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Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

交流、混淆、変容 ―『アイヌ学入門』という本から再確認した文化観

長い間漠然と疑問に思っていたことに、なんとなく決着がついたような心持になっている……。そういうことってありませんか? すっきりしたというか、なんとなく思考の入り口みたいなものが見つかってほっとしたというか。

 

瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書 2015)という本を読んだのですが、この読書によって上のような心境になったわけです。私は北海道に住んでいる者なのですが、北海道に住んでいても、実は北海道の歴史って謎なことばかりなんです。

本州に住んでいる人なら自分が現在住んでいる地域について、例えば○○時代には△△氏が統治していた××藩があった、とか概要みたいなものをぱっと想像できるかもしれません。この△△氏と××藩という部分を北海道で考えると、松前氏と松前藩、という言い方ができるけれど、これって広い北海道の空間的にも時間的にもほんの一部じゃないですか? それ以前の歴史はせいぜい縄文時代→続縄文時代、それから先はアイヌ民族と明治の北海道開拓使でしょうか。とにかく、北海道に住んでいるのに北海道の歴史についてあまりにも無知だったのです(苦笑)学校の教科書でもそれほど語られませんし……。

 

私の中で長らく謎だったのは、アイヌ民族っていつから今現在の私たちの認識のアイヌ民族なんだろうってことでした。そんなこともわからないんです(汗)

アイヌ民族はよく縄文人の末裔だとか、文化的に縄文時代の影響を色濃く残しているとか言われています。でも、今私たちの周りにいるアイヌ民族としてのアイデンティティを持つ人々は私たちと変わらない生活をしている(当たり前かもしれませんが)。

このイメージのギャップ、これがどうして生じるのか、そして自分も含めて現代人として、どのような方向でアイヌ民族を理解し、その文化を保存すればいいのか……? 

何か政治団体に押し付けられるような理解だけはしたくなかったんです、へそ曲がりな私(笑) 随分と長い間アイヌ民族の音楽に影響を受けたという伊福部昭の音楽を聴きながら考え続けていました。

 

 今回読んだこの本には、文化というものの性質がわかりやすく描かれているなぁ、と思いました。言われてみれば当たり前のことなんですけど、文化は常に動いています。アイヌ民族の歴史だってずっと縄文一色じゃない。そこにはその時代時代のアイヌにとって「異民族」だった和人や大陸の人々との交流による文化の変容がある。また、一言でアイヌと括れないほど、北海道に住んでいた先住民の間にも幅がある……。改めて文化というものの深さを思い知らされた読書経験になりました。

 

アイヌの伝統文化とされるものには、日本や中国、北東アジア先住民の影響が強くおよんでいました。しかし日本文化が朝鮮半島や中国の影響を大きく受けてきたように、そもそも文化とは交流のなかで形成され、変容するものであり、文化的なオリジナリティとは、その混淆と変容の仕方のなかにも見出されるべきものなのです。」

(瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書 2015)より引用

 

この本はあくまで一般向けにわかりやすい言葉で書かれたもの。学術書ではないので考古学的な手法を用いた研究の成果だけが書かれています(数値など具体的に見たい場合は各種報告書などを参照するしかないです)。ただ、参考文献の数も豊富で、学術書と同じ水準で明示されているため、自分の知らなかった新しい分野に出会うチャンスがいたるところにあります。

新書だと思って侮る勿れ。内容は広くしかも濃いです。特に「異文化交流」による文化の変容という視点が色濃く、それについては考古学的な資料、文献史学の史料などによって裏付けされた著者の見解がダイナミックでした。アイヌについて語っている本で奥州藤原氏がでてくるものは初めてでした(笑)