言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

獣と人―河﨑秋子『ともぐい』

河﨑秋子さんの本は、私の空白を満たしてくれる存在だ。北海道という土地のことを知りたくて、編纂された歴史書をどんなに読んでもわからなかったこと、寡黙な親、祖父母が決して語らなかった「あの時」「あの場所」とも言うべき、かつて確かに人が生きていた時間の手触りがある。ああ、きっとこうだったんだろうな。著者の小説の言葉は血の通った人間の感覚を通って私に届く。

はじめて手に取ってそう思ったのは『土に贖う』(集英社文庫)だった。私の生きる時代は「ぬるい」のかもしれない。祖父母や親の代には手に負えないものでも、なんとか人間が御してやろうと企む力があった。「温む骨」という短篇が印象に残っている。親の世代は厳しい労働を通して野幌粘土でレンガを焼いていた。その親の子供は同じ土を使って陶芸作品を作ろうとするもなかなか上手くいかない。ようやく作り上げたものは動物の頭骨に似た形をしていた。その空洞には「かつてこの地にあった、何者かであり、何者にもなり得なかった諸々の過去が、空虚という形で混在している」(『土に贖う』所収「温む骨」267-268頁)のだ。この感じは、私がずっと抱き続けていた北海道のひとつのイメージだった。北海道という土地は短期間に大きな変化を被った場所であり、わずか100年、150年で、生まれては消えていった多くの風景があったはずだ。上の世代が語る間もなく消えていったものたちの魂が空虚に浮かんでいる……。

 

河﨑秋子『ともぐい』(新潮社、2023年)

 

ともぐい

ともぐい

Amazon

 

 

さて今回は、第170回直木賞を受賞した『ともぐい』の感想を書いていきたい(作品のネタバレが嫌な人はこの先読まないでください!)。

 

自分の生まれを知らない、ただ養父に獲物を狩って山で生きる術を学んだ男、熊爪。作品の舞台は明治時代の北海道白糠の町と、その周辺の山である。白糠というところは古くからアイヌの人々が暮らし、早くから和人が集った集落だと説明される。山は熊爪が生きる場所、そして町には熊爪が狩ったものを買い取ってくれる井之上良輔の「門矢商店」(かどやのみせ)がある。ある時、熊爪は羆に襲われた男を山で発見し助けた。そのことをきっかけに「穴持たず」という冬眠をしない羆を追うことになる……というのが物語の始まりだ。

今ですっかり失われてしまった人間と獣の距離感が、静寂の原野に響く凍裂の音のような緊張感あふれる文体で書かれている。自分が生きるためには食わねばならない、だからそのために殺す、単純だが決してゆらぐことのない理を、熊爪の人生をもって表現しきった作品だった。

とにかくカッコいい。

白糠の町に来た熊爪が馬と道で鉢合わせになり、人間に使われる馬を「でかい」が「がっかり」だという場面があった。それから熊爪は畜産というものが分からないと書かれた場面、獣は笑わないから人間の笑いの意図がわからずその笑顔を直感的に恐れるという熊爪の人物像からは確かに獣臭さが立ち上る。人間同士の世の中の道理というものをよく知らない。

獣の側に視点を置いてみれば、人間の社会はおかしなことばかりに違いない。自分の命のために肉を得る必要がある、わかっていても動物を屠ることに抵抗のある人間は多い。その感覚が熊爪にはわからない。

 

鹿を撃ち取った熊爪は、雪に流れ落ちる鮮血を見てこう思う。

 

こんなきれいな赤が、鹿の中にも、熊の中にも、自分の中にもたっぷり満たされている。俺たちみんな、この血を入れておく袋みたいなものかもしれん。袋が飯を食い、糞をひり、時々他の袋とまぐわって袋を増やしては死んでいく。

(『ともぐい』8頁より引用)

 

 

 

熊爪の生命観だ。この感じが彼にとっての「本当」だったから、その視点から見る人間の世界は筋の通っていない上に、なんだか不気味な場所にさえ思えてくる。

しかし熊爪が「獣」か、というとそうではない。「人間」「猟師」の側に自分をおいて考えもする。両者は単に別の存在として遠く離れているわけではない。熊爪の中には人間と獣の両方が生きている。最近言われる動物福祉の観点やぬるい愛護精神から出てくる「共存」の幻想ではない。

 

「あ、きら、めねえ」

俺が持っているものを。帰ることを。生きることを。

(122頁)

 

 

と、山の中で負傷した熊爪は思った。そうして地面に這いつくばってでも、なんとか自分の小屋に戻ろうとするのだ。同時に、もし自分がここで力尽きて死んだら獣と鳥がたちまち自分らの糧とするだろうとも考える。

 

死んだ果てにそうなるのなら、それでも良いのかもしれない。

――なにしろ無駄がねえ。

(122頁)

 

 

獣は自分の死を考えない。最期まで、ひたすら前に進もうと(生きようと)歩き続ける。自らが死んだ後はどうなるだろうかと思い巡らすこともない。しかし引用した熊爪は、獣のようにただ生きよう、進もうと思うと同時に人間の想像力を持って自らの死後を考えてもいる……。

死後を想像するという行為は「人間」らしい。それにしても結論が「無駄がねえ」というのは、なんて潔いのだろう。自分は熊だろうか、人間だろうか、そのどちらにもなりそこなった「はんぱもん」だと自覚した熊爪は何を望み、どんな結末を迎えるのか、続きはどうぞ本を手に取っておたのしみください。

 

この作品の一節で私が最も好きなのは、これだ。

 

これからは一人。ずっと一人、狩って生きる。死ぬまでは狩る。(172頁)

 

ちなみに私はずっと鹿になりたいと思っている。たぶん無駄なく食われたい。命を粗末にしては駄目だ。おいしいお肉に私はなりたい……のか?

