言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

人と蚕が紡いだ歴史、産業、文化―畑中章宏『蚕―絹糸を吐く虫と日本人』

今回ご紹介する本はこちら↓↓

畑中章宏『蚕―絹糸を吐く虫と日本人』(晶文社、2015年)

蚕: 絹糸を吐く虫と日本人

蚕: 絹糸を吐く虫と日本人

 

 

アカデミックなところでは今現在どういった手法で研究が進められているのか知れないが(私が知っている先端は十数年も前である)、人文科学の諸分野も日進月歩、研究手法が洗練され、様々な視点で様々な事柄が語られているだろう。今回当ブログで民俗学の手法を用いて書かれた書籍について紹介する。ともすれば伝承や伝統芸能、民芸品などの列挙に陥りがちな分野において、この本は焦点を「蚕」に絞っている。蚕と人の関わりを主軸に歴史や文化を広く浅く概観するような書籍だ。知っているようで意外と知らない蚕や養蚕というかつて日本の文化に深く根付いていた産業について知る機会としては絶好だろう。

 

この本は全部で四章から構成されている。

第一章「蚕と日本社会」において、古代から現代に至るまでの養蚕の歴史とそれにまつわる文化について概略を示す。「古事記」「日本書紀」などの記述や3世紀に成立した「魏志倭人伝」、六国史のひとつである「日本三大実録」(901年完成)といった歴史書の記述を紹介し、古代より養蚕がおこなわれていたらしいことが書かれる。有名どころでは推古天皇の12年(604年)厩戸皇子が制定した「憲法十七条」の第十六条に「農桑」について記されているらしい(蚕と言えば、桑である)。

中世に関しては「百姓は農民ではない」とい歴史像を模索した有名な歴史学者、網野善彦の養蚕や織物についての指摘を取り上げている。

近世以降は養蚕を巡る技術革新の歴史とそれまでの近畿地方中心から関東、東北へという養蚕業の各地への広がりについて書かれている。私が度々ブログで取り上げていたブルーノ・タウトについても取り上げられており興味深い(白川郷の合掌造りの建築は養蚕業のための建築形式であり、その存在が近世以降、山間部にまで養蚕が広まった様子を伝えているという)。また江戸時代の後半に多数出版された「養蚕技術書」の紹介から、養蚕というものが当時の人々にとってどれほど関心の高い事柄だったかを浮き彫りにする。

近代(明治時代)になるとお馴染み官営の「富岡製糸場」をはじめ、生糸の大量生産のため手作業での生産から機械生産に切り替わっていく産業史が書かれる。現在も続く皇后の養蚕(宮中での養蚕)が始められたのも明治であり、日本の産業革命時にどれほど養蚕業が重視されていたかがわかる。富岡製糸場以外にも設立された近代の製糸工場について、また外国人からみた日本の印象などが紹介されている。

その後、日本は大きな戦争を経験することになるが、食料確保のため桑畑が減っていき養蚕が廃れていく(ここら辺の風景はフィクションではあるが、磯崎憲一郎電車道』という小説でも描かれていた)。

戦後、再び養蚕業が盛り上がりを見せる中で、昭和36(1961)年7月30日に「蚕蛾の怪獣」である映画「モスラ」が公開されていることが記されていたが、当時あの巨大な蚕蛾の怪獣を見て、人々は何を思ったのだろうか。特撮映画の題材になるほど、蚕は人々にとって身近な存在だったのかもしれない。昭和30~40年代に再びピークを迎えた養蚕も昭和50年代後半から廃れ、現在に至る。

と、ざっと書いてしまえばこういった概略(人と蚕に関する通史と言っていいと思う)を一章で述べた後、二章「豊繭への願い」、三章「猫にもすがる」においてより具体的な事象が述べられる。例えば、養蚕を生活の中に組み込んでいった人々の間で生まれてくる豊繭への願いが独自の民間信仰を生み、またそれに関した芸能(祭り)や記念碑(石像)などを生む。

最終章である四章「東京の絹の道」では著者が実際に八王子とその周辺の四つの地域を歩く。「養蚕、製糸、織物に関する歴史と民俗の縮図があるから」(190頁)ということで、蚕に関するものを紹介している。

誰かが書かなければ意識されない事柄というものがある。勿論書かれたことに対して無批判に受け入れるだけではいけない。書かれたことには確実にそれを記述した者の主観が混ざり込んでしまうが、それを批判的に再検討していくという側面が民俗学にはある(この本だと「オシラサマ考」という二章三節が興味深い)。誰かが事象をまとめて記述した事柄というのは重い。史料を検討する労力と、資料を歩き集めること地道な苦労を思うと、日干しにされて死んでいく繭の中の蛹のように泣きたくもなる(笑)

 

以下、本のカバーより引用

「近代の日本、蚕は多くの農家の屋根裏に大切に飼われていた。日本は世界一の生糸輸出国であり、蚕は農家に現金を運び、外貨を稼いでくれた。お蚕様は身を挺して私たちにつくしてくださる。ならば私たちもお蚕様を大事に育て、なぐさめないといけない――関東周縁にはさまざまなお蚕様をめぐる民間信仰が生まれた。伝説、お札、お祭、彫刻……身近であったはずの養蚕が生み出した、素朴で豊かな文化と芸術を、気鋭の民俗学者が、各地を取材しながら掘り起こす民俗学的ノンフィクション。」

 

参考記事↓↓

 

mihiromer.hatenablog.com

 

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私のtwitter(@MihiroMer)よりメモ

今年の初め頃かな?に知った畑中章宏『蚕 絹糸を吐く虫と日本人』という本を最近ようやく読み始めた。知っているようで意外と知らない養蚕というもの。どうやら日本の文化の深いところにまで入り込んでいるようです。歴史的にも、産業史的にも、宗教史的にも。

 

風土、生業、信仰、祭祀、芸能。 それぞれに関係しあいながら時は紡がれ、作られてきた歴史がある。こんな当たり前のことを久しぶりに考えた。養蚕という視点から、文献や様々な文化事象の読み解きが試みられている面白い本です。 (畑中章宏『蚕 絹糸を吐く虫と日本人』)