」となっている。さらにその次のページにはペルー民謡が引かれている。引用しておこう。

 

さまよえる星

束の間の恋人よ

おまえの道をたどってゆけ

海をわたり大地をこえ

おまえの鎖を打ち壊せ

(前掲書、冒頭部より引用)

 

戦争や紛争によって住む場所を奪われた人々、難民や移民として長い間さまよわなければならない人々、その中にいる子供たちが澄んだ眼で見ていただろう風景が、ル・クレジオの詩的言語で書かれた小説だ。

 

どんな細かなこと、どんな影にも、エステルは注意をはらっていた。近くにあるもの、遠くにあるもの、空を塞ぐカイール山脈(プロヴァンス地方の岩石の多い山脈)の稜線、丘のてっぺんに突っ立っている多くの松、とげのある草、岩、光の中に止まっている小蠅など、すべてを、ほとんど心が痛くなる思いで見つめた。子供たちの叫び声、娘たちの笑い声、どんな言葉も、犬の吠える声のように、エステルの躰の中で奇妙にも、二、三回、反響した。

(前掲書、52頁より引用)

 

「心が痛くなる思いで見つめた」ものが思い出となり、エステルの心にくっきりと刻印されていく。そういう思い出は、思い出される過程である種の暴力性をともなって人を傷つけることがあるかもしれない。普段は蓋をして決して心の表層に浮かんでこないような事柄がある日ふと思い出され、再びその人を傷つける、傷つけ続ける。苦難の時と回想による傷を長く抱えていかなければならないのはいつだって子供たちだ。

 

ユダヤ人の少女エステル、パレスチナの少女ネジュマ――二人の少女を主人公に、第二次大戦以来の両民族の苦難と遍歴を、自らの少年期の体験を交えて、透明感あふれる言葉で綴る長篇小説。(本の帯文より)

 

エステル(エレーヌ)は時々父に〈エストレリータ(小星ちゃん)〉と呼ばれていた。それからネジュマ(NEJMA)はアラビア語で<星>を意味する。つまりふたりの少女はどちらもその名に星を秘めている。

「光」というものを印象的に描くル・クレジオであるが、この作品では「太陽の光」が暴力的といってもよいほどに輝いている。そこからは逃れることも抗うこともできない。「影」は束の間生じる静止だが、難民となってしまうエステルやネジュマは絶えず移動し続けねばならない、それは太陽の光にやかれることだ。逃亡や密航はどこか暗いイメージを持っているがそのイメージの中を<星>を秘めた少女たちは生きる。

<忘れるために出発しなければならない>という言葉を、読者は何度か読む事になるのだけれど、出発する度にそれ以前の時間がまるで別の人生であるかのようなものに変わってしまう。振り返ってみても自分の人生が一本の直線として俯瞰され得ない、どこかで断絶してしまっていると感じること、これは痛み以外の何ものでもないと思う。

しかし、そのかわりなのか、エステルの人生は全くの他者とつながっているように思える。もうひとりの少女ネジュマの人生だ。ふたりはエルサレム近くのシロエの街道でたまたま一度だけ出会った。エルサレムに入ろうとするエステルと、出て行かなければならないネジュマ。その時ネジュマは一冊の表紙が黒いノートを持っていた。少女は最初のページの右上に大文字で「NEJMA」と書いた。差し出された鉛筆でエステルもそのノートに自分の名前「Esther Greve」と綴った。

 

あの日、あの娘は来、その顔に、わたしはわたしの運命を読んだ。まるでずっと昔から、わたしたちは出会わなければならなかったかのように、ほんとに一瞬の間だったけれど、わたしたちは心が一つになった。

(前掲書、204頁ネジュマの語り、引用)

 

後年、エステルはネジュマのことを思い出す。エステルも黒いノートを買って、その一ページ目に彼女の名前、ネジュマと書いた。それからあとのページに毎日少しずつ書かれていくのはエステルの生活なのだが、あるいはそれはネジュマが生きることになっていた時間だったかもしれない、と読者に思わせる。メモを取りながら分析するように読むとそんな混同は起こらないかもしれないが、一読し本を閉じて今まで読んできたことを頭の中で反芻するように思い出そうとするとエステルとネジュマの人生の一部が重なってしまうような気がしてくる。小説で語られることがなかったネジュマの時間をエステルが生きているようにも思える。

