言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

女装パパが子どもに対して誠実にふるまう暮らし―仙田学『女装パパ』

 

本書のタイトルが長すぎるためブログ題に入りそうもなく、仕方なく著者ツイッターに記載してある『女装パパ』を使用しました。本当のタイトルは、『ときどき女装するシングルパパが娘ふたりを育てながら考える 家族、愛、性のことなど』。

今回はこの本の感想を書いていきたい。面白かったです。

 

仙田学 著『ときどき女装するシングルパパが娘ふたりを育てながら考える 家族、愛、性のことなど』(WAVE出版、2020年)

 

 

初めて仙田学さんという作家を知ったのは2015年頃だったと思う。私がちょうど小説の公募生活を始めた頃で、読書と言えばやたらとラテンアメリカ文学を読んでいた時だったと思う。「コルタサルリョサマルケスは10代の頃から好きでした」と、そんなことを言っていた作家さんはどういう小説を書いているのだろうか……? 恐る恐る手に取った仙田さんの『盗まれた遺書』(2002年著者デビュー作「中国の拷問」収録)には得体のしれない世界が広がっていた笑。いまだにきちんと読みこなせるかどうかわからない、わからないなりに何とか読もうと思って実にいろいろな読み方をして、そして結局面白がらせてもらった思い出深い一冊だ。そんなわけで、それ以来文芸誌で作品を見かけるたびに読んできた作家さんが月日の経過とともにいつしか結婚し、親になり、シングルパパになっていたらしい。

 

本書のタイトルが長いことでも察しがつくが内容は多岐にわたっており、子育てにまつわる日常の具体的な出来事から著者が考えたことがまとめられている。「母子手帳」に関しては気づかされたことがあった。何か特定の事柄に悩んで手に取る本、たとえば料理だったり育児だったり病気のことだったり、もっと広く生き方の問題であったり、そういうことが書かれている本はなんとなく押し付けがましいところがある気がするが、この本にはそういう感じは全然なくて、あくまで著者が経験したことがユーモアを交えて書かれているエッセイだった。「世間の目や偏見を恐れずに、本当にやりたいこと、信じたことを貫く。それがシングルファーザーとして、子どもに対して誠実にふるまうこと」(117頁)という大事な思いがぶれないところが素敵。ぶれないが故に警察や行政と戦うことになったりもしていて、それは結構大変だったろうなぁと思うけれど、そんなごたごたもユーモラスに書かれている。私の大好きな「愛と愛と愛」という何年か前に『文藝』に掲載されていた小説についても少し触れられていた。

具体的なエピソードが本当に面白い本だった。いくつか紹介したい。

例えば、離婚をしてからの新生活で冷蔵庫を買うことになった際、将来娘たちが成長したらどのくらい食べるようになるだろう?と想像した著者が、結婚していた頃に使っていたものより大きな冷蔵庫を買うことにした。「そうすることで未来まで一緒に買った気がした」という話。

それから家の前の道路で、ママ友たちに娘の髪を切ってもらった日の夜に娘さんが言ったこと。

 

その夜、長女は寝る前にこう言った。

――今日、家の前の道路で友達のお母さんに髪切ってもらってるとき、不思議すぎて「これ夢なんかな」って思った。

何が不思議やったん? と聞くと、「どっか知らない山のなかにいて、体に雪が降ってきてるみたいやった」とのこと。切られた髪が体の上に落ちるのが、雪みたいだと思ったらしい。

(前掲書、128頁より引用)

 

 

子どもの言葉は時々すごい詩になっている、と思う。耳元で鋏をあてられた髪が切られている時にさりさり聞こえるし、房一つ切られてぼたっと落ちるのが雪みたいと思うのはわかる気がした(冬の暖かい日に降る雪の感触を思い出した。子どもの感覚はこうではないかもしれないけれど)。

 

最後のほうに書いてあった子育ての感覚がとても不思議に思えた。

「子どもの頃の記憶が目の前の子どもたちに関する記憶と混ざりあって、自分ももうひとりの子どもになって歩いているかのような錯覚」「子どもの頃にもどっているのではなく、いまを子どもとして生きているという感覚」「親でありながら子どものひとりとしてそこにいて、自分のなかの子どもも一緒に育てている感覚」(188頁)

子どもとして生き直し、子どもたちと同じものを見て笑い驚きを感じることを著者は「親子の繋がり」であるように感じている。

これをぜひ小説で読みたいです!と思うのはきっと私だけじゃないはず……。

 

女装を趣味にする著者にはそのことで苦労も多いようで、理解してくれる人もいれば、そうでない人もいる。そこに人間関係の喜びも切なさもあるなぁと思う。脱毛のくだりは読んでいて本当に涙の出そうなほどの痛みを想像してしまい……。

脱毛とは「毛のないもうひとりの私」という遊び道具を手に入れること、と書いてあったのにブログを書きながら気がついて、この著者は自分以外の他者、何人分にもなれるのではないだろうか?と思った。分身みたいな? それとはちょっと違うかもしれない。自分とは違う何者かになること。子どもを育てながらひとりの子どもになれる著者の子育て感覚も不思議に思いながら読んだが、女装観もかなり深いのだろうと思う。

 

――パパ、毛を生やしたいのかなくしたいのかどっちなん?

(154頁より引用)

 

 

いろいろ感想を書いたけれどやっぱり子どもの言葉が一番面白いかもしれない。女装のために脱毛は必須でありながら、髪は残したい……、その切実さにずばり切り込んでくる子どもの率直さってやっぱり愛おしいものだと思う。幸せに暮らしてほしいと願っている。

 

 

盗まれた遺書

盗まれた遺書

  • 作者:仙田 学
  • 発売日: 2014/03/18
  • メディア: 単行本