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Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

想像力で戦う―村上春樹「かえるくん、東京を救う」

「ジョセフ・コンラッドが書いているように、真の恐怖とは人間が自らの想像力に対して抱く恐怖のことです。」

(「かえるくん、東京を救う」『はじめての文学 村上春樹』(文藝春秋 2006)より引用)

 

今年最後に紹介する小説は、村上春樹の短篇小説「かえるくん、東京を救う」です。もう何年も前に読んでからずっと好きな小説のひとつだったのですが、しばらく読み返していませんでした。それで、最近ふとしたきっかけで再読してみたら、思っていたよりもずっと素敵な小説でした。読書をしているとこういう再発見があって嬉しいですね。

 

ざっくりストーリーを説明してしまうと、小説の主人公である片桐がアパートの部屋に戻ると、巨大な蛙が彼を待っていて、三日後に東京を襲う首都直下型地震を防ぐのに力を貸してほしいと頼まれる。かえるくん(蛙は自分のことは常にこう呼んで欲しいらしい)によると、地震の原因は地下にいる「みみずくん」であり、怒りを爆発させて地震を起こそうとしているのだ。「みみずくん」と戦って地震を未然に防がなければならない……。

 

初めて読んだ時に「かえるくん」というキャラのあまりの可愛さに萌えた記憶があります(笑)片桐が「かえるさん」と呼びかけるたびに「かえるくん」と一々訂正してくれます。それから文学通です、かえるくん。「アンナ・カレーニナが驀進(ばくしん)してくる機関車に勝てる確率より、少しましな程度でしょう。」(前掲書243頁より引用)など、面白い文学ネタ表現がたくさん出てきます。「もちろんごらんのとおり本物の蛙です。暗喩とか引用とか脱構築とかサンプリングとか、そういうややこしいものではありません。実物の蛙です。ちょっと鳴いてみましょうか」(227頁より引用)と、自分の存在を説明しているところも面白いですね。文学を語るのに使われるようなちょっと難しそうな専門用語(?)を羅列して、そういう「ややこしい」存在ではないとのこと。ちょっと親近感のわいてくる自己紹介です。

 

「かえるくん、東京を救う」は、東日本大震災後にラジオで朗読されるなど話題になったので、記憶に新しい人もいるかもしれません。前掲書のあとがきにあたる部分に「かえるくんのいる場所」という村上春樹の文章があります。それによるとこの作品は1999年に書かれたもので、1995年に起こった阪神大震災のアフターマス(災害後に残った余波的な危機)をテーマにした連作短編のひとつだそうです。一部をそのまま引用しておきます。

 

「そのような多くの人々の死にかかわる重い題材に、何年ものあいだ作家としてとりくんできた。そんな中で僕は、このようなひどく現実離れのした、ある意味では荒唐無稽なファンタジーを書かないわけにはいかなかったのだ。現実から目を背け、どこかに逃避するということが目的ではない。むしろ逆で、今ここにある現実にもっと深く突っ込んでいくためには、物語という通路を使って、このような心の「とくべつな領域」に下りていく必要がどうしてもあったのだ。それはかえるくんが実際に住んでいる領域である。」

(前掲書「かえるくんのいる場所」267頁より引用)

 

冒頭に引用した作品の部分「真の恐怖とは人間が自らの想像力に対して抱く恐怖のことです。」というのがこの小説が「現実にもっと深く突っ込んでいくために」とても大切な認識であるということが、作品を読むとわかります。

結局のところ「かえるくんと片桐」VS「みみずくん」の地下での戦いそのものは、夢なのか現実なのか判然としないままに終わります。首都直下型地震を防ぐことに成功します。

 

「いずれにせよ、すべての激しい戦いは想像力の中でおこなわれました。それこそがぼくらの戦場です。」(250頁より引用、かえるくんの台詞の一部)

 

「みみずくん」との戦いの他にも(というか、片桐は「みみずくん」との戦いを記憶していませんが。)、片桐は恐怖にさらされます。拳銃で撃たれたとか、目の前で「かえるくん」がグロテスクに崩壊していくとか。だけれど、それを客観的事実として証明する手段がひとつもありません。それどころか拳銃で撃たれたという片桐にとっての事実は、どうやら間違いで、彼は単純に倒れただけらしい、と病院の看護師は言います。片桐が経験した恐怖すべてが片桐自身の想像力によってつくられた恐怖の視覚化であるかのような描写です。物理的には何も起きていない、だけれど確かに怖かったという実感がある。

「みみずくん」の姿でさえ、実はほとんど誰もみたことがありません。あるいは「みみずくん」という存在も、想像力が生み出した存在のひとつに過ぎず、そしてそんな想像力に打ち勝てるのは想像力が生み出した物(かえるくん)だけなのです。「みみずくん」は名前もわからない多くの、不特定多数の人々によって生み出された存在かもしれません。それに対抗するためには「かえるくん」だけでは力が足りず、どうしても想像する者としての片桐(あるいは読者全員?)が必要だったのです。

 

実際多くのことが我々人間の「想像力」によって可能になってきました。良い事ばかりではなく「想像力」は多くの物理的現象を引き起こし、我々の目の前に提示したりもします。

「かえるくん」という存在は、物語の最後のほうで、損なわれ、失われてしまいます(作者は「もともとの混濁の中に戻っていった。」とも書いています)。

 

損なわれ、失われてしまった「かえるくん」の代りに、私は2016年も頑張って小説を書き、いろいろなことを語り続けたいと思います。「すべての激しい戦いは想像力の中でおこなわれました。それこそがぼくらの戦場です。」かえるくんのこの言葉を胸に。

そんなわけで、来年もよろしくお願いいたします。皆様良いお年を。

 

 ↓村上春樹は長編小説を主眼に執筆活動をしている作家ですが、短編小説も面白いものが多いです。読んだことのない人でも、とっつきやすい短編集がこちらです。私はこれで「かえるくん、東京を救う」を読みました(笑)

はじめての文学 村上春樹

はじめての文学 村上春樹