 

関連本↓↓

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

先日、河﨑秋子さんのサイン会というのに行ってきました!

サイン会に行くのは初めてで、かなり緊張してしまい「この度はおめでとうございます」とお伝えするので精一杯になってしまいました。

どこにもなくて、遍くある―絲山秋子『神と黒蟹県』

〈蟹という字が書けるだろうか。〉

 

黒蟹営業所への異動が決まって、北森県から黒蟹県紫苑市へ赴任することになった三ヶ日凡。彼女が最初に思ったこんなことからこの小説は始まる。書き慣れない文字のある住所に移り住むこの感覚は転勤族の家庭で育った私には馴染みのある感覚だ。不思議なことに一年も経たずに、書き慣れないと思っていた字も書けるようになるし、なんなら書き慣れないと思っていたことさえ忘れてしまう。その頃には新しい土地にすっかり馴染んだ気になっている(本当に地元民になる、ということはないと私は思っているけれど)。ちなみに本書を繰り返し読んで日々生活をともにしていると書けるようになるものなんだな、「蟹」という字が。

 

絲山秋子『神と黒蟹県』(文藝春秋、2023年)

 

 

本書は「黒蟹営業所」「忸怩たる神」「花辻と大日向」「神とお弁当」「なんだかわからん木」「キビタキ街道」「赤い髪の男」「神と提灯行列」の八篇から成る連作短篇小説だ。自分の経験を重ねて「あるある!」と頷きながら読んだ、たのしい読書の時間だった。単行本になったことで、文芸誌に掲載されていたものをバラバラに読んでいた時にはわからない黒蟹県という場所の雰囲気がより浮かび上がってきて、ウヒョー!単行本ありがとー!と叫んでいるのは私だけではないはずだ。その「雰囲気」というやつを明瞭に説明できたらいいのだけど、それはちょっと難しくて、だからこそこの本を読んでほしいと思う(そもそも短篇集を紹介する文章を書くのが苦手なのだ)。

 

私はこの一冊を「どこにもなくて、遍くあるもの」を書いた本だと思った。物語の舞台である黒蟹県という県が実在しないことはすぐにわかる。けれどそれぞれの市や町の名付けようのない特色や関係性は、実在する日本全国津々浦々の「地方」と呼ばれる場所をぎゅっと濃縮したような存在感がある。生活していて、日頃当たり前に尊敬する山があって、あの町とこの町は歴史的な経緯もあって現在も不仲らしく、菓子ひとつとっても〇〇派VS〇〇派という強いこだわりがあり、ご当地テレビ番組の情報がゆるやかに共有されている(私が学生時代住んでいた青森県を思い出した、あの頃「笑っていいとも」は夕方に放送されていたんだよ、「いいでば英語塾」という津軽弁で英会話の勉強をする番組があったんだよ)。同じ苗字の人が多い地域、方言、新しく作られた道路と「旧道」と呼ばれるようになる道がある。

 

ある土地にずっと地元にいる人もいれば、他所から移ってくる人もいる。よそ者が排斥されるわけでもないけれど、よそ者というのは、そこがどんな場所なのか、どこが他所と違うのかと自分の周りをやたら情報で埋めたがるという特徴がある。それ故に土地に対して無頓着に暮らしている地元民とはたぶん長い間、なんか違う存在ということになってしまう。

生活にとって本当に大切なことは情報ではなくて、「見えないランドマーク」のほうなのだ。新しく赴任してきた三ヶ日凡は雉倉豪という前任者からの引継ぎのため、営業場所を車で回るのだが、廃業して今はもう跡地すらわからない百貨店をランドマークとする「デパート通り」や「ダイエー南交差点」、ガソリンスタンドがあったとされる「モービルの角」(実は我が家の近くにもある)なんていう呼び名に出くわす。「狐」を先頭に1キロの渋滞が起こったりもする。地図やカーナビには無いけれど「それらは現実の住所よりもずっと緻密で、正確に共有されている」、ああ、生活だなあと読みながら思った。

 

生活、生活と散々書いてきてふと立ち止まって振り返っても、きっと後ろにはこれといって特筆すべきものは何も見えない。おかしなことを言うようだけど、もしかしたら人間の生活は人間には見えないのかもしれない。それで本作には人間の「生活」や「関係性」を眺めるという重要な役割を担う「神」が登場する。全知全能の神ではない「半知半能」の神だ。「本物のよそ者」だと私は思った、それが少し寂しく思われることもあった。

神はある時は「おっさん」である。また別の時には六十代無職の存在として、さらに別の時にはホームセンターで働く「おばさん」の一人でもある。登場人物の思い出の中にいる人物になっていたり……実に遍く存在する。この神にとって「人類は永遠の興味の対象である」らしい。神として人間の願いごとを聞き届けているわけではないし、目の前にいないとき、人々が神を思い出すことはないけれど、神はちょうどいいタイミングで現れてちょっとした頼みごとをきいてくれたりする。

普段の生活で、人間はいちいちこんなことを問わない。けれど神には純粋に不思議がって問えることがある。

 

「弁当とはいったい何か」

神は人類に問うた。

(前掲書97頁)

 

 

ささやかに見せかけて、なんて壮大な問いなのだろう。

私が毎日職場に持っていく弁当はおにぎり一個である、ここにあるこだわりについて考えたことなんてそういえばなかった。作中では、介護職の樋口夏実が考えるお弁当観が印象に残った。樋口によるとお弁当は「二度寝の布団みたい」であり、それは「公私の狭間にある」存在なのだ。「こだわり」である以上、それは人それぞれで、そんなひとつひとつの些細なことが神には興味深いものに見えるのだ。そして神は思う、「人類とはなんと愛らしく、そしていじましいのだろう」と。

 

