言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

「どっこい生きてる」人に寄り添う―栗林佐知『はるかにてらせ』

今回は、栗林佐知『はるかにてらせ』(未知谷 2014年)についての感想。

はるかにてらせ

はるかにてらせ

 

 

あー、今私、絶対汚いこと思ってるよね、っていうか心の中で呟いてるよね。リア充爆発しろーとか、死ね死ね死ねとか。そういう瞬間って多かれ少なかれあると思う。良くないなぁ、と思いつつ汚い言葉を呟いてる自分に幻滅してさー、自己否定したくなることだってあるのさ、たぶんどんな「いい人」でも。

 

と、いうのがこの本を初めて読んだ時の私の印象だ。なんだかんだ言って、人間の心の奥底には「どす黒い」感情が棲んでいる。振り返ると怖ろしい感情や言葉を、私はけっこう経験していると思う。そういう汚いもの、どす黒いものを小説作品として敢えて突き付けてくるこの作品に対して嫌な気持ちになる人もいるだろう。意外にも私は、どこかで汚い自分を肯定してもらえたような気持ちになって救われたりもした。怖くなることもあったが。

『はるかにてらせ』には六篇の短篇小説が収められている。初読の時は本当に色々な感情をくぐり抜けながら読み終えた、といった感じだった。収録作品は「はるかにてらせ」「恩人」「身代わり不動尊」「京浜東北線の夜」「コンビナート」「券売機の恩返し」。「券売機の恩返し」は作者のデビュー作だ。

 

人間の心の奥底にある「どす黒い」感情、なんて書くと小難しい小説だと思われてしまいそうなので一言書いておくと、小説の語り自体はテンポがよく、小気味よい。

表題作「はるかにてらせ」は結婚して三年の主人公サワちゃんの枕元に、憧れの存在だったありさー先輩の幽霊が出てくる。

 

「先輩、死んでたんですね。三年も前に」

丑三つ時の寝室で、サワちゃんは言った。

「うん、そうだよ」

「どうして、教えてくれなかったんです?」

「だって死んじゃったんだもん、教えらんないじゃん」

「だけど、すぐ出てきてくれたらよかったのに」

「だって髪の毛なかったんだもん」

(前掲書、「はるかにてらせ」9頁より引用)

 

ありさー(有沢)先輩は三年前にガンで死んだらしい。その抗がん剤治療で髪の毛が抜けてしまっていて、生えてくるまで幽霊として出てくることができなかったんだとか(幽霊になってから髪って伸びるんかいッ!とツッコミたい)。

サワちゃんは高校生の時に軽音部に属していてバンドのボーカルをしていた。歌手になりたかった。ありさー先輩はギターを弾いていた。「けらけらころころ」と楽しそうに笑うありさー先輩にサワちゃんは憧れていた。ありさー先輩みたいな「堂々として賢く、浮ついたところのない、かっこいい人間に」なりたかった。でも本当にそうだったのか? 「けらけらころころ」笑いながら楽しい青春を送ることだけが、サワちゃんの理想だったのか?

「暗い」と言われるサワちゃんの歌は、平安時代歌人である和泉式部の歌「冥きより冥き道にぞいりぬべき はるかに照らせ山の端の月」がもとになっていることが小説の中で明かされる。何を信じたらいいものか、全く見えない人生の中で迷いながら生きている。そんな人生を山の端の月のように遠くからでも照らしてほしいという、実は率直な祈りが込められた歌なのかもしれない。サワちゃんは迷いつづけながら、もっと頑張りたい、と思うのだ。「コンビニのおばさんの歌姫」でもいいじゃないか、と。決心というほど立派なものではないかもしれないが(だってこの気持ちは夕方にでもしぼんで、また馬鹿らしく思えてしまうかもしれないのだ)、迷いながら生きていく人生の一場面が描かれている。

 

もう一つだけざっくり紹介したい。

「恩人」という作品は、8歳の子供(雲英、きら)の母親「私」が主人公。自分の子供に対して怒ってばかりで苛立ってばかりで、そのことに対して反省してばかりだけど、やっぱり怒ってる人。そんな「私」が小学生の頃に知り合った「ゆき子ちゃん」と過ごした日々や、その後の様々な葛藤を経て今の「私」がいるという話。「私」に後悔はないし、きっと幸せなのだ。

この世界にはたくさんの「恩人」がいる。抑圧の中でともに助け合えた人がいる。でもそれだけではないのがこの作品の物語としての魅力。かつて「私」は祖母に向って「バクハツ」した。その「バクハツ」が犯罪になる前に押しとどめてくれた見知らぬ人がいた。その人も「恩人」だ。そして、あの時「バクハツ」したおかげで今の「私」がいる。

 

丸顔でほんわかしているように見られるけれど、「怒ると信じられないほど恐い」とよく言われる。そういえば、この性質のせいで運命が変わってしまったことだってあるのだもの。あのバクハツがなければ、今ごろ私は、祖母の選んだどこかの御曹司と結婚して、東京の高級住宅街に住み、お受験ママになってわが子を有名私立に……なんて、おおいやだ。

 怒り狂ってよかったのだ、あのときは。ただあの「事件」を思う時、ゆき子ちゃんのことだけは、胸のねじれるほどせつない。

(前掲書、「恩人」49頁より引用)

 

そしてさらにラストでも衝撃の「恩人」が登場する。

 

小学生の頃仲良しだったゆき子ちゃんという変な子が言った言葉「夕暮れ時に一人ぼっちで歩いているとね、向こうから大人になった自分がやってくるんだよ」や、「真実が知りたいよ」という言葉が少しの不気味さをもってじんわりと反響してくる作品だ。

 

巻末にある「あとがき」から作者の言葉を少しだけ引用させていただく。

 

この短篇の主人公たちは概ね、おそらく人生初期に力を奪われたため、<みんなが軽々と飛び越える水たまりであっぷあっぷする人たち>です。「ダメ人間」「イタい人」と言われそうですが、今や、否定ばかりされて混乱し、人が怖くなるのは、特別な人だけではないでしょう。そう思うと、ダメでもイタくても「どっこい生きてる」この主人公たちが、我ながら立派に見えてきました。

(前掲書、222頁、「あとがき」より引用)

 

「どっこい生きてる」人々に寄り添ってくれる、どこかで誰かを救うかもしれない、そんな一冊だと私は思う。

 

 

おまけ

2016年5月9日、栗林佐知さんを編集人として「吟醸掌篇」という文芸誌が発行されました。

まだきちんと読めていませんが、しっかり作りこまれている印象。詳しくは下記の公式ホームページをご確認ください。

 

『吟醸掌篇』はじまります - 召しませ短篇小説『吟醸掌篇』

 

 

吟醸掌篇 vol.1

吟醸掌篇 vol.1

  • 作者: 志賀泉,山脇千史,柄澤昌幸,小沢真理子,広瀬心二郎,栗林佐知,江川盾雄,空知たゆたさ,たまご猫,山?まどか,木村千穂,有田匡,北沢錨,坂本ラドンセンター,こざさりみ,耳湯
  • 出版社/メーカー: けいこう舎
  • 発売日: 2016/05/09
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