言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

「声」は「祈り」だった―スベトラーナ・アレクシエーヴィッチ『チェルノブイリの祈り』

今更、私のブログで話題にする必要があるのだろうか? そう思ってブログの更新をためらってしまうほどに有名な本、『チェルノブイリの祈り』。作者スベトラーナ・アレクシエーヴィッチは昨年(2015年)ノーベル文学賞を受賞したベラルーシのノンフィクション作家である。今回紹介する本『チェルノブイリの祈り』。福島の原発事故、そして作者のノーベル賞受賞によって日本でも注目を集めた本で、すでに多くの人がインターネット上で様々なコメントを寄せている。

 

スベトラーナ・アレクシエービッチ 著、松本妙子 訳『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(岩波書店、1998年)

 

チェルノブイリの祈り―未来の物語

チェルノブイリの祈り―未来の物語

 
チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

 

 

最近、作者が来日して東京大学で講演をしたそうで話題になっていた。

詳細はこちらをどうぞ↓↓

東京新聞:「国は人命に全責任を負うことはしない」 アレクシエービッチさん、福島で思う:社会(TOKYO Web)

 

今回当ブログで紹介するにあたり、私が引用元として使用するのは1998年に岩波書店からでた版である。

 

チェルノブイリの祈り』は読み通すのにとても時間がかかった。文字そのものを追っている時間よりも、じっと考えている時間のほうがずっと長かった読書体験になった。読みながらどうしても考えてしまう、フクシマのこと。そしてこれからのこと。

チェルノブイリの事故は1986年4月26日午前1時23分58秒に爆発が起こった。第四号炉の原子炉と建屋が崩壊した事故で、事故そのものの規模もさることながら、事故後の放射能汚染の問題も含め、科学技術がもたらした20世紀最大の惨事とも言われている。

この本には事故当初の生々しい証言も掲載されている。爆発直後、消火作業に当たった消防士の妻の証言や、事故処理に関わった人々の記憶は忘れてはいけないものだと思う。この本について「科学的ではない」という意見を持つ人もいるだろう。たしかに、その通りである。この本は「科学的」な数字に主眼が置かれてはいない。事故の概要よりも先に、人々の「声」が書かれているチェルノブイリの事故に関しては本書の最後のほうに「事故に対する歴史的情報」という章が掲載されている。けっして長い章ではなく、あくまで人々の証言のあとに置かれている)。

作者自身、「見落とされた歴史について――自分自身へのインタビュー」という章でこう語っている。

 

この本はチェルノブイリについての本じゃありません。チェルノブイリを取りまく世界のこと、私たちが知らなかったこと、ほとんど知らなかったことについての本です。見落とされた歴史とでもいえばいいのかしら。私の関心をひいたのは事故そのものじゃありません。あの夜、原発でなにが起き、だれが悪くて、どんな決定がくだされ、悪魔の穴のうえに石棺を築くために何トンの砂とコンクリートが必要だったかということじゃない。この未知なるもの、謎にふれた人々がどんな気持ちでいたか、なにを感じていたかということです。チェルノブイリは私たちが解き明かさねばならない謎です。もしかしたら、二十一世紀への課題、二十一世紀への挑戦なのかもしれません。人は、あそこで自分自身の内になにを知り、なにを見抜き、なにを発見したのでしょうか? 自らの世界観に? この本は人々の気持ちを再現したものです、事故の再現ではありません。

(前掲書、24頁より引用)

 

福島の原発事故のあと、放射能に汚染された廃棄物をめぐって、「感情論ではない」という言葉がメディアなどを通してしばしば聞こえてきたのを思い出した。それから、東北の漁業、農作物への風評被害。漠然とした放射能へのおそれと、それに対抗するための言葉があちこちでぶつかり合っていた(ちなみに私は東北産だろうが三陸産だろうが、気にはしていなかった)。「基準値」という言葉もよく聞こえてきた時期が確かにあった。そういうことを思い出してはじめて、今の私は大きな事故に直面していたのだということを考えることができる(なんて無責任なんだろう、自分)。

 

