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Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

愛と死と孤独―トルストイ「イワン・イリイチの死」「クロイツェル・ソナタ」

しばらく前にトルストイの『復活』という小説作品について書きました。

 

mihiromer.hatenablog.com

 

もう少しトルストイを読もうと思い、今回は光文社古典新訳文庫から「イワン・イリイチの死」(1886年)、「クロイツェル・ソナタ」(1889年)という後期トルストイの代表的中篇小説の感想を書いていきます。Kindle版(電子書籍)なので引用の頁番号の表記ができませんでした。ご了承ください。

 

イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)

イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)

 

 

トルストイと言えば何と言っても『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』という長篇作品が有名です。今回読んだ『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』巻末の解説によると、トルストイはこの二作品を書いて成功した創作家人生のかげで、1870年代の末から、深刻な精神の危機を味わったそうです。人間のいとなみのむなしさや、死の避けがたさの感覚にとりつかれていたいたんだとか。そういう精神状態の中で世俗的な価値を疑いながら書かれたであろう後期トルストイ作品は、テーマやメッセージ性が強烈に打ち出されています。本当に怖いくらいに。

 

この二作品は構成上似たところがあるようにも思いました。というのは、どちらも「結果」が先に提示されて、そこに辿り着くまでの過程が小説の大部分の頁で語られていくのです。「イワン・イリイチの死」の場合は先にイワン・イリイチ氏の遺体が、「クロイツェル・ソナタ」では妻を殺した男の告白が先にあります(「クロイツェル・ソナタ」はその告白以前に繰り広げられる女性観についての議論も面白いのだけれど)。

以下、それぞれの作品について個別に見ていきたいと思います。

 

■「イワン・イリイチの死

ひと言でいうなら、病気になって自分がまもなく死んでいくということに向き合わなければならなくなったイワン・イリイチ氏の精神を追っていくような小説。日常の中に隠されていた死が剥き出しになっていくさま、日常的なものを「嘘」として拒絶していく孤独が前面に押し出されています。

 

しかし、書き出しは「死」というものを他人事として扱っています。我々読者はイワン・イリイチ氏の遺体を目撃する、そこには死者独特の威厳があるけれど、結局は他人事でしかない。イワン・イリイチ氏の訃報を聞いた職場の人々にとっては「死」よりも重要なのはイワン・イリイチ氏の死によって空いた職業上のポストをめぐる人事異動でした。それと同時に心の中で思うのは、「死んだのが他の者であって自分ではなかったという喜び」なのです。

そんな冒頭との対比が効いているのか、イワン・イリイチ氏が、突如「死」と向き合わねばならなくなっていくという彼の心の葛藤が痛いくらいに伝わってきます。本当に読んでいてつらかったです(苦笑)否応なしに死に向き合わされる恐怖、「死」という一点に凝集していく描写の迫力があります。

 

「三時ごろまで彼は苦しい朦朧状態にあった。まるで自分が痛みとともに、どこか狭くて真っ暗な袋の中へ詰め込まれたような気がした。中は深くて、なにかの力で奥へ奥へと押し込まれても、いっこうに端まで届かない。」(9章、本文より引用)

 

死にゆく事を、「真っ黒な袋の中へ詰め込まれる」ような過程と重ねて描いています。どうにもならない閉塞感が読んでいてとても苦しかったです(閉所恐怖症の人は読まないほうがいいかもしれません、というくらい)。この小説の表現で一番面白いと思ったのはこの部分でした。「死」という一点へ凝集していくイメージから読者を離さない、その徹底ぶりが恐ろしい。

それに加えて「死」というものの個別性を描いており、この「個別性」ゆえの孤独からは誰も逃れられないという怖さもありました。死を隠ぺいしていた日常生活を「嘘」と断じていく、生活から嘘が剥がされていくその過程は思わず目を背けたくなります。「他の誰でもない、かけがえのない自分」というのを強く意識するのは、案外死に瀕した時だけなのかもしれません。まさか自分が……なんていうふうに。

 

■「クロイツェル・ソナタ

 

「二人が演奏したのはベートーヴェンのクロイツェル・ソナタでした。あの最初のプレス戸を御存知ですか? 御存知でしょう!?」彼は叫びました。

「ああ……あのソナタは恐るべき作品ですよ。まさにあの部分がね。それにだいたいが、音楽というのは恐るべきものですよ。あれはいったい何なのでしょう? 私には分かりません。音楽とはいったい何なのですか? 音楽は何をしているのか? 音楽は何のためにそのようなことをしているのか? よく音楽は精神を高める作用をするなどと言われますが、あれはでたらめです、嘘ですよ!」

 

「音楽は私にわれを忘れさせ、自分の本当の状態を忘れさせて、何か別の、異質な世界へと移し変えてしまうのです。」

 