こういう「神」のまなざしを私は勝手に「絲的神の視点」と呼んでいる。作品論みたいな言い方になってあまり好きじゃないけれど、「神」という「装置」があるからこそ、名付けようのない関係性が見えてくるのだろう。ある土地に新しくやってきた「よそ者」が当初はこの神の視点に近い物の見方をするのかもしれないが、しかし「よそ者」はいずれ土地に馴染む。神は絶対に人間の土地には馴染まない。どんなに姿形を人間に似せても、永遠のよそ者なのだ。

 

「どこにもなくて、遍くあるもの」という私にとってのこの本の印象の出どころは、たぶん、地方の「あるある」を煮詰めたような架空の土地である「黒蟹県」や「神」の在り方、見つからない「大日向氏」であり(県庁文化推進部の大日向さん、『昼飯ワンダフル』の大日向忠太さん、というふうに同じ姓の人が多い地域では職業などで呼び分けられる、それがないただの「大日向氏」はいつまでも見つからない、けれどたぶんどこかにはいるのだし、そうやって互いを認識し合う人間って面白い)、行方不明の「コーキ」である。「ムッカやべえ道」にある「異世界ファミレス」だって、ないはずだけどあるような気がする。著者が作り出した架空の方言はどこにもないが、この作品世界からは当たり前のように聞こえてくる。現実から離陸しきった隙の無い虚構、作品が提示する世界観が「どこにもなくて、遍くある」を体現している。全国各地の読者は夢うつつの心地で作品世界に引き込まれればいい。ひとつの世界を夢にみている気分になればいい(そうしていたら、ひつじくんの言葉も意味深に思い出されるのだ、「一人一人がそもそも違う世界に隔離されていて、別のものを見てるんじゃないかって思うんだ」というあの言葉。本を読み始めて没入して、その世界の夢を見ている、永遠に覚めないということはない。ふと「じゃんがじょうに寝てくわる」という声が聞こえてくる。

「どこにも行けなくて、どこからも見えなくなってしまう線路なんだ」という中辻えみりの言葉が最後まで物語を読み終えてから余韻を持って響いてきた。どこにも行けなくてどこからも見えなくても、それはある。だから「神」と「妻である者」のあの生活も確かにあって、それはあまりになつかしくかけがえのない、いとおしき日々だったのだと思いたくなる。

 

「もちろん町に対しての好き嫌いというものはある。でも、好き嫌いの原因の殆どはその土地ではなく、自分自身の故郷との接し方や、恥の感情からくるものだと凡は考えている。」

(28頁より引用)

 

 

ここから先は本の感想には関係ないので、興味が無い人は回れ右!

私自身、自分が住んでいる土地に屈折した感情を抱いている。どうしても好きになれない。そうでありながら、私は北海道という土地についてこれからも書いていきたいと思っている。なぜなら知りたいからだ。この土地とそこに流れてきた時間のことを知りたい。住んでいるくせに一番よくわからない場所のことを知りたい。そして、それらと自分の距離を見定めてみたい。自分の感情が描き出す場所とそこからのフィードバックで私に生じる感情がすごく知りたい。

気配と手触り―小山田浩子『パイプの中のかえる』『かえるはかえる パイプの中のかえる2』

久しぶりに小山田浩子さんの短篇小説「広い庭」(『庭』新潮社、2018年所収)を読み返した。やっぱりいいな~この作品好きだな~と思った。文芸誌に掲載されたときに初めて読んで、その時もなんだかひとりで盛り上がって「これはちょっとすごいんでないか」とずっと言っていた記憶がある。あるようなないような、「気配」とでも言いたくなるものをそうとは書かないで、あくまでも具体的な存在としてはっきりくっきり書いたらちゃんと池のある庭の形になっている、みたいな面白さ。もちろん具体的に書かれているから「ない」ものの手触りすら「ある」という不思議。広い庭の形と池の形(どちらも楕円形)など、あちこちに見えてくる遠近や相似形、それらが広がっている風景の見え方。「黒い大きな魚が泳いでいる。カポ、と口の形の波紋が浮かび上がって消える。アメンボの脚が作る小さな丸い水のくぼみが、沈んだ魚の鱗に光って映り六弁の花模様になっていた」(「広い庭」より引用)確かにある、この手触りときらめき、気配。

 

実は今回のブログの記事をずっとどうやって書き出そうか悩んでいた。小山田浩子さんのエッセイ本を紹介しようと思っていたのだった。

 

小山田浩子『パイプの中のかえる』(twililight、2022年)

小山田浩子『かえるはかえる パイプの中のかえる2』(twililight、2023年)

下のリンクよりtwililightさんのサイト→ONLINE SHOPで購入することができます。

(ちなみに私は事前予約でサイン本をゲットしたのでした~)

twililight.com

 

『パイプの中のかえる』は著者にとっての初エッセイ集で2020年7月から12月の半年間、日経新聞夕刊に毎週連載していたコラムをまとめたもの。そして今年出版されたエッセイ集第二弾『かえるはかえる パイプの中のかえる2』は2023年4月~9月に「twililight web magazine」に連載されていたものに書きおろしを加えた一冊。もとが新聞のコラムだったせいか、一回に読む分量が休憩時間にちょうどいい感じで、私は職場のお昼休みのおともにしていた。エッセイをひとつ読んで、むう……と考えていたら休憩時間が終わる。読みながら、ああこんなことあったな、あんなことあったな、という著者と同じ時間を共有できる社会的な出来事から、著者しか知らない日常の些細な、けれど重要なこと(キャビネット埋蔵金の発見)まで、真剣に考えたり笑ったり。

 