エステルが母エリザベトの遺灰を海にまくシーンで小説は終わる。その少し前、病を得て病院の簡易ベッドで横たわる母をエステルは見舞うのだが、ここに費やされる言葉の美しさ、豊かなイメージの広がりに私は少しだけ救われるような気持ちになる。

 

私は待っていた、呼吸をしていた、生きていた。輸液は管を通って、一滴一滴、母の血管に注がれる。言葉も輸液と同じで、一語一語、いつのまにか、とても低く、とてもゆっくりと入ってゆく――太陽、海、黒い岩、鳥の群の飛翔、アマンテア、アマンテア……薬、注射、荒っぽく、恐ろしい治療、そして突然、私の手の中にあるエリザベトの手が、苦痛の力とともに痙攣する。ふたたび、時をつなぎ、もうちょっとこの世に留まらせるため、立ち去らぬようにするための言葉、言葉。太陽、果実、グラスの中にきらめくブドウ酒、小型帆船の先細のシルエット、午後の炎暑の中で睡りこんだアマンテアの街、裸の肌の下のシーツの爽やかさ、閉じられたよろい戸の青い影。私もそれらを知っていた、私も父や母といっしょにいた、その影、その爽やかさ、その果肉の中にいた。戦争はまったくなかったし、あまりにもなめらかな海の広大さを乱すものは何もなかった。

(前掲書、295頁より引用)

 

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歴史をのみ込む日常という沈黙―ル・クレジオ『オニチャ』

夏がくれば、というか夏至が近づけば……ということなのだろうか? どういうわけか毎年この時期になるとル・クレジオという作家の光にあふれた小説作品が読みたくなる。それで今年もル・クレジオの著作を手に取った。今回の記事で紹介するのはこの本。

 

ル・クレジオ 著、望月芳郎 訳『オニチャ』(新潮社、1993年)

オニチャ

オニチャ

 

 

訳者あとがきによれば、この作品はル・クレジオにとってアフリカを舞台とした2番目の作品になるようだ(1992年発表、ちなみに1作目は1980年『砂漠』)。ナイジェリアで過した著者自身の少年時代の思い出が芯になっている自伝的要素の多い作品で、ル・クレジオは『さまよえる星』(1992年)と『オニチャ』を「幼少年期に題材をとった二部作」と呼んでいる。

オニチャとは、ニジェール河東岸に拡がるナイジェリアの河港都市の名前だ。

主人公のフィンタンという少年は、母のマウとふたり、商船スラバヤ号に乗ってオニチャを目指す。それが一九四八年三月十四日、日曜日の終り。離れて暮らしていたフィンタンの父ジョフロワ・アレンが手紙でふたりをオニチャに呼び寄せたのだ。

 

商船スラバヤ号は、思い出を運ぶと同時に、貪りくらう、大きな鋼鉄箱だった。エンジン音は止まらなかった。船の腹の中で光り輝いているロッドやスクリュー軸、波を切りながらたがいに反対方向に回っている二台のスクリューを、フィンタンは想像した。あらゆる物が運ばれてゆく。世界のもう一つの果てに行く。アフリカに行くのだ。いつも聞いていたさまざまな名前があった。マウはそれらをゆっくりと発音した。親しみはあるが、不気味な名前、オニチャ、ニジェール。オニチャ。はるかかなた、世界のもう一つの果て。待っている男。ジョフロワ・アレン。

(前掲書、17頁より引用)

 

フィンタンははじめ、アフリカになんか行きたくないと思っていた。だから商船に乗った彼は自らの背後に多くの物を残してきている。思い出は船の航跡のように後ろに伸び、やがて消える。「船が深い海に出、地面のベルトから遠く離れ、フランスがうねりの濃い青の中に姿を消し、大地や街々、家並みや無数の顔が航跡の中で細断される」(9頁)一瞬をフィンタンは忘れたくないと思った。オニチャに着いた母子はイブスンという、河の住民の言葉で<眠る場所>を意味するジョフロワの家で暮らすことになる。

新しい生活はマウの夢想していた「アフリカの理想像」とは程遠いものだった。そこにひとつめの「挫折」があった。イギリスの植民地であるオニチャの風景、ユナイテッド・アフリカに勤める会社員の夫ジョフロワ・アレン。何もかもがマウの夢想の中にあったアフリカとは違っていた。

この小説に登場する人物たちはそれぞれに「挫折」を抱えている。上記のマウや、歴史や神話探索の中断を余儀なくされるジョフロワ、そしてオニチャを離れたあと、内戦に巻き込まれているオニチャを思いながらも何もできないフィンタンの現実への挫折。