話が少し逸れてしまったが、私は「科学的」であることを重視するのと同じくらい、「感情的」であることも大切にしたいと思っている。以前、東日本大震災津波に関して奥野修二さんが書いたルポルタージュを紹介したことがある。あのルポも人々の感情を描いたものだった。

 

mihiromer.hatenablog.com

 

チェルノブイリの祈り』という本も、ひとつひとつはちいさな言葉であるが、記録され読まれることで大きな力を持ちうる……そういう強さを感じる人々の証言を集めた大切な記録なのだ。

だから、この記録だけをもってチェルノブイリを理解することはできない。あの事故を理解するにはもっと多くの客観的なデータを解析しなければならないだろうし、あの周辺の世界史的な出来事や風土をおさえておく必要もあるかもしれない。

「理解する」というのはなかなかやっかいなことで、どの時点で「理解したことになる」のかわからないまま対象に向き合わなければならない。そこには「人の感情」も含まれる。私は科学的な数値と同じくらい、人々の感情についても目を向けていかなければならないと思う。もし、作者が書かなければ、この本に掲載された多くの言葉が私達のところまで届かなかったかもしれないし、後世に残せなかったかもしれないと思うとぞっとする。

祈りとは声である、と読み終わってから素直に思った。

チェルノブイリの祈り』の目次に注目してみよう。こんなふうになっている。

 

孤独な人間の声

見落とされた歴史について

  1. 死者たちの大地

   兵士たちの合唱

  2.万物の霊長

   人々の合唱

    3.悲しみをのりこえて

           子どもたちの合唱

孤独な人間の声

事故に対する歴史的情報

エピローグに代えて

訳者あとがき

 

二回ある「孤独な人間の声」、はじめは事故直後、消火活動に当たった消防士の妻の証言。後半は事故処理作業者の妻の証言。このふたつの「声」に挟まれて1章から3章まで、間に「合唱」という章を挟んで人々の証言は続く。どんなにちいさくとも、人間の声が途切れることなく、この本は終わる。なぜなら「声」は「祈り」だから。

チェルノブイリの事故の前と後で、人々が抱く世界観は大きく変わってしまった。事故を境にして大きな断絶を経験した人々のアイデンティティは汚染された土地とともに崩れて失われてしまったかのような印象を受けた。しかし、それでもなお生き続けなければならない人々の諦観もある。おそろしいことにチェルノブイリの事故が、自分たち(ベラルーシ)の存在をヨーロッパなど他の世界へ主張する契機になったという思いを抱く人々もいる。放射能の汚染により「子供を生む罪」というそれまで全く意識されなかった罪が人々の意識にのぼった。事故について、忘れた方がいいのか記憶していたほうがいいのかさえわからなくなってしまったといった証言もあった。スベトラーナ・アレクシエーヴィッチは、なにかが起きたはずなのだけれど、それについて考えることができない状況(自分たちの体験や語彙が役には立たなかったこと)を「感覚の新しい歴史がはじまった」(26頁)とまで表現した。

 

私たちは知らなかったのです。こんなに美しいものが、死をもたらすかもしれないなんて。確かににおいはありました。春のにおいでも、秋のにおいでもない、なにかまったくほかのにおい。地上のにおいじゃありませんでした。のどがいがらっぽく、涙が自然にでてきました。

(前掲書138頁より引用)

 

放射能は目には見えないし、においもしない。今の私達がそう理解しているからこそ、この証言は重い。これは「こんなに美しいものが死をもたらすなんて」と題された証言で、原発の近く(プリピャチ市)で暮らし、原発の火災をベランダから見ていた人の言葉だ。実際ににおいがあるとか、ないとかは問題ではなくて、そう感じた人がいたということの重み。テンプレート的に言葉を使うことが多い日常生活を越えた事故の証言。

そして日常生活を越えた事故のあとも世界は終わることなく続き、その中で生きていかなければならないということがどんなことなのか、考え続けること。考えるための材料はあまり多くなかったかもしれない(この本が発表されたのは事故後10年ほど)。それでも言葉をなくしてしまうことができなかった人々の声、作者によって書き連ねられた「声」の数々から「祈り」を感じずにはいられなかった。