井の中の蛙」じゃなくて「パイプの中のかえる」なのがなんだか親しみやすい。井の中の蛙と言われても、ちょっとそこいらに井戸なんかないからその中のかえる?って、どんな感じなんだろう、わからない。パイプなら、なんかありそうだと思える。どういう仕組みでかえるに住みよい場所になっているのかわからないけれど、住んでいても別に変じゃない、なんなら見たことあるような気さえしてくるのは、たぶん小山田さんの短篇小説「広い庭」に出てくるからなのだ。一見何の変哲もない「普通」(なんてほんとはないけど)の光景だって書き方によっては異様なものに見えてくる、そういう小山田作品の面白さがエッセイでも読める。

 

『かえるはかえる パイプの中のかえる2』の前書きで小山田さんは「普通」なんて本当はなくて、何が普通で普通じゃないかと人と確かめ合ったりせずに過ごすなかで「自分の普通や普通でなさを書き留めておく機会は本当にありがたかった」と書いている。そんな小山田さんの日常の見方、手触りや立ち込めてくる気配が書き言葉になって本になって私の手元にある、というありがたさを昼休みに味わっていた。

 

 

私は小説を書いていて、具体、固有をどんどん書きつけて深くしていくと、何故か普遍というか、全然ちがう他人の感覚に近づいていくというか、他人に「あ、この感じわかるかも」と経験を喚起させる力が宿ると感じることがあるけれど、小山田さんのこのエッセイ集はまさにそんな力の塊だった。とても不思議なのだけど、エッセイに書かれた言葉を読んでそれを書いたひと(著者)の経験や感覚を私(読者)の中に再生させていると、何故かどんどん自分自身の別の記憶を呼び起こしたりして、こういう読み方が正しいのかどうかはわからないけれど、とにかく楽しかった。子供の登校時の交通安全見守り活動について書かれたエッセイを読んで、私は自分が新型コロナワクチン接種が始まったばかりの頃に会場運営の仕事をした時のことを思い出したし(コンニチハー、ゴクロウサマデース、コチラニドーゾー)、Eテレさんで朝の時間を計って行動している様子を描いたエッセイを読めば、自分も子供時代に親と「忍たま乱太郎が終わったらお風呂に入ること」なんて約束していたなと思い出した。

考えさせられたことは、子供が触れるものの(本書ではEテレの番組)倫理観のこと、広島の平和教育のこと、配偶者をどう呼ぶかということ。このあたりは昼休みに「むう……」と唸って全然休めなかった話だった。

他人の「夫」のことはやはりどうしてか「旦那さん」「旦那ちゃん」(?)と呼んでしまっていることに気がついた。この場合の私の心理を少し深堀りしていくと、そこにはたぶんその「夫妻」の主従みたいな意識はなくて、単に人様の配偶者を重んじるニュアンスで使っているんじゃないかと思った。男性に配偶者のことを尋ねる時はたいてい「奥様お元気ですか?」となる。独身の自分にしてみれば、結婚している人たちはなんかすごく偉いと思う。あくまで感覚の話だけれど、じっくり考えたことがこれまでなかったから興味深い。

 

書かなければすっかり忘れてなかったことになってしまう小さな憤り、世間への違和感、私って一体何が好きで、どうしてそれが好きなんだろうという些細なこと。世の中はどんなふうに移り変わっていて、その中にいる私の感覚とどこが似ていてどこが違うのか。日常は毎日ほとんど変わらないように見えて、それはパイプの中みたいな狭い場所かもしれないけれど、でも本当は変わらないということはなくて些細なことであっても変化をまぬがれない。だから、どうしたら自分の大切なことを守って生きていけるんだろうかと考える。

 

「社会の、身の回りの、さまざまなものについてそのあり方決められ方消され方忘れられ方について意識して選び続けること、その継続の先にしか平和なんてない。ちゃんと選んだほうがいい」

(『かえるはかえる パイプの中のかえる2』より引用)

 

社会は動いて変化して、でもそれはどうしてなんだろう? 気がつけばそこはパイプの外側の流れのただ中で、これから何がどうなっていくのか、注視したほうがよさそうだし、ちゃんと選んだほうがいいってことだ。選挙にも行った方がいいってことだ。小山田さんのX(旧Twitter)アカウントによく書かれている「戦争反対、絶対反対」というような意思表示をもっとしたほうがいいってことだ。そういうことがとても大事に書かれたエッセイだと思っている。

 

2023年も残りわずかとなりました。

当ブログをお読みいただきありがとうございます。

今年は、私の新人賞受賞第一作というのをやっと出すことができたり、去年書いたエッセイが『ベスト・エッセイ2023』に収録されたり、岡田敦さんの『エピタフ 幻の島、ユルリの光跡』の書評を書いたり、『LOCKET』第六号にエッセイを書いたりと充実した一年を過ごすごとができました。いつもお読みくださっている読者の皆様には心よりお礼申し上げます。ありがとうございます!

来年は何か出せるかはわかりませんが(一応進行している原稿はあります、半年以上放置されているのもあります汗)、己の人生の全部を文学に込めて、できれば長生きしたいと思っているので、応援よろしくお願いします。

よいお年をお迎えください。

(久栖)

B面に行きたかった!―『LOCKET』06 SKI ISSUE 地図の銀白部

子供の頃、ウォークマンはカセットだった。今から思えば、よくあんなに大きなものを、しかもたいしてたくさん音楽が録音できるわけでもない装置を持ち歩いていたなぁと思うのだけど、あの頃はあの装置だけが私を「音楽」の世界に連れ出してくれたのだった。再生ボタンを押してガチャリ、そしてA面からB面へ切り替わる時もガチャリ。

 

