Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

その名に星を秘めて、太陽にやかれて―ル・クレジオ『さまよえる星』

前回ブログ記事で紹介した『オニチャ』と合わせて作者の幼少時の思い出から生まれた〈二部作〉とされる『さまよえる星』という本について、今回は書いていこうと思う。フランスで刊行されたのは1992年4月だが、作者が≪ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール≫誌(1436号)でジャン・ルイ・エジーヌ記者に語ったところによると「さまよえる星」執筆は「オニチャ」(1991年)以前。「さまよえる星」の部分は書籍の刊行以前に発表されていたようだが、当時険悪だったイスラエルパレスチナ関係の中で政治的に利用されることを心配したガリマール社が刊行を見合わせたようだ。作者と面識のある訳者の望月氏の推測によると、「さまよえる星」の執筆はおそらく1986-87年、『メキシコの夢』(1988年)と平行していたのではないか、ということだ。

(以上、訳者あとがき参照)

 

 ル・クレジオ 著、望月芳郎 訳『さまよえる星』(新潮社、1994年)

さまよえる星

さまよえる星

 

 

この本の献辞は「囚われた子供たちに」となっている。さらにその次のページにはペルー民謡が引かれている。引用しておこう。

 

さまよえる星

束の間の恋人よ

おまえの道をたどってゆけ

海をわたり大地をこえ

おまえの鎖を打ち壊せ

(前掲書、冒頭部より引用)

 

戦争や紛争によって住む場所を奪われた人々、難民や移民として長い間さまよわなければならない人々、その中にいる子供たちが澄んだ眼で見ていただろう風景が、ル・クレジオの詩的言語で書かれた小説だ。

 

どんな細かなこと、どんな影にも、エステルは注意をはらっていた。近くにあるもの、遠くにあるもの、空を塞ぐカイール山脈(プロヴァンス地方の岩石の多い山脈)の稜線、丘のてっぺんに突っ立っている多くの松、とげのある草、岩、光の中に止まっている小蠅など、すべてを、ほとんど心が痛くなる思いで見つめた。子供たちの叫び声、娘たちの笑い声、どんな言葉も、犬の吠える声のように、エステルの躰の中で奇妙にも、二、三回、反響した。

(前掲書、52頁より引用)

 

「心が痛くなる思いで見つめた」ものが思い出となり、エステルの心にくっきりと刻印されていく。そういう思い出は、思い出される過程である種の暴力性をともなって人を傷つけることがあるかもしれない。普段は蓋をして決して心の表層に浮かんでこないような事柄がある日ふと思い出され、再びその人を傷つける、傷つけ続ける。苦難の時と回想による傷を長く抱えていかなければならないのはいつだって子供たちだ。

 

ユダヤ人の少女エステル、パレスチナの少女ネジュマ――二人の少女を主人公に、第二次大戦以来の両民族の苦難と遍歴を、自らの少年期の体験を交えて、透明感あふれる言葉で綴る長篇小説。(本の帯文より)

 

エステル(エレーヌ)は時々父に〈エストレリータ(小星ちゃん)〉と呼ばれていた。それからネジュマ(NEJMA)はアラビア語で<星>を意味する。つまりふたりの少女はどちらもその名に星を秘めている。

「光」というものを印象的に描くル・クレジオであるが、この作品では「太陽の光」が暴力的といってもよいほどに輝いている。そこからは逃れることも抗うこともできない。「影」は束の間生じる静止だが、難民となってしまうエステルやネジュマは絶えず移動し続けねばならない、それは太陽の光にやかれることだ。逃亡や密航はどこか暗いイメージを持っているがそのイメージの中を<星>を秘めた少女たちは生きる。

<忘れるために出発しなければならない>という言葉を、読者は何度か読む事になるのだけれど、出発する度にそれ以前の時間がまるで別の人生であるかのようなものに変わってしまう。振り返ってみても自分の人生が一本の直線として俯瞰され得ない、どこかで断絶してしまっていると感じること、これは痛み以外の何ものでもないと思う。

しかし、そのかわりなのか、エステルの人生は全くの他者とつながっているように思える。もうひとりの少女ネジュマの人生だ。ふたりはエルサレム近くのシロエの街道でたまたま一度だけ出会った。エルサレムに入ろうとするエステルと、出て行かなければならないネジュマ。その時ネジュマは一冊の表紙が黒いノートを持っていた。少女は最初のページの右上に大文字で「NEJMA」と書いた。差し出された鉛筆でエステルもそのノートに自分の名前「Esther Greve」と綴った。

 

あの日、あの娘は来、その顔に、わたしはわたしの運命を読んだ。まるでずっと昔から、わたしたちは出会わなければならなかったかのように、ほんとに一瞬の間だったけれど、わたしたちは心が一つになった。

(前掲書、204頁ネジュマの語り、引用)

 

後年、エステルはネジュマのことを思い出す。エステルも黒いノートを買って、その一ページ目に彼女の名前、ネジュマと書いた。それからあとのページに毎日少しずつ書かれていくのはエステルの生活なのだが、あるいはそれはネジュマが生きることになっていた時間だったかもしれない、と読者に思わせる。メモを取りながら分析するように読むとそんな混同は起こらないかもしれないが、一読し本を閉じて今まで読んできたことを頭の中で反芻するように思い出そうとするとエステルとネジュマの人生の一部が重なってしまうような気がしてくる。小説で語られることがなかったネジュマの時間をエステルが生きているようにも思える。

エステルが母エリザベトの遺灰を海にまくシーンで小説は終わる。その少し前、病を得て病院の簡易ベッドで横たわる母をエステルは見舞うのだが、ここに費やされる言葉の美しさ、豊かなイメージの広がりに私は少しだけ救われるような気持ちになる。

 

私は待っていた、呼吸をしていた、生きていた。輸液は管を通って、一滴一滴、母の血管に注がれる。言葉も輸液と同じで、一語一語、いつのまにか、とても低く、とてもゆっくりと入ってゆく――太陽、海、黒い岩、鳥の群の飛翔、アマンテア、アマンテア……薬、注射、荒っぽく、恐ろしい治療、そして突然、私の手の中にあるエリザベトの手が、苦痛の力とともに痙攣する。ふたたび、時をつなぎ、もうちょっとこの世に留まらせるため、立ち去らぬようにするための言葉、言葉。太陽、果実、グラスの中にきらめくブドウ酒、小型帆船の先細のシルエット、午後の炎暑の中で睡りこんだアマンテアの街、裸の肌の下のシーツの爽やかさ、閉じられたよろい戸の青い影。私もそれらを知っていた、私も父や母といっしょにいた、その影、その爽やかさ、その果肉の中にいた。戦争はまったくなかったし、あまりにもなめらかな海の広大さを乱すものは何もなかった。

(前掲書、295頁より引用)

 

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