Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

『あじいる』とあしあとプロジェクトのお話

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今日は縁あって手に取った『あじいる』のお話。

たくさんのひとの足裏に踏まれ摺られしてテカテカになった足下の床板や年月の重みに少し撓んで見える天井板、決定的な崩壊を免れつつも少しずつ歪んでしまった柱のせいで決して真っ直ぐではない壁面によって作られた廊下の奥に今自分は立っていて、そこから玄関口だろうか、白い光の射し込む四角く切り取られた場所を見ている。廊下の左右には立てつけの悪そうな引き戸があって、引っ掛かり引っ掛かりしながら開けばそこには三畳一間の部屋がある。日雇いの仕事へ向かうひとびとの活気や疲労や達成や、日常のささやかな喜びや溜息が今では単に「気配」となってしまった小さな部屋。

そこはドヤと呼ばれるかつて日雇い労働者が宿泊していた簡易宿泊所だ。急勾配の傷んだ階段、2階から覗く階下まで不器用に曲がりながら続く手摺りやいつ貼られたものなのかわからない古いポスター、隅に置かれた「消火器」の表示は本来の役割を果たすだろうか。

 

……と、行ったことのない場所についてあれこれと言葉を並べて、そこに残された「痕跡」の幾ばくかを掬い取ろうとする私の行為には何らかの意味があるのだろうか。古いものや、かつてそこに何かがあったらしいとわかる「痕跡」を見つけると何故だか心がゆれる。失われたものが、たしかにそのもの自体は消失しているのだけれど影か、抜け殻みたいなものを置いていったように感じるからだろうか。そしてその「痕跡」と失われたものは、どのくらい同じでまた違うのだろうか、などと考えてしまう。

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今手元に2冊の小冊子がある。それが『あじいる』だ。

2018年5月に創刊号が、11月に第二号が発行されているようだ。この小冊子の創刊号の表紙写真や巻頭写真「ドヤ」から「痕跡」を掬い取ろうと試みたのが上に書いた私の文章の正体である。戦後の高度成長期を支えた日雇いの労働者たちがこの簡易宿泊所である「ドヤ」に多く集まった。そして「ドヤ街」と呼ばれる場所が形成されていった。

 

あじいる』の発行元である「あしあとプロジェクト」について簡単に紹介したいと思う(詳しくは、こちらのホームページをご覧ください↓↓)。

ashiato-project.jimdo.com

野宿者をはじめ生活に困窮した方々への支援(隅田川医療相談会、フードバンク)とみんなで支え合うために食品の仕分け作業などを一緒に行う「共同作業日」からなる【作業を通してお互いを知り、お互いに語り出す あしあとプロジェクト】は「支援する、される」という一方的な関係性を越えたコミュニティである。

このような活動を通してひとつふたつと語られていく仲間たちの過去、彼らの声を聞き流してはいけないのではないか、「その人の歴史を記録していくことの必要性を感じた。」と、荒川茂子さんは〈あしあとプロジェクト「あじいる」発刊に際して〉という文章に書いている。

 

「あしあとプロジェクト」は、語る側にとっては、自分の生きてきた証をこの世に残していくことになると同時に、読む側にとっては、一人一人の人生を知ることで、偏見や差別、社会の矛盾に少しでも目を向けてもらうきっかけになればという思いから始まった。

(〈あしあとプロジェクト「あじいる」発刊に際して〉より引用)

 

 

偏見や差別は、たぶん「顔を知らない」ことから生じてしまう。行政はだれにだってある個人史を無かったことのようにして、すべて同質の、それこそツルツルのコンクリートの壁面みたいに均してしまう。「ホームレス」「野宿者」「生活保護受給者」の存在、彼らの顔を少しでも見ようとすれば、何かが少しずつ変わっていくのかもしれない。他者の世界にコミットすることでツルツルだったコンクリートにいくつものひびや傷と言った「痕跡」が生まれる。

 

あじいる』創刊号には足尾銅山で働いた経歴を持つ坪一さんのあしあとが、第2号には神輿担ぎの祭り大好き男、亀山さんのあしあとが掲載されている。語り手の言葉を尊重した編集がされており、ところどころ、この表現はこういう人生を生きてきた人間にしか出ないだろうと思わせられる言葉に出会う。「火薬を込めて鳴らす」(創刊号、6頁)、足尾銅山の進鑿(しんさく)作業を語った坪一さんの表現。かっこいい。

 

今回私が『あじいる』を手に取るきっかけを与えてくださったのが作家の栗林佐知さんであった。栗林さんの主催する小説アンソロジー吟醸掌篇』で装幀・イラストを担当している山﨑まどかさんが『あじいる』に挿画やコラム、漫画「浦島エレジー」(vol.2)を寄せている。

(『吟醸掌篇』についてはこちらをご覧ください↓↓)

『吟醸掌篇』はじまります - 召しませ短篇小説『吟醸掌篇』

 

漫画の良し悪しはわからないけれど「浦島エレジー」では亀山さんが生まれ育った横浜市子安浜へ行った2018年8月のお盆休みの一日が描かれている。40年近く帰っていなかった場所へ戻ったことの感慨が味のあるタッチで描かれており、じんわりと感動する……はずなのだが、どこかひょうきんで思わず「大丈夫か?」とツッコみをいれたくなるようなノリにじんわりと、私の心の底が笑った。

 

そういえば、『あじいる』では「あしあと」と表現されている言葉のニュアンスがここまで私が書いてきた「痕跡」に重なるのだと思い至る。「痕跡」というものは第三者にしか見つけられない。自分自身の「痕跡」は一生見つけられないのではないか。私が見つけるのはあくまで他者の痕跡であり、それは忘却されただれかが置いていった影や抜け殻みたいなものである。そのひとつひとつを掬い取るように『あじいる』は語る人々の言葉を残し、別のだれかへと、たとえば指先で撫でられると思えるくらいの親しさで手渡していく。