旅をしない人間である私が旅雑誌を読んでいる、しかもその旅雑誌にエッセイを寄稿してしまったという面白いことが今年あった。

雑誌の名前は『LOCKET』。編集者/内田洋介ひとり、デザイナー/大谷友之祐(Yunosuke)ひとりという最小単位の体制で、ロケットペンダントに記憶をとじこめるように、主観的な真実のようなものを綴じることを目指すインディペンデントマガジンだ。今年出版されたのはなんと6号! 2015年創刊以来、累計発行部数は1万部、取扱店舗は全国150店舗に拡大中とのこと(オンラインでも注文できます)。

snusmumriken.thebase.in

さて今回の6号はスキー特集。「SKI ISSUE 地図の銀白部」と題して広く、そしてとてもディープな見たことのない世界を見せてくれる1冊だった。

どうやら私が北海道に住んでいるのでスキーができるだろうと思われてのエッセイ依頼だったらしい。依頼をいただいた時「え、私、スキーできないし、一回しか挑戦したことがないんですが……!」と愕然。すいませんが……と恐縮しつつ「北海道は広くて、場所によって随分と気候に違いがあるので〈スキー文化圏〉と〈スケート文化圏〉の地域があります。残念ながら、私はスケート文化圏に住んでいるので、スキーをした経験は一度しかありません。こんな執筆者でよろしければ……」

そんなわけで、私が書いたエッセイ「鳥になりたかった!」は、スキーができなかったひとのスキーエッセイになってしまった。私は「B面」には行けなかった!でも写真と合わせて見開きのページにかっこよく配置していただけて、これは本当に私にとって大事なロケットペンダント的経験になった。

 

自分のことはさておき、一読者として最初から最後まで読んだ感想を書いていきたい。

正直に言って、スキーを巡ってここまで考えたことはなかった。内田さんは巻頭にこう書いている。

 

「地図から空白部が消え、秘境がなくなったとはいえ、視点を銀白部に切り替えるだけで新たな旅先がいくつも浮かび上がった」(1頁)

 

 

 

そう、スキーってすごいのだ。ある特定の場所においては人類にとって最強の移動手段でもあったわけで、人類で最初にスキーを始めたひとが仲間たちに広げてみせた世界の風景というのは想像するだけでわくわくする。北欧神話に描かれたスキーヤーの存在や、古くて紀元前3000年のものといわれているスキーヤーの岩絵(ノルウェー)、韓国の古いスキー板「ソルメ(Sseolmae、漢字にすると雪馬)」も紹介されている。さらには手のひらサイズのスキーヤーの木彫りがあったり、民謡になっていたり……。スキーと人間の関わりかたの幅にも驚いた。そもそも、イランやトルコでスキーができるの?! という驚きが私にはまずあったのだけど、とにかく最初から最後まで、驚きっぱなし。「うわあああああああ」「うわおおおおおおお」とスキーで斜面を滑り降りるというか落ちるというか、なにかそういう絶叫をあげてみたくなる。

道具(今号はスキー)が体験を生むということ。そのことは「モーグルスキーチェア」のページでデザイナーのマイク・エーブルソン氏がお話しされていてとても興味深かった。

 

「たとえば茶葉なら、それ単体だとモノですが、使うことによってお茶会という体験が生まれますよね」(63頁)

 

 

 

普段、車で移動しているところを歩いてみたら、なんだか全然風景が違って見えて不思議な気持ちになることがある。自転車を使ってもそう、私の場合は危険度が増すだけなんだけど……(うわああああああああ=地元の道の凸凹具合と坂の多さを知った日)。

内田さんにとっては、スキーという体験で知っている場所がA面からB面へ切り替わる、そこに旅することの面白さを見ているのだろうなぁと思う。

私は写真の良し悪しを語る言葉を持たないから詳しくは書けないけれど、掲載されているどの写真も魅力的で、人の表情はきっとこの瞬間限り、その背景にあるかもしれない空の青さと雪原の白さのコントラスト、足跡やシュプールの形はシャッターを切ったその時一回限りの風景なんだろう。スキーウェアの点々と散らばるリズミカルな色調に心が躍る。

 

道具によって加わる新しい体験が、そのまま未知の、新しい世界の風景を切り開いていく、そういう感触が素敵な旅雑誌だった。そういえば、私は旅をしないひとだけれど本を読むことで(今回は『LOCKET』6号を広げて)知らない世界を旅した気分になったりするのだ。

 

関連記事

 

mihiromer.hatenablog.com

 

道路の発見―サン=テグジュペリ『人間の土地』

最近、自分のすぐ近くで理不尽な死に遭遇してしまって、随分考え込んでしまった。生きていて、こうしてブログに何を書こうかと悩んでいられるということ、この絶妙なバランスの上に日常が成り立っているという感じ。

ウクライナや中東の戦争に関するニュースを観るたび、どうして人は戦うことができるのだろう? と、平和ボケした自分は考えてしまう。自分の国を守るために武器をとることは「普通のことだろう」「当たり前だろう」と叱られるかもしれない。だが、今の私はほぼ間違いなく逃げる。冷たい心で、高齢の親もペットも見捨てていくかもしれない。そして逃げ足が遅いので、たぶんすぐに死ぬだろう。仮に生き延びたとして、自分が見捨てたものたちの日常の残骸ばかりが目の前に広がって、それを引き受けられるほど私の心は強くないだろう。計り知れない痛みのただなかに取り残される、その中で守りたいもののために勇敢にたたかった人がいたという話を聞けば、尊敬と妬みの両方の気持ちがおこるような気がする。私は戦えなかったのにと。

 

サン=テグジュペリ著、堀口大學訳『人間の土地』(新潮文庫、昭和30年)

 

星の王子さま』で有名なサン=テグジュペリの『人間の土地』という本を十数年ぶりくらいに再読した。著者から見れば、逃げる私の姿には人間の尊厳なんて感じられないだろう。卑怯で小心者の自分について考えさせられる読書だった。正直に言うと少しきつかったけれど、そのきつさと無様さを素直に書いておくことが、戦争を正当化しそうになる時代の空気にこんな弱音も必要だと思った。

