言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

縁とは、無限の渦潮に似ている―いしいしんじ『悪声』

いしいしんじの作品で私が初めて読んだのは新潮2011年9月号に掲載されていた「ある一日」という小説だった。この作家の作品は、書くことに悩んで執筆の手が止まりかけた私にいつも火をつける。本の中から溢れ出し、膨らむイメージの奔流に、私の悩みは押し流されて気がつくと、不思議な読書体験の只中に浮かんでいる。それから「よっしゃ、一発書いたるで~」という心境になり、再び手を動かし始める。

今回手に取った『悪声』は、たまたま書店で見かけたもので、単行本が出ていることを知らなかったから買うつもりはなかった。だけど、てきとーに開いて三行くらい読んでから迷うことなくレジに持って行った(笑)

 

ある種のコケと、ほぼすべてのキノコ、そして粘菌は、時間と空間について、独特の感覚を持っている。たとえばベニテングタケが五本群生していたら、それは、一本ずつの個体なのではなくて、ただ一本のキノコが空間を移動していった軌跡として、コマ送りのフィルムのように、その場に五つの影が残っているのだ。

(6頁より引用)

 

ただ、やっぱり不思議なんだけど、いしいしんじの作品は、すっすっと私の中に入ってくる時と入ってこない(全く受け付けないと言っていい)時がある。同じ作品を後から読み返すのでも、「面白い!」と思える時と、「無理!」と思ってしまう時がある。『悪声』に関して言えばもっとすごかった。長編小説だからなのか、読んでいて入って行ける部分と、何故だか入っていけない部分が今回はあった(また数年後に読み返したら違っているのかもしれない)。

しかし、この作品を読みながら思ったのは、『悪声』はその文章の中に入っていけないもどかしさと、入り込めた時の宙に浮くような喜び自体を味わいながら読む作品なのかもしれない、ということだ。独特の空間飛翔、音と風景が混じり合う描写が圧倒的で、波、舟、光、コケ……様々なイメージが読者の意識を連れ去っていく。

反復するイメージ。特に水のイメージが作品全体を貫いており、

ざーお、しー

ざーお、しー

という文字に書かれた波音が耳に響いてくるようだった。

 

「縁とは、無限の渦潮に似ている、まわりつづける独楽。らせん系の巻き貝の底、さらにその底で眠る巻き貝。回転しながら衝突し、融合するふたつの宇宙。」

(359頁より引用)

 

別々に提示されたイメージが、一冊の本の中で広がっていく。そしてそれぞれのイメージは互いに繋がりながら豊饒の海とも言うべき豊かな世界観を作り上げている。膨れ上がるイメージは「廃寺」「教会」、「お経」「アヴェ・マリア」と言った逆の印象を持つイメージすらも飲みこんでしまう。この想像力のうねりに感動した。

特に、第三章の「方舟教会ライブ」では、原初の海の生命誕生まで読者を潜らせる。神秘的で、美しい反面、たまに怖くて、かなしくもなる。かなし、かなし。印象的なフレーズが多々出てくる。

 

物語としては主人公「なにか」が、「悪声」になってしまう話(こう書くとなんてつまらないんだろう、と思う/汗)あくまで「なにか」という表記がなされていて面白い。実際「なにか」は物語の始めのほうでは廃寺のコケの上に置かれた(捨てられた)赤ん坊で、養父母やその親戚に育てられ、中学生高校生くらいの年齢まで育つ。読んでいれば「なにか」はたぶん「少年」だろうと思えるが、あくまで「なにか」である。時々「オニ」と書かれたりもするが、基本的に限定されない存在である。固有の名前も与えられない。限定されないからこその可能性をどんどん発揮する所にこの物語の面白さはある。例えば、お経に入っていくことで「なにか」は「人間鰐」「人間鰻」なんかになれる。

 

独特の空間飛翔」(不可思議なワープみたいに見える現象が書かれたりする。この小説にリアリティを求めてはいけない気がする、かなりファンタジックなのだ)やモチーフの反復が愛おしくなる。「夢見」をしてフラフラと旅をしているらしい「寺さん」という存在が廃寺にやってきて「なにか」と関わり合いになるのだけれど、この存在自体が時空間を越えて繰り返されているように読める。「反復」と言えば、ガラス製の球体と世界と個体(あぶく)がイメージで繋がるから不思議だ。

 

物語の最後は、梵鐘の響きみたいに耳の奥で鳴りつづける音――輪廻みたいなもの――をそっと置いて、ふっと消えた。個人を越えて幾世代も繋がっていく「なにか」を感じられればこの本は素敵なものになるだろう。

悪声

悪声

 

 物語、暴れ狂う

「ええ声」を持つ少年はいかにして「悪声」となったのか――

 ほとばしるイメージ、疾走するストーリー。

 物語の名手が一切のリミッターを外して書き下ろした問題作。

(書籍の帯より)

 

インタビューがありました!↓↓

 いしいしんじさんインタビュー | BOOK SHORTS

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2016/5/12 追記↓↓

第4回河合隼雄物語賞 受賞、おめでとうございます。

<河合隼雄賞>物語賞にいしいしんじさん「悪声」 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース