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Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

連想から生まれる幻を追う―泉鏡花「照葉狂言」

今回は泉鏡花照葉狂言」という作品について書いていく。

 

 

照葉狂言

照葉狂言

 

 

この小説は1896年読売新聞に掲載されたもので作品内には、「鞠唄」「仙冠者」「野衾」「狂言」「夜の辻」「仮小屋」「井筒」「重井筒」「峰の堂」の9つの小見出しが付されている。新聞掲載小説だったからなのだろうか、ひとつひとつの見出しに沿った描写が展開され、泉鏡花の作品の中でも読みやすいものだと思う。

 

あらすじを簡単に書いてしまえば、貢という少年が隣家の「姉上」と、照葉狂言の一座の小親という二人の女性の間で揺れながらも結局はどちらを選ぶことなくそっと旅立っていく、というもの。姉上との優しい交流や、小親に惹かれていく中で遭遇することになる事件などが、みずみずしく描写されており、私はそこに「子供の感覚」というか純粋でうぶなものを感じ取った(そこがこの小説を読んでいてとても魅力的に思えた)。だからこそ後半の姉上か小親か、というある意味道徳的な問題に踏み込んでいく描写に少し性急さを感じてしまったし、結局提示した道徳的な問題にも答えることなく貢は毅然と歩んでいくというラストにも違和感が残った。

 

だけれど、この作品は素晴らしいと思う。

小説の素晴らしさ、面白さを伝えるのは本当に難しいと思うがまずはこの作品の冒頭を少しだけ引用したい。

 

二坪に足らぬ市中の日蔭の庭に、よくもこう生い立ちしな、一本の青楓、塀の内に年経たり。さるも老木の春寒しや、枝も幹もただ日南に向いて、戸の外にばかり茂りたれば、広からざる小路の中を横ぎりて、枝さきは伸びて、やがて対向(むかい)なる、二階家の窓に達(とど)かんとす。その窓に時々姿を見せて、われに笑顔向けたまうは、うつくしき姉上なり。

(「照葉狂言」冒頭より引用)

 

この作品の空間と姉上の人物造形をぎゅっと凝縮したような文章である。ここに出て来る楓は実は物語上、重要なキーワードになっていて、そうならざるを得ない空間の必然性がこの冒頭に集約されている。また、作品を通して鏡花はくどくどと姉上を礼賛するような文章など絶対に書かないが、こういうさりげなさ――「窓に時々姿を見せて」と言ったさりげない表現――でこの「姉上」と呼ばれる人物が慎ましい美しさを持っているのだろうと読者に想像させる。「広岡の家の下婢」が語る昔話「阿銀小銀」の物語(継母による継子いじめの物語)も「姉上」という人の人物造形にとって重要な要素だ。直接的な描写をさけつつ、その人がいかに魅力的な人物であるか読者の想像力を掻き立てる手法だといえる。

小説の語り手である貢がこの物語を聞いて涙するくだりは、古典的と言えばそうであるが、やはり子供の純粋さや一途さというものへの憧れがある。国麿というガキ大将的人物が登場するが、威張り散らした国麿の姿を読者が憎み切れないのもきっとそういう純粋さがあるからだろう。その純真さは小親という人物にも向けられることになるが、悪意がない故に後に物語の複雑な心情を生み出してしまう。

 

小説の時間について見てみると、「夜の辻」と「仮小屋」の間に8年の月日が横たわっていることに読者はすぐに気がつくだろう。いつまでも冒頭の楓の枝が風にゆれ、姉上の手によってしなる、きらきらした紙細工が舞うような時間の中に生きられたらどれだけ幸せだったろうか。しかしそういう子供の純粋さの中だけで、いつまでも生きていることはできない。貢もそうだった。突然8年の時が経過していることで生じる「断絶」は作品にとって必要な仕掛けだと言える。

小親について出ていった貢が次に姉上の住む所へ戻ってきた時には、何もかもが変わってしまっていた。取り返しのつかない喪失を目撃し、そこから姉上を救うためにさらに失わなければならないものがあって……。貢の姉上を大切に思う気持ちも、小親を慕う気持ちもどちらも嘘偽りないものだが、ふたつの思いは両立し得ない。そのことに気がついた時、貢は子供の純真の中で生きられなくなったことを悟ったのかもしれない。

 

作品の語りによって連想させられ、引きずり出されるイメージがある。私の読書感想文はたぶんそうして引きずり出された幻を追いかけているようなものなのだろう。

 

最後に、私がこの小説で気に入った部分を引用して終わりにしたい。「白く細き手」と「青き一条の光」という言葉が幻想的に響き合っている。

 

言うほどにまた幻見ゆ。空蒼く日の影花やかに、緑の色濃き楓の葉に、金紙、銀紙の蝶の形ひらひらと風にゆれて、差のばしたまう白く細き手の、その姉上の姿ながら、室(へや)の片隅の暗きあたり鮮麗(あざやか)にフト在るを、見返せば、月の影窓より漏れて、青き一条の光、畳の上に映(さ)したるなり。

泉鏡花照葉狂言」井筒より引用)

 

 

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