 

 

「ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える」(7頁)と本書にあるように、飛行機の操縦士である著者は〈行動の人〉だった。郵便飛行機の航路開拓期のこと、飛び立ったまま戻ってこない僚友のこと、空から見る地上の風景……本書には著者の職業飛行家としての十五年間の体験の思い出が綴られている。

旅をしない私が一生見ることはないだろう風景の数々に魅了される。操縦士にとって星は近く、風は耳の奥で鳴り続ける。それからこの地球上には人影がまばらで、ほとんどが砂礫や岩石の領分であるということがわかる。「道路は不毛の土地や、石の多いやせ地や、砂漠を避けて通るものだ。道路というものは、人間の欲望のままに泉から泉へと行くものなのだ」(65-66頁)と、著者は自身の発見した驚きを書き記した。読みながら、なるほどと思いつつも、たとえ私が、サン=テグジュペリと同じルートを飛行したとしてももう同じ風景を見ることはできないのだと知っている。私の生きる時代はあまりに「空撮」に慣れ過ぎてしまった。撮影にドローンという新しい道具を使うことで、今ではもう俯瞰するという景色の見え方が当たり前になってしまった。

それにしても、この「道路」の考察が長い間、私の中に引っかかり続けていた。人間にとって生活の都合にいい二つの地点を線で結ぶのが道路だとしたら、子供の頃の私にはしばしば道路がなかった。自宅の周辺が空き地だらけだったため、学校からの(正確にはバス通学だったのでバス停でバスを降りてからの)ルートは毎日違っていて、どの空き地をどう通るかは私の勝手だった。背丈ほどもある草むらを抜けてみたり、前日の雨でぬかるんだ土に足をとられたり。そういう道なき道(?)を野良猫のあとについて歩いていると、いつもなんとなく家に着いたから今こうして考えてみると不思議だ。そこまで極端でなくても、歩道をとぼとぼ歩く子供は忘れ物をしたことに気がついてくるっと向きを変えて後戻りもしたし、道端に落ちているカラスの羽根を見て長々と立ち止まったり、黒猫が自分の前を横切ったら後ろに三歩下がらなければならないなんていう、子供の世界で生まれたルールに従うことができた。とにかく「道路」に何か人間としての生活を規定されている感じはなかった。そんな私が「道路」というものを強く意識するようになったのは大人になって仕事に就き、当たり前のように毎日「自動車」を運転するようになってからだった。サン=テグジュペリが「飛行機」に乗ることで「道路」を発見したのと似ている。乗り物によって道をみつけた。サン=テグジュペリは飛行機に乗ることで道路を離れて自由であり、その視点から「人間の土地」を発見した。それに対して私は自動車に乗ることで道路というものに強く縛り付けられる思いがした。運転をする人は知っていると思うけれど、自動車の道では急に停まると追突される恐れがあるし、いきなり方向転換するのは難しい。一方通行で通れない場所があって、直線的に目的地には辿りつけない。なんて不自由なんだろう。特に広い北海道にあって「道路」の多くは歩くためには作られていないのではないか。

大人になって私が見つけた「道路」には、子供の頃のあのでたらめな自由さが全くない。「道路」を知った私は道路交通法を無視することはできなくなった。そしてそこには「責任」が生じたのだと思う。(今となっては空路の自由もそれほどないかもしれないけれど、少なくとも二十世紀初頭の、サン=テグジュペリが飛んでいた時代にはまだ空路は無限の広がりという夢を抱いていた。)

 

ある時、砂漠に不時着したサン=テグジュペリは極度の渇きとともに彷徨いながら、自分の帰りを待つ人々を強く思うあまり「難破者は、ぼくらを待っている人々だ!」(179頁)と考えた。自分を始点にすれば、迷っているのは自分ではなくてその他大勢のほうだ、という転倒をしている。孤独ではなかっただろう。むしろ人との結びつきを強く感じていたように私には読めた。だからこそサン=テグジュペリは「責任」を思い出したのではないだろうか。人間は人間の世界に結ばれていなければきっと生きていけない。それはつまり責任を背負いこむことだ。

 

こう考えてみて、ああそうか、とひとつ納得できたことは、私が「人間」であり「人間の土地」に間違いなく結ばれているという事実だ。「道路」のことだけではなくて、私のありとあらゆる振る舞いは人間の世界で生きるためのものだ。人間が作った世界の中で人間として生きるには、それを維持していく責任を生じる。その責任を果たすために死ぬこと、時にこの本はそういう事柄に意義を見出そうとする。訳者の言葉を借りれば「人道的ヒロイズムの探究」というのが本書の根本想念だという。

それでも私は逃げるのだ。誰の迷惑にもならないように、というささやかな配慮について考えるみみっちいやり方で「人間の土地」に背を向けるのだ。

ところが状況というのは恐ろしくて、コロナ禍の三年間、私はありとあらゆる行楽を無視した。そして末端の医療従事者として責任をもって、コロナ禍という状況の中で戦っていたのだった。冷静であるつもりがいつの間にか状況の渦に飲まれている。よくやった、がんばった、そう自分を褒めてあげたくなるところに「ヒロイズム」が宿る。

行動制限というものが確かにあった時期をずいぶんと過ぎて、最近は、せめて歩いている時くらいは「道」を踏み外してもいいですか、などと考える。だけれどそもそも「自分の国を守るために武器をとることが当たり前」という場所だけが「人間の土地」なんだろうか。

蝉の声に触る―平沢逸「点滅するものの革命」

「普通」小説は存在しているものを書くか、書くことで何かを存在させようとするものだと思う。見えないもの、聞こえないもの、触れないもの、そういうものの感触を言葉にすることで存在させることができるのが小説だ。しかし、この作品はそもそも存在しないことを書いている。存在し得ないものを堂々と開き直って書ききった稀有な作品だった。

