Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

忘れること、思い出すこと、ことばでつなぎ合わせること―古川真人「四時過ぎの船」

今回は、第48回新潮新人賞を受賞してデビューした古川真人の新人賞受賞第一作「四時過ぎの船」について書いていきたいと思う。

デビュー作である『縫わんばならん』は芥川賞候補になり、単行本も出版されている。『縫わんばならん』について、小説家の小山田浩子は「記憶し語りあい分かちあう営みが布地を複雑に織り上げ、自分と繋がる大きな流れを実感させる。そのことが人の心を暖める。力づける。」(「新潮」2017年3月号掲載、小山田浩子「記憶の布地」より引用)と書いた。先祖から子孫へ代々受け継がなければならないという命のバトンという言い回しを引き合いに出しながら、小山田浩子はそれとは違う人と人とのつながりにあたたかさを見出していたように思う。「親やきょうだいや義理の何やかにや、友達、知りあい、複雑に延びた糸が重なりあい織り上げられつつある布のごく一部、先端などなく、前にも後ろにも横にも斜めにも連綿と繋がっているものの一部だ。」(引用)

 

さて、今回ブログで取り上げる「四時過ぎの船」(160枚)ではどうか。

( 2017.8.9追記:単行本が出ています。↓)

四時過ぎの船

四時過ぎの船

 

 

新潮 2017年 06 月号 [雑誌]

新潮 2017年 06 月号 [雑誌]

 

 

小説のはじまりは、吉川佐恵子が机の上のノートを見つけるところからはじまる。そのノートには「今日ミノル、四時過ぎの船で着く」と書いてあった。ミノル(稔)は佐恵子の孫であり、その孫がどうもひとりで自分の住む島へ四時過ぎの船でやってくる。さて、船着き場まで迎えに行かなければ、と加齢によって痛む体をかばいながら佐恵子は家を出てひとり、船着き場へ向かって歩き出す。と、家を出る前の時点で佐恵子の思考はあちらこちらと逡巡する。どうして稔だけひとりで島に帰ってくるのだ? 家族で来るのではなかったか? やってくるのは稔の兄である浩でなかったか? 浩は魚介類を少しも食べられないというのは不憫なことだ……。様々に思い考えた末に佐恵子は浩の目の手術があるため、家族全員で島に帰ってくることができず、孫の稔だけがやってくることを「思い出す」。

 

「今日ミノル、四時過ぎの船で着く」

そう書かれたノートを祖母である佐恵子の死後、家の片づけのために一時「吉川の古か家」に戻っていた稔が発見する。そのノートは祖母がまだ生きていた頃、病によって書くことができなくなる少し前まで綴っていたらしい日記だ。全体に細いボールペンで書きつけられているほかのページとは異なり、最後のページだけ太いマジックで書かれている。それが先に書いた言葉「今日ミノル、四時過ぎの船で着く」である。文字は裏のページにまで薄く滲んでいた。この時、稔は婆ちゃんの日記の最後のページに、どうして自分の名前がでてくるのか全く「思い出せない」でいた。

この小説は「忘れる」ことと「思い出す」ことの断片から構成されている。それは佐恵子の認知症による思考の逡巡とも重なるが、なにも認知症に関わらず日常というものは忘却と記憶、そしてふとした拍子に浮かび上がる過去の想起から綴ることができるように思う。

作品内に描かれる時間の断片は、稔と兄浩の現在(死後2年ほど経過している亡き祖母の家の片づけ、幼馴染である山浦卓也との再会、小さな男の子ラシュワンの不意の登場)、成人式の頃とそれから4年後に病院へ祖母を見舞った稔の過去、認知症の症状を疑われはじめるも、まだかろうじてひとりで暮らしていた佐恵子が船着き場へ稔を迎えに行った過去、そこでさらに思い出される佐恵子の過去、浩の目の手術とひとりで婆ちゃんの待つ島へ行かなければいけなかった中学生の稔……。これら時間の断片が忘却と想起の繰り返しの中で縫い合わされ一連の記憶として稔の中で整理され、新しく彼の心の内で書き直される過程を描いた作品だと私は思う。そうしてその丹念な作業の中で稔は自身の心のうちにあった「やぜらしか思い」との折り合いをつけ、ようやくこれからどうやって生きていくのか考えることができる地点まで到達することができたのだ。

 