ジョフロワの部屋の壁に鋲でとめられた大きな地図にはナイル河とニジェール河が書かれている。それから奇妙な名前と、河と河の間にはメロエの女王がそのすべての民と新しい世界を求めて旅立って以来辿った道が赤鉛筆で記されていた。ジョフロワが探求するメロエの女王の軌跡、それは結局神話のまま、現実に証明されることは決してない。メロエは今では動かない遺跡の姿で保存されているにすぎない。

※メロエは現在のスーダンの首都ハルツームの北東に繁栄した黒人による文明。

 

フィンタンは入口に居続けた。地図を前に行ったり来たりしている興奮した男を見つめ、その声を聞いていた。河の中のその都、時間が止った神秘的なその都を想い描こうとしてみた。だが彼が見るのは、河のほとりの動かないオニチャ、埃のつもった道、錆びたトタン屋根の家々、桟橋、ユナイテッド・アフリカの建物、サビーン・ローズの御殿、ジェラルド・シンプソンの住居の前に、大穴が口を開いた街だった。多分もう、時は遅すぎたのかもしれなかった。

(前掲書、114頁より引用)

 

メロエの幻想は、現在のオニチャのイギリス色に染められた風景の前に潰えてしまうのだ。かつて存在していたメロエの王国、そこに流れた時間は今はもう停止してしまっている。そしてこれから風化していくに過ぎないのかもしれない。たとえ世界遺産になったとしてもメロエの遺跡群にかつてあった精彩が甦ることはない。ジョフロワの歴史探求は潰え、謎は謎のままに残り、だれもがオニチャを離れ、ジョフロワも、誰も彼もがやがて死んでいなくなる。現在たしかに存在するものさえ静かに朽ちはじめている。かつてのイギリス帝国の繁栄を物語るジョージ・ショットン号は河の流れの中で残骸になっており、それもやがて沈む。フィンタンはそれでもいいと思った。日常の沈黙、日々の絶え間ない暮らしの流れは歴史を飲み込むのかもしれない。

 

ル・クレジオの作品は「過去」というものをよく引きずる。単なる出来事の回想ではなくて引きずられる過去には自分の経験の外、伝説や神話までもが含まれる。そしてその過去をまるで生き直そうとするかのように、綿密な描写が続く。たびたび私は述べてきたのだけれど、ル・クレジオの描く風景にはいつも懐かしさを感じてしまう。おかしな話なのだ、私はル・クレジオの描く光を経験してなどいないはずなのに。現在の風景とほとんど同じくらいの密度で描かれた過去の風景の描写は、それを手放したくないという思いと、それから手を離したことで失い、打ち砕かれてしまったという思いの両方に引っ張られ、現在に強烈な存在感を示す。その風景を私は見たいと思う。眩しい光がどんなにこの眼を貫こうとも、見たい風景や生き直したい風景があると思わせてくれる。それが私にとって、ル・クレジオ作品を、夏の光の中で読みたいと思わせるのだ。

失われていくもの、変わっていくものを、ル・クレジオは深く眼差す。

 

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こう、ふりかえってみると、いやはやずいぶんたくさん書いていたようで汗。

 

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<心>たちの弁明―エイモス・チュツオーラ『薬草まじない』

今回紹介するエイモス・チュツオーラ『薬草まじない』は自分にとって二冊目のアフリカ文学の本になった。

 

エイモス・チュツオーラ 作、土屋哲 訳『薬草まじない』(岩波文庫、2015年)

薬草まじない (岩波文庫)

薬草まじない (岩波文庫)

 

 

昨年、同じ作者の『やし酒飲み』という本を読んだ。

 ↓過去記事参照

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エイモス・チュツオーラの作品は、ひとつの風景なり心境なりを深く深く掘り進めるというよりは、次々に移り変わって行く状況をコミカルなタッチで描いていると思う。読んでいる間のそういう感覚を私は「横スクロール的」と呼んでいる。画面をスクロールするみたいに次々とページが捲れる。だけれど油断すると何が起きたのかわからなくなるのは、たぶんアフリカの感覚と日本の感覚がだいぶ違うからなのだろう。あまりにサラサラと時が流れるためか、気がついたら数年経っていたり汗。

 

