Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

表現への驚きと謙虚さボルヘス―『創造者』

ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899ー1986)は、アルゼンチン出身の作家、小説家、詩人であり、「夢や迷宮」「無限の循環」「架空の書物や作家」「宗教・神」などをモチーフとする幻想的な短編作品によって知られている。

……とかいうのはウィキペディアからざっくり持ってきた概要で、実は、今回はじめてボルヘスの本を読んだ。ラテンアメリカ文学好きと言いながら、実際それほど読んでいないような……? とにかく、私の初ボルヘスは、岩波文庫から出ている『創造者』(鼓直・訳、岩波文庫2009)という作品だった。「ボルヘス論」みたいなかっこいいことは全然書けないが、ここは個人のブログ。やはり単純な驚きと感動を持ってこの本を読み終えた私の心情を素直に書いていきたい。

 

創造者 (岩波文庫)

創造者 (岩波文庫)

 

 

『創造者』という本は、前半が散文、後半が詩という変な本だ。岩波文庫版の解説によると、どうやらこの本のテキストは全集の最後にと編集者にねばられ、机の引き出しやら棚やら、あちこちから原稿を探し回って、寄せ集められたものらしい。故に、雑録・雑纂といったものになっている。
しかし、雑録といっても、ボルヘス自身はこの本に対して肯定的だ。解説からの孫引きになってしまうが、あえて引用したい。

 

(『創造者』について)驚くべきことに、書いたというよりは蓄積したというべきこの本が、わたしには最も個性的に思われ、わたしの好みからいえばおそらく最上の作品なのである。その理由は至極簡単、『創造者』のどのページにも埋草がないということである。短い詩文の一篇、一篇
がそれ自体のために、内的必然性にかられて書かれている」(牛島信明・訳、「自伝風エッセー」『ボルヘスとわたしー自撰短篇集』収録)

 


「蓄積の一冊」という言葉が思い浮かぶ。大作家の「蓄積」という言葉は重い。収められているどの断片を取り出しても、読みながら深々と考えてしまう、目眩がする。もういっそ全部引用して、すべてについて読みながら得た感慨を記していきたくらいだが、それはとうてい不可能である。

読み終えた直後にtwitterに書いたのだけれど、久しぶりに「書くことへの謙虚さ」というものを思い出せた。人間は世界のすべてを書くことなんてできないのだ。当たり前のことだが、ブログや雑誌のコラム、巷で売られる文芸作品など一個の商品として完成された文章が溢れている世界を生きる私たちは、そんな当たり前のことすら忘れてしまう。科学はすべてを証明できると錯覚するのと同じように、溢れる人間の語彙はすべてを書き記せるという錯覚を人間に与える。

 

一人の人間が世界を描くという仕事をもくろむ。長い歳月をかけて、地方、王国、山岳、内海、船、島、魚、部屋、器具、星、馬、人などのイメージで空間を埋める。しかし、死の直前に気付く、その忍耐づよい線の迷路は彼自身の顔をなぞっているのだと。
(「エピローグ」前掲書、190頁より引用)

 

ボルヘスの円環
たぶんいろいろなところで言われていることだろうけど、ボルヘスの作品には円環する思想を感じた。転生と言うこともできるかもしれないけれど、生物と無生物、記憶と忘却すら越えていく大きな流れがある。その流れが無限に続いている。覚えていないことも、どこかで過去の何かと繋がっていたり、今繋がっているものとの関係が、ずっと先の未来で再び再現されたりするのかもしれない。

 

十字架とロープと矢。人間にとって馴染深いこれらの道具も、今ではシンボルの身分に貶められている。或いは祭り上げられてしまっている。しかし、何も驚くには当たらないのだ。忘却によって消し去られるか、記憶によって変化させられるかしないものは、地上には一つとして存在しないのだから。また、未来によって自分がいかなるイメージに置き換えられるか誰も知らないのだから。
(「変化」前掲書64頁ー65頁)

 

地下鉄で乗り合わせたユダヤ人の横顔が、ひょっとすると、キリストのそれであるかもしれないのだ。窓口で釣り銭をわたす手が、ひょっとすると、かつて兵士たちが十字架に釘付けしたそれの再現であるかもしれないのだ。
ひょっとすると、十字架にかけられた顔のある特徴が、鏡の一枚一枚に潜んでいるのではないだろうか。ひょっとすると、その顔が命を失い、消えていったのは、神が万人となるためではなかったのか。
今夜、夢の迷路のなかでその顔を見ながら、明日はそれを忘れていることも無くはないのである。
(「天国篇第31歌、108行 前掲書70頁)

 

こんな風に世界をとらえることは、私に安心と不安の両方をもたらす。安心というのは、いつもいつまでも、世界は滞り無く流れているということ。その流れは誰にも遮られること無く続き、その中に私らしきものがいつも在るという感覚。だがそれ故に不安が生じる。つまり、どんなに「捕らえた」と思っても、世界はこの手の指の間からすり抜けていくようなものなのだ。

 

この不安のために私は書くことに執着する。たとえすべてを書ききることはできないとしても。そして書くことに対しては常に謙虚であろうと思う。私が書き続けていたいと思うのは、案外、世界の無限への憧れなのかもしれない。

「創造者」というこの本のタイトルから、もっと強烈で堅固な創作物を思ったが、いやいや、この本はもっとずっと謙虚であって、それでいて透明度の高い湖の底を見つめているような気持ちになる。