(23章、本文より引用)

 

目をぎらぎらさせた白髪頭の孤独な紳士が、汽車の中で聞き手「私」に向って語る衝撃告白。紳士は自らの妻を殺したという。そう告白した後で、男は自身の恋愛や結婚生活について語ります。時に興奮しながら、濃すぎる茶を飲みながら、長い汽車旅の中で長い話が続いていく……。

この作品の「場」の設定がとても面白いです。すべての話は汽車の中でなされている、登場人物たちは座って話しているのだけれど、「場」は動き続けています。それはまるで制御しきれない心の動きそのものみたいに見えます。汽車の中の時間は男が語る出来事がすべて終わった後。勿論、妻は死んでいます。こういう場を描写で強調させておいて、その中で男に過去の話をさせるという設定は「告白」というものが持つ特徴を発揮しているように思えます。つまり、話すためには一旦どこか自分の中で整理したり理解しようとしたりする時間が必要だということ。さらに言えばその時間の中で過去の記憶そのものがねじ曲がってしまう可能性すらあるということ。

男は語りながら時に震えるほどの興奮を味わっています。特に後半語られる嫉妬心は、ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」の演奏を聴いた時に感じた興奮によって増幅され、新たな理由付けをされながら語られているように見えます。

ページの大半が男の台詞であるにも関わらずおかしな感じはしません、むしろ時々これは「男」の一人称語りで展開する小説なのかと錯覚するほどでした。

ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタで印象的なプレスト。それを彷彿とさせるような男のマシンガントーク的語り(告白)と、列車という動く場。すべてが綺麗に重なって動いている。あるいはかつて男の妻がピアノの鍵盤を叩いた指の動きさえも。しかし列車の旅は終わり、男の告白も途切れ、その中に登場していた妻はもう死んでいるのです。

「男」のエピソード以外にも、独特な「女性観」や性愛に対する議論が展開しており、時々笑ってしまうようなところもありました。

 

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以下読みながら更新していたtwitter(@MihiroMer)の記録

トルストイの「イワン・イリイチの死」を読んだ。これはつらい……。病気になって死に向き合わなければならなくなったイワン・イリイチさんの精神を追っていくような小説。日常の中に隠されていた死が剥き出しになっていくさま、日常的なものを「嘘」として拒絶していく孤独。これはつらい。」

「特に後半の緊張感がすごかった小説でした。」

「病人にとって医療や宗教は、救いを提示するもののように見えるし、病人の周囲の人々だってそう信じている。しかし、死はどこまでも個別的なものであり、当人しか向き合うことができないものなのだ。」

トルストイ「クロイツェル・ソナタ」を読んでいる途中。今日の昼間は「死」、夜は「愛」について読んでいるような(苦笑)相変わらず、厳しい感じがしますが、11章の性愛と人類存続と生きる意味についての対話が大真面目におかしい。」

「誰かを想うということはとても不安定なことだから、そうと知ってそれでもなお想うというのは勇気のいることだね、と、昨日だかの日記に書いたんだけど、今読んでる小説に似たようなことが書いてあった。勇気云々の話ではないんだけど、愛する対象を失ってしまう可能性の存在が恐ろしい、みたいなこと。」

「失うこと、損なうこと、あるいはそういう結果になってしまう可能性が怖いということ。だから何もいらないと思うこと。それはエゴだということ。「愛する存在のために自分を犠牲にするのではなく、自分のために愛する存在たるべきものを犠牲にしている」こと。」

トルストイ「クロイツェル・ソナタ」を読んだ。場の設定がとても面白かった。長距離列車で乗り合わせた男が、自身の恋愛、結婚生活から妻殺しという結末までを告白する。話はすべて列車の中でなされる。座って話しているのだけれど「場」は動いている。まるで制御しきれない心の動きみたいだ。」

「ベートーベンのクロイツェル・ソナタで印象的なプレスト。それを彷彿とさせるマシンガントーク的な語りと、列車という動く場。すべてが綺麗に重なって動いているように見える。鍵盤を叩く指さえもあるいは……。列車の旅は終わる。男の告白も途切れ、その中に登場していた妻はもう死んでいる。」

「同じ主題で書いてもああいう風にはできないだろうな、とトルストイを読んでいて思う。特に今回読んだ中篇2作品は緩急のつけかたがすごい。間延びするところと畳み掛けていくところの速度差? かっこいい 笑。個人的には「イワン・イリイチの死」の迫力が好き。だけど怖い。」

「閉所恐怖症の人は、トルストイの「イワン・イリイチの死」を読まないほうがいいかも。なんだか狭い所に追い込まれていくような小説だから。死に追い込まれて行く感覚を「真っ暗な袋の中へ詰め込まれたような」と表現していたりする。この袋、凝ってますなぁ……。」