さて『薬草まじない』についての感想を書いていきたいと思う。

ざっくりあらすじを書いてみるとこんな感じになる。主人公<わたし>が、不妊の妻に子宝を授けてもらうために<女薬草まじない師>の住む<さい果ての町>へ一人で旅に出る。その道中に起きるいくつもの危難を勇敢に戦うことで乗り越えて<さい果ての町>に辿り着き、目的を達して妻や父母の待つ<ロッキータウン>へ帰還する。<わたし>の属す町や道路の旅は比較的安全なのだが、ジャングルの旅は危険がいっぱい(これは『やし酒飲み』と同じでアフリカの森林(ブッシュ)への恐怖が色濃く浮かび上がっている)。つまり、未知の領域に一歩踏み込めばどうなるかわかったもんじゃない、たとえば主人公に危害を加える存在として登場する<アブノーマルな蹲踞の市井の男>、<頭の取りはずしのきく凶暴な野生の男>などジャングルにいる得体の知れない存在が理由も言葉もなく、襲い掛かってくる。しかしどんな恐怖にも勇気を持って立ち向かわなければならないというアフリカ人のモラルがあるから<わたし>はマサカリを振り回して戦う。

このあたりについて解説「チュツオーラと現代のヨルバ世界」で旦敬介は「チュツオーラの最大のトピックが異種族に対する激しいヴァイオレンスである」(前掲書351頁)と書いていた。独立以後の急激な近代化とアフリカの伝統がせめぎあうナイジェリアで書かれたチュツオーラの作品からは、今後のアフリカ文化をどういった方向に立ちあがらせていくべきかという煩悶が渦巻いているようだ。

 

訳者あとがきで、この作品における「アフリカ的側面」と「ヨーロッパ近代文化側面」がそれぞれ挙げられていた。簡単にメモしておくと、アフリカ的側面としては、アフリカの伝統的社会観として女は子供を生むべき存在、先祖と共生し永遠の生を生きているという観念、そして先ほども書いたが勇気こそがアフリカでは最高の倫理であるということ。ヨーロッパ近代文化の側面としては、<女薬草まじない師>を<聖母>さまとし、また「全知全能」の神の存在を匂わせるなどキリスト教的な描写の存在、川の神さまに捧げる人身御供の廃止、主人公の内面を第一の<心>、第二の<心>、<記憶力>それに<第二の最高神>という具合に、著しく深層心理への内向化がはかっていることなどが挙げられている(訳者あとがき337頁参照)。

 

このような作品解釈も必要ではあるのだが、しかし私としては何より、石に変身して「自分で自分を投げるように」逃走さえする(『やし酒飲み』)チュツオーラの冒険譚の描き方の面白さを主張したい。

 

わたしは、道づれになる人間の徒歩旅行者、つまり伴侶が一人もいない状態で町を出立したのだったけれども、わたしの第一の<心>と第二の<心>という伴侶がわたしについていたし、ときには、第三の伴侶である<記憶力>がわたしを助けるつもりになってくれていた。

 そしてさらに<記憶力>は、二つの<心>が犯すかもしれない罪状をすべて記録に留めておく腹づもりでいたのだ。さらにわたしの第四の伴侶として<第二の最高神>がいた。これは姿はまったく見えないし、この四つのうちでは文句なく最高の立場に位置していたのだったが、これまたわたしの旅のあいだずっとわたしを導いてくれるつもりになっていたのだ。

(前掲書、34頁-35頁より引用)

 

ひとり旅のはずなのに、何故かひとりでいる気がしない。私は西洋近代化云々の議論とは別に、この<心>や<記憶力>の描き方がとても面白いと思う。<わたし>の<心>は旅の折々に忠告を与えてくれる。姿は見えないが擬人化された<心>や<記憶力>との会話がとてもコミカルだ。

第一の<心>はあまり信用できない、第二の<心>は<わたし>を欺いたことはないので第一の<心>よりは信用できる。しかしこの<心>たち、あまりの恐怖に襲われると沈黙し、<わたし>を見捨てる。そして<わたし>が危難を乗り越えたあとに都合よく再登場して<わたし>を祝福したりする。そんな<心>たちの振る舞いを<わたし>と<記憶力>はなじるし、しかも<記憶力>は<心>たちの振舞いについて記録さえつけているという。

 

