言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

盗み続ける書評―仙田学「盗まれた遺書」

我々は、日々、生きる中で、盗み続けているのかもしれない。

「盗み続ける書評」という言葉をふと思いついた時、この作品の怖さにぶち当たったような気分になった。

 

「遺書を読みこめば読みこむほど、自分のもとに届いたことが当然のように思えてならなくなってくる。まるで自分がいつか書いたもののようだった。だがいつしか書き換えていた。書き換えても書き換えても、うまく書き換えることができない。

 また一枚、便箋をめくると、まったく身におぼえのない過去をあたらしく書いていく。」

(60頁より引用)

 

見知らぬ外国語で書かれた一通の遺書が人の手から手へと渡っていく。その部分的に解読された遺書によるとどうやら宛先は「ミユキ」という人物らしい。遺書を解読しようとするのは盗み続ける男・みつると、盗撮し続ける女・奈緒、そして二人の盗人の遺書解読によって巻き込まれていくみゆきという人。

ポケットにねじ込まれた封筒が印象的なこの遺書は、しかし途中から何か物体ではなくなっていく。作中で遺書から物質感が消えていくとでも言おうか。読みながらある瞬間にふと、ごく自然に「遺書」そのものは消えてしまう(実際には消えていないのかもしれない。最後に手元にあるのが確認できるのは奈緒だけれど)。

消えてしまったにも関わらず、これ「が」遺書だということに読者は最後と、読み返した時の冒頭で気がつく。そういえばこの小説作品全体が「遺書」という形式だった、と。

 

「みつるが遺書を送ってきたのは、お姉さんにではなく、ぼくにでした。」(冒頭部分)

「みつるが遺書を送ってきたのは、あなたにではなく、ぼくにでした。」(最後の部分)

 

このちょっとしたズレが小説の語りの怖さを感じさせる。我々読者は作者によって与えられた範囲の文章しか読むことができない。それ故にその作品世界に一度でも入ってしまえば、その世界を信じなければならない。特に「自転車」という語は印象的で「遺書」の封筒と共に読者を一つの小説世界に繋ぎとめるようにはたらいている。こういった作者が与えてくる語りがひとつのルールになる、というのが普通の小説の在り方だとしたら、この作品はやっぱり変なのだ。この作品の語りからは意図的に一貫性が拒否されているように感じられる。勿論、繋がっているように見せている部分もある。しかしそれですべてが語れない、すべてを理路整然と説明できない。ルールのない不可思議な空間に投げ出される怖さ、これが今の所私が文章にできるこの小説の怖さなのだ。(こういう不安にコルタサルを感じるのだ、たぶん。)

 

そのルールのない怖さに拍車をかけるように「遺書」から物質感が消えていくことを思い出す。物質が解体していくその様が怖い。ひとつの固定化したテキストとしての「遺書」は不定形の情報にすり替わっていく。

 

書かれ、読まれ、改変され、伝聞され、そしてまた書かれ……

という行為に終わりはない。この不安定さ!

この終わりの無さは、作品(遺書)の中で語られているみつるの万引きや奈緒の盗撮に終わりがないことに重なってくる。

 

「だからさ、終わりがないからなんだって。撮り終えるってことはできないんだよ。ほんとにほしいものは手に入らないし、撮れば撮るほどなにがほしいのかもわかんなくなってく。でも、ほしいって気持ちだけは膨らんで、膨らみつづけてくんだよ」(45頁、撮り続ける女、奈緒の台詞)

 

仙田学「盗まれた遺書」という作品は、「終わりのなさ」というものを読者に突き付けてくる。終わりがないということを、書いたり読んだり想像したり……という普段意識せずに当たり前のようにこなしている日常の中で思い出させる。

私がこうやって感想を書いているこの行為自体が作品にすでに仕組まれていたのではないか? とさえ思えるのだ。つまり、ある意味で私は作者のこの作品から盗み続けるしかないのだ。何度も繰り返し読んで、読むたびに何かを思い、記憶に残り、それを書くことで再生産し、さらにまた別の誰かに読まれ、その誰かも何かを思い、書き……。

 

当初謎の遺書は、解読すべきものとして現れる。しかし結局正しく解読されることはない。想像で補ったり別のエピソードで補完したりして、新たな遺書が作られる。そしてその作られた遺書さえも誰かが書き換え、さらにその書き換えられたものもきっと書き換えられている。盗み続ける男、盗撮を続ける女を描く中で幾重にも終わりのない営為が重ねられる。そして我々読者は自分自身でこの作品を読んで、さらに何かを重ねていく。作品自体に読者を巻き込む不思議な機構があるとしか思えないのだ(そしてやっぱりこういう所にコルタサルを感じてしまうのだった・笑)。

 

盗まれた遺書

盗まれた遺書