 

平沢逸「点滅するものの革命」(初出「群像」2022年6月号掲載)

 

※単行本化されていました。私が読んだり等ブログに引用したりしているのは、初出の群像掲載時のものです。ページ番号は省略しました。

 

この作品にあるのは、多摩川緑地沿いにある団地に暮らす小学校入学前の女児である「わたし」と「父ちゃん」のひと夏の光景だ。「父ちゃん」は多摩川の河川敷で、数年前の殺人事件で使われた銃を探している。建前としては警察の報奨金狙いということになっているが、もう見つかりっこないことをわかっていながら、ただ河川敷の草を刈り、穴を掘るという作業を続けている。そこに集まってくる人々との他愛のない会話があるだけで、物語に語り手や父ちゃんの運命を左右するような決定的な「何か」が起きるわけでもない。

ところが、この作品は「革命」なのだ。

語り手が「空を見上げると、蝉の鳴く声が瞳孔に突き刺さった」。「よく熟した青」がのぞいた空の「青はその青さをそのままふくらませ」て夜になる。暗闇は色彩を奪うが、夏の午後のまばゆい光もまた色彩を埋没させるから「夏という季節は、色のない昼から色のない夜へとくりかえし移行していく季節」だと語り手は思う。そして夕方は、大気が小麦色じみて、日向と日陰の境界線を淡くし、父ちゃんの赤褐色にきらめく肌や指先についた蝶々の鱗粉などという細部の色彩が「時間の空隙を突くように」とらえられる瞬間でもある。「蝉の鳴き声は、まつ毛を爪弾くように目の前で細かくゆれていた」ともある。

この小説について何かを語ろうとするとき、一人称の語り手「わたし」が効果的に機能しているかどうか、成功しているか否かが問われがちだと思う。私もはじめそこに突っかかりを覚えたのだ。そもそも小さな子供が、こんなに難しい言葉を使って小説的に語ること自体あり得ない、読んでいてそう思った。だけど書かれてしまっているということはつまり、何故だかあり得てしまっているということだ。それはどういうことだろう?

気がつくと、この小説の言葉が書かれてあるままに面白くて、ありえないと思いつつも読むことにすっかり没頭してしまった。蝉の声はふつう瞳孔に突き刺さらないし、ゆれているのが見えることもない。というか、音は見えない。だけどこの作品では見えてしまう。5~6歳くらいと思われる語り手の女の子には見えている。この作品は小説だからこそ可能になった点滅する光景なのかもしれない。もしも自分が語り手と同じくらいの年齢の時に「小説の言葉」を持っていたとしたら、自分が感じる世界をこんなふうに語るんじゃないだろうか。そう考えていたら面白くなった。「点滅」という言葉は「光」の状況を表すものだろうけれど、「音」だって点滅するようにチカチカと響いてくるし、その感じが耳に触れると触覚になる。私はずっと聴覚は耳の触覚なんじゃないかと考えていたからこの作品に出てくる蝉の鳴き声の感じがとてもリアルに感じられた。蝉の声に触れる感じ。高村幸太郎は「触覚の世界」という文章の中で「彫刻家は眼の触覚が掴む」「彫刻家は物を掴みたがる。つかんだ感じで万象を見たがる」というのがある。この世界に触った感じそのものを、それも子供が触った感じを書こうとした作品のように思える。

 

「いまだに存在していない未来のわたしは、こうして確かに存在しているいまのわたしを思いだすことができないにちがいない」

 

 

 

決して思い出すことのできない子供時代の「感覚」を、存在しないものと認めた上で書いている。存在しないものを書いてしまっている。もしかしたら子供時代の自分は今の自分が当たり前と思っている(生きていくために身に着けた「普通」の)感覚の外側を生きていたのかもしれない。「音」と「光」のあふれた風景と大人たちの猥雑な会話が混然一体となって作品の前面に、読者の目の前に飛び込んでくる凄みがあった。言葉によって理路整然と風景の「当たり前」と思われている紋切り型の感覚に到る前に、自分はこの作品に書かれたような世界にいたんじゃないか? 証明のしようはない。あの時の感覚は永遠に失われてもう存在しないし、よみがえることもない。

そうとわかって言葉にした時に、何かなつかしいような気配が現れる。よく考えるとちょっと怖い。そんな気配が現実に表出する革命である。

眠り舟―古川真人「港たち」

 この「にぎやかな一家」に久しぶりに会えた。なんだかとても嬉しかった。彼らは本の登場人物たちなのだから、うちにあるこの著者の本を開けばいつでも会えるのだろうけれど、何故だか新作が出ると彼らの「近況」の便りを受け取ったような気持ちになる。そういえば、作中で関東に住んでいた兄弟が小説の舞台となる島を訪れたのは一年半ぶりだという話があって、なるほど、この「久しぶり」な感じはコロナ禍によるものであったか、などと考えてしまった。今回は古川真人さんの「港たち」という小説について書きたい。

 

古川真人「港たち」(『すばる』2023年7月号掲載)

 

 

 