門を出ると即刻、わたしはジャングルのなかをジグザグ型に歩きはじめた。そしてそれほど遠くまで行かないうちに、悪鬼と渡りあいはじめたとたんにわたしを見すてた第一の<心>と第二の<心>の働きが突然活発になった。かれらはわたしに悪鬼をやっつけた幸運を祝福したかったのだが、わたしの<記憶力>は腹立たしげにこう言った。『おまえさんたちは、この方が悪鬼と渡りあっていたとき、どこにおられたかな? お二方ともこの方に悪いことが起るのがこわくて間違いなくこの方を見すてたのじゃ。もちろんわたしはこの旅が終わった後で使わしていただく考課表に、すでにこの弁明の余地のない罪状を記録してあるのじゃ』そういって、わたしの<記憶力>は第一と第二の<心>をなじった。

(前掲書、135頁-136頁より引用)

 

そんなことをあれこれと考えながら悲しみに沈みそうになったとたんに、わたしの伴侶で忠告者でもあった第一の<心>と第二の<心>がさっそくわたしを慰めてくれた。もちろんわたしの<記憶力>は、このときの二つの<心>の行動を<良き振舞い>として記録に書き留めたことはいうまでもない。それにしてもそれは、けっしてかれらの過去の罪状を帳消しにするほどのものではなかった。

(前掲書245頁より引用)

 

最後に<記憶力>は旅の間ずっとつけていた記録をもとに第一、第二の<心>を告発する訴訟を起こすのだが、その時のそれぞれの<心>の言い分がまた面白い。第一の<心>は<持ち主>さま(つまり小説の語り手<わたし>)に対して罪を犯した時には「正気ではなかった」、第二の<心>は「極度に衰弱し、疲れはてていたかそれとも病気か、あるいはぐっすり眠っていて気がつかずにいたときだ」と弁明する(323頁)。

ここで確かに……と思ってしまうのは、人がある事態に対して正しく決断や行動ができなかった時というのはそれぞれの<心>たちの言い分の通り、何かしらの心因要因があったりする。自分の<心>たちの振舞いとして、内面の動きを表現しているところがとても面白く、思わず笑ったりしながら読んでしまったのだった。

サイード 『知識人とは何か』を読んで考えたこと

 

いきなり私事で恐縮であるが、このブログは非営利である。アフィリエイトをやっているわけでも、広告収入で小遣い稼ぎをしようとしているわけでもない。どんなに頑張って記事を書いても、どんなにアクセス数がアップしてもギャラは永遠の0である(というか、この程度の文章でお金をもらおうと思うわけがない)。

つまるところ、ただの凡人の雑記ブログであるが、だからこそできることがある。それは「数字」を気にせず自分のやりたいことをやりたいようにできる(読みたい本を読みたいように読んで好きなように感想を書く)ということだ。どの記事がよく読まれ、どの記事がほとんど顧みられないのかはブログの管理画面を見れば実はわかる。が、ブログ管理人としては読まれない記事に価値がないとは思っていない。どれもこれも、それを書いた時の自分には動かし難く切実だったのだ。こういう姿勢はサイードのいうアマチュア主義(アマチュアリズム)に多少なりとも通じるものだと思う。

 

今回紹介する本はこちら↓↓

エドワード・W.サイード著、大橋洋一 訳『知識人とは何か』(平凡社、1995年)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

 

 

 現在は平凡社ライブラリーのほうで入手可能なようだが、今回は単行本のほうを用いた(引用頁番号などは単行本に依っている)。サイード(1935年-2003年)の著作といえば、人文系のたいていの学生にとって「必読の書」と言われることが多い。最も有名なものは『オリエンタリズム』(1978年、邦訳は平凡社1986年、1993年)だ。実は最近になって久しぶりにサイードの著作を再読をしていた。

 

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『知識人とは何か』という本は、1993年におこなわれた全6回のリース講演を収録したものだそうだ。

※リース講演=BBCイギリス放送協会)初代会長ジョン・リース卿に敬意を表して1948年にはじめられたラジオ・テレビ講演

 

全六章からなり、目次は以下のようになっている。

 はじめに

  1. 知識人の表象
  2. 国家と伝統から離れて
  3. 知的亡命――故国喪失者と周辺的存在
  4. 専門家とアマチュア
  5. 権力に対して真実を語る
  6. いつも失敗する神々

