Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

モノと文化、人と歴史と認識と―関根達人『モノから見たアイヌ文化史』

もう1年以上前になるが、私は以前こんな記事を書いた。

交流、混淆、変容 ―『アイヌ学入門』という本から再確認した文化観 - Danse Macabre!

 

生まれも育ちも北海道なのに、北海道の歴史が、はっきり言ってよくわからない。

小中高時代で習ったことによれば、北の大地に展開するものは縄文時代→続縄文時代→擦文→アイヌの伝統文化(時期が不明瞭、漠然と現在まで続く)、明治時代の開拓使→いきなり空襲、突如炭鉱。社会見学や修学旅行(小学生の時か?)で北方民族に関する資料館に行ったことはあったが、そこにはまったく聞いたことのないナントカ文化の展示物が漠然と広がっていた(あと、いきなり刑務所にも行くよ!)。

学校教科書で習う歴史からも遠く、また近年盛んに言われるようになった「アイヌ文化の豊かな精神世界、自然との共生」からも遠い、という感覚を持っている人が多いのではないだろうか? 自分たちの住んでいる土地の歴史がぶつ切りの断絶だらけで、しかも教科書的な日本史の世界からも遠く隔たっていることから(よく考えたら北海道という名称すら歴史的に新しい)、どうにも「歴史」というものに対して親しみがわかない。道南の地域に住んでいれば、かろうじて松前藩の存在に親しみを覚えるのかもしれないが。断絶だらけの歴史を子供の頃に習ったからか、私には明確な帰属意識がない。郷土愛もなければ、そもそも和人でもアイヌ民族でもないような気持ちが胸の奥底にある。勿論、琉球でもロシアでもないのだけれど。

近くにいる人に聞いても、やっぱり誰もが北海道の歴史について判然としないイメージだけを持っている。かえって観光客のほうが、北海道の文化に詳しかったりする。主にアイヌの伝統文化についてだけれど。よほどの専門家でない限り、北海道の歴史を語ると一般的に「アイヌ民族の文化」の話になるか、近代以降北海道にやってくる開拓使節団の話になってしまう。

 

前置きが長くなってしまったが、本題はここから。

単純に知りたいという欲望(?)から一年に一冊くらいは北海道の歴史に触れた本を読むのだけれど、今年読んだ本はこちら↓↓

 

関根達人『モノから見たアイヌ文化史』(吉川弘文館、2016年) 

モノから見たアイヌ文化史

モノから見たアイヌ文化史

 

 

著者は「蝦夷地の歴史は、アイヌをはじめとする北方民族と北方へ進出した和人の双方によって営まれた歴史であり、さらには中国やロシアとの関係性のなかで形成された歴史である。蝦夷地がどのような経緯で民族の土地から日本国へ編入されるに到ったのか、内国化の前史を、考古資料・文献資料・絵画資料・民具・民族調査(聞き取り)などにより多角的に検証する必要がある。」(前掲書、13頁より引用)とした上で、歴史考古学(中近世考古学)の成果や手法を従来の蝦夷地研究に応用していく。ここで言う歴史考古学とは、ざっくり書いてしまえば「文字を使用している時代を対象とした考古学」くらいの意味になる。豊富な「文献資料」と「遺跡」の両方から歴史にアプローチすることができる分野だ(両方からアプローチできるということは、ある程度両方の知識が必要だから大変と言えば大変かもしれない……)。

アイヌ民族は文字記録を残さなかった。アイヌ民族について残っている文献史料や絵画資料はすべて和人によって書かれたもので、そのまま解釈するのは妥当ではない場合が多い(何故なら、書くという行為にはすべて書き手の主観が混ざり込んでしまう、という性質があるから。今も昔もどんな文化に対してもそれを語る時には、書き手(語り手)の偏見が混ざり込んでしまうことを忘れてはいけないと思う)。

文献史料を残さないアイヌ民族の遺構に対して、どのように歴史考古学の手法を応用するというのか? 従来の「アイヌ考古学」は遺構の時代を特定するために主に噴出年代の判明している火山灰層を手掛かりに進められてきた。しかしそれだけだと、痒い所に手が届かない式の問題も出てくる。火山灰層がなければ手がかりがないとなると、年代がはっきりしなくなる遺構や遺物だらけになってしまう。そこで歴史考古学の手法を応用する。文化とは隣接する他の文化による影響を受けて、常に流動しているものである。蝦夷地と本州が数世紀の間没交渉であるはずはないし、アイヌの遺物をよく見てみると大陸文化の影響もみられる。アイヌの墓などから出土した遺物群の中には、すでに歴史考古学の分野で編年研究の進んでいる和人のモノ(和産物)も含まれる。考古学の分野では同じ地層から発掘されたものはよほど特殊な事情が無い限り同じ時代のものである(よほど特殊な事情……? 古より先祖代々伝わるモノは同時代の制作ではない、また後世の人が作為的に埋めたりしなければ……ってそれは捏造か笑)。和産物との共伴関係と火山灰の両方を検討することで、より精密な年代の特定が可能となるアイヌの遺物が存在するのだ。しかも、アイヌの人々に受容された和産物は単に編年に役立つだけでなく、和人とアイヌの政治的・経済的関係性を追求する上で重要な役割を果たす。」(前掲書、20頁より引用)のだから素晴らしい。編年研究に使った後はそのモノの属性によってさらなる分析ができる。

 

アイヌ文化は、南方に対しては、列島規模で展開し始めた中世的日本海運の北上により対和人交易が飛躍的に拡大する一方、北方に対しては、サハリン島への進出にともないアムール女真文化との文化的接触を受けたと考えられる。アイヌ文化はこうした南北双方の文化的影響を受け、擦文文化が「化学変化」して生成したのではなかろうか。

(前掲書、8頁より引用)

 

著者の結論はこうだが、これを説明するために様々なモノについて検討された成果がこの本だ。単純にどういうモノが、どういうふうにアイヌ民族によって使用されていたのかという所だけでも面白いし、モノに使用からうかがえる近世のアイヌ民族と和人の距離感に新しい印象さえもたらしてくれる(近世期に対和人関連で登場する人物は反乱を起こしたシャクシャインコシャマインだけではなかった、その名をハリハリホクンと記された人物がいる、対ロシア政策に関して重要な役割を担い日本側に協力的だったカラフトアイヌの存在が石碑から浮かび上がったようだ)。

アイヌ民族が和人から受容したモノもあれば受容しなかったものもある、さらに受容したけれど和人の思惑とは違った用途に使用していたモノもある(貨幣経済に組み込まれていないアイヌは、和人の持ち込んだ銭を単純に飾りの一部として利用していた、オシャレなのである)。

 

文化のダイナミズムをモノ資料とその検討から描き出した本書は、蝦夷地の歴史が決して和人、アイヌのどちらか一方によって紡がれてきたものではなく、互いに様々な文化的影響を受けながら今日まで繋がっているということを垣間見せてくれた一冊だった。博物館や資料館へ出かけた時にちょっと思い出してみると、モノの見方が変わるかもしれない。

 

おまけ。私がてきとーにドライブに行ったときに撮影した写真。この墓碑についても書かれていました。↓↓

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