言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

孤独な風景がみえてくる―ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』

ヘンリー・ジェイムズ(蕗沢忠枝訳)『ねじの回転』(新潮文庫

ねじの回転 (新潮文庫)

ねじの回転 (新潮文庫)

 

 

読み終わってすぐに、1番怖ろしいと思ったのは、生きている人間だと思った……。

文学史の流れの中の中で語られることの多いヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』。文学史的な話では、ジェイムズはいわゆる「意識の流れ」(stream of Consciousness)の手法の先駆者である。その後にジョイスやプルーストの作品が続く。今回初めて読んだのだけど……。私としては、構成以上に言うべきことはないかなぁと思ってしまった(つまりあまり好きではなかった)。初めてこの作品が世の中に発表された時は驚きだったかもしれないが、今となってはよくある手法だ。しかし徹底した一人称の語りが読者から隠してしまう情報の多さに今回改めて驚いた。「え?なになに?」そのよくわからなさ故にページをめくる手は早く動き、意外とあっさり読み終わっていたのだ。

 

果たしてこれは幽霊譚なのか?(いや、そうなんだけど笑)

幽霊がいるようにも読める。しかし同時に幽霊なんて存在せず、語り手の女家庭教師の妄想の塊にも読めてしまう。これがもしそうだとすれば子供たちが恐れているものは女家庭教師その人の異常な様子だろう。

 

本の背表紙に書いてある簡単なあらすじをメモしておく。

 

「イギリスの片田舎の古い貴族屋敷。そこに、両親と死別してひっそり暮す幼い兄妹。二人目の家庭教師として赴任してきた若い女性が、ある日見たのは、兄妹を悪の世界に引きずり込もうとする亡霊の姿だった……。典型的な怪談のシチュエーションを用いながら、精緻な心理描写と暗示に富んだ文体で人間の恐怖を活写した、“心理主義小説”の先駆者ジェイムズの代表作である。」

 

物語の説得力を強化するためのしかけなのだろう。

女家庭教師の一人称語り「わたし」で統一された一章以前に、素性はよく知れないが「私」という別の語り手が書かれる。「私」は女家庭教師が目撃し、書きとめた手記をひとつの物語として補完する役割を担っている。

語りの時空間のねじれを冷静に整理すると、「幽霊譚」(女家庭教師の一人称語り)は半世紀近く昔の話ということになりそうだ。「私」と「わたし」(女家庭教師)にはそれだけの時間差が存在する。勿論、彼らがそれぞれに存在している空間も違う。

そのふたりの語り手を繋ぐように存在するのが「ダグラス」なる人物だ。彼は例の手記を書いた女家庭教師から直にその「幽霊譚」を聞き、彼女からその話を書きとめた「原稿」を託された(この時点で女家庭教師は亡くなっている)。そんな話を聞いた「私」はのちに我々読者に女家庭教師の「幽霊譚」を開示することになるが、そのもとになっている女家庭教師の原稿はダグラスから「私」に渡ったもので、それを「私」が正確に書き写した物が読者の目にふれる一章以降、この小説のメイン部分となる。

 

ダグラスの思い出話として彼の長い台詞の中で語られる女家庭教師との思い出は、一章以降の女家庭教師とブライ邸の子供(マイルズ)が過ごした光景と二重写しになっている。ダグラス=マイルズではないのかもしれないけれど、こういう風に読み取ることもできてしまうような匂わせ方、これにつられて思わず深読みしてしまいたくなる。これが技か……と思わず感嘆してしまった。

女家庭教師の一人称語りで隠された情報のヒントを探し回って深読みしたくなるのも同じ感覚なのかもしれない。隠された情報、例えば女家庭教師の雇い人である紳士(子供たちのおじにあたるらしい)が課す約束事(何があっても絶対に連絡しないこと)の真意。それから、マイルズが退校処分になった理由、亡霊として登場する二人の人物の経歴や死の真相……などなど。語りによって巧妙に隠されたまま、最後まで開示されることはない出来事が物語の背景にたくさんある。

 

語り手「わたし」(女家庭教師)の認識の過程を我々読者は追うように読んでいくが、「わたし」の主観によって幽霊が編み出されているのではないか? つまりすべて妄想なのではないか? という疑いが持ち上がる(私は始めからそんな風に読んでいた)。でもそうやって読んでいくと説明できない出来事も作中で起きている……。

「幽霊譚」と聞いて、ありきたりな絶叫ホラーを期待してはいけない。

訳者の解説から一部引用しよう。

 

「ジェイムズの亡霊の場合は、心霊術の場合とは全然逆で、姿はハッキリ現れるが、その現れる目的は人間にはそれと判明(わか)らない。」

「くだらない迷信のもたらすメロドラマ的な軽薄な見解は微塵も介在していない。」

「ジェイムズは、あくまで彼の物語を神秘の謎のままで封じておく。」

(前掲書 訳者解説、294頁より引用)

 

人間の認識が世界をつくる、そんなことをふと考えて、でもそれがすべてだとしたら私達人間は本当に孤独な存在になってしまう。ちょうど女家庭教師が誰とも認識を共有できないまま(幽霊は彼女にしか見えない)、話が進むにつれ追いつめられていくように。