この本を思わず手に取ってみたくなるということは、その人は心のどこかで「知識人とは何か?」について考えているのだと思う。今の自分にとって必要なバランス感覚。世の中のことと自分の内面のこととの折り合いのつけ方や、理性的なふるまいと感情的なふるまい、公的な発言空間と私的な発言空間……私はこれらの事柄の線引きがどうも気になってならない。最近の日本の政治状況を見ているとどうにも「数の暴力」がまかり通っているとしか思えない。サイードは権力者が権力の側にとって都合の良い「知識人」を丸め込む、というようなことを言っているのだけれど、今の政治は「知識人」を徹底的に無視しているとしか思えない。インターネットを通じて、多くの人々が発言の機会を得た、が、その発言がどこまで政治に影響を与えて良いものなのかわからない。インターネットの「大きな声」でかつ「政治的に都合の良い意見」ばかりが取り沙汰されているのではないかと疑ってみる必要もあるかもしれない。理性と感情、公と私のそのバランス感覚こそが今、知識人に求められているのではないだろうか。

イードの知識人観は以下のようなものだ。

 

このような国家への忠誠の圧力、そこからどうしたら相対的に自律できるかを模索すること、これこそ、私見によれば、知識人の主たる責務である。この責務を念頭において、わたし独自の知識人観がうまれた――知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。

(前掲書、「はじめに」12頁より引用)

 

「言葉の使い手である」ということについて、サイード「代表=表象(レプリゼント)」するという言葉を使う。知識人というのは表象する存在である。小さな声(少数派の意見)や社会の主流から見落とされがちな物の見方(物事の違った側面について)を公的な場で社会に突き付ける。こうしたことを知識人は「普遍性の原則」にのっとって行う。

 

ここでいう普遍性の原則とは、以下のことをいう。あらゆる人間は、自由に公正に関して世俗権力や国家から適正なふるまいを要求できる権利をもつこと。そして意図的にであれ不注意であれ、こうしたふるまいの基準が無視されるならば、そのような侵犯行為に断固抗議し、勇気をもって闘わねばならないということである。

(前掲書、「第一章 知識人の表象」33頁より引用)

 

また知識人が「亡命者にして周辺的存在」であるというのは、「中間的状態」に位置づけられることを意味している。言われてみれば当たり前なのだが、何かを考える際、「熱狂」ほど危険なものはないと思う。「熱狂」は「盲信」に繋がるのではないかと常々思っている。たとえば二つの主張があるとして、知識人はこの二つのどちらが正しいと決めつけをすることなく、両方を対置し、両者を新たな、思いもよらない角度からながめる(そうして独自の物の見方を言葉にして語ることによって政治なり社会なりに影響を与えていく)。

 

知識人の独創性と意志とを脅かす四つの圧力というものについてサイードは言及する。簡単にまとめると、だいたいこんな感じだ。

  1. 専門分化(スペシアライゼーション)
  2. エキスパート制度、資格をもつエキスパート崇拝(資格をもつ、ということはつまりそれ相応の権威筋を通らなければいけない、ということ)
  3. 専門家を政府権力や権威に近いところにおことうしたり、政府側の要請に応じさせる代りに特権を与えたり、さらには政府側に直接雇用しようとする圧力
  4. 自由市場のシステム、市場獲得競争(売れればいい、とにかく数字を出せればいい、という考え方)

これらの圧力にゆさぶりをかけることができるもの、それが「マチュア主義(アマチュアリズム)」である。サイードによるとアマチュアリズムとは「専門家のように利益や褒章によって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味によって衝き動かされ、より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越えてさまざまなつながりをつけたり、また、特定の専門分野にしばられずに専門職という制限から自由になって観念や価値を追求するということ」(120頁)をいう。

 

しかし、とサイードは語る。端的に言って、アマチュア主義では生活していけない。「程度こそちがえ、同じこと(政府や大企業の誘惑に屈しモラル感覚を一先ず脇へよけておくこと)をわたしたち全員がおこなっている。誰も完全に独立独歩ではやってゆけない。このことは自由の精神の持ち主のなかで、どんなに偉大な人間にもあてはまる」(135頁)。

 

知識人というものは「バランス感覚」が試されるのではないかと私は思う。正しいとはどういうことなのか、揺れ動く社会に対して常に柔軟な姿勢で向かいながら、必要とあらば「権威」であれぶち壊しにかかる。そういう自由な議論の場は最低限、常に確保されていなければならないはずなのだが……さてこの国は一体どこへいくのか。このままいけば、「共謀罪」は知識人を脅かす五つ目の圧力になってしまう。

インターネット上ではテレビや新聞の報道以上に様々な意見が飛び交っているが、それに賛成であれ反対であれ、こういう思考する場そのものを奪いかねないのが「共謀罪」の制定であることを忘れてはいけない。

 

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