古川真人作品の読者には、すっかりお馴染みになった長崎の島の人々(もちろん、この作品から古川作品を読み始めても全然問題ない)。

九十歳を過ぎた内山敬子を起点に、その夫である宏、ふたりの間の子供らである哲雄、加代子、美穂、それぞれの配偶者である千佐子、昭、明義、さらにその下の世代の敬子にとっては孫にあたる浩、稔、奈美、知香、知香の夫である裕二郎がいる。それから敬子の妹の多津子とその配偶者である勲……。「にぎやかな一家」の面々がお盆に島へやって来て、敬子が長いあいだ休むことなく営んできた「内山商店」という商店兼住居に集っている一日の物語だ。集っている、そう、生者も死者も(お盆だしね!、ちなみに先に書いた家族構成員の中に故人も同列に混ざっている)、今ここには来ていない人も、みんなみんなこのにぎやかな一家の「声」の海にやって来る。そんなあり得ないことだって、この小説の言葉は可能にする。自分は足が弱りもう仏壇のある二階の部屋には上がれない敬子は「船頭のような」役割になって、盆の準備のあれやこれやの指示を家族たちに出す。「ほとけさまという、魂の寄りあつまった、一艘の舟のような、一点の炎のような、盆の入りから家に帰ってきている存在のため」に。

 

 ところで敬子は眠たいのだ。年をとると深く長い眠りではなくて、浅く短い眠りが間歇的に訪れるようになる……というのはどこかで聞いたことがある。敬子はつい、うつらうつら舟を漕いでしまい、たくさんいる家族たちの声を聞き分けることができないでいる。そんな舟を漕ぐ(眠たい)船頭・敬子が、声、声、声の波間に漂えばあまりに方向があやうくて、それが老いの心もとなさでもあるのかもしれないと思わせる。そして、あやうい漂流をする舟が港に着くのではなくて、「港たち」が舟のほうに着く、というような不思議な転倒がこの作品の魅力だ。

「声」というものについて考える時、それは「人」がいて、その「人」に向けて「声」を発したり、その「人」から「声」を受け取ったりするものだと思う。ところがこの作品ではそこがひっくり返っていて「人」よりも先に「声」があって、辿りついたところに「人」がいる。そもそも「だれ」が発した声であったかは受け取られた「声」がまた別の「声」に投げ返されてはじめて輪郭を持つような、関係性によって確かになるようなものと考えることもできるのではないか。「声」の発信地が多ければ多いほど、それは「だれ」に向けたものなのか、「だれ」が投げたものなのか曖昧になっていく……というような、日常のありふれた言葉の空間をこの作品は見事に書いている。

 

「ひとが先にあるのではない、声が、声に対して、ひとを呼ぶ」(24頁)、「声は、自由に往来し、その届いた先に停留する」(24-25頁)、「声が立ち寄り、声が漕ぎ出て行く」(25頁)、「そうして声の行き交うところが、海なのだ」(25頁)

 

 

 

古川作品で私が特に好きなのは「声」で作られる空間だ。それは「今」や「生」、「過去」や「死」をも超えた果てしなくゆたかな空間である。港から船が出ることが声を発することに重ね合わされるなら、盆の終わりに精霊舟を海に流すことは、生者から死者へ「声」を発することになる。

 

声? だれの?

だれのでもないのだった。声が話している。とらえそこなった声が、だれかの声が、だれかの耳に辿り着くすべをうしなって、沈黙のうねりと、さわがしさの波のあいだを――海を――漕ぎ手のいない舟となって漂いだす。さっきから、ずっと敬子のまぶたは重たくなって。しかし、眠りは彼女を訪れないものだから、耳が、傍で盛んに話す者たちを、姿のないまま、その行き交う音のまま、彼女の脳裏に描きだす。

(前掲書、24頁より引用)

 

 

敬子の〈眠り舟〉のような、だれがだれだか結局定かにならない声の海に漂う状況はまるで迷子だ。そして、迷子というこの寄り道状態だからこそ、今は一緒にいないはずの多津子の声も拾って、ともに漂い、しまいには「港たち」のほうが迎えに来るような(そしてそのことは年老いた親を島に残している家族が交代でその様子を見にくることにも重なる)、そんな展開を可能にする。

 

印象的な敬子の漂流、それは彼女が思い出したり、あるいは眠ってしまっている、浅い夢の中で妹の多津子と話していることだ。敬子が最後に多津子に会ったのは病院受診の都合で福岡の多津子の家に泊めてもらった時らしい。そこで姉妹は「橋の夢」をよく見るのだという会話をした。その夢というのは遠い昔の記憶が形を変えて反復するものなのだろう。静かになった家で(家族たちは盆の終わり、海に精霊舟を流しに出掛けた)敬子がうつらうつらしているのは、多津子に夢の話をした時のこと、あるいはその夢の中だ。それは戦争のころで、敵の飛行機に撃たれるという危機のなか、多津子を負ぶって逃げて橋の下に、海に、飛び込んだ(――そうな、そがんことのあったとね)という、ゆめうつつの場所。そしてその同じころ、精霊舟を流しに行った海と家との往復の道で、稔もまた似たような夢を繰り返し見るということについて考えている。「なにかに追われる、危ない場所に居る、そして浩といっしょ」という夢は彼自身の現実の不安が投影されていて、それは浩という目の見えない兄が最悪の事態に陥ったときに、助けてやれなかったことに対する後悔と、そういう守らねばならぬ者を引き受けていることで回避しきれない危機があることの怖さ、自分ひとりならどんなに気楽かという願望と、それができない抑圧の表れだろうと結論づける。

 

ここまで読んで、にぎやかな一家は単に楽しいばかりの時空を作り出す存在ではなかった、ということに気がついた。家族というのは時に厄介なしがらみになって、離れようもなく纏わりついてくる。この作品で描かれた血縁関係の中に酒ばかり飲んで暴れる困り者もいたりする。良くも悪くも、ひとつの集団として存在する血縁集団は、その内部にある喜びも苦難も、全部をともにしなければならない。「声」は家族の形をつくり、一人一人を「港」として固定する。家族というものの、賑やかさと煩わしさ、その両方を語る小説の「声」は、最後に夢から覚めたらしい敬子のもとへ、港たちが帰ってくることを告げる。

 

追記:久しぶりに、こっちも読まんばならん。