≪(…)婆ちゃんは、やぜらしかものをひとつずつ捨て去っていった。こぼしていって、自分自身も最後にこぼれ落としていった。こぼれ落ちていく、そのなかで、おれと浩のことをおぼえとって、じきに忘れていった。ばってん、なにしろ、おれと浩はまだ年取っていくんやもんな≫

(「新潮」2017年6月号掲載「四時過ぎの船」、57頁より引用)

 

九州の島が舞台と思われるこの小説中に出てくる「やぜらしい」という言葉は、その地方の方言であり、どうやら「わずらわしい」くらいの意味になるようだ。「やぜらしか思い」というものは生きている限り、どんどんどんどん付いてくる。その「やぜらしかもの」をひとつずつ捨て去ってそして死んでいった祖母、これから「やぜらしかもの」をひとつずつ抱えていかなければならない稔。この対比には死生観すら込められているように思う。病院で孫のことさえわからなくなってしまった佐恵子のこんな描写がある。

 

それは丸められたティッシュであったのだが、そうして彼女(佐恵子)は、もはや目のまえに居て、どうしていいのか分からずにこわばった微笑を浮かべている男とこれ以上話す気はないといったように、いつ使ったのか分からないティッシュを、皺だらけの曲がった両手の指でいじりだした。もてあそばれたティッシュは徐々にほどけ、千切れてゆき、その小さな糸くずが窓から差し入る光のなかに舞い上がっていくのを、稔は黙って眺めている。

(前掲書、15頁より引用)

 

「やぜらしか思い」を捨て去ることと、ほどけ、千切れてゆく時間は人生の終わりを暗示しているのではないか。同時に、これからようやく「やぜらしか思い」と折り合いをつけて抱え生きていかなければならない稔は隣を歩く盲目の兄、浩と腕を絡ませている。

 

「今日ミノル、四時過ぎの船で着く」

この言葉が意味していたことを「思い出した」稔は、時を隔てて、あの頃船着き場まで迎えに来てくれていた祖母、佐恵子とようやくすれ違うことができた(「あの頃」は違う道を通ってしまったために行き違いになってしまっていたのだ)。笑い話として思い出されたことが、稔にとって心のわだかまりを受け入れる契機となる。

ノートに書かれた「ことば」によって縫い合わされた記憶。

作者は「ことば」について特別な思いを込めて書いたようにも思える。私にそう思わせるのは、冒頭のノートの裏のページにまで滲んだ文字の存在と、作中に出て来るラシュワンという名前の小さな男の子の存在だ。稔の幼馴染である卓也は認知症の父とまだことばを話すことのできない自分の子供についてこんなことを言っている。「まだしゃべれん赤ん坊と、だんだん意味の分からんごとなっていく親父……正直、どっちもわけ分からんけんね、おれは」(前掲書、49頁より引用)

このふたつの存在の中間にいるのが、「ことばという手段によって最初に世界に触れるよろこび」の中にいるラシュワンという子供ではないだろうか? ラシュワンの両親はインド人で、彼もこれからインドに帰るようだが、その子供が母語ではない「こんにちは!」ということばを繰り返すことでよろこびを感じている……。

「ことば」があるからこそ、「記憶し語りあい分かちあう」ことができる。そうして自分と他者との間や、自分を越えたたくさんの時間を大きな、一枚の布地として縫い合わせることができるのではないだろうか。作者の、ことばというものへの信頼が作品に温かみを添えているように思われてならない。

 

古川真人さんのデビュー作はこちら↓↓

縫わんばならん

縫わんばならん

 

 

 

私のTwitterよりいくつかメモ↓↓ 

 

古川真人「四時過ぎの船」(新潮6月号掲載)を読んだ。佐恵子が「思い出す」ことと再び「忘れること」の繰り返しから描かれる冒頭がとても印象に残る。四時過ぎの船で着く稔と、四時過ぎの船で行く稔。時の隔たりがあるにもかかわらず、過去と現在が自然に行き来する。

 

稔の「やぜらしか思い」への決着のつけ方も良いなあ。作品半ばあたりから登場する幼馴染の境遇とは重なり合うかもしれない部分と、重ならない部分があってそのバランスというか、距離感にリアルを感じた。だけれどなんだかんだ言っておれは、この作者の描く婆が好きなのだ笑。

 

「四時過ぎの船」を読み返しているのだけど、読めば読むほどに時間の「断片」が見えてきて、それが千切れたり、こぼれ落ちたりしつつも、きちんと縫い合わされている(この作者のことを書くのについ使いたくなる言葉だ笑)ことに、人間が生きることの尊さを感じる…。作品から滲み出